2019年2月24日日曜日

細菌戦の系譜!!

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第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 見えてきた日本のバブル崩壊の兆し!


Monthly日刊ゲンダイ【2月号】ゲスト・神保哲生氏/米朝首脳会談/トランプ大統領/ノーベル平和賞推薦/安倍首相/記者クラブ/東京新聞/バイトテロ



賃金偽装 厚労省キーマン「官邸の圧力」否定は矛盾だらけ

勤労統計調査方法変更「自分が…」元首相秘書官の言い分 首相は“われ関せず”か

統計不正、厚労省がメール公開 官邸関係者に報告と明記

骨格標本、1970年代まで実物で製造 住宅から500人分人骨の理由

なぜ沖縄県は辺野古に反対なの?

大波乱の東京都議会 小池知事の委員会招致を決定

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策



自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開



核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは

3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
最初の犠牲者

 ガス壊疽菌や破傷風菌、ボツリヌス菌(秋田県八郎潟附近にも時々発生する腸中毒菌)などの嫌気性細菌について、所属の違う私はほとんど知識を持たなかった。しかし、緊急作業としてそれから間もなく、その培養に動員された。部隊には、それぞれの班に作業目標があり、私達は必要に応じて雑務に転用されがちであった。そしてそれが私達の入隊以来初めての不祥事を生む結果となったのである。
「君たち、嫌気性病原菌の講義を受けているか?」
 その日の朝、佐川技手が尋ねた。
 皆、きょとんとしているので、いつの間にか新入りの代表者みたいになってしまった私が答えた。
「はい、あまり良く覚えてはおりませんが、教わった事はあります」
「そうか。・・・・まあいい、勝手は違うがすぐ覚えるだろう」
 私達は自班の8号室に連れて行かれた。他班からも阿部と大津が手伝いに来て、珍しく私達5人が1室で仕事をすることになった。佐川技手は私達を預けたきり出て行き、3人の見知らぬ雇員が作業の指図をした。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
(京都大学から回答があったようです)
テーマ 京都大学の「学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)」に対する異議申し立て

京都大学は、満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会の要請「旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます」(2018年7月26日)について、2018年9月18日に予備調査を京都大学の規程・要項を準用して行うとのメール通知を当会に行いました。当該要項の所定予備調査期間を大幅に超えて、この度2019年2月8日付で表記の通知が当会に届けられました。

当会は2月18日に役員会を開催し、同通知の審議に基づき、異議申し立て期限の2月20日に提出した異議申し立て文書は京都大学により受け付けられました。

そこで、同通知を配布するとともに、異議申し立ての内容を報告し、質疑応答、意見交換を行います。




「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」




日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

防毒機材の研究と制式化
陸軍科学研究所第三部防護班は毒ガスを防御するための機材の研究開発を主な任務としていた。それまでは、日本の防護機材はほとんどが外国から導入したもので、国内では製造できなかった。
1927年、アメリカで制式化された原形に基づき、日本では最初の防毒マスクと防毒服を製造した。即ち「87式」防毒服及び防毒マスクである。こうした防毒具はゴムを塗った層で人を毒剤から隔てるが、密閉性が低く、効果はあまり芳しくない。また毒ガス濾過缶の質も高くなかった。
隔絶層物質研究の面では、1931年、日本は独自に「91式」防毒服を開発した。すべてゴムを用いており、毒剤を隔絶する能力が大幅に向上した。間もなく、当時世に出したばかりの新材料であるセロファンも用いた。これらの材料を用いて作った薄片を二層の薄いゴムの間に挟む。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●排気筒群

左側手前に見えているのは冷却室です。それに隣接して二つ一組の排気筒があります。また、かなり離れてもう一組あります。
 冷却室向こう側にB2棟、中央遠くにA2棟、右側には手前からB1棟、A1棟の一部が見えています。
 左側奥には、そろそろ見学会もゴールに近い見学一行が見えています。


●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。

資料館
 当資料館の展示施設は、登戸研究所第二科が、研究施設として実際に使用していた建物で、航空写真から1937年~1941年に建設されたことが分かります。
 この建物は戦後に「36号棟」と命名され、長らく明治大学農学部の教育施設として利用されました。



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■立法府の動きにどう向き合うのか

―立法府での議論についても、無関心でいてはいけないと思いますが、いかがですか。

 1999年以降の有事法制により、有事の際に全国の医療機関や医師が担うべき役割が規定されました。政府が「有事」とみなせば、病院などを管理下に置き、医師・看護師などには公用令書(かつての召集令状、赤紙)が届けられ、医薬品等も調達物資の対象となり、命令に反すると罰則の対象にもなります。
 私たちが同法に従うことになれば、「いつか来た道」をたどることになりかねません。それでも「命令には従わざるを得ない」 という声が多数であったという結果を示す調査もあります。良心的兵役拒否権は国際連合やヨーロッパ評議会のような国際機関では基本的人権「良心の自由」として認知され、推奨されており、法制化が図られている国もあります。日本国憲法では許されていない国の武力による威嚇または武力の行使のもとでの医療従事者への命令を拒否する権利の保障についても議論されねばならないのではないでしょうか。日本の医学界・医療界が国の内外で、軍縮、戦争放棄に取り組むことも医学者・医師の戦争医学犯罪の防止につながると改めて思います。

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

1、養衆の条件
 昭和20年2月までに、栄養失調症の発生を報告した内地部隊の大部分は野戦師団であった。その中でも馬を扱う部隊に多く、かつ主として初年兵であった。栄養失調の最もはなはだしい部隊では、月例身体検査の平均体重が次表のような推移を示したものがあり、背筋力86㎏(一般の約60%)、握力右18、左15㎏(一般の約40%)で、40㎏のものを持ち上げる事すら不可能であったと報告された。
1944年9月 10月 11月 12月 1945年1月
50.57 50.34 49.70 46.64 44.89





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



 映画を通じて荒本は、当時、終結して間もない満州事変の意義を純粋なものへと高めた。それは日本人のすばらしいエネルギーを解き放つ「天の啓示」であった。しかし、それはまた、建国以来、日本を支配してきた偉大なる「皇道」の原理へ戻るべきであるとの「天の警鐘」でもあった。荒木の言葉を強調し、映画は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨した地とされる高千穂の峰、神武天皇即位の場面、伊勢神宮、橿原神宮、熱田神宮、明治神宮、二重橋から見る皇居、1928年の昭和天皇の即位といった映像によって、神代と現代を結びつけていた。
 映画の最後の方で、荒木は国防を定義し、日本を取り巻く「鉄の環」に象徴された「国際連盟を中心とする全世界の包囲的攻勢」を「精神動員」によって突破するのは、どうすれば可能なのかを説明した。荒木の話とともに、映画では「君が代」が流れ、昭和天皇が兵士や機械化部隊の行進を閲兵し、航行する軍艦が祝砲を放った。荒木は次のように語る。

・・・・軍の存在は道徳的存在と申すもこの意味であります。
 我が国と致しましては殊に空間的の発展即ち弥栄(いやさかえ)の精神と天壌無窮の国家悠久性とを守つて行く所以でありまするからこれを以て直ちに小乗的の地理的及び対応的のものとして国防を云ふことが同意しがたきところであります。・・・・・
 即ち我国の軍隊は皇軍であつて同時に国軍なのであります。
故に私は軍は国徳の大本であると考へております三種神器に依つて顕彰せられて居りまする日本の天皇道を行ふ之が建軍の精神なのであります。
即ち日本の軍隊の精神はこれを統率し給ふところの神聖なる陛下の御精神を体し国徳即ち天皇の御心を発揚するにありと考へております。
陛下以外の何者の命令でも動くことのないのはそのためであります。




小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!





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