2019年2月19日火曜日

細菌戦の系譜!!


第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後
731部隊の問題

横浜の「戦争の加害展(2月10日~16日)」が無事終了しました。
今回で4回目になりますが、今までで一番多い2500人以上の方が来場されました。
ご来場ありがとうございました。

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
ノーベル賞「推薦」が波紋=安倍首相に批判、疑問の声-与野党

トランプ氏ノーベル平和賞推薦 米から依頼 野党「恥ずかしい」と首相批判

辺野古移設、沖縄県の審査申し出却下…提訴検討


強制不妊手術、裁判の行方は 救済に高い壁も

自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開



核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは

3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン


「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

意外な来訪者


「明石さんを知っているのか?」
「はい。すぐ隣部落の人ですから」
私は、わざと、隣部落だと言った。その方が親しみの度合が増して聞こえる。
「そうか。・・・あの人は大した人だよ。部隊の諜報関係を背負ってたっているんだからね」
 私がいつか、明石氏に告げるであろうことを想定して、こんな世辞を、あからさまに言う者もあった。
 同輩たち、特に、浜中や林田などは、何かにつけて雇員たちに殴られたりしているのに、私は、それ以来、ビンタを怖れなくてもよかった。したがって明石氏に対する傾倒の念はますます深くなり、また、行先の様子がひとしお案じられるのだった。
 私は、明石氏が惨殺されている夢を見た。それは、明石氏の身辺を気遣うというよりも、自分の体内にいつの間にか病毒がしみ込んでいて、いつ死の転機が訪れるか分からないという脅迫観念のせいであったかも知れないのだが・・・・。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」









日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

多種多様な化学兵器
1933年、小型「あか筒」制式化。長さ183ミリ、直径50~60ミリ。
1937年、中型「あか筒」制式化。長さ230ミリ、直径110ミリ。
1938年、98式小「あか筒」試作。筒の中には、加熱剤として細く小さな顆粒状を呈するセルロイドを毒剤と混ぜる。同年、この筒の発射を制式化。
1940年、1000式発射「あか筒」試作。
1941年、大「あか筒」一式を試作。長さ467ミリ。直径200ミリ。サイズが大きいため、三角発射架が付いている。
車両については、1933年に「94式」牽引式撒毒車の開発に成功した。この車は重量1.5トンで、400キログラムの毒剤を積載することができる。



東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B1棟(仕上げ場)

内部は、柱が多いのが目立ちます。中央に天窓のようなものがあります。

●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。

弥心神社(やごころじんしゃ)
弥心神社(現 生田神社)は、キャンパスの北西の登校路を上り切ったところにあります。研究所の前身である新宿区戸山ケ原(とやまがはら)にあった陸軍科学研究所の【八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)】という研究(知恵)の神が祭神として分祀され、研究中の事故による殉職者も合祀されていたと言われています。
 1988(昭和63)年に元所員によって境内に登戸研究所跡碑が建てられ、研究所が存在していた事実を忘れまいとする元所員の心情を後世に伝えていきます。


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■世界と日本での議論の進展

―それに対し、日本の科学者の世界では、全体の問題としてどう議論されていますか。

明らかになったのは、国会のような議事録がないため、議事詳細は議事速記録を通じてしか知ることができないこと、学術会議総会議事速記録は図書館に収蔵されているが図書館所蔵でないため、日本学術会議事務局に閲覧許可申請をしなければならないこと、他方、学術会議の運営審議会資料などは図書館所蔵のため日本学術会議図書館利用規程に基づき、閲覧許可申請をしなければならないこと、日本学術会議図書館は国立国会図書館の支部であるにもかかわらず、「一般公衆」などについては「館長が特に承認した者」でないと利用できないとされるなど著しく利用が制限されていること、複写サービスは、原則として行わない。 ただし、館長の許可を得たときは、利用者において複写又は撮影を行うことは妨げないことなどです。これらの制度は国立国会図書館制度の趣旨や国立公文書館の制度に合うように見直されないままでは、検証は困難です。

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

5、原爆調査のまとめ
原爆の医学調査は陸軍軍医学校の最後の仕事になった。調査をまとめた報告は昭和28年日本学術会議の報告そして学術振興会刊行の原爆報告集の医学編の冒頭に掲載されている。
 原爆を受けてから1ヶ月余、被爆者の治療にどんな方法がよいか医師も分からず不安も増している9月17日、学術研究会議の原爆災害調査研究特別委員会第1回打合せ会が東大で開かれた。この席上陸軍軍医学校井深中将の名をもって、原爆患者の治療方針を発表した。




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



休戦できわめて流動的な政治・軍事情勢は安定化したものの、対立する両勢力の距離は逆に広がった。中国の抗日ゲリラは満州国内での戦闘を続行した。その後の4年間、満州国と華北の間にある「緩衝地帯」は、関内の華北の全5省に関東軍が政治、軍事、経済的に絶え間ない圧力を行使するための基地にすぎず、平和地帯というには程遠かった。しかし、非武装地帯が単に存在するだけでも、ソビエトが東清鉄道を日本に売却しようとしており、またイギリスが対日関係の改善を試みていることと相まって、天皇に国際的な緊張の緩和を期待させた。
一方、蒋介石は、軍隊を立て直し、経済力をつけるまでの時間稼ぎのためにしばらくの間、日本に譲歩することを決めていたので、いまや総司令として中国共産党との戦いに専念することができるようになった。しかし、日本軍が満州を支配し、華北から国民党の影響力を一掃する構えでいるかぎり、日中関係はけっして正常化しうるものではなかった。蒋も、中国の民衆も、少なくとも侵略を見逃す気はなかった。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!





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