2019年5月7日火曜日

細菌戦の系譜!!

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ABC企画委員会
4月18日(木)18時~「ビザ発給拒否国賠裁判」報告会
731と米国の核戦略
防衛省731部隊情報公開裁判の途中経過から見えてきたこと
原子爆弾症研究者都築正男と米の核戦略
731部隊関連行事
(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
武見太郎と金原節三の関係
ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
731部隊関連年表
人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
日本の核開発(加藤哲郎さん)

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!



遺棄化学兵器被害問題【日中未来平和基金事務局長:南典男弁護士  2019年5月2日(木)かながわ県民センター1階展示場102号室】







●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!

●ニュース
このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】


顧問から罵声受け女子生徒自殺 ノートに内容記録

東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ


“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~

東大院出てもUターン就職。東京より地元、転勤より家族、就活しない……親世代とは変わる優先順位

「『令和』って言うな」国民・玉木代表に聴衆が発言

私物化された改元~令和は最後の元号か?

「伝わりにくい平和」をどうする――コミュニケーションから考える戦争と平和


「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声

福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上

原因究明はされるのだろうか??
強制不妊救済法が成立 「心からおわび」320万円支給 月内に施行へ

彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚


JR福知山線・信楽高原鉄道…平成「列車」の事件事故、忘れてはならぬ教訓

原発「運転継続の可能性ほぼゼロ」テロ対策未整備で

「原発止まれば相当インパクト」 救済一蹴、電力の誤算


医学界の天皇制??
“無給医よ、甘えるな” 真意は…

室井佑月「新元号で、どうしろと?」


医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ

強制不妊「反省とおわび」、首相が談話発表へ 救済法成立時

東大祝辞の核心「日本は世界一冷たい国」

戦争を放棄した国がなんで高価な戦闘機を爆買いするのだ???
墜落したF35、1機分のお金で何ができたか―「欠陥商品」147機6兆2000億円を爆買いの愚

海上保安庁の100%落札 予定価格は把握可能か 内部調査で判明

【原発】福島の政治家がついに決死の大暴露! 「政府は現実をことごとく隠す」「復興は原発セールスのため」「動植物の奇形も増加」(インタビュー)


放射能汚染が国際的な問題になっているのではないか!!
WTO逆転敗訴 誤算の外交戦略、見直しへ

なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」



731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


徴用工を象徴する像 韓国 プサン市が強制撤去

“アッキード”安倍昭恵さんは名誉校長を辞めたくなかった


真理を追究すると食えない社会!!
文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死


原因究明されず、ウヤムヤのまま終止符??
強制不妊救済法案、来週にも成立へ

【平成の事件】19人殺害と強制不妊手術 「善意」の暴走と「生産性」追求の果て、続く差別との闘い

発生50年 終わらないカネミ油症事件

医の倫理はどうなっているの??
東京・公立福生病院 透析中止・非導入21人、同意書なし ずさん体制露呈 都指導


「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない

「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃




人体実験疑い 京大調査継続せず

イージス・アショア 田岡俊次 青木理




森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審

戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術

なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


●北京にも細菌部隊(1950年1月10日 AKAHATA)


終戦後ノミ入り石油缶1万個持ち去る
応召になり、満州で3か月の歩兵訓練を受け、昭和20年4月に北京に回され衛生2等兵として1855部隊篠田隊に配属された。ここは細菌兵器研究所だった、ペスト菌とノミの培養を主として行い、対ソ戦の準備が行われていた。北支派遣1855部隊とは当時の北支派遣軍総司令官下村定元中将の指揮下にあり、部隊長は西村英二元軍医大尉だった。本部は北京の名所天壇のすぐそばにあって表面上の仕事は野戦給水及び伝染病予防ということになっていたが、現業部門として第1課(病理試験)、第2課(ワクチン製造)、第3課(細菌兵器研究所)があって活動していた。第1課は北京市内東南のロックフェラー医大に、第2課は北京市内の北海公園の国立博物館にあった。



京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日


・今、新聞報道がますます権力のなすがままに流れていることに危機感が強くなってます。この会の人々はどんな方々なのでしょうか?機会あるごとに繰り返し開催されますよう期待申し上げます。(男性、70代)   


●横浜「731部隊・100部隊・毒ガス戦パネル展の感想(4月29日~5月3日)
4/29(月)
3.男.60.横須賀市.2月の展示会にも来ました。その時には、出展されていなかったと思います(毒ガス戦)。中国の毒ガス被害者の写真コーナーには強い衝撃を受けました。近年起こった、100部隊のコーナーでも軍馬の徴発、頭数など2月にはなかった情報がとても勉強になりました。

●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部

沖縄失陥のあと

「ちょっと、かりますよ」
明石氏が静かな口調で佐川技手にいい、私の顔を慈父のようなまなざしでのぞいた。
「どうぞ。今日はどうせ、これぎりですから」
と、佐川技手が答えた。
私は、皆の視線を背に感じながら、内心得々として、明石氏と一緒にそこを離れた。
「まだ暑いなぁ。どこへゆこうなか?・・・・俺の官舎へ行ってもご馳走はないな。女房を郷里へ帰してしまったあとだから」
「帰されたのですか?やはりここも危険なのでしょうか?」
と、私は、通化への移動をあわせ考えながらきいた。
「そんなこともあるまいが、第一、俺がここにいることが少ないんだからね。・・・この前、君と会ってから間もなく出かけて、昨日帰ったばかりだ」
「沖縄もとうとうだめでしたけど・・・今度はどっちへくるでしょうか?」
そうたずねる私には、果たして、世界中を驚倒させる新兵器が実際に使用されるのかどうかを知りたい下心と、何か希望的な予想をこの人から聞きたいという期待があった。
しかし、明石氏は、「ううん・・・・」と気のない返事をしたあと、
「この秋が決戦だろうかな」



●陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず




●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校

重要な実験場

これらの毒ガス戦に従事した軍人たちの活動に関し、安達さんは以下のごとく回想している。

皆はすべて目を反らさず被害者の反応を見ていた。私は思った。『今度はお前も醜態をさらすぞ』。皆はかたずをのんで注視していたが、彼は口をしっかり閉じ、顔色に何らはっきりした変化も見えなかった。時間は2分、3分、刻一刻と過ぎ、毒ガスはすでに半ば以上燃焼したが、はっきりとした効果は出なかった。ちょうどその時風向きが変わり、形成はさらに不利になった。もはや我慢できなくなった早坂が怒鳴った。『もっと近寄せろ』。私はすぐに10m近くに持って行き、被害者の変化を観察していた。



(広島県大久野島毒ガス工場)




●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第四展示室
第四展示室は、偽札製造を行った第三科の活動を中心に紹介しています。第三科は高度な印刷技術を駆使して、偽札や偽造パスポートの製造を行い、とりわけ中国の蒋介石政権の紙幣の偽造に力を注いでいました。偽札の偽造と散布、それが戦局に与えた影響について見ていきます。


通貨戦争
日本は軍事的・政治的に失敗を重ね、経済戦争にも敗れることでようやく中国から手を引きこととなります。しかし、中国は戦争に勝利したにもかかわらず、戦争末期からの極度のインフレーションは蒋介石政権の中国民衆への信頼を失わせる一因にもなりました。







●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■731部隊と大学
―今述べられた罪悪とのかかわりで、 とりわけ大学医学部は、どのように戦争に加担していたのでしょうか。大学研究の戦争への加担という点で、特徴的なことはあるのでしょうか。
まず、731・「石井機関」に特にかかわる戦争加担についてお話しください。

「石井機関」の中枢的役割を果たしていたとされる陸軍軍医学校防疫研究室の報告書「陸軍軍医学校防疫研究報告第二部」には共同発表者や論文指導者に大学の研究者の氏名が多く見られます。これらの研究者は「嘱託」という身分であり、その所属は東京大学、慶応大学、長崎大学、京都大学、大阪大学、金沢医科大学、北里研究所、北海道大学、干葉医科大学等でした。また「指導教官」という名目で東大教授、慶応大学教授、干葉医大教授等が名前を連ねています。さらに、防疫研究室の「委託研究」を行っていた教授の教室に所属していた医学者たちは陸軍軍医学校防疫研究室や731部隊関連の研究に組織的にかかわっていたと言えます。その他に論文末尾に「謝辞」を受けている研究者も多数いました。 陸軍軍医学校は博士の学位の授与を認められていなかったことから、731部隊関係者の学位授与の審査は先ほど述べた大学医学部や医科大学などで行われ、大学の総長や学長から出された申請を受けて文部大臣が学位授与を認可していたことが明らかとなっているのです。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
第21回『衛生学校記事』情報公開裁判

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

『日本近現代医学人名辞典』から金原の略歴を書いてみる。
金原節三(きんばらせつぞう)
明治34(1901)~昭和51(1976)年(74歳)、愛知
【陸軍軍医(耳鼻咽喉科)、陸上自衛隊医官】
大正15年東京帝大(陸軍依託学生)。6月(陸軍2等軍医)、陸軍軍医学校(15年8月~昭和2年6月)、済南事変のため出征(3年5月~4年4月)、東京帝大大学院(耳鼻咽喉科増田胤次教授4年4月~6年3月)、4年8月(1等軍医)、7年8月東京第1衛戍病院付、9年1月陸軍省軍務局付、独駐在(9年12月~11年8月 軍事研究)、11年8月(3等軍医正)、軍医學校付、12年8月医務局医事課員、逓信省事務官、13年2月航空局事務官(~14年3月)、13年6月傷兵保護院事務官(~14年3月)、16年11月医務局医事課長、17年8月(軍医大佐)、18年9月近衛第2師団(スマトラ)軍医部長、19年10月第15軍(ビルマ)軍医部長、20年7月第38軍(仏印)軍医部長、21年5月帰還復員、6月厚生省東海北陸医務出張所長、22年12月退官(追放令による)、23年1月名古屋市にて開業(金原医院)。30年8月陸上自衛隊衛生学校長(陸将補)、32年7月(陸将)、32年12月陸上幕僚監部衛生課長、32年7月陸上幕僚監部衛生監、36年11月退官。


金原節三の遺族は、金原が所蔵していた文献資料を2000点以上を防衛省の彰古館に寄贈したが、今、その資料の紛失が問題になっている!!



※CBRとは化学(Chemical)、生物(Biological)、放射性物質(Radiological)用いた兵器はそれぞれの頭文字をとってCBR兵器と呼ばれている。

※明らかに、自衛隊では、化学兵器、生物兵器、核兵器の積極的利用を考えている!!
理研では、核兵器の研究を戦後もずっとやっているのだろうか?


※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年


第8章 昭和維新と統制



さらに天皇と同じく、広田は当時、日本の将校たちが自明の理としていた考えを共有していた。すなわち、中国とは国家でも民族でもなく、単なる地理的な名称にすぎず、日本にはその領土を再編し、どこでも望んだ場所は奪取する資格があるというものだった。昭和天皇は、1936年4月17日、陸軍の要望に応え小規模な支那駐屯軍を1771名から5774名へと3倍に拡大する決定を裁可した。天皇は、さらに北京の南西の郊外にある鉄道分岐点、豊台に新しい駐屯地を設置することを認めた。そこは史跡マルコポーロ橋〔盧溝橋〕から程遠からぬ位置にあった。中国側から強力な抵抗が続いたが、増強された駐屯部隊は、豊台に進駐し、兵舎の設営を行った。間もなく、日本軍は国民党軍の施設の間近で実弾による演習を実施し、中国軍と繰り返し衝突するお膳立てをしたのである。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!










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