5月3日は憲法記念日ですね。今の憲法が施行された日ですね。
特に憲法9条の解釈をめぐっては、いろいろと拡大解釈が出てきて問題が多いように思います。
どうしたら憲法9条が本当に実のあるものになるか、この3日に私たちは、よく考えるべきだと強く思います。
『未来をひらく歴史』(日・中・韓=共同編集 第2版 高文研)より
日本軍による中国民衆への残虐行為
1、戦場における民衆と難民
日本が侵略戦争を始めてから、中国の民衆の生命は、どのような脅威を受けたのでしょうか。その家庭や財産は、どのような損害を受けたのでしょうか。中国の民衆はどのような戦争状況を生きたのでしょうか。
四散する難民
満州事変が発生して後、100万を数える満州の農民と都市の住民たちが、戦火を逃れ、あるいは占領した日本軍当局の下で「帰順(きじゅん)した民」となることをきらって、華北や南方へ流民(るみん)なって移動して行きました。日本の侵略戦争が拡大するとともに、避難、流亡、移動していく人の波は中国各地に広がり、膨大な数の農民が生まれました。交通手段が使えなかったので、ほとんどの難民は徒歩で移動しなければならず、飢えや寒さ、病気に見舞われたうえに、日本軍機の爆撃まで受けたため、多くの難民たちが命を失いました。
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
江辺、下関埠頭、挹江門、三汊河一帯での集団虐殺
張士栄(男)の証言
(昨日の続き)12月17日の午前8時に、日本兵は私たちを4号埠頭にドックを修理させに連行しました。その時に日本兵が桟橋の下で中国の負傷兵を6名発見して、引きずり出し、通りのかたわらの階段に座らせて、日本軍の曹長が軍刀を抜き、1人一太刀で負傷兵6人の首を全部斬り落としました。
私たちはこのすさまじい場景を見てみんな驚き泣きましたが、中でも1人李少全という湖北の人が声を上げて泣いたので、曹長に引きずり出され、「この馬鹿野郎、スーラスーラトィ(死んでしまえ、死んじまえ)」と怒鳴るや、李少全の首を斬り落とし流れに放り投げたのでした。
12月18日の午前8時に、日本軍はまた仕事させに私たちを4号埠頭に連行しました。そこで私は日本軍に縛られた中国人が5,6台の車で運ばれて来たのを見かけましたが、どの車にも凡そ100人ほど乗っていました。日本兵はその人たちを江辺に6列に立たせてから、機関銃と小銃で射殺し、死体は全部流れに放り込みました。
12月19日に、4号埠頭で仕事をした時、私たちは又も5,6台の車に積まれた中国人を見かけましたが、日本軍はその人たちを埠頭に立たせてから、刀で1人殺しては、1人流れに突き落としました。そして流れに落とされ沈んだ中国人が、浮かび上がってくるなり、発砲し射撃したのです。こうしたむごたらしい情景が半月近く続いたのですが、これらはみんな私がこの目で見たものです。
12月20日に、小さい車に乗せられ浮桟橋を引っ張りに燕子磯に連行される道で、上元門の岸辺を通った時、岸辺に死体が凡そ3000余りあるのを見かけましたが、みんな日本軍に殺害されたものでした。
12月25日に、日本軍は私たちを姜さんの家の庭園に樹を伐らせに連行しましたが、姜家の庭園の南側の城壁の下で、3000人余りが日本軍に撃ち殺されるのを見かけました。三汊河から漢中門までの河に沿った両岸に8、9000(八、九千人)人の屍があったのが、1ヶ月以上後になって、やっと大きな溝を掘って屍を埋めたのです。
12月末のある日、日本軍が私たちを和気洋行へ汽船に使う踏み板を切らせに連行しました。宝塔橋の岸辺で日本軍に撃ち殺された2,3000(二、三千)の中国軍人や民衆を見かけました。石榴園でも、日本軍が3000人余りを撃ち殺すのを見かけました。その頃は下関の江辺はどこも日本兵が守っていて、立入り禁止で、人は通れなかったのですが、これらは私が仕事をしに連行された時に見かけたのです。
私たちは日本軍に6ヶ月余り拘留された後に、「良民証」が配布され、やがて日本軍の佐藤貫一は三汊河に行って揚子小麦粉工廠を始め、私たちを留めて下関で壊れている埠頭を修理させようとしましたが、私たちは日本軍のためにクーリーをしたくはなくて、別々になって逃げ出してきて、下関地区で武器弾薬を蘇北は泰興の新四軍の根拠地へと運ぶのをやり、共産党の教育の下で、私は革命に参加したのです。(段月萍が1986年11月に来た手紙により整理)
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん、
ひとりひとりの安全を
大事にする世界を。
Imagine,
A world that values
the safety of each and
every human.
政府と政府とのあいだにではなく、人と人とのあいだに平和をつくる事が
大切だと思います。人と人とのあいだには、文化があり文明があります。
政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。
私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に
平和をつくりたい。それが私の理想です。
(イラク/男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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