2020年6月22日月曜日

細菌戦の系譜!!


中国侵略戦争
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会






●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




          1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第2章 背陰河の実験はいつ始まり、いつ終了したのか

 背蔭河はいつ終了したのか
 19376月「実験医学雑誌」(雑報、216号)で、宮川米次はBCGの予防接種問題に触れて、「ツベルクリン反応陰性者に一定量のBCGを皮下接種しても、局所反応はおきない。硬結膿瘍の形成は決しておきない。これに反してツベルクリン反応陽性者に使用すれば発赤硬結をおこし、時々化膿する。この膿瘍も1年以内には治癒し、ほとんど何らの障害はない。そして著しく結核罹患率を低下させる。BCGは生きているが威力のない結核菌で、丁度種痘による天然痘の予防と同一意義がある。」と、わがことのように喜んでいる。これは第8小(結核予防)委員会が開かれる前年、1937615日の伝染病研究所記念日式辞の挨拶である。


       伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より          
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

裁判による事実解明と人間の尊厳回復
                     松村高夫(慶応義塾大学教授)
今日の東京地方裁判所の判決は大変残念です。日本の司法は、良心的な判決をする絶好の機会を失いました。特にアジアの人達の日本に対する信頼を回復するための、絶好の機会を逸しました。
 判決は細菌戦の事実認定をしましたが、法律論で原告敗訴としました。最近では戦後補償裁判で風穴が開いた判決も幾つか出てきた中で、それらをすべて後退させる最悪な内容の判決でした。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


731部隊新文書公開   赤旗200620
京都 隊員の敗戦時の行動
 旧日本陸軍の細菌戦部隊・731部隊に所属した隊員の敗戦時の行動などについて、公文書により新たに明らかになった資料が19日、公表されました。研究者2氏が、京都市内で記者会見しました。
会見したのは、滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授と、「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事の原文夫氏。
 今回明らかにされた資料は、731部隊を本部とする関東軍防疫給水部(関防給)の各支部、隊員の詳細について記された「関東軍防疫給水部部隊概況」。国立公文書館から今年3月に西山氏らが入手し、判読できるよう両氏によって翻刻(ほんこく)されました。
 これまで関防給の部隊員名薄は、当時、陸軍の全部隊が作成していた「留守名簿」が初めて公となった文書でしたが、隊員の詳細までは明らかになっていませんでした。今回の資料では、五つの支部ごとの所属隊員の氏名が、行動群別に階級、本籍、行動状況とともに記されています。また関防給の敗戦時隊員数が、総計3262人であったことも明らかになり、「公文書によって明らかになったのはおそら初めて」としています。
 会見で西山氏は「『留守名簿』で不明だったことが明らかになった意義は大きい。731部隊生き残りの方たちの証言の裏付けにもなる」と強調。原氏は「政府は731部隊を公式には認めていない。およそ全体像が明らかになってきたもとで、研究者が協力して、早く解明すべきだ」と述べました

1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 
「1931」斉藤準太郎の日記

豫記録                                                  
121日ごろに冬期行軍あり充分足慣らしすべし
此の日記はその日その日の自分の生活の身に捕らわれてはいけない。その日その日の
外的の事のみを書き残すために買ったのではない。
心の日記、そうです。心の感じを主として書き残したい為です。あたしは此の日記を書くに先立ちその日その日の思ったことのみでも満足しない 要するに軍隊らしい感じのする心の日記としたいのだ。
此の主旨で毎日書くことにした。炭坑分遣で婦人公論を見た。何だか知らないが非常に気に入った。あながち読むところの多いのが気に入ったのではないらしい。何?若き身にぴったりくる所が何となく好きのような気がした。―ただ感じたままを記す。此の次には婦人公論でも読もう。


 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)
5. 印象的なのは731部隊。(女、70、市内、地区センターなどのチラシ)
    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
47.今後も映画上映の際は是非、出席いたしたく、組合の案内でお知らせ下さいますよう、お願い申し上げます。「ひろしま」1度観たいとかねてから思っておりましたので、今日はその機会を与えていただき、ありがとうございました。上映に関わって下さった方々、小林開様、被爆された方々、犠牲になり、お亡くなりになった方に手を合わせ感謝申し上げます。
(男性・40代・市内・組合の案内)


日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅳ 石井部隊、ノモンハン戦線に出動す
ー特別班8棟担当 T・Y
凱旋秘話―早川隊ホルステイン河畔に消ゆ
  なお、『大東亜戦争陸軍衛生史・巻7』(陸上自衛隊衛生学校)では、出動した3個の防疫給水隊を、作山隊、瀬戸隊、清水隊としている。
 ノモンハン事件に出動したわが石井部隊の主たる活動は、私の拙い日記で明らかになってであろうと思う。だが、もう1つの側面、即ち石井部隊による細菌戦実施については、どうであったのか。


・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

森三吾供述書(1954年)
問:細菌実験の為石井部隊に送る人は、どんな条件で選んだのか。
答:隊長の秘密命令に従い、次の4つの条件に基づいて選び移送した。
(1)いわゆる諜報工作員で、軍法会議で死刑を言い渡された者。
(2)家族や親戚がいないか、いてもごく少ない者。
(3)同じ事件の関係者がいない者
(4)将来利用できない者


  

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験
満州事変の勃発と毒ガス研究の進展
また、毒ガス戦の教育を専門に担当する学校の設置が求められ、1933(昭和8)年8月1日に陸軍習志野学校が設置され(現在の千葉県習志野市)、以後、同校が毒ガス戦の教育と毒ガス兵器の運用研究を担当することとなった。
  
  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷

「生きならが得た」人々
こうした情況自体、おかしな話だが、更に理解しがたい事実がある。「認定患者」と確認された人は、政府の文書の中では「ガス障害者」と呼ばれ、「毒」とか「被害」とか言う語すら用いないのである。1900年生まれの福本治三さんは、感慨深げにこの問題を語った。
 「私は島で会計をしていました。直接毒ガス作りをしたわけではないのですが、島全体が毒ガスに覆われていたので、どこにいても傷害を受け、後遺症が残ったのです。この点から見て、毒ガスは何と恐るべきものでしょう。しかし『認定患者』とか『非認定患者』とか分けるなんて、全くおかしな話です。国が4000人あまりを救済するのに何の難しいことがあるって言うんでしょう。だが国の『メンツ』を守り、国際法に違反して毒ガスを製造した行為を隠蔽するために、それができないのです。これらの人達が1人残らず死んでしまったら、歴史上のあの事件も存在しなくなる、とでも言うんですかね」。
 写真集では、被害者のほとんどが6,70歳の老人である。写真の1枚1枚に彼や彼女たちの非常な苦しみが刻まれている。
 

 
              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳
 「フフ・・・」私は《くたばりやがった、しめた》とばかり錠を開けさせると、中に入り込みました。私の進入を知った中国人は血のしたたりの中から顔を上げ、血に染まった顔でじっと私を睨(にら)みました。何の抵抗力も無いことを知った私は、「畜生、くたばりぞこない」と、はいていたゴム長靴の先で、どっと蹴飛ばしました。グーグー中国人の口から真っ赤な血が床を染めました。「鬼子(クイズ)、一定復仇(イーテンパオチュウ)(鬼奴、俺は必ず報復するぞ)」中国人は満身に血をしたたらせ立ち上がろうとしましたが、力なくどっと倒れました。「今に八つ裂きだ、これでもかぶっておけ」私は持ってきた消毒薬を中国人の全身にぶちかけ、捨て台詞(ぜりふ)を残すと彼の憎しみをあとに出て行きました。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

 
 3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点
公文書である『化学学校史』から『化学学校記事』発行の活動を消したのは、1969年7月から10月に、『化学学校記事』をめぐる社会的事件が起きたことからです。
 具体的に言うと1969年7月の沖縄米軍化学兵器接触事故の報道、7月23日、第61回国会の衆議院外務委員会における伊藤惣助丸衆議院議員の国会質疑、8月4日の楢崎弥之助衆議院議員の「在日米軍及び自衛隊における化学・細菌作戦に関する質問主意書」、10月15日、久保綾三氏の出版物『BC兵器』に「化学学校記事」の論文を引用し化学兵器の使用訓練が行われていると批判され社会問題化していました。
・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

石井部隊と細菌戦
関東軍防疫給水部隊ー石井四郎軍医中将のもとに編成された731部隊は、これまで見て来た陸軍の研究機関の1つとして作られたものであった。表向きは防疫と給水部隊ということになっていたが、実体は国際法で禁止されている細菌兵器の大がかりな実験と研究を目的とした部隊であった。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

 
この状況下で、東条は天皇の同意の下に、統帥組織を大幅に刷新した。1944221日、東条は、首相・陸相を兼ねたまま、さらにみずからが参謀総長に就任するために、杉山参謀総長に辞任を求めるという前例のない行動に出た。同時に嶋田繁太郎海相は、永野令軍部総長に辞任を求め、みずから軍令部総長を兼任しようとした。陸海統帥部の大半がこれに反対したが、東条はふたたび事前に天皇の強い支持をとりつけていた。杉山がこの人事に当惑している旨を天皇に上奏すると、天皇は東条に協力するようにと言うにすぎなかった。
こうして対立は終わった。昭和天皇は、みずからが必要と思えば、明治時代のもっとも神聖な軍の伝統―国務と統帥の権力分立―を、みずからの意思でとり除くことができたのだった。
                    "



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」
-100年前から増加しているのは二酸化炭素だけではない。妊娠中絶も増加しているし、離婚も増加している。両方が増えたからと言って、「離婚が増えると地球の平均気温が上がる」とは誰も言わない。二酸化炭素温暖化説は仮説にすぎないのだ。-と私が書いたのは、9年も前の2001年に発刊した『燃料電池が世界を変える エネルギー革命最前線』(NHK出版)という書である。2つの事実の傾向が同じだからと言って、それをすぐに結びつけるのはオッチョコチョイがやることだ。当時私がCO₂温暖化説を批判してから、人類は全く進歩していない。
●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核兵器禁止条約
目的と特徴
この条約の目的は、核兵器の全面廃止と根絶である。ただし、平和目的での原子力の保有は禁じていない。前文において被爆者の苦痛に対する憂慮と共に国際人道法と国際人権法の原則が、核兵器廃絶に関して再確認されている。

この条約の特徴は、核兵器または核爆発装置を所有、保有、管理していた締約国が申告を要する点にある。








●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
           














           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


2020年6月21日日曜日

細菌戦の系譜!!


中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
731部隊・100部隊展





●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




          1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第2章 背陰河の実験はいつ始まり、いつ終了したのか


 背蔭河はいつ終了したのか

 マルタの「B工場」からの逃亡事件は、19331027日で、この直前からBCG接種が始まった。

 また『陸軍軍医学校五十年史』で、「19351251等軍医の石井要が満州国の関東軍で特種任務についていたが、匪賊討伐に参加し、左頚部に敵弾が当たり、ハルビン陸軍病院入院、その後東京陸軍軍医学校で加療していたが、 翌193621日死亡。27日には陸軍軍医学校葬となっている。」という記載があり、このときにはまだ背蔭河で実験が継続されていたということになる。

 問題を解く鍵はやはり、柳澤にあった。後述するが、19443月に「BCGの再接種に関する研究」(益子義教の博士論文)が、公にされる7年前に同じような実験(ツベルクリン反応がまだ現れないうちに、BCGの結核菌に対する予防効果が表れ、またツベルクリン反応が一度現れ、再び消えてもなお結核菌に対する予防効果がある)を行ったことを、柳澤謙は『わが一生の思い出』で告白している。



       伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
          
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

731部隊訴訟 第1審判決をどう見るか(『世界』2002年11月号)
                       土屋公献

国家無答責を是認して良いか

 裁判所が法の欠けていることを理由に正義の判決を拒むとすれば、それは正に「私法不作為」である。行政、立法、司法の三権が、恰もこぞる様に不作為を続け、権力間の庇い合いによって正義から目を背けるような現状を、決して国際社会はいつまでも許しはしない。

 いささか乱暴な言い方をすれば、本件では原告らを勝訴させるにも敗訴させるにも、いずれにも法理論を用い得る。私どもは早速控訴したが、控訴審裁判官の良心と勇気に期待してやまない。(つちや・こうけん 731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟原告弁護団長)

 

 

 

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

「1931」斉藤準太郎の日記


豫記録                                                  

○今年こそ今年こそ思へども歌ではないが実際昭和5年は鳴呼もう考へまい兵隊に思い出は禁物だ

○雪の野にうつる月影黒きかな 俺にも未だ影はある真っ黒な影がしっかりやろう

後一年だもの                                                 

○歌で送られたなら唄って迎えよう?忙しい目が回る分遣上番下番正月から忙しい 考へよによっ        ては目出たいのだ。正月から暇なら碌なことはないしっかりやろう力のあるだけ 送られた昭和6年    意義深く共に送ろう教Oの庭に



 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)

4. 展示見ず、731部隊の講演のみ参加、大変詳しく話され、問題意識が深められました。(男、70、市内、「ひろしま」でチラシ)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

46、「ひろしま」を見るのは2回目ですが、前回の時の内容を全く憶えていなくて、改めて見たいと思っていたので、今日再度見ることができたのは、良かった。内容がなかなか難しく重いテーマなので、あと数回見ると深まるのかなと思っています。

(女性・40代・市内・朝日新聞)

 


日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!


●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅳ 石井部隊、ノモンハン戦線に出動す

ー特別班8棟担当 T・Y

凱旋秘話―早川隊ホルステイン河畔に消ゆ

  早川隊が、たまたま戦線の間隙をつかれ、無防備のまま捕虜になったのか、それとも、細菌戦部隊としての石井部隊の出動・所在を探知したソ連軍による、意図的な奇襲かは、今となっては、私には分からない。

 いずれにせよ、ノモンハン出動の凱旋部隊を讃えて、部隊本部の営庭一杯に祝宴が張られた時、斃れた多くの戦友の姿と共に、早川隊の姿は無かったのである。

 

 

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 

森三吾供述書(1954年)

問:細菌実験の為に石井部隊に送った情況を具体的に述べよ。

答:19443月、満洲里憲兵隊少尉分隊長をしていた齊、ジャライノール憲兵分隊長佐藤准尉に命じて、ソ連諜報機関と連絡を取っているとの嫌疑をかけられた彭志克達西を逮捕させ、拷問にかけたところ、嵯崗駅から西に12㎞行ったところにある村の8名の住民名を挙げたので、4月上旬に、憲兵15名と嵯崗駅守備隊員12名を指揮して、この8名の者を逮捕した。尋問の後、その中の姜巴拉江吉と彭志克達西の2人を「特移扱」の対象として報告し、許可が下りてから部下をつけて石井部隊に送った。

 

  


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験

満州事変の勃発と毒ガス研究の進展

このような状況の中、陸軍は毒ガスの実用化に向けた取り組みをより進展させていく。陸軍科学研究所第3部は、1932(昭和7)年7月の陸軍科学研究所の組織改編を受けて陸軍科学研究所第2部と改称された。当時、物理的兵器の研究を担当した同1部が「沈滞」してたのに比べ、「科研第2部は陸軍における化学兵器の一切の研究を司り、多数の研究員を擁し巨額の研究費を使って活気を呈した」という(元陸軍大佐斎藤有「特殊兵器研究の全貌」日本兵器工業会編『陸戦兵器総覧』)。この年以降から各種毒ガス弾・投下ガス弾やガス放射筒が続々を制式化されるが、それらの呼称は充填されている毒ガスの種類に従い、「きい弾」「あを弾」「あか弾」などと呼称された。

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章 癒しがたい傷

「生きならが得た」人々

こうした情況自体、おかしな話だが、更に理解しがたい事実がある。「認定患者」と確認された人は、政府の文書の中では「ガス障害者」と呼ばれ、「毒」とか「被害」とか言う語すら用いないのである。1900年生まれの福本治三さんは、感慨深げにこの問題を語った。

 「私は島で会計をしていました。直接毒ガス作りをしたわけではないのですが、島全体が毒ガスに覆われていたので、どこにいても傷害を受け、後遺症が残ったのです。この点から見て、毒ガスは何と恐るべきものでしょう。

 


 

              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

 7時に中国人の体温を計る時間になっておりました。私は動物がこのくらい死ぬほどの毒力ならば、《丸太も死んでいるに決まっている。昨日のような反抗もするまい》と、消毒室に器材を取りに走りこみました。特別班の入口にある鉄の大門を開け、出入許可証を渡して、私は中国人を監禁している2棟の中の1つである7棟に出ました。前の方から担架をかついだ2人の防菌衣姿の男が飛び出してきました。担架の上には、今誰かの手によって殺害された、腹をたち割られ、頭をたたき割られ、脚を切り裂かれ、肉の塊りとされた中国人がのせられており、血がしたたり落ちておりました。この惨殺体を見た私は、《早いとこやりやがったな、何班だろう》と、将校のよくやるあの手で頭を下げ、中をのぞきこみました。惨殺体を見送った私は足早に3日前にペスト菌を注射した中国人のいる12号に近づき、半分恐る恐る中をのぞきこみました。中国人は私の注射したペスト菌によってもだえ苦しみ、血を吐いて床の上にうつ伏せに倒れていました。



2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

 

 3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点

1959(昭和34)年度の『化学学校史』には「第9節学校記事の刊行」の欄に、編纂委員長・副校長と委員13名の名前と階級、発行状況(印刷日、発行日、印刷所、印刷部数)が詳細に記載・報告されており、この「発行報告」掲載は1967(昭和42)年度の『化学学校史』まで続いています。

 裁判の当初、被告国は、1968(昭和43)年度以降の『化学学校史』に記載がないことを理由に、『化学学校記事』は12号で終了したと主張していました。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、

新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

「関特演」と風船爆弾

樋上2佐は、いわゆる心理戦の効果を狙った風船爆弾についてこう書いており、その効果から見て所期の目的を達しなかったが、しかし、「フ号作戦」が生物・化学兵器体系の1つと考えられていたことは、その投下位置を予め正確に見積もれないこともあり、無差別殺傷という生物・化学戦争のもつ特徴の最も典型的なものかも知れない。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

 

アメリカの空母機動部隊と海兵隊は中部太平洋に移動し、ギルバト諸島のタラワ、マキンでは苦戦しながらも正面攻撃により日本軍守備隊を全滅させた。1944217日、アメリカ軍機は連合艦隊の重要な泊地トラック島を空爆により壊滅させた。これにより海軍はトラック島撤収を余儀なくされ、多数の油槽船が放棄され、将来の作戦能力に支障をきたすこととなった。中部太平洋で一大決戦に臨むという夢は、ついに潰えたのである。大本営は、マリアナ諸島まで後退させた防衛線に期待をつなぐことしかできなかった。まったく異なる2方面からの攻勢― 一方は南西太平洋方面から、もう一方は中部太平洋方面から― が始まりどちらの方面でも攻勢速度を止める手立てはなかった。

                    "



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」

 IPCCが「CO₂が増加すると、地球の気温が上昇する」という矛盾だらけの主張をしてきたのに対して、どの人も気づいていないが、近年の温度変化に最も近いのは【図44】のグラフなのである、これが何の変化かと言えば、1950年~98年の日本の離婚率なのである。これが実によく、気温変化と合致しているのだ。

 -100年前から増加しているのは二酸化炭素だけではない。妊娠中絶も増加しているし、離婚も増加している。両方が増えたからと言って、「離婚が増えると地球の平均気温が上がる」とは誰も言わない。二酸化炭素温暖化説は仮説にすぎないのだ。-

●核実験(ウキペディアより)


若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核兵器禁止条約

経緯 

この条約は、50ヵ国が批准して90日後に発効する。2017年9月20日にガイアナ、タイ王国、バチカン市国が、2018年1月16日にはメキシコが、2018年9月28日までにキューバ、パレスチナ国、ベネズエラ、パラオ、オーストリア、ベトナム、コスタリカ、ニカラグア、ウルグアイ、ニュージーランド、クック諸島、ガンビア、サモア、サンマリノ、バヌアツを含む合計19か国が、この条約に批准した。2018年10月29日現在、79カ国が条約に署名している。2019年10月29日、批准した国・地域は33、署名は79になった。

 

 

 






●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
           













           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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