2020年6月19日金曜日

細菌戦の系譜!!


中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
731部隊・100部隊展





●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




          1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第2章 背陰河の実験はいつ始まり、いつ終了したのか

西野忠次郎とは


 武見太郎(慶大、1930年卒)は、戦後19574月から19833月までの26年間日本医師会会長を務め、日本医師会のドンと呼ばれた男である。武見太郎の回想録を読むと、背蔭河当時の西野忠次郎の人間性がよく理解できる記述がある。武見は、卒業と同時に内科教室に入局した。当時の内科教授は西野忠次郎、平井文雄(京大、1911年卒)、大森憲太(東大、1915年卒)であり、主任教授は西野忠次郎であった。




       伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
          
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

731部隊訴訟 第1審判決をどう見るか(『世界』2002年11月号)
                       土屋公献

国家無答責を是認して良いか

 又判決は、原爆被害者医療法、戦没戦傷病遺族等援護法、台湾住民戦没者遺族弔慰法、ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストラリア等による補償が条理に基づいて実現したのとの原告側主張に対し、これらはいずれも諸々の配慮が加わって立法された例に過ぎないという。しかし、例えばカナダの日系人不当拘束等に対する補償は立法を待たず行われているし、上記の諸例より遥かに必要度が高い本件の場合は、立法が無くとも裁判官の条理に基づく配慮で個人賠償を命ずることが当然に可能なはずである。 

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 はじめのことば

  ある失言で戦友が殴られた折「議会の失言は口で騒ぐが、軍隊の失言は手で事を付ける。いずれが是か否か僕に知る限りでないが、何にしてもあまりに大人げない」(44日記)と書き、「『玄界灘』で死ぬのも高梁畑で死ぬのも同じ事、決して死を嫌ってはいけない』と中隊長は言われるが、私には責任がある。勤め先の主人が、母が、兄が待っている」(2月15日記)とも書く父は、この日記が見つかったら手ひどく殴られたことでしょう。

 初年兵の時は日記を書くゆとりを持てず、満期兵になった年の後半は現地の情勢が厳しさを増し、日記は閉じられます。ほんの半年分の軍隊生活記となりました。

 


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)

2. 日本の戦後教育の中で全て正確なことを伝えていない。侵略行為について数少ない機会しかないがヒモ解いていくことが必要と思っている。日本人(当時の政府?)なのか、明治維新以降、勝ち組となった長州勢の傲慢行為なのか、結果どえらいこと世界に示した日本のつぶさな歴史を学ぶことが、世界の人々と会話する最低限のマナーだろう。(男、60、市外、偶然)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

44、求めない者が戦争に向かう方向性を強いられてゆくことが案じられてなりません。日教組が作ったものだと知って驚きましたが、この映画がもっと広く世の中に広められることを願います。

(女性・60代・市内・朝日新聞)

 


日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!


●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅳ 石井部隊、ノモンハン戦線に出動す

ー特別班8棟担当 T・Y

凱旋秘話―早川隊ホルステイン河畔に消ゆ

  出動していた者もあったろうから、おそらくその数は30名ほどであったと思われる。その早川隊が、交戦の後もなく、全員消えたというのだ。勿論、現場を目撃した者は誰1人いないのだから、真相は知り得ない。

 しかしながら、隊員たちは、彼らがソ連軍に拉致されたと信じていた。諸般の状況からそれ以外に解釈のしようがなかった。当時、戦線では、スパイや謀略の噂が絶えなかった。チタ他の2か所には、ソ連の細菌戦研究部隊があるということも、耳にしたことがあった。

 

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 

森三吾供述書(1954年)

問:細菌実験の為に石井部隊に送った情況を具体的に述べよ。

答:194211月、東寧憲兵隊で少尉・戦務課長をしていた際、漢奸李樹桂から、仏爺溝炭鉱の王という労働者(年齢35前後)がソ連に軍事情報を流しているという報告を聞き、宮沢曹長と鄭通訳に命じて東寧街で王という男を逮捕させた。尋問の後、彼を「特移扱」したいと申請し、司令官の裁可を得たうえで、石井部隊に送ってこれを殺害に至らしめた。

  


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

3、ドイツ軍の技術を吸収した毒ガス兵器開発
毒ガス兵器の制式化と、実戦での初使用

このように、1925年下旬から30年はドイツ軍のノウ・ハウを吸収した上での毒ガス兵器開発が行なわれ、各種毒ガス兵器が制式化されるとともに毒ガス製造工場が設置された時期であり、また、毒ガス兵器を初めて実戦使用した時期【第3期】である。

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章 癒しがたい傷

「生きならが得た」人々

これらの被害者は「認定患者」と「非認定患者」の2種類に分けられるが、この区分自体、心を揺さぶられるプロセスを含んでいるのである。

 戦後、大久野島で働いたことのある人たちが、自分が被害者であることをだんだんと自覚するようになると、自発的に組織を作り、日本政府に治療と補償を要求した。本来、国は「天皇の為、お国の為」に動員されて身を捧げたこれらの人々に対して、当然のこととして何らかの表明をすべきである。しかしながら、そうすると、日本が戦争中に国際法に違反して毒ガス兵器を製造したという事実を公に認めることになる。これは日本政府の望まぬところであった。

 


 

              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

「人間にそれも若い男に色気がないなんて考えられるかよ、馬鹿な」

人事班の島田はどうしても信じられないらしく一人ひとりの顔を見回しています。

「それが本当なんだよ、島田、俺も初めはお前のように考えて、今田村が実験している奴に一度はロシア人の女、その次は中国人の女を入れて、俺は錠穴からジーッと見ていたんだが、女が入って行くとすぐ2人が手を握り合ったんだ、俺はしめたと思ったんだ、その途端どうだと思う、その男は狂ったようになって『鬼子(クイズ)、貴様らは何の罪も無い女子どもに対してもこのような非人道なことをするのか、絶対に許すことはできない。必ず貴様らを消滅する』と怒鳴るんだ。女を入れたらおとなしくなるどころか、ますます反抗心をあおり立てちゃったんだ」

私の眼に、人類を消滅させようとする細菌戦を身をもって制止しようとする中国人の姿がうつるはずはなく、《こんな奴らをうまく実験に使ってこそ俺の腕の見せ所だ、こんりんざい決して臆病風なんか吹かせないぞ》私は時計に眼をくれると、ほかの者にはわからないようにそっと抜け出し、研究室の階段を上がって行きました。 

 


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

 

②衛生学校『図書原簿』(手書き、1963年~1977年)の中に『衛生学校記事』の記載があり20059月まで図書室に保管されていたことが判明されました。しかし被告国は20059月に赤線で消されているため、廃棄されたと主張しています。

 しかし、廃棄手続きは規則で定められており廃棄簿に記載しなければならないことが判明しています。他の赤線部分にある「廃棄」や「廃棄文書番号」の記載も無いので「廃棄処分」を意味していません。被告国は「廃棄」していないことを裏付ける廃棄簿は「5年」保管の為廃棄して現在保管していないと主張していますが、むしろ赤線が「廃棄」の証拠にはならないことが明白になったと言えます。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

「関特演」と風船爆弾

しかしながら、8月9日、大本営陸軍部は、独ソ戦の推移如何にかかわらず、昭和16年度内における北方解決企図を断念。(独軍、スモレンスク付近において、1か月にわたり戦線の停頓、参謀本部第5課は、独ソ戦の持久化と情勢判断。さらに、7月末における米英蘭の対日資産凍結等)

南方専念の方針を採択して、

「1、在満鮮16箇師団を以て対ソ警戒を至厳ならしめる。

 2、中国に対し既定の作戦を続行する。

 3、南方に対しては11月末目標として対英米戦準備を促進する」

という「帝国陸林作戦要綱」を作成した。そして太平洋戦争が開始される。




第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

 

1943111日、ソロモン諸島の中で日本に残された最大の島、ブーゲンビル島の飛行場は、アメリカ軍の攻撃にさらされていた。119日、永野は第2次ブーゲンビル航空戦の大戦果を報告した。城海軍侍従武官は日記に、昭和天皇は「御満足の御様子。武官府にて侍臣と祝盃を挙ぐ」と書いている。これより前の1943115日に行われた第1次ブーゲンビル航空戦の戦果について永野は、著しく過大な戦果を報告していた。それによると、アメリカ空母「インディベンデンス」「バンカーヒル」が撃沈されたことになっていたが、実際には魚雷艇一隻が沈められたにすぎなかった。けっして天皇をだまそうとしたわけではなかったが、―実際、永野軍令部総長と大本営も最前線からの報告を信じていた―この挿話は、天皇にとってソロモンの正確な戦況報告を得ることが、いよいよ困難となつたことを示していた。

                    "



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」

 IPCCは、「1980年頃からの急激な気温上昇は100年で1.77℃にもなり、氷河期からの回復による100年で0.5℃の上昇では説明できない。1980年以降の気温上昇は人為的なCO₂が主因とみるのが自然だ」と言うが、おや?自説に都合よく、なぜ「気温上昇が顕著だった時期だけ」を捕らえて、そのように主張するのか。1980年以前と以降でCO₂の増加率は変わらないのに、なぜ、突然に気温上昇率が上がったかを説明していない。急激な気温上昇は、ほんの10数年間だけではないか、とまともな学者が異口同音に尋ねているのである。

 

●核実験(ウキペディアより)


若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核兵器禁止条約

経緯 

2011年10月26日〜31日、国連総会で軍縮・国際安全保障問題を扱う第一委員会が52の決議を採択した。このうちマレーシアなどが提出した核兵器禁止条約の交渉開始を求めた決議が127ヵ国(昨年より6ヵ国多い)の賛成で採択された。

 2016年10月28日(日本時間)、国連総会第一委員会(軍縮)において、多国間の核武装撤廃交渉を来年から開始する決議案“Taking forward multilateral nuclear disarmament negotiations”(document A/C.1/71/L.41)が、賛成123、反対38、棄権16で可決された。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、日本は反対票を投じ、北朝鮮は賛成、中華人民共和国は棄権した

 

 

 






●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
           











           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

2020年6月18日木曜日

細菌戦の系譜!!


中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
731部隊・100部隊展





●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




          1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第2章 背陰河の実験はいつ始まり、いつ終了したのか

満州伝研は結核の生体実験工場

 今まで述べてきた生体実験(マルタ)などから第8小(結核予防)委員会の結論としては、BCG接種によって結核の発病率は2分の1以下に減少し、死亡率では8分の1以下にまで減少すると結論を出した。

 また、BCG未接種者と、既接種者の結核感染者に関する臨床的考察では、BCGが行われていれば、自然感染では当然起こるべき病巣を胸部写真に現れない程度にし、治癒するものが半数であった。また、BCG接種が行われていれば、胸部写真で結核病巣が現れても4分の3は慢性型にならず治癒すると結論づけている・背蔭河の工場では毎日胸部写真が撮られていたので、これらの結論づけは簡単なことであったと思われる。




       伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
          
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

731部隊訴訟 第1審判決をどう見るか(『世界』2002年11月号)
                       土屋公献

国家無答責を是認して良いか

 判決は条理を、「安易に使用するときは、条理の名の下に裁判官が自らの主観的な信念に基づき判断をしてしまう恐れがある」という。しかし、民法709条の「故意または過失に因りて他人の権利を侵害したる者は之に因りて生じたる損害を賠償する責に任ず」という規定は、古今東西に通ずる条理をそのまま成文化したものであり、国際法に共通の掟である。

 戦争の場合は軍人同志の殺し合いが事の性質上当然とされるが、戦い方にもルールがあり、判決も自らそのルールに反した被告(国)に、「ハーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていると解するのが相当」と認めているのである。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 はじめのことば

 自国なのに小さくなって暮らす子供たちに同情を寄せるまともな感性の半面、無知な中国人を進歩させる、面倒をみてやるという植民地政策の正当化といった気持ちも感じます。

 父は 「軍隊の事は軍隊に入った者しかわからない」(61日記)と書いていますが、日記の中で軍隊の本質を多々見ました。4月上旬に大隊射撃競技会があり、父の中隊は優勝を目指して連日猛演習を重ねたものの、負けました。中隊の軍曹は悲壮なまでの精神主義を以って、次回の勝利への決意を語ります。感動した父はこの顛末を一週間書き続けます。軍隊というのは勝利のみ想定し、敗北は最初からあり得ないことなのです。 

 


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)

1.  731部隊が印象的。・村瀬さんの写真、感想文は戦地でも理性を失わずに悲惨な記録を取り続けて、人間の魂を見て感動的でした。(男、60、市内、新聞折込み)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

43、原爆投下直後に人々がよろけながら歩いていたシーンが印象的でした。学校の授業で習う程度のことしか知らなかったので今後の時間でよく調べようと思います。最初に主催者の方がおっしゃっていたように、人物関係が複雑でわからないところも一部あったのでもう1度見ることができる機会があればと思います。

(女性・10代・市内・朝日新聞)

 


日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!


●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅳ 石井部隊、ノモンハン戦線に出動す

ー特別班8棟担当 T・Y

凱旋秘話―早川隊ホルステイン河畔に消ゆ

 石井部隊からは、わが瀬戸隊の第1陣に続き、第2次、第3次と給水班が順次出動した。その中に、早川軍医中尉指揮下の早川隊もあった。この早川隊は、第2次出動班として、わが瀬戸隊と協同したことは、前述の日記にある通りである。

 8月中旬の事であった。ホルステイン河に基地を置いていたわが瀬戸隊の上流、約1㎞の地点に、同じように浄水基地を設営していた早川隊全員が一夜のうちに消滅してしまったのである。

 


・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 

森三吾供述書(1954年)

問:生きている人を細菌実験の為に石井部隊に送ったことがあるか。

答:ある。私の手で送られた愛国志士は全部で14名おり、そのうち3名は私が直接命令して送った。その他は全て関与したものである。

  


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

3、ドイツ軍の技術を吸収した毒ガス兵器開発
毒ガス兵器の制式化と、実戦での初使用

ところで、1930年(昭和5)年1027日に、日本の植民地・台湾で、先住民族が日本の植民地支配の圧政に抗して蜂起するという霧社事件が起きたが、この事件発生を受けて陸軍省は直ちに催涙性ガス弾200発の製造を陸軍科学研究所に命じ、これを台湾の日本軍に交付した。そして実際に現地軍はこれを使用するに至る(このことについては第4章で触れる)。毒ガス兵器という新兵器も実用化した陸軍は、その威力を確かめるために防御や報復する能力を持たない人々に対して使用したのである。

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章 癒しがたい傷

「生きならが得た」人々

 5,6000人中既に2000人が死亡したこと自体、驚くべき数字である。だが、多くの人にとっては、死ぬことは逆に苦痛から逃れるすべであった。なぜなら、生きることは尽きることのない苦しみを受けることだったから。

 生きている者の苦しみを記録した写真集がある。日本のカメラマン樋口健二さんが大久野島で働いたことのある人々の被害情況を取材した後、1983年に出版されたものだ。タイトルは『毒ガス島ー大久野島の毒ガスの棄民たちの戦後』。このカメラマンは疑いもなく思索にあふれた人である。用いられているのはほとんどが白黒写真で、暗い背景は戦争を思い起こさせる。皮膚の毛穴まで見分けられる被害者のアップは、見る者に強烈な印象を与える。


 

              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

 部隊長石井四郎は二木班の性病実験のために、また、中国人の堅決(けんけつ)英雄的な細菌戦に対する反抗を恐れ、彼らを骨抜きにして実験を推し進めようともして、色写真、色パンフレットを作らせておりました。

「中国人にはどうにもならないんだ、色気が無いのか、パンフレットやっても色しゃしんやっても見もしないで引き裂いてしまうし、今じゃ色写真も色本も役立たずだ」

「本当に丸太というのは不思議だなあ、色気はないし、鉄砲玉も恐ろしがらないときては」「だから始末が悪いんだ、色気がありゃあ、少しぁ、おとなしくさせることもできるんだがなあ」

 みんなそれぞれ残酷な生体実験を行なって、中国人を殺害しているので、同じようなことを言います。

 


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

 

  金原資料2028点の中には『衛生学校記事』89冊が含まれていますが、これは行方不明の中にあると言うのです。しかし、金原資料を破棄した事実もありませんから、防衛研究所から衛生学校に戻って来てからの資料保管の経過を厳密に調査すれば、出てくるはずなのです。

 現在、私達は、裁判で1995年から1996年の金原資料の移管事務を担当した複数の担当者の陳述書を要求しており、近く被告から提出される予定ですし、防衛省の説明責任が求められています(なお次回423日は新型コロナのため延期されました)。

  

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

「関特演」と風船爆弾

 ーこれは陸軍創立以来最大のもので満州国は作戦地として相貌を一変し、かつこれを作戦準備のため、満州、朝鮮に集積された作戦資材は、その後数次の南方及び内地の転用にかかわらず終戦時全量の約5割を残していた。これにより、関東軍の総兵力は、人員は倍化して約70万、馬匹14万、飛行機約600機となった。




第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

 

損害が拡大していたにもかわらず、昭和天皇は落胆することなく、厳しく自己を律し、相変わらず攻勢の気運を持ちつづけた。1943921日、城海軍侍従武官から「ニューギニア北東部に敵の輸送船多数集中しあり、警戒中」との報告を受けたとき天皇は(報告書からアメリカ軍がフィンシュハーフェンを目指していることを察知し)「警戒中にては駄目、攻撃せなければいかんね」と応えている。

                    "



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」

 つまりこれが、本書巻頭に示した【図1】グラフの過去10年ほどの寒冷化を示す実情なのである。異常な寒さを全くニュースしない「異常なメディア」の日本では、ほとんどの人が、これを記憶していないのも道理である。一方で、旱魃や山火事、高温については、繰り返し報道し、原因不明の現象は全てCO₂が原因とする。

 

●核実験(ウキペディアより)


若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核兵器禁止条約

経緯 

 2007年4月、mNWCはNGOコンソーシアムを招集した核政策に関する法律家委員会(Lawyers' Committee on Nuclear Policy, LCNP)を通じ、コスタリカ及びマレーシア両政府の共同提案として、国際連合の核拡散防止条約(NPT)運用検討会議の第1回準備委員会(Preparatory Committee for the 2010 Review Conference of the Parties to the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)に改訂版の「NWC」(UN Doc. A/62/650)として提出された。NWCは、以下の項目について核の取扱いを禁止している。

開発(development)

実験(testing)

製造(production)

備蓄(stockpiling)

移譲(transfer)

使用(use)

威嚇としての使用(threat of use)

 

 






●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
           










           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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