2009年5月7日木曜日

南京大虐殺:虐殺

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ガザ地区でもイスラエル軍の不法行為によって一般市民が多数虐殺されたと報道されていますが、侵略軍は残虐な行為を必ずと言ってよいほど引き起こしますね。

『未来をひらく歴史』(日・中・韓=共同編集 第2版 高文研)より

日本軍による中国民衆への残虐行為

 2、南京大虐殺

 南京大虐殺は、1937年12月に日本軍が当時の中国の首都・南京の占領前後から、中国の軍人・民間人に対して行なった殺害、放火、強かん、略奪などの暴力行為の総称です。それらはどのように発生したのでしょうか。

 虐殺

 日本軍は南京を占領すると、南京城の内外で大規模な掃蕩(そうとう)作戦を展開し、城内に隠れていた敗残兵、いわゆる「便衣兵(べんいへい=私服兵)」や撤退できなかった多数の中国軍兵士の捜索を行ないました。日本軍が行なった「便衣兵狩り」「敗残兵狩り」は、帽子をかぶった頭の跡や肩や手のひらにできたタコなどを調べて、軍人である証拠と見なしたのです。多くの民間人の男性が元兵士と見なされて連行されました。難民区に避難していた男性市民も不幸をまぬがれることはできずに、拉致(らち)、連行されました。
 日本軍によって捕らえられた中国の軍人・民間人は、長江沿岸と南京郊外に連行されて集団虐殺されました。日本軍はさらに南京の大通りや路地、住宅、寺院、廟、村など、いたるところで殺戮(さつりく)を続けました。
 1946年の中国国民政府の南京軍事法廷の調査によれば、日本軍によって集団虐殺され遺体焼却、証拠を隠滅されたものは19万人余り、個別に虐殺され、遺体を南京の慈善団体が埋葬したものは15万人余りでした。
 東京裁判の判決書では、「日本軍が占領してから最初の6週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示される」としています。

■第16師団師団長・中島今朝吾(けさご)の12月13日の日記

 大体捕虜にはしない方針なので片端よりこれを片付けることにした。・・・・佐々木部隊だけでも処理したものは約1万5千、太平門における守備の一中隊が処理したものは1300、仙鶴門付近に集結したものは約7,8千人あり、まだ続々と投降してくる。【南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集』(偕行社、1989年)】
 
 追記1:この時期、日本刀が軍刀として用いられ、多くの将校等が携行しました。上海攻略戦と上海近郊から南京への進撃過程で、M少尉・N少尉による100人斬り競争(大半が捕虜や民間人のすえもの斬り)が行なわれたり、Tが300人斬りをしたり、その他の兵士の中にも、日本刀によって多くの捕虜や一般人をすえもの斬りにした者がいました。 

百人斬り裁判

 追記2:日本のマスメディアは、ナチス・ドイツの犯罪などはよく取り上げるが、日本軍が中国・アジアで行なった蛮行については取り上げる機会が少ないように思う。加害の事実をもっと国民に知らせるべきだと思う。又、「百人斬り競争」に関する訴訟で多くの事実が発掘されたのだから、「百人斬り競争」などの検証番組を作っても良いと思う。
 
 追記3:日本では南京大虐殺を何とか数を少なくしようとか、否定しようとかいうような動きがあるが、目を海外に転ずれば、たくさんの「南京大虐殺」に関する映画がつくられている。日本人と他の国々の人々との認識にずれが生じているのではないかと強く思う。

 南京大虐殺を描いた『ジョン・ラーベ』、日本で上映禁止

 追記4:夏淑琴さん裁判
  史実を守る会

 追記5:「南京大屠殺紀念館写真撤去」報道の続報  

 追記6:南京大虐殺について詳しく知りたい人は下記をクリックしてみてください!!
      南京事件資料集

     南京事件小さな資料集




  「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
 大方巷、鼓楼、虎踞関、陰陽営、古林寺、五台山、三牌楼などの地での集団虐殺

 李其宏(男、74歳)の証言

 私は李其宏といい、日本軍が入ってきた時、漢口路の難民キャンプにいました。ある日午前9時過ぎに、日本兵が来て大々的な捜索をし、私たちを並ばせて歩かせ、10列にして、鼓楼の大鐘亭に連れて行きました。その時連れて行かれたのが700人余りいましたが、1人ずつ検査をし、気に入らないのは、1つぶん殴ってから、一方により分けました。私は検査されてから放たれて帰り、私と一緒に放たれて帰ったのが13人いましたが、それ以外の一方により分けられた700人余りは、大方巷の土地廟の空き地の所まで駆り立てられて集団虐殺されました。後に被害者の家族が死体確認に行ったところ、どれも既に腐りただれていて、見るに忍びないすさまじさでした。
 1938年の5月に、私が中央門で廃品を回収するのに縦長の篭を天秤で担いでいたら、日本軍が私をこそ泥かと疑い、私を捕まえて憲兵司令部(新街口の中国銀行の中)で訊問し、ひざまずかせて、サーベルで首筋を擦り擦りし、「スーラスーラトィ」(死んじまえ、死んじまえ)と言い、それから日本兵3人で私を地に投げ倒したので、気を失い、水をぶっかけられて気が付きましたが、投げ倒されて着物のあちこちが破けてしまいました。それから私を保秦街の警察庁に移して一晩を無為に過ごさせ、2日目に又城南地方裁判所に移して、裁判官が訊問しましたが、私はこそ泥だとは認めないので、裁判官はどうしようもなく、私を釈放しました。(劉君が記録)
 
    
 
 
 「Imagine9」【合同出版】より



武器をつくったり



売ったりしない世界



「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」

 これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
 世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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