2020年6月14日日曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
731部隊・100部隊展



●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


 



          1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
 
 
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


 
検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)



2 背蔭河の実験はいつ始まり、いつ終了したのか?

満州伝研は結核の生体実験工場

この問題についても、柳澤謙を追い続ける中で解決した。

柳澤謙は前にも述べた「BCG騒動」中に、参議院厚生委員会の証人尋間で次のように答えている。

「私は一番先に日本で乾燥ワクチン(乾燥凍結ワクチン)の共同研究を、陸軍医学校において行ったのであります。昭和17年頃の秋に、大体実験室の研究に成功いたしましたので、直ちに陸軍医学校の器械で大量生産を行いまして、培養試験、動物実験、」さらに人体接種を行っています。1ヶ年間に12%という発病率の軍関係のある集団で、これを任意に4群に分かちまして、群には乾燥前の液体のワクチン、それからⅡ群には同じワクチンを陸軍医学校の大量生産の器械で乾燥しまして、それを10℃内外の温度に3ヶ月保存したワクチン、第Ⅲ群は同じ条件で6ヶ月保存したワクチン、それから最後のⅣ群はBCGを全然使わない、こういう群を分かちまして、接種して1年半ばかり結核の発病をみたのでありますが、液状ワクチンの発病率は3.1%、3ヶ月保存したワクチンは3.5%、6ヶ月保存のワクチンは5.1%、BCGワクチンを接種しない群では12.5%の発病をみました。なおBCGを接種した3群とも死亡者は1名も出ていませんが、BCGを接種しない群では、2名の結核死亡者を出しております。」





       伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
          
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
 
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


731部隊訴訟 第1審判決をどう見るか(『世界』2002年11月号)
                       土屋公献
判決をいかに評価するか


 カルス・ホーヴェン博士らの学説も数々の実行例も国際慣習法の成立を示して余りがある。

 ともあれ、訴訟は現在行われており、現在の法感覚で裁くべきである。

 戦時中日本の戦闘機が外国船を誤射したことによる被害外国人に対し、日本政府が賠償金を支払った例(パナイ号事件)について、これは国と国との間で解決したものであって個人請求が認められた例に当たらないというのが今回の判決であるが、所属国の外交保護権を通じて賠償を得たとしても、個人の法主体性が認められた例であることに違いはなく、むしろこの件は、前述の国家無答責の法理を否定した好例であると言い得る。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
 
           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


 
1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


 はじめのことば


 以後、満州に関する講演会などに出かけ、日本が何をしてきたか知るに及び、満州事変の年に現地で書いていた父の日記を避けて通れなくなりました。

 2020年春、新型コロナウイルスが蔓延し、4月には緊急事態宣言が発令されました。疾患のある人や高齢者は重症化しやすいと耳にするたび、「いつか」はないかもしれない、この機会に転記しておこうと思い立ったのです。

 毎日2日分の日記を打つと3か月で終了する計算ですが、読み込みながら打つ作業は意外に手間取りました。ですが、次第に目が慣れてきて当時23歳だった1青年の感性、思考、関心事にも興味がわき、魂にも触れるような感触を得て、加速しはじめました。

 
●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)


 9.・731部隊の重要なメンバーが戦後、様々な要職についているのを初めて知って驚きました。それ以外の残虐な行為を行った者も戦後裁かれず、のうのうと生きているのには憎しみを覚えます。また、被害者が救済されていないのも、大きな問題だと思いました。(女、60、市内、知人から)

 

    
●●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報



 38、瞬時にして亡くなられた方は勿論ですが、被爆して苦しみながら数日内に亡くなられた方々の苦しみや嘆きを思うと涙が出てきます。特に幼くして両親を失った子ども達の寂しさや悲しさはいかばかりかと思います。福島原発の廃棄物の処理に協力しない人々、汚泥を地元に持ち込むなという人達に日本人としての同胞に対する思いやりの欠如を感じます。その当時に被爆した広島の人々や復興に尽力した自治体の方々に敬意を表します。いずれ我々も大地震で地獄の苦しみを味わう時が来ると思います。特に首都圏では悲惨な状況になると思います。

(男性・70代・市内・朝日新聞)森川さんから直接チラシをもらいました。

 

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける




2部には、我々の他に、八木沢班というのがあった。ここは植物や穀物を枯らす細菌の研究をしていた。ベトナム戦争の時に、アメリカ軍が、ベトナムで枯葉作戦というのを行なったということを知った。そして、この枯葉作戦は、731部隊八木沢班の研究が発展させられたものであるということを聞いた。何ともやりきれない想いにとらわれてしまった。

 戦争は2度と起こしてはいけないと、心の中で念じつつ、筆を置くことしかできない今の自分を残念に思うことしきりである。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験


秦正氏自筆供述書(195497日)


1944年8月、私はソ連の凍傷治療法を翻訳し紹介した。日本ではかねてから低温摩擦法が実施されていたが、ソ連では摂氏22度の温水によって治療が行われていた。私はこの文献に基づいて第1歩吉村技師をそそのかし、残酷な実験を行なわせたのである。1944年冬、彼は出産後まもないソ連人女性愛国者対して凍傷実験を行なった。まず手の指を水槽に浸してから、外に連れ出して寒気の中にさらし、激痛から組織凍結にまで至らしめた。これは凍傷病態生理学の実験で、その上で様々な温度の温水を使って「治療」を施した。日を改めて、これを繰り返し実施した結果、その指はとうとう壊死して脱落してしまった(このことは、各期凍傷における手術の具体的な変化の様子を描くよう命じられた画家から聞いた)。そのほか、ソ連人青年1名も同様の実験に使われた。

    (1119-2893,1、第5

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発




毒ガス兵器の制式化と、実戦での初使用

2957日には、ホスゲンを「あを1号」、イペリット(フランス式製造法)を「きい1号」、塩化アセトフェノン(催涙性ガス)を「みどり1号」、臭化ベンジル(同左)を(みどり2号)として正式に採用した(陸軍技術本部起案「化学兵器制定の件」『資料集Ⅱ』4-1.このほかに、三塩化砒素(ひそ)を「しろ1号」として採用している)。陸軍は、秘匿の為に毒ガスの毒性ごとにカラーネームをつけ、窒息性ガスは「あを剤」、びらん性ガスは「きい剤」、催涙性ガスは「みどり剤」とし、化学剤ごとに番号をつけて呼ぶことにした(後にくしゃみ性・嘔吐性ガスを「あか剤」、血液中毒性ガスを「ちゃ剤」と呼称する。64頁の表3参照)。

 

 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
肺ガンの原因は毒ガス
              毒ガス工場の焼却

 
現在、大久野島国民休暇村




日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)


細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において
本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳


肉エキスを湯呑みに流し込み、お湯をつぎ込み、一口飲んだ柄沢班の10年組と言われる技手候補の奥寺雇員が上目づかいに私を睨みながら、「オイ!田村、何をこそこそやってるんだ、ここで一切を言え」と、いざりよって来ました。奥寺の奴、俺が課長の直接命令で動き回っているのを知ってやいているのだ、と感じた私は、内心得意になり、「話すことはできませんね、極秘ですからね」と、うそぶきました。「なに極秘、馬鹿野郎、俺たちのやっていることはみんな極秘だ、青2才のくせしやがって」奥寺はますますいらだち、どうしても言わせるぞとばかりに詰め寄ってきました。奥寺がじれればじれるほど、私は得意になり、数日来から頭の底にあった中国人に対する恐怖心は、より残酷に、より残忍に生体実験を行なう功名心に変わっていきました。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)




●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)




1 最近の情報公開裁判の動き

 昨年は『衛生学校記事』、『化学学校記事』の両事件を合わせて9回裁判が開かれました。

 1昨年、『衛生学校記事』裁判では、衛生学校の『図書原簿(目録)』から、かつて『衛生学校記事』『化学学校記事』が衛生学校図書室に存在し保管されていたことが明らかになりました。

 そもそも『図書原簿』の存在については、私たちも認識が不充分でしたが、衛生学校担当者が「以前存在していたが、今は廃棄した証拠」として『図書原簿』を提出してきました。



・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。
・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


 

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み




陸軍航空技術研究所は地上兵器とは別に第1研で機体、2研エンジン、3研武器、4研通信電波兵器、5研光学、6研燃料、7研被服糧食、8研衛生、、等の技術研究が行なわれ、造兵廠では1造、2造の研究所のほか2造隷下に化学兵器の曽根及び忠海製造所があった。大正12年陸軍科学研究の前身が大久保戸山が原に設立されて以来支那事変、大東亜戦争と技術研究組織も数次にわたり拡大され、昭和18年以後はむしろ複雑、多岐で重複競合の傾向も出て来た。

第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。








●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

 
 昭和天皇が陸海統帥部の不一致をいかに裁定したかについてはよくわかつていない。「絶対国防圏」の概念の適用をめぐる陸海の不一致を解消するために、天皇が強制的に介入したという記録もない。昭和天皇は、陸軍の前線縮小の主張を否定せず他方で、暗に海軍が攻勢に積極的であり続けることを是認していたように思われる。2面的な姿勢はもっぱら昭和天皇の性格によるものであった。この防御態勢への移行をめぐり、大本営政府連絡会議が2週間以上にわたり頻繁に開かれた。結局、1943930日に、御前会議が開催されることになった。
                    "


731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する


異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」


 20028月、ヨーロッパ中部で水害が発生し、死者80人以上を出した。チェコでヴルタヴァ川が大洪水のため、カレル橋が通行禁止となり、5万人が避難した。「温暖化の被害だ」と騒ぐ人間が続出したが、よく聞くと、これほどの洪水は、112年ぶりだという。つまり、大昔にもこのようなことがあったのだ。

 200211月には、北陸では新潟、金沢市をはじめ、富山、福井市も観測史上で最も早く初雪が観測され、70年ぶりの記録更新となった。青森市では1211日に大雪が降り、観測を始めた1953年以来、観測史上最高の1日降雪量67㎝を記録した。



●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核兵器禁止条約


署名国と批准した国
2020年2月19日現在の署名国と批准した国。
  
署名国                署名日       批准日 (締約日)


ペルー              2017年9月20日

フィリピン            2017年9月20日

セントルシア           2018年9月27日   2019年1月23日

サモア              2017年9月20日   2018年9月26日

サンマリノ            2017年9月20日   2018年9月26日

サントメ・プリンシペ       2017年9月20日

セーシェル            2018年9月26日

南アフリカ            2017年9月20日   2019年2月25日

セントクリストファー・ネイビス  2019年9月26日

セントビンセント・グレナディーン 2017年12月8日  2019年7月31日



 
 



●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
           


           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

2020年6月12日金曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
731部隊・100部隊展

記憶の継承を進める神奈川の会

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




          1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第1章背蔭河での生体実験
細菌戦いわゆる“731部隊”
 193777日から日中戦争が始まり、日本軍は中国全土へ侵略を開始した。1937年12月から19382月までの2ヵ月間、中国の首都、南京で略奪、強姦、殺戮(さつりく)を繰り返した。いわゆる南京大虐殺といわれている事件が起こり、このときの犠牲者は数十万人に上ったといわれている。世界を震させた事件の約1年後に、南京にも細菌戦部隊がやってきた。部隊番号は栄(さかえ)1644部隊といわれ、部隊長は石井の腹心増田知貞(ともさだ)(京大、1926年卒)であった。彼らの任務は、細菌兵器の増産と、品質管理のための生体実験であったという。



       伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
          
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

731部隊訴訟 第1審判決をどう見るか(『世界』2002年11月号)
                       土屋公献
判決をいかに評価するか
しかし、ハーグ条約成立当時は、それ以前からの人権思想の高まりによる私権尊重の気運が盛んで、少なくとも保護を受ける主体としての個人の地位が確立していたと言える。同条約3条は「前記規則の条項に違反したる交戦当事者(国)は損害ある時はこれが賠償の責を負うべきものとす」とし、しかも現地での即金支払いを原則としている。即金支払いを受け得る被害者が、未払いの場合これを請求できないという解釈は不合理である。この場合にも請求をするための手続き規定が欠けているから請求し得ないというが、憲法98条2項によって国際法は国内法の1部に組み入れられており、ハーズ条約の規定は民法709条と同程度の具体的表現をとっているので、これがこのまま適用されて国内裁判所で扱われることに何の支障もない。
●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 はじめのことば
仏壇の下奥に忘れられたように日記帳が置かれていました。茶色に煤けた布張りの表紙には「1931」の題字が刻まれています。私はこれを見つけて以来、いく度かぱらぱらとページを繰っては、狭い行間に細かい字と漢字、馴染みのない軍隊用語を見て読む気が失せ、閉じてきました。
 既に90年という時を経て、紙もペン字も薄れて頼りなくなっております。
 いつか書き写しておこうと思ったのは30年も前になります。半年足らずの日記ですからその気になればとっくに終えていたはずなのに「いつか・・・」はなかなか来ませんでした。
 ただ1931年の満州で父は何をしていたのだろうというひっかかりのようなものが残り、導かれるように近代史に関心を寄せはじめました。手始めにエドガー・スノー『アジアの戦争』(筑摩書房)を読み、加害国日本の歴史を知ったのです。第2大戦に負けた被害国日本の歴史しか知らなかったので、仰天しました。

●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

手 8.・万人坑関連の展示が印象的。・村瀬写真からは意外にのんびりした中国戦線の雰囲気も伝わりおそらく日本軍の兵士たちの記憶はそのようなものだったのかなと感じます。自分の父親は中国戦線や南太平洋の戦争を体験していましたが死ぬまで中国戦線の話しか語りませんでした。万人坑の記憶はまだ広く知られていない面もありますので、今後も広報活動などお願いしたいと思います。・DVDは販売していただけるとありがたいと思います。(男、60、市内、新聞折込み)
    
●●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
   37、埼玉出身、6年生の時にこの映画を学校行事として見ました。これはもう一度見なくてはと思い、最初は何があるのかわからず、流れに沿って6階へ来てびっくり思わず見たいと思いました。これからも、どんどん広めていただきたいと思います。今思うと66年前です。お話の中で笑わないでほしい。もっとまとめて話してほしい。
(女性・78才・市内・前を通りかかり)
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

日本国旗の日の丸の部分が巴形に色分けされて塗り替えられているのを見て、朝鮮に入ったことを知った。釜山に2、3泊して、引揚船に乗り、山口県萩の仙崎港で、日本の土を踏んだのであった。
 以上が、第2部5課に勤務していた私の体験のあらましである。
 もともと戦争や軍隊に行くのが嫌なばかりに、軍属の道を選んだ私であったが、結果は、きわめて皮肉なものとなってしまった。人間の運命とは、つくづくわからないものだと、いまさらのように思われてならない。
・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

田村良雄供述書(1954年10月10日)
問:どんな陰謀活動に参加したか。
答:1945年7月中旬、私は通化市旧関東軍125師団軍医部において軍医部長代理の降籏武臣少佐の命令を受け、超音波経口ワクチンの効力を調べるために、偽奉天市同善堂に行った。偽奉天鉄西捕虜収容所で研究していた731部隊湊技師の指示に従って、同善堂の幼児に実験を行なった。同善堂に到着してから3日後、湊技師は命令によって731部隊に戻されたため、私は目的を達成しないまま所属部隊へ帰った。
     (1)119-2、506、1、第4号



●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

3、ドイツ軍の技術を吸収した毒ガス兵器開発
毒ガス兵器の制式化と、実戦での初使用
1928(昭和3)年以降になると毒ガス関係の整備が続々と進められるようになった。同年7月に陸軍は、毒ガス製造を行なう陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所を広島県の大久野島に設置した。そしてこの年、久村砲兵大佐(久村種樹)が陸軍科学研究所第3部長に就任する。

 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
肺ガンの原因は毒ガス
こうして、事実は既に明らかになった。罹病と毒ガス工場での仕事とは密接な関係があるのだ。事実上、これらの人々の症状ないし死亡は毒ガスによる傷害を受けた結果である。この苛酷な事実は、戦争は既に終わったとはいえ、その危害はなおも続いていることを人々に教えてくれる。
              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳
私は集まっている顔ぶれを見て古参雇員の時々口にする彼らの情報交換だと知ると、すぐに特別班に入りたくない気持ちも動き、出て行けと言われるまで、何を話すのか聞いてやれと思い、腰を下ろしました。
 『機密を漏らしたものは極刑に処す』と毎日言われ、極刑に処されても異論はありません、と一札を入れているが、上級に上手に立ち回って点数を取るには部隊が現在何をしているかを知る必要がありましたし、それよりも自分の行っている仕事がいかに『極秘』であるかを話すことによって、こんなに上級から信頼されている人間だと自慢したい雇傭人の共通の心理から、日直のときに各班から集まってこそこそ話をするのが常になっておりました。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)





・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。
・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

陸軍の化学戦関係の技術研究は他の研究機関においても実施され、その主なものは次の通りである。
第3陸軍航空技術研究所
 航空化学兵器に関する研究
第8陸軍技術研究所
 航空衛生、航空心理の研究
第1陸軍造兵廠研究所
 第2分科   化学に関する研究
第2陸軍造兵廠研究所
 第4分科 材料に関する研究




第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

 
 915日、永野と杉山は昭和天皇に正式な報告書を提出したがそれは「絶対国防圏 の解釈をめぐる両者の対立の端緒となった永野は 一方ではカロリン諸島辺の「後方」にあるにある防衛の要衝を強化する必要性に注目していたしかし他方では、海軍が戦況が「若干不利な情況」つまり、ほとんど絶望的となっても太平洋方面で反撃の機会を求めるべきであると主張した海軍が大勝利を目指す戦域は「絶対国防圏」2000キロ離れた外にあった。要するに、海軍は依然として、マシャル諸島やギルバト諸島で決戦を行うつもりでいたのである。海軍の後方要線の概念とは、その線で敵に反撃するのではなく、戦力を蓄積し、そこから前線に向かって攻撃を開始する地点を意味しているにすぎなかつた。一方、杉山参謀総長は「現占領要域」の防衛に極力つとめつつその間に後方要線、つまり、敵の攻撃を絶対に阻止するための「絶対国防圏」の防備を整えるべきだと主張した。杉山にとって、「絶対国防圏」とは、天皇が命じていたようにその圏内で迅速な反攻や攻勢への対応を行うために、補給、部隊を用意しておく場所であった。
                    "



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」
2000年末~2001年初めにかけてモンゴルを襲った雪害(ゾド)によって死亡した家畜は、家畜総数の約9%に相当する276万頭に達し、基幹産業である牧畜業が壊滅的な打撃を受けた。地球が温暖化したのでモンゴルが大冷害となったのだろうか。
 2001年3月の、異常な寒気の為、北海道ではオホーツク海の流氷が1978年2月以来の結氷を記録した。

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核兵器禁止条約
署名国と批准した国
2020年2月19日現在の署名国と批准した国。
  
署名国             署名日       批准日 (締約日)
モルディブ                  2019年9月26日    2019年9月26日
メキシコ                    2017年9月20日      2018年1月16日
ミャンマー                   2018年9月26日
ナミビア                    2017年12月8日
ナウル                   2019年11月22日
ネパール                    2017年9月20日
ニュージーランド                2017年9月20日      2018年7月31日
ニカラグア                  2017年9月22日      2018年7月19日
ナイジェリア                  2017年9月20日
パラオ                    2017年9月20日    2018年5月3日
パレスチナ                   2017年9月20日    2018年3月22日
パナマ                         2017年9月20日       2019年4月11日
パラグアイ                  2017年9月20日       2020年1月23日







●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
           





           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!


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