●中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
●731部隊と国立感染症研究所の問題!!
●731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●731部隊・100部隊展
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??
東京帝大医学部の犯罪 美馬聡昭著 桐書房(2013年)
序章 ある発見
731部隊のことは、森村誠一が1981年11月に出版した著書『悪魔の飽食』で有名になっていたので、私も知っていた。しかしこの本を読むまでは、我が国の医学界の指導的な立場にある医師たちが、何のためらいもなく生体実験を行なっていたなどと知らなかった。大変ショッキングな本であった。
1993年春、実行委員会に入り会員を増やし、さらにカンパ集めなど忙しい毎日が続いた。そんな中で、実行委員会にメンバーに医師を1人でも増やすべく努力したが、医師は増えないばかりか、昔の友人(医師)から「731問題は森村誠一で終わった」と言われた。この一言が私を奮い立たせ、731部隊問題に真剣に取り組む契機となった。札幌での731部隊展の実行委員会に医師として参加したのは、結果的には私1人であった。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??
中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!
埋もれた細菌戦調査書
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
731部隊訴訟 第1審判決をどう見るか(『世界』2002年11月号)
土屋公献
なぜ提訴したか
私ども弁護団がこの訴訟提起に踏み切る上で、次の目標があった。
第1に、勝訴することで被害者らの霊を慰め、無念を晴らし、奪われた尊厳を回復すること。日本政府の反省を呼び覚まし、真摯な謝罪と個人への賠償を果たさせることを通じ、中国等アジアの人々からの日本への信頼を回復すること。それが真の和解、平和、友好関係を築く絶対条件だと考えたこと。
第2に、公開法定において、過去の偽らざる歴史事実を明らかにし、傍観者やマスメディアを通じてこれを内外に広め、誤った歴史認識を是正すること。
●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦
東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより)
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。
*朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造 (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎 (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝 (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙 (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄 (当時)陸軍軍医学校防疫研究室 インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介 (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長
*倉内喜八郎 (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大
・・・・・・・自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉
帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)
それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説
生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え
福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ
チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も
戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地
イージス艦もいらない!!
河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役
自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村
大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-29(文化放送)
●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)
手 手紙:
村瀬さんの写真展を開いていただき、ありがとうございます。
私は村瀬さんが経営していた埼玉県川越市の共同パンという会社
に1951年から2年近く働いたものです。
村瀬さんの会社の外での活動は、いろいろの方から語られていますが、
会社内ではどうだったのか、ひと言加えさせていただきます。
共同パンはほとんど10代20代の若者50名位の会社で、それは明るい、
楽しい職場でした。
給料が良かった。私は16歳からパン屋の小僧として働き、住み込み生活
で横浜東京等転々としてきたのですが、他と比べ約2倍でした。
村瀬さんが指導してきたのか、従業員は労働組合として組織され団体交渉
なども行ってきました。
市内に売店が40軒ぐらいあったのですが村瀬さんは売店組合として組織し
ました。
まだ当時苦しかった前進座が川越に来た時は座員を社内に泊まらせたり宣
伝に車を出しました。
村瀬さんが亡くなった時、葬儀会場に前進座の大きな旗が立っていまし
た。
村瀬さんの中国での写真を私は当時見ませんでしたが、公表したとき、
右翼がうるさく攻撃してきたと奥さんはのべておられました。(男性)
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
29、核兵器原爆の恐ろしさ、戦争の無意味さを今まで以上に痛切に感じた。又、政府・軍部・統率する部署等の真実を封じ込め、偽善というものは現実にあると強く思う。現在の世の中でも十分気を付けて見つめていきたい。
(男性・70代・市内・朝日新聞)
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける
死にきれないで暴れる「丸太」は、隊員がパーン、パーンと小銃で射殺した。やがてあたりが静まった。すべての「丸太」が処分されたのであった。
ところが、本当の意味での処理は、それからであった。
7棟と8棟の近くに、それぞれ大きな穴が1つずつ掘られていた。この穴に、直径15センチぐらいの丸い鉄棒が何本も平行に渡された。ちょうど、巨大なバーベキューの網のようである。
私たちは、2人1組になって各監房から「丸太」の死体を中庭に運び出した。運び出した「丸太」の死体は、鉄棒の上に並べられた。その上に、確か重油だったと思うが、燃料がぶちまけられた。火が放たれた。瞬間、赤い焔とともにもうもうたる黒煙があがった。
「丸太」はこうして、次から次へと、鉄棒の金網の上で焼かれていった。全部で200体くらいはあったのではないか。
・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験
黒龍江省人民による日本軍細菌戦の犯罪行為摘発資料の抄録
1944年から45年にかけて、安達に駐屯する日本軍は、偽県公署を通じて住民から生きた鼠とハタリスを集めた。住民は1戸につき1匹、学校では学生1人につき5匹だった。(第2完小の富康桂の証言)。この他雀、鳩、雉なども集めた。南部の洮南各地では、どの学校も1人につき2両(1両は50g)の獣毛を集めさせられた。また1943年、同地近くの家一並び(10数戸)につき犬1匹が割り当てられ、同年冬、佟家屯で1部屋いっぱいに積み上げられていた(呉殿有の証言)。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
2 日本陸軍、毒ガス研究に着手
陸軍科学研究所の設置と毒ガス研究の再開
同年(1925年)5月に化学兵器班は陸軍科学研究所第3部へと昇格し、初代部長の岸本綾夫少将は、今後3年で列強に追いつき追い越すという方針を掲げた(小柳津政雄「化学戦研究史」)。この時期の陸軍科学研究所は「はじめのあいだは毒ガスの研究に重点が向けられたので、他の方面はほとんど何の成果もあげてはいない」とされている(元陸軍中将長沢重五「新兵器研究の回顧」日本兵器工業会編『陸戦兵器騒乱』)。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却
この仕事に加わった服部忠さんの回想の中の一節を引用する。
蒸気タービンにつれて起重機が軽快に動き始める。全船員が注視する中、4つの毒ガスタンクが一緒に投擲台にあげられ、海に面し斜面に沿って、あっという間に海に滑り落ちていく。重苦しい『バシャッ』『バシャッ』という音と共に、白い波しぶきがはじける。
私は毒ガスという悪魔についてその誕生から成長の過程を目撃してきた。そして今、その最期を見届けたのである。感慨迫るものがあった。今までの17年間を振り返ると、あれほど大きな人力と財力をつぎ込み、あれほど貴重な物資を使ったのに、今、一瞬にして海に呑み込まれていくのだ」
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
細菌戦ー731部隊の蛮行
田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月 元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月 退職
1944年3月 元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月 元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月 逮捕さる。河北省永年県において
本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳
松花江(しょうかこう)流域の大都市として古くから知られている哈爾浜(ハルピン)の東端香坊(こうぼう)に、一本の道路がありました。中国人民はこの道路を殺人道路といって心から憎んでいました。
自動車で30分も走ると道路は次第に狭くなり、今までまっすぐに来た道路はここで急に曲がって平房(へいぼう)駅に向かっていました。この曲がった道の付近を注意してみると草の茂みの中に一本の道路があり、これが731部隊に通ずる道路でありました。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
第5 最近の『留守名簿』公開の意義
ここ1~2年731部隊関連資料の発掘・公開が進んでいます。2018年には3607人の「関東軍防疫給水部満洲第659部隊留守名簿」(731部隊)が公開されました。
「留守名簿」とは『悪魔の飽食』に表紙写真が掲載されその後、細菌戦裁判弁護団と支援者が厚労省と交渉して一部黒塗りの名簿が公開(2003年)されていましたが、15年後にやっと全面公開になりました。
また今年2月には西山勝男氏(滋賀医科大学名誉教授)によって、敗戦時、復員局が帰国した731部隊員から聞き取り調査をした撤退経路等の詳細を記した公文書「関東軍防疫給水部行動経過概況図」が発見され公開されました。
最近の731部隊関連資料の発見・公開は731部隊の真相研究にとって重要なものであり、現在の私達の『衛生学校記事』『化学学校記事』情報公開裁判は励まされました。
・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。
・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
自衛隊員が語る旧軍技術研究
だが、この他にも参謀本部や教育総監部の中にも幾つかの独立した臨時の研究機関が人またはテーマによって作られていたようであり、陸軍の研究行政について機能別にみると陸軍省の諮問機関として軍需審議会があるが、その他のは次のようなものがあった。
審査統括機関
兵器行政本部 航空本部 陸軍省整備局
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練
Ⅳ
そして、天皇はふたたび躍起となって海上決戦の決定的勝利を求めた。
"
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する
海面水位はこれからどうなるか
1923年の関東大震災では、【図38】の通り、房総半島南端が4mも高くなり、丹沢山地が1m低くなった。これらはm単位の変化である。
過去70万年間の変化は、【図39】の通り、大西洋の堆積物の酸素同位体から求めた古氷河量の変化は10万年周期で温暖化が起こったことを証明している。そしてこの温暖化と寒冷化のピーク時期を比較すると、相対的海面水位に換算して120mも周期的に変化してきた。
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核兵器禁止条約
目的と特徴
この条約の目的は、核兵器の全面廃止と根絶である。ただし、平和目的での原子力の保有は禁じていない。前文において被爆者の苦痛に対する憂慮と共に国際人道法と国際人権法の原則が、核兵器廃絶に関して再確認されている。
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?
中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!
ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!