2019年2月22日金曜日

細菌戦の系譜!!

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第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後
731部隊の問題

横浜の「戦争の加害展(2月10日~16日)」が無事終了しました。
今回で4回目になりますが、今までで一番多い2500人以上の方が来場されました。
ご来場ありがとうございました。


『この世界の片隅に』に描かれた軍都・植民地主義・女性抑圧 植松青児さん

「この世界の片隅に」
1940年農安細菌戦と新京ペスト 奈須重雄さん


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
震度6弱の北海道胆振地方
今朝は冷え込み強まる 昼間は雪崩にも注意

なぜ沖縄県は辺野古に反対なの?

大波乱の東京都議会 小池知事の委員会招致を決定

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策



自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開



核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは

3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

野外実験所の記録

当初、高木少佐の嘲笑を浴びたにもかかわらず、私達は、使いようでは結構役に立つことが証明されているのだった。
「ただし、この部屋から持出してはいかんぞ」
 私達は、その日から新しい楽しみができたようなものだった。
 資料は、果たせるかな、生々しい人体実験の写真が大部分だった。
 肺ペスト、腺ペスト、眼ペスト、皮膚ペストなどの病変経過を、菌力の強弱、摂取量の多少に応じていろいろな場合の実例を比較対照したものや、顕著な症状の部分拡大写真などが次々に私達の眼を奪った。単なる臨床写真でないということが、一層写真に凄惨な感じを与え、私達は何度か、固唾を呑んで見入ったものである。
 そうしたある日、私達は、安達(アンダー)の野外実験所における実験例と言うのを見つけ出した。細菌を培養基と一緒に爆弾につめ、飛行機から投下する実験である。それは、ガス壊疽菌、破傷風菌爆弾を用いた場合のものだったが、爆弾の落下地点からの距離による感染の度合いを調べたものである。10mか20mぐらいの間隔をおいて、「マルタ」(どういうわけか、囚人をこう呼び習わしていた)を柱に縛りつけ、投下地点からどのくらいの範囲まで有効かを、菌量の増減による差異、または、気温や、被服の厚さ、感染部位による違いなどが示されてあった。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
(京都大学から回答があったようです)
テーマ 京都大学の「学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)」に対する異議申し立て

京都大学は、満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会の要請「旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます」(2018年7月26日)について、2018年9月18日に予備調査を京都大学の規程・要項を準用して行うとのメール通知を当会に行いました。当該要項の所定予備調査期間を大幅に超えて、この度2019年2月8日付で表記の通知が当会に届けられました。

当会は2月18日に役員会を開催し、同通知の審議に基づき、異議申し立て期限の2月20日に提出した異議申し立て文書は京都大学により受け付けられました。

そこで、同通知を配布するとともに、異議申し立ての内容を報告し、質疑応答、意見交換を行います。




「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」





日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

(三)発煙筒及び火炎弾
発煙筒と発煙弾は戦争で煙幕を張るための兵器で、理論的に言えば、化学兵器であるが、毒ガス兵器には属さない。しかし、日本軍の発煙兵器は、発煙剤自体が砒素塩化物のような有毒物資で、その他の毒剤を加えたものであるから、やはり毒ガス兵器となり、有毒な発煙筒である。
 火炎弾は砲弾や爆弾の中に可燃物質を装入して敵方に火炎を引き起こす兵器で、早くから戦争に用いられていた。日本の陸軍科学研究所では1926年から研究をはじめ、10年程の時間を経て、1937年に新しい焼夷弾を開発した。その成分は、黄燐30%、二硫化炭素65%、重油5%である。混合後、特殊なゴムで吸収し、砲弾や爆弾、手榴弾の中に装入すると、極めて効果のよい焼夷弾ができる。爆発後は、ゴムの切れ端が四方に飛び散って大火を引き起こす。この年、日本軍が南京に進攻した際、この種の焼夷弾を使用した。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●A1棟(イペリットの充填作業場・ルイサイトとの混合物もここで充填された)

窓のない、通路も数カ所しか開けられていない壁によって、細長い部屋と大きな部屋に区切られています。大きな部屋の天井には天窓のように開いた場所が有ります。

●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。

弾薬庫
生田キャンパス内には、第一校舎第1号館の裏手と資料館の裏手に、通称「弾薬庫」と呼ばれる建物が現存しています。「弾薬庫」は実際には「薬品庫」だったとも言われていますが、詳細は不明です。


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■立法府の動きにどう向き合うのか

―立法府での議論についても、無関心でいてはいけないと思いますが、いかがですか。

 日本政府は、国会で「日本国みずからが自分の戦争犯罪について判断することも処置することもできない」などと無責任な答弁を繰り返してきました。しかし、裁判では、被害の存在を認定したのみならず、「国際慣習法による国家責任が生じていた」ことを認め、「何らかの対処をするかどうか、仮に何らかの対処をする場合にどのような内容の対処をするのかは、国会において」「高次の裁量により決すべき」とされました。立法府での議論が求められていると思います。

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

1、養衆の条件
これよりさき、陸軍の主食は昭和19年9月に、定量を1割減らしたのであったが、20年4月中旬の大本営部長会議では、米の配給は近く更に1割減にしなければなるまいと話されていた。給与熱量で見ると、開戦当初内地の159コ部隊の平均は3262カロリーであったが、昭和19年12月調査の88コ部隊の平均は
2933カロリーで、大体1割減を示しているが、実質的には、精米を玄米に換え、雑穀の混入率を増加したので、消化吸収が悪くなったし、物価が騰貴したので、まかない料を3銭値上げしたけれども効き目なく、実際に身体に利用されるカロリーは20%以上の減少と同様だと見られていた。中部軍管区軍医部の報告に「当軍においては部隊の給与熱量の標準を1日3200カロリー以上と定めてあるが、給与し得るのは2800カロリー前後である」と述べている。定量1割減について、戦後すぐ来た米国戦略爆撃調査団の報告に、皇軍の主脳者は兵の最低必要量は3200カロリーであると信じながら、内地部隊の定量3400カロリーを2900カロリーに減じたが、実質は平均2800カロリーに過ぎなかったと書いている。





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



「非常時日本」は何よりも、1931年から33年初頭にかけての時代から選び抜かれた愛国主義を紡彿とさせる写真とシーンで天皇制イデオロギーに光を当てた点で、今日においても重要な映画である。この映画で軍部は、天皇の精神的な権威を利用して、膨張主義を帝国と軍の道徳的な使命とした。また、民族の一体性についてきわめてさまざまな視覚映像を映し出すことで、1930年代初頭における日本の超国家主義の論理を改めて説明していた。
荒木陸軍大臣は12のパートからなる映画のほぼ半分でナレーションを担当し、いくたびかアジア・太平洋の大きな地図や、ジュネーブの写真を示して説明を行った。荒木は軍事力と道義を同一視し、神話を事変の意義を理解するための視座として利用した。荒木にはふたつの重要な表現があった。ひとつは、神により「神国」に授けられた「大なる使命」であり、もうひとつは中国と西洋列強の日本に対する敵対的な試みであり、それは日本を孤立させ、「大和民族」が神聖な目的を認識し「東洋の平和を確保」することを妨害しようとするものだった。映画の後半で、荒木は戦略と文化、双方の観点から日本の役割をより具体的に規定している。その使命とは、「東洋らしき平和の理想郷を作る」ことであり、それは満州国の建設を意味し、満州では人種の調和が実現するというのである。結局、荒木は、満州国において人種差別主義に反対するユートピアを実現する理想的な努力のひとつとして大日本帝国の膨張を主張したのだった。




小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!





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