2009年5月29日金曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる。!!



中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  膨大な細菌戦部隊の設立

1,平房特別軍事区域

 平房特別軍事区域の敷地面積は120平方キロ、「軍事基地」と4本の防衛ラインからなる。4本の防衛ラインのうち、1本は空中防衛ラインで、残り3本が陸上防衛ラインである。空中防衛ラインは軍用と民用の航空系統に軍令を発し、日本軍機を含む全ての飛行機による無断の上空飛行を禁止し、違反した飛行機が現れれば、731部隊専属の飛行機が直ちに離陸してそれを阻止し、また地上にも高射砲が設置されている。陸上防衛ラインであるが、1本目は長方形で「四方楼(しほうろう)」を囲む土塀(どべい)のことであり、高さ2メートル、長さ5キロ、土塀の上には高電圧電線が張られ、塀の東側に2つ、南、西、北にはそれぞれ1つの出入り口があり、横にいずれも衛兵所がある。2本目は1539号命令に基づき「甲」号地区の外側に張られ、その内側の縁から731部隊の中心地までは2キロから5キロほどあり、ここは特別管理区域となっている。そして3本目は「乙」号地区に張られ、ここでは2階建て以上の建物建造を一切禁止している。この地区の外側には関係者以外立入り禁止の看板が立てられた。

●四方楼・・・4つの建物からなる漢字「口」字【森村誠一著:『続・悪魔の飽食』では、(カタカナの「ロ」の字形をした通称「ロ号棟」と呼ばれる部隊本部建物)とある】のもので、731部隊の細菌兵器の研究、実験及び生産用の中心であり、「四方楼」の中央部は被験者達を収容する2つの特別監獄。

●日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  化学兵器CAREみらい基金ブログ

  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  


     
     「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中山門外の東側郊外一帯での集団虐殺

  陳光秀(女、67歳)の証言

私は江寧の湯山鎮許巷村に生まれました。1937年の12月に、日本軍の先頭の部隊が私の住んでいた地の近くから街道沿いに南京へ進んで行きました。農暦の冬月8日に、父親の陳智松が家にいた時に、日本の通信兵が電線の回収をしていて、たまたま父が脱穀場にわらを運んで牛に食べさせようとして、日本軍に撃たれて死んでしまいました。冬月14日に、村に突然いっぱい日本兵が現れました。そのころ村にはみんなで200戸くらいの人家があったのですが、日本兵は村中から100人以上の若い人を、稲を打つ場所に集めて来て、全員に胸を大きく開かせ、銃剣で1人1人刺し殺しました。私の実の弟の陳光東もその中にいました。時大林というのが、日本兵が見て回った時に、まだ死んでいないと分かって、何度も突き刺されました。刺されるたびに、「お母さん!」と叫ぶのが聞こえてくるという、そんな悲惨な死に方でした。思い出すと、ほんとに心がうずきます!それから劉応志と時先の2人は、何度か刺されたのが、急所には達しなくて、後から家の人たちに救い出され、傷口を布で包帯し、しばらくして傷がよくなりました。湖山炭鉱の労働者の崔義財は、機転を利かせて、日本兵が刺しまくっていた時に、その流れに沿ってうまく死体の中に倒れ込み、幸い難を免れたのでした。この当時の生き残り3人も何年か前に世を去りました。
 日本兵は残忍さが習い性となって、焼き払い、殺害し、姦淫し、かすめ奪い、およそやらない悪事は無い状態でした。その頃村にいた艾さんの家の4兄弟が、艾紅来、艾根来、艾義生、艾仁義と4人とも日本兵に捕まって、麻袋を投げ棄てるかのように、生きながらにして殴り殺されたのです。それに何人かよその土地から日本兵に捕まえられてきてクーリーをさせられていた人たちも、後になって日本兵に銃剣で五臓六腑をみんなえぐり出されたのです。近隣の村里にいた方老ニと呼ばれていた人は、日本兵に刀で全く2つに斬られてしまい、半分は大場崗に捨てられ、一方は六畝口に放り投げられたのでした。それから劉さんとこの5番目のが、日本兵に門から突入して来るなり、刀で頭からぶった切られて、半身は門の外に、もう一方は門の内にということになりました。日本兵は殺人のほかに、婦女の強かんもし、蘇仁発の奥さんがその頃40過ぎくらいでしたが、日本兵に私の家のベッドに押さえつけられて強かんされましたし、蘇仁発の家には息子のために幼い時から育ててきた嫁がいて、やっと15,6だったのが、3,4人の日本兵に時魏官の家に引っ張って行かれて輪かんされ、局部が紅くはれ上がり、出血が止まらずに、歩くのも困難でした。
 日本軍が許巷村を血で染めた犯罪行為は、とても忘れられません。私の家は父親と弟が殺された他に、兄嫁が日本軍に見つからないよう、外の大山の上で子どもを産んだために、産後の肥立ちが悪く病気になって、間もなく死んでしまいましたし、母も夫や子どもが殺されたため、塞ぎこんで死にましたから、一家の内私達姉妹3人と甥が2人残っただけでした。(郭立言が記録)
 
         「Imagine9」【合同出版】より



考えてみよう、


日本の憲法9条のこれから。



日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。誰が何のためにそう言っているのか、考えてみましょう。
 2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「一緒に戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこで邪魔になるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。

 また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとって邪魔になるのは、「武器を売ってはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメリカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
 そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人々はどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そして皆さんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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