731を問う!!
2020年3月8日日曜日
細菌戦の系譜!!
●東京の水と空は大丈夫?(横田基地問題)
●パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!」
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●『ヒロアカ』騒動で集英社がお詫び(731部隊の新資料)
●ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
●核なき世界へ 映画「ひろしま」
●ABC企画委員会パネル展2019中野
●南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記
有機フッ素化合物の汚染を知る学習会
731部隊の行なった細菌戦
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●日本は、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?ソ連(今のロシア)や中国なども研究しているだろう。
生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
世界で「非常に高い」に引き上げ WHO、新型ウイルスのリスク
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
この新型コロナウィルスはどこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・
新型ウイルスで「陰謀論」 米高官、ロシアが偽情報流布と警告
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
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クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号はカジノ船。
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-03-06)
●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)
4. 展示見ず、731部隊の講演のみ参加、大変詳しく話され、問題意識が深められました。(男、70、市内、「ひろしま」でチラシ)
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
41、あらためてゲンバクの恐ろしさを知りました。私が3才の時の事、その時は何もわかりませんでした。大きくなるにつれて、親達やまわりの人達の話で、少しずつ分かったこと、「内地で大変なことが起こった」北海道の上砂川で生まれ育った私には、余りわからず「ピカ・ドン」と云う言葉が覚えやすかった。学校で集団で「原爆の子」を見に行き初めて、遠いところでこんな言葉に言い尽くせない程、びっくりしこわかった(北海道弁です)。77才になった(もうすぐ78才)今日、新聞で知り「ひろしま」を拝見し、いつ、何が起こってもおかしくない世界。戦争は嫌です。やめましょう。ありがとうございました。
(女性・70代・川崎市・朝日新聞)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F
いつもとは違う「出張」命令
我々は、降りてきた人間を見て、アッと驚いた。将校も軍属も兵隊も、全員が731部隊の人間ではないか。総勢200名くらいはいたろうか。50名ほどの将校(主として軍医)、20名ほどの兵隊、そして残りは、各研究班や写真班その他雑用係も含めて、軍属である。
平房の部隊本部から全行程を車で来たというからには、ひょっとしたら我々よりも早く出発したのかもしれない。しかし、部隊では、全くそのような動きは感じられなかった。
総指揮は、細菌専門のI軍医大尉がとっていた。何をしようというのだろうか。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第11章 今も続く毒ガスの被害
松花江にも毒ガス砲弾
チェーンを使ってポンプの蓋を外すと、泥水がどっとあふれ出て、からし粉のような魚のような異臭が広がった。彼らのうち数人はその臭いに目まい、目のかすみ、吐き気を感じた。甲板に出て少し風に吹かれ、顔をはっきりさせて見たが、目は赤く腫れ、涙が止まらなかった。作業に差し障るので、再び機関室に戻り故障の処理をした。肖慶武さんは布靴をはいただけの足で水に浸かり、ねじ回しで水中をさぐり、ようやくポンプの中に砲弾を見つけた。砲弾の頭部は既に回転翼で破壊され、中から黄色の気体が立ち昇り、流れ出た黒色の油液がポンプの内の水面に浮いていた。李臣さんは腕をまくり上げ、ポンプの水中から砲弾を取り出し、劉振起さんに手渡し次の部屋に運ばせた。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
ハルピン市人民政府公安局の第731部隊の状況に関する調査資料(1954年3月15日)
三、解剖室と焼却炉の調査
ただ、張朝清ら受刑者の供述を照合した結果では、ロの字形の建物の北側が解剖室で、西北端が焼却炉であった。張、裴両受刑者はこの焼却炉で馬を焼くのを目撃し、人を焼く悪臭がしたと供述している。双城県周家屯の楊維昌(同工場で働いたことがある)は「彼らの焼却炉を見たことがあるが、大きな鉄のロッカーのようで、ロッカーには鉄の箱がたくさんあり、ちょうど人間1人が入るようになっていた。石油をかけてから炉を閉めて焼いたのだろう」と語っている(告発資料参照)。現地の人々の報告では、以前はいつも731部隊の細菌工場から出る煙の臭いがしていた。人を焼く臭いで、特殊な煙の色をしていたという。同工場で長期間働いた傳景奇によると、「煙突からいつも黄色い煙が立ち昇り、風下で嗅ぐと吐き気がした」とのことである。(1)119-2 85、3、第24号
70年間の沈黙を破って
―ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の2010年総会における謝罪声明
(付)追悼式典におけるDGPPNフランク・シュナイダー会長の談話
「ナチ時代の精神医学―回想と責任」(邦訳)
岩井一正
ナチ時代の精神障害者の安楽死活動については、会長講演にもあるように、1980年初頭から本格的に研究されはじめた。我が国では1987年に伊東が先駆的にこの事実を指摘したあと、コールティンクが当時の状況や背景を含めた調査を紹介し、また現代の安楽死の扱いにも関連づけて、アクチュアルな警告を発した。そして1995年には、小俣による精密で網羅的な研究が提示された。これによってナチ時代の精神医学の犯罪性は今日では我が国でも十分知られるところとなっている。その水準から見れば、今回の学会表明に目新しい事実は含まれておらず、意義はあくまで、学会が70年の沈黙を破ってはじめて事実の責任を自らに引き受け、患者・家族に謝罪したことにおかれよう。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
4月23日14:00~東京地裁419号法廷
”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?
4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?
次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●「化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
3 自衛隊における人体実験の疑念
自衛隊の赤痢菌検査の疑惑
「本剤服用開始後約4週間を経過した6月下旬、真正剤服用者群に所属していた隊員のうち28名が野営訓練により野外集団生活を行なった。そのうち1名が6月29日朝から下痢7回(膿、粘血便)を訴え、赤痢の疑いで直ちに隔離入室させ、翌30日、この28名について全員検便を行なったところ、この下痢患者のほかにさらに2名の保菌者が発見された。検出菌は該患者及び保菌者とも赤痢菌B群3aであった。この28名は同一の食事をとっていたものである」
28名の者が同一食事をとり、野営訓練により野外集団生活をしているということは、彼らがどこまで赤痢菌に曝露されたかということと関連してくる。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
V
おそらく、東郷はハルの覚書の精神には、アメリカ的な植民地主義の傲慢な性格があることに気づいていた。抽象的な諸原則に基づくアメリカの強硬姿勢に、東郷は、他の者と同様に安堵していた。なぜなら、「ハル・ノート」はまさに日本がこれから行おうとしていることの道義的な責任を免する口実となると感じていたからである。かくして、彼らはアメリカ政府が日本に自衛戦争を選ぶことを余儀なくさせた。われわれはみずからの意思によって行うのではない、戦争への引き金を引いたのは「ハル・ノート」である。今後このアメリカの文書でそのことを証明しようではないか。そうした主張もできることになったのである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代
最大の影響を与える太陽の活動
そこでスヴェンスマルクは、その理由として、「太陽が活発化すると、噴出する太陽風(プラズマ)が強まり、その太陽風によって地球に降り注ぐ宇宙線がさえぎられる。宇宙線が減ると、雲が減り、地表の温度が上昇」と説明した。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
核実験の探知
東西冷戦中には、アメリカ合衆国が地下核実験の探知を目的として世界中に地震計を設置した。おもにソビエト連邦が実施した地下核実験によって生じる地震波をとらえた。いっぽう、核実験実施国も自然地震と見せかけるために巧妙な核実験を行った。たとえば爆弾を並べて短時間に順に爆発させていき断層破壊と偽ったり、2発の爆弾を短時間に続けて爆発させ自然地震特有のpP波に似た波を発生させたりしていた。
このような経緯で設置された地震計は、現在では純粋に地震学の分野で大きく活用されている(たとえば地震波トモグラフィー)。
なお、地震計による核実験探知については、ブルース・A・ボルト著『地下核実験探知』に詳しく記してある。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?
中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!
ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
2020年3月7日土曜日
細菌戦の系譜!!
●東京の水と空は大丈夫?(横田基地問題)
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日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
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731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?ソ連(今のロシア)や中国なども研究しているだろう。
生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
世界で「非常に高い」に引き上げ WHO、新型ウイルスのリスク
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731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
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新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
「夏になれば自然終息」は間違い WHO、過度な期待を戒め
安倍総理の「茶番会見」の真相を明かす官邸メモの存在 質問者、質問の順番も決まっている
首相「独断」に与党不満 新型コロナ対応、根回し足りず
新型コロナ騒動の裏で行われた、国家安全保障会議の「驚くべき中身」
大阪で新たに13人の感染確認 ライブハウス感染止まらず
「個別の…」36回リピート 法相、定年延長の説明拒否
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-03-06)
●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)
3. 100部隊が印象的。
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
40、友人は胎内被曝で亡くなりました。2度と2度と起こしてはいけない。戦争は生きる権利を失わせる。
(女性・80代・市内・朝日新聞)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F
いつもとは違う「出張」命令
我々は、1週間で、命令通りの設営を終えた。苦力は、手間賃を払って、帰した。出来上がった野営地は、ほぼ、前ページの図のようなものである。
ちょうど1週間後。下の方から、轟々たるエンジンの音が響いてきた。「本隊が来たぞ」と全員が待ち構えていると、将校用乗用車が1台、先頭にやって来た。それから100メートルほどの間隔をおいて、トラックが続く。幌でスッポリと覆われている。また、100メートルぐらい間があって次のトラック。トラックの列は、まだ続く。全部で14、5台のトラックが登って来た。濾水機搭載の中型給水車も1台、加わっている。車輌はすべて、野営地内に入り、空き地に分散して停車した。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第11章 今も続く毒ガスの被害
松花江にも毒ガス砲弾
10月20日午前1時10分頃、船底の泥吸い上げポンプが突然、ガラガラ、ガラガラという物がぶつかる大きな音がした。かなり大きな物を吸い上げたに違いなかった。船員たちは高圧の泥排出用のパルプで20分以上、押し出そうとしたが、詰まったまま。450馬力のディーゼル機関までが止まってしまった。作業中の船員たちは泥の吸い上げポンプに異物が詰まったと思い、2級機械工のベテラン、肖慶武さんが2人の弟子にあたる李臣と劉振起さん及び実習生、呉建寧さんとともにポンプを分解して中を調べた。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
ハルピン市人民政府公安局の第731部隊の状況に関する調査資料(1954年3月15日)
三、解剖室と焼却炉の調査
1950年11月2日の『松江日報』に掲載された「60里地国境線」という記事に、「この工事地区の測量に加わった日本人技師の伯木仁の話によると、地区内はかつて極めて厳重に封鎖され、場内に入る場合、4つの検問所を通らなければならなかった。見知らぬ人間であれば、意図的であろうとなかろうと、この地区に足を踏み入れれば即座にあの世行きであった」とある。そのため、この工場に近づこうとする人は無く、人を解剖あるいは焼却するところを実際に見た人もいない。
70年間の沈黙を破って
―ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の2010年総会における謝罪声明
(付)追悼式典におけるDGPPNフランク・シュナイダー会長の談話
「ナチ時代の精神医学―回想と責任」(邦訳)
岩井一正
追悼式典の中心におかれたのは、DGPPN会長のフランク・シュナイダー(アーヘン工科大学医学部精神科教授)の追悼講演であった。これについては、以下に全文を訳出した。この講演の前後には、報道談話や、あらたな事実解明のために選抜された国際的委員会の委員による第3者的な立場からの講演も配置された。また学会会期中、ロビーでは1999年のハンブルクのWPAではじめて催された「回想」の展示が発展形で再現された。主催者は長年この問題に取り組んできたクラナッハ教授である。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
4月23日14:00~東京地裁419号法廷
”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?
4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?
次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●「化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
3 自衛隊における人体実験の疑念
自衛隊の赤痢菌検査の疑惑
ところが、「観察所見」(1)で、「偶然」投与コースの途中で「赤痢患者若干の発生があり」と書かれているように、研究が成立するための条件であった赤痢患者が、まるで天恵のように「偶然」発生するのである。これが第2の疑問である。これについて、論文は「観察所見」(3)「赤痢患者の発生と、それによる効果判定」の項で次のように書いている。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
V
この「ハル・ノート」―戦後の日本で使われるようになった用語―は27日に東京に届いた。東条は、連絡会議の席上で、ワシントンが「最後通告」を出してきたと述べ、アメリカの反応を誤って伝えた。もちろん、東郷はハル・ノートが、実際には最後通告ではないとわかっていた。というのは、それは「試案」と銘打っており、その諾否について回答期限を設けていなかったからである。しかし、この点について東郷は沈黙を続けた。のちに、枢密院のなかでもハルの覚書は、その標題からして、アメリカの最後通告と見なすことはできないのではないかとの指摘をする者もいた。この指摘を東郷はまったく無視した。ほどなく東郷は開戦に同意する。東郷は11月初めにも、アメリカに蒋介石支援をやめせよう、という陸軍の要求に同意していた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代
最大の影響を与える太陽の活動
同書ではもう1つ、1998年にデンマークの科学者へリンク・スヴェンスマルクが提唱し、実証した興味深い説が紹介されている。それは、過去の観測から【図24】のように黒点が増えると宇宙線が少なくなる。そして【図25】のように宇宙線と地球上の雲の量の変化がぴったり合う。この2つのグラフを合わせると、黒点が増えると、雲の量が減る、雲が減ればあったかい、という明快な事実が分かる。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
朝鮮民主主義人民共和国
詳細は「北朝鮮の核実験 (2006年)」、「北朝鮮の核実験 (2009年)」、「北朝鮮の核実験 (2013年)」、「北朝鮮の核実験 (2016年1月)」、「北朝鮮の核実験 (2016年9月)」、および「北朝鮮の核実験 (2017年)」を参照
・1986年3月、アメリカの偵察衛星が北朝鮮の核施設のある寧辺を撮影、高性能爆発実験の痕跡を示す幾つかの円筒状のクレーターを発見。
・2006年10月9日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で初の核実験。
・2009年5月25日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で2回目の核実験。
・2013年2月12日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で3回目の核実験。
・2016年1月6日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で初の水爆実験。しかしこの実験の水素爆弾というのは疑わしい見方も多い。
・2016年9月9日 5回目の核実験。
・2017年9月3日 6回目の核実験。北朝鮮は「水爆実験」と主張している。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?
中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!
ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
2020年3月6日金曜日
細菌戦の系譜!!
●東京の水と空は大丈夫?(横田基地問題)
●パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!」
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●『ヒロアカ』騒動で集英社がお詫び(731部隊の新資料)
●ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
●核なき世界へ 映画「ひろしま」
●ABC企画委員会パネル展2019中野
●南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記
有機フッ素化合物の汚染を知る学習会
731部隊の行なった細菌戦
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●日本は、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?ソ連(今のロシア)や中国なども研究しているだろう。
生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
世界で「非常に高い」に引き上げ WHO、新型ウイルスのリスク
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
この新型コロナウィルスはどこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・
新型ウイルスで「陰謀論」 米高官、ロシアが偽情報流布と警告
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
外務省、韓国全土を渡航自粛に引き上げ
<新型肺炎>県内初のヒト―ヒト感染、埼玉県職員と武南署の警官が感染 県と県警、濃厚接触者を調査
休校対応丸投げ、学童職員の悲鳴「1日11時間勤務、もう限界」。新型ウイルス対応で
批判続々の検事長「定年延長問題」 永田町をざわつかせた高市早苗氏の“正論”
河井夫妻と自民党の大誤算「黒川検事長の定年延長は効果なかった…」〈週刊朝日〉
河合案里議員負債のスマホ押収、抵抗も
憲法9条を持つ国にこんなものが必要か???
世界初のリチウムイオン電池搭載の新潜水艦「おうりゅう」が海上自衛隊に引き渡し
加計“入試差別”文科相が事実確認求める
萩生田文科相「大学に確認中」 「加計」獣医学部「韓国人面接一律0点」報道
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-02-28)
●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)
2. 日本の戦後教育の中で全て正確なことを伝えていない。侵略行為について数少ない機会しかないがヒモ解いていくことが必要と思っている。日本人(当時の政府?)なのか、明治維新以降、勝ち組となった長州勢の傲慢行為なのか、結果どえらいこと世界に示した日本の[][][]つぶさな歴史を学ぶことが、世界の人々と会話する最低限のマナーだろう。(男、60、市外、偶然)
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
39、映像が少し暗くて見にくかった。今まで見た広島(原爆)に関するものと違い事実に沿わせているいるのだと思った。1953年にも既に多くの市民が参加して製作したのは驚きです。
(女性・50代・市内・?新聞)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F
いつもとは違う「出張」命令
この木造棟を5、6棟作った。これは、将校・下士官用のものである。将校の場合、ふつう1人2畳のスペースは必要だから、荷物置き場を除いて、1棟に約10人収容ということになる。さらに、その背後に、天幕を張った。数は、10~12ぐらいだったと思う。いずれも間隔は20~30メートル離れて、いわゆる「千鳥」に張られている。これは、砲爆撃で一挙に全滅しないための、鉄則である。
苦力を入れても、わずか15名余りで、これだけのものを、一週間で作り上げるのは、骨の折れる作業だった。しかし、軍隊では、命令されれば、たとえ槍が降ろうが雨が降ろうが、言われたことは、やり遂げなくてはならない。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第11章 今も続く毒ガスの被害
松花江にも毒ガス砲弾
1974年、松花江下流のジャムス市の港湾の西ドッグ入口は長年の泥砂の堆積によって水深が十分でなく、船の出入りが不便であった。1974年10月18日、黒龍江省航道管理局工程処の「紅旗」09号は浚渫作業を行なうため、ジャムス西港、通江街のドッグ入口に到着した。これは吸い上げ式の浚渫船で、35人の船員が乗り組んでいた。王希善船長は経験豊かなベテランで、乗組員を3班に分けて交替で作業に当たらせ、機械は休みなく働き順調だった。作業開始後、30時間を過ぎた頃、王船長は思った。初雪も降って随分寒くなってきた。作業はしにくくなるが、今の調子でいけば、10日ほどで終わるだろう。次の封江に移る前にハルピンにゆっくり戻れるぞ・・・・。だが、その時、思いもかけない事故が起こった。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
ハルピン市人民政府公安局の第731部隊の状況に関する調査資料(1954年3月15日)
二、ハルピン監獄の労働改造(強制労働)受刑者の供述要旨
両受刑者の右の供述と図を照合した結果、ロの字形の建物の中央にあったのは7,8棟の建物で、我が国の愛国人士を監禁する監獄に他ならなかった。ロの字形の建物本体には第1班(大量生産班)、第3班及び太田、小林技手らの研究室があり、用途不明の建物は解剖室であった。ロの字形の建物の西北端の炉は人を焼く焼却炉だった。田中班、石井班が飼育していた動物は、いずれも細菌を培養するために使われた。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
略年表
1944年5月9日
神経病理学者のユリウス・ハラーフォルデンはブランデンブルグ病院で殺害された697人の患者の注文済みの脳を受け取った。
1944年夏ー秋
メンゲレがアウシュヴィッツからベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所へ大量の「科学資料」を送った。
1945年5月8日
ドイツ降伏。
1946年12月9日ー1947年7月19日
ニュルンベルグ米軍第1法廷で、強制収容所、研究所での人体実験や安楽死を計画実行した23人の医師、SS将校、官僚に対する裁判(「ニュルンベルグ医師裁判」)が行われた。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
4月23日14:00~東京地裁419号法廷
”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?
4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?
次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●「化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
3 自衛隊における人体実験の疑念
自衛隊の赤痢菌検査の疑惑
もとより、2人の保菌者は隔離して治療しているが、この実験が成功するために集団の中に赤痢患者発生するというのが必須の条件である。(最初の検便によって2人の保菌者を発見したということが、偶然によるものであるということは、全くこの研究計画とは無関係である。)その証拠に、「薬剤服用1か月及び2か月を経て総員の検便を行なったところ、真正剤服用者群及びプラセボ服用者群の双方において、全て陰性であったので、両服用者群の効果比較はできないことになった」と書いていることでもわかる。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
V
第二部は「合衆国及日本国間の基礎概略措置」と題され、日本がさきに提出した暫定協定についてはまったく触れていなかった。それは、日本に「支那及び印度支那より一切の陸、海、空軍兵力及び警察力を撤収」することを要求していたが、同文書中、全部で六ヵ所に用いられていた「CHINA」が、具体的にどの地域を示すのかは、定義されていなかった。
また、満州についてもなんら述べてはいなかった。交渉の始めから、ハルは当初、スティムソンがとった不承認主義を放棄していた。同じく重要なことに、ハルは撤退の最終期限を明記していなかった。その一方で、同文書はアメリカ合衆国は蒋介石国民党政府以外のいかなる政権も支持しないことを、きわめて明瞭に述べていた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代
最大の影響を与える太陽の活動
2010年に発刊された最新の本では、太陽研究の第1人者である柴田一成氏が書いた『太陽の科学 磁場から宇宙の謎に迫る』(NHK出版)という本に【図23】のグラフが出ている。彼は勿論、CO₂温暖化説を批判している。図にあるように、先の朝日新聞引用グラフと違って、マウンダー極小期(ミニマム)には、地球の気温がガクンと下がっている。これが正しい。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
パキスタン
詳細は「パキスタンの核実験 (1998年)」を参照
・1998年5月28日・30日 チャガイで初の原爆実験。5月30日の原爆実験はプルトニウム型である事が判明しており、北朝鮮の代理核実験である可能性が高い。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?
中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!
ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
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