2019年5月17日金曜日

細菌戦の系譜!!


ABC企画委員会
4月18日(木)18時~「ビザ発給拒否国賠裁判」報告会
731と米国の核戦略
防衛省731部隊情報公開裁判の途中経過から見えてきたこと
原子爆弾症研究者都築正男と米の核戦略
731部隊関連行事
(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
武見太郎と金原節三の関係
ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
731部隊関連年表
人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
日本の核開発(加藤哲郎さん)


「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日



・「5・17ビザ発給拒否・集会妨害裁判」
最大の山場となる、5月17日の第12回裁判
時間と場所は、5月17日(金)10時30分から東京地裁415号法廷です。




徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!

※次回 情報公開裁判『化学学校記事』は9月4日(水)11:30~
自衛隊・防衛省は、保管資料を速やかに国民の前に公開すべきだ!!
質疑応答


「北東アジア国際関係の激変と日中関係」 大西広慶応義塾大学教授


遺棄化学兵器被害問題【日中未来平和基金事務局長:南典男弁護士  2019年5月2日(木)かながわ県民センター1階展示場102号室】




731部隊の細菌戦について 奈須重雄さん(細菌戦資料センター)


100部隊の謎 今井雅已さん【岐阜大学非常勤講師(平和学)】


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!



●ニュース
東京医大、不正入試で補償金額提示 「安い」受験生反発

丸山穂高議員の辞職勧告決議案 維新、立憲に協力要請

森友問題で新事実 特捜部と検察審査会に重大な“食い違い”

村上春樹さん、父の従軍体験を綴る

福島第1原発処理水、長期保管も選択肢 政府、処分法検討


福島第1原発 処理水、迫る限界 タンク容量あと5年

レジ袋有料化、分別の徹底も 廃プラ規制で変わる生活

廃プラスチック 中国が輸入禁止 日米はごみ削減急務


安倍政権「最大の不安」 昭恵夫人の“酔いどれ懇親会”が再開

アメリカは、世界の声に耳を傾けろ!!
NPT会合 合意なく閉会 再検討会議へ隔たり縮められるか

医学部の古い体質!!
東京医大不正入試で2019年の女子合格者が急増?⇒この噂デマでした(全国調査の結果)

今も残る古い体質!!
IHI不正「おかしいと言えず」=第三者委、企業風土を指摘

架空の神学者「でっち上げ」 二転三転した前院長の説明

福島第一原発廃炉・トリチウム水処分を考える - 木野正登氏×多田順一郎氏対談 / 服部美咲

なんでこんなことをテレビで流すのか??
神話か史実か NHK「皇室の祖先の天照大神」ミス認め釈明

福島第一原発の排気筒を解体へ なお線量高く、難作業に

官僚もストレスがためるだろう??
経産省内で覚醒剤使用か 逮捕の職員の机から注射器

豊中の旧籠池邸が取り壊し。森友学園系列保育園の建物も近日中に解体へ

日米同盟も、空母もいらない!!
トランプ大統領 空母化予定の海自護衛艦「かが」乗艦へ 
馬毛島所有会社「縁切られた」 国に交渉打ち切り通告


池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】


顧問から罵声受け女子生徒自殺 ノートに内容記録

東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ


“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~

東大院出てもUターン就職。東京より地元、転勤より家族、就活しない……親世代とは変わる優先順位


「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声

福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上

原因究明はされるのだろうか??
強制不妊救済法が成立 「心からおわび」320万円支給 月内に施行へ

彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚


「原発止まれば相当インパクト」 救済一蹴、電力の誤算


医学界の天皇制??
“無給医よ、甘えるな” 真意は…


医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ

強制不妊「反省とおわび」、首相が談話発表へ 救済法成立時

東大祝辞の核心「日本は世界一冷たい国」

戦争を放棄した国がなんで高価な戦闘機を爆買いするのだ???
墜落したF35、1機分のお金で何ができたか―「欠陥商品」147機6兆2000億円を爆買いの愚

海上保安庁の100%落札 予定価格は把握可能か 内部調査で判明

【原発】福島の政治家がついに決死の大暴露! 「政府は現実をことごとく隠す」「復興は原発セールスのため」「動植物の奇形も増加」(インタビュー)


放射能汚染が国際的な問題になっているのではないか!!
WTO逆転敗訴 誤算の外交戦略、見直しへ

なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」



731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


徴用工を象徴する像 韓国 プサン市が強制撤去

“アッキード”安倍昭恵さんは名誉校長を辞めたくなかった


真理を追究すると食えない社会!!
文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死


原因究明されず、ウヤムヤのまま終止符??
強制不妊救済法案、来週にも成立へ

【平成の事件】19人殺害と強制不妊手術 「善意」の暴走と「生産性」追求の果て、続く差別との闘い

発生50年 終わらないカネミ油症事件

医の倫理はどうなっているの??
東京・公立福生病院 透析中止・非導入21人、同意書なし ずさん体制露呈 都指導


「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない

「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃


人体実験疑い 京大調査継続せず

イージス・アショア 田岡俊次 青木理




森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審

戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術

なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


●廃墟の昭和から

帝国陸軍葬送の記
美山要蔵

9月27日
恤兵金(じゅっぺいきん)は大蔵省へ移管する。しかし、遺族徽章、傷痍軍人徽章は発注済みである。
佐世保上陸地支局で米軍が大佐に9千円、下士官兵最高6百円を支給した。昨年9月から21年7月までの俘虜中の手当で被服、食料を控除したものである。
靖国神社の大祭は旧秋季皇霊祭(10・18)とすることになった。



京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日


・歴史認識の真逆な首相が居座っている現在に危機感を持っています。安倍内閣打倒。(男性、80代)

●横浜「731部隊・100部隊・毒ガス戦パネル展の感想(4月29日~5月3日)
4/30(火)
2.女.70.市内.お手伝いに参加させていただきましたが、資料数も内容もあまりのすごさに驚きました。これだけのものを集め公開してくださっている五井さんに感謝です。若い人々が知る機会があればとつくづく思います。歴史を学ぶことから意図的に遠ざけられている子どもたちがかわいそうです。歴史修正(否定)主義者(=教科書に政治介入する者)との闘いです。


●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部

浜中の脱走

「貴様、おしだったのか」
 と、近江属が拳をかためて殴りつけた。その瞬間、手が離れたので浜中は支えを失って倒れていた。彼はもう、どんな衝撃も激痛も感じないもののようであった。
 浜中が引き立てられてゆくのを、私と森島は失意の眼で見送った。浜中にしても、おそらく脱走できると考えてやったことではあるまい。7mもある土塀の上に、さらに鉄条網が張り巡らされてある外壁を越えるなどということは、誰が考えても不可能なのだ。
 しかし、そうした分別がありながらも、なお逃げ出さずにはいられなかったのだろう。いたたまれぬほどに激しい衝動は、結果を予測してなどいられないことだってある。そして、みずからの意志を尊重するとすれば、大部分の人が逃げ出したくなるような、この部隊の生活なのである。
 浜中は営倉に入れられ、いつ出られるとも測り知れなかった。彼の被服や所持品は直ちに、教育部に返還することとなった。
 私は、浜中の荷物を整理して、一本の扇子を見つけ出した。彼が所有していたとわかるものは、それだけが残っていた。私は、その扇をこっそり抜き取っておいた。扇子には、力のこもった筆で、関東軍軍歌と防疫給水部の歌が書かれてあった。
 この部隊になじもうと張り切って扇子に軍歌を書き付けた時分の浜中の意気と、触覚を失って当てもなく脱走を企てたときの彼の心境の隔たりを、私は自分自身の心境の推移に照らして比較してみたかった。




●陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず




●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校

付記・日本陸軍習志野学校跡考察記

日本の作業効率の良さは周知の通りなので、宮崎さんは、私が来る頃には遺跡もほとんどなくなっているのではないかとずっと心配していた。それでこの2週間前からここの写真をたくさん撮って、重要な資料として残してくれた。私たちが公園の大門から中に入り樹林を通ると、高く大きい喬木と生い茂った灌木が交錯し、枯れ黄ばんだ葉は既に地面に散り敷いていたが、樹上に残った葉はなお青々と茂り盛んな生気を放っていた。土地の人たちは、この地を誇らしく「習志野の森」と呼んでいる。人々に黒い記憶を与える習志野学校を、平和を象徴する緑でもって置き換えたのだ。このことを組織的に推し進めたのは政府官庁だけではなく、習志野市の女性たちの民間組織の1つ「緑の会」だ。彼女たちはこのため既に4年間も努力し、現在もなお続けている。


(広島県大久野島毒ガス工場)




●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第五展示室
第五展示室では、日本軍の戦局の悪化に伴う本土決戦体制の構築の流れと、その一つであった登戸研究所の移転の様子を展示しています。また、敗戦・占領政策と登戸研究所の関係や、登戸研究所が資料館として生まれ変わる過程を、高校生と元所員との交流を中心に紹介しています。



敗戦と登戸研究所
1945(昭和20)年8月15日、陸軍省軍事課から、敵に押収されては困る「特殊研究」に関する全ての証拠を隠滅せよとの命令が極秘に出されました。その中には登戸研究所に関する記載もあったことから、登戸研究所関連施設は、全ての関係書類や実験器具を直ちに焼却・埋設処分するなどの証拠隠滅作業を徹底的に実施しました。作業の後、翌日には解散式が行われ登戸研究所の存在は消滅しました。GHQによる登戸研究所の接収の後、関係者はGⅡ(参謀第2部)による尋問を受けたにもかかわらず、実際に戦犯指名を受けた者は一人もいませんでした。アメリカ軍への情報提供を条件に免責されたとの指摘もありますが、真相は今なお不明のままです。







●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■隠蔽・極秘取引・タブー・無視と検証・克服
―これらのことについて、戦後の医学界・医療界、医学者・医師はどのように向き合ってきたのでしょうか。団体の動きや、個人の発言などもふくめて紹介してください。

 おもに731・「石井機関」にかかわる当事者の去就について述べます。
 1945年8月15日の日本の敗戦以前に、当時の日本政府と軍部は国際的な非難を恐れ、「国体護持」のため、731部隊の証拠隠減を工作しました。
 ドイツの医学者・医師が裁かれた1946年12月9日から1947年8月20日にかけて米国が単独で担当したドイツ・ニュルンべルクにおける医師裁判と異なる経緯をたどりました。日本では、米国の細菌戦研究におけるソ連からの立ち遅れを克服するために、「米国への731部隊のデー夕提供と引き換えに、関係者の訴追を免責する」という極秘の取引が連合軍総司令部(GHQ、実体は米軍) と731部隊トップとの間で交わされたのです。731部隊に関係した医学者・医師は、公に露わにならず、そのほとんどが、何食わぬ顔で医学界・医療界に留まり、悪弊を断ち切ることなく、戦後の医学界・医療界などの重職につき、中には叙動、までされました。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
第21回『衛生学校記事』情報公開裁判

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

衛生学校の人々
731部隊と自衛隊の関係
神子謙    東京帝国大学
東京帝國大学傳染病研究所付属醫院研究室
医学博士 東京帝国大学昭和15年10月21日
博士論文
犬12指腸蟲の異種宿主體内ニ於ケル發育ニ関スル研究
南方の防疫研究室所属?
教程?「生物戦の現在及び今後の見通し」(昭和31.1.16)
防衛庁技術研究所 衛生班長 1佐
自衛隊中央病院 1等陸佐(医)研究部長 1956.4
技術研究本部第2部長兼第2研究所心得 1958.6
第2研究所第2部長兼第2研究所長心得 1958.8


※金原節三の遺族は、金原が所蔵していた文献資料を2000点以上を防衛省の彰古館に寄贈したが、今、その資料の紛失が問題になっている!!



※CBRとは化学(Chemical)、生物(Biological)、放射性物質(Radiological)用いた兵器はそれぞれの頭文字をとってCBR兵器と呼ばれている。

※明らかに、自衛隊では、化学兵器、生物兵器、核兵器の積極的利用を考えている!!
理研では、核兵器の研究を戦後もずっとやっているのだろうか?


※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年


第8章 昭和維新と統制



これら広田内閣の政策は、国内外における一方的な陸軍の行動に対する海軍内部からの反発を反映したものであり、そして、ある程度、海軍から強いられたものであった。1936年3月27日、第3艦隊司令長官及川古志郎は海軍大臣ならびに軍令部総長に、「支那を中心とする国策に関する所見」を提出した。及川は、上海港停泊中の旗艦出雲でこれを書き、関東軍が「北支五省を南京政府の権外に離脱せしめ、満支間の緩衝地帯となす」ために「政治謀略」を強行していることを指摘した。
 こうした重要な件につき関東軍の勝手なふるまいを許すべきではないと海軍中央部に注意を促した後で、及川は北進の一方で、東南アジア、南西太平洋に対する南進の拡張政策を勧告していた。これは平和裏に行われなければならないが、日本はいつの日か、関税障壁や、経済的な伸長に対するその他の障害を「実力を行使して」排除する準備と覚悟を持たなければならない、としていた。それゆえ及川によれば、たとえ対ソ戦の決定が必要であり、そのための「戦備」が直近の国家目標であろうとも、海軍は、やはり海洋における戦争の準備をしなければならなかった。及川はまた、列強を挑発し、彼らが「一致結束吾に対抗する」ようなことがないように、注意深く、慎重に行動する必要を強調していた。



小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!










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