731を問う!!
2020年1月19日日曜日
細菌戦の系譜!!
●小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
●核なき世界へ 映画「ひろしま」
●知っていますか?「731部隊」
●ABC企画委員会パネル展2019中野
●第5回三多摩平和交流会2019
●パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
核なき未来へ(森川聖詩)
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代
グラフがどうして右肩上がりになったかと言えば、このニュージータランド気象庁は、過去の温度を『調整した」のだという。つまり【図12】のように、左端のオークランドから始まる7か所の測候所の気温が、矢印分だけ調整されていた。気温とは、測定した後、猿知恵を働かせて調整するものらしい。上昇している6か所における100年間の調整分を、オリジナル・データから私が計算してみると、平均0.71℃も引き上げられていた。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
アメリカ合衆国
マーシャル諸島での核実験
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
・ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。
・日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百〜千隻の漁船が、死の灰で被曝した。
・240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。
・ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
日米安保60年、変容迫られる トランプ氏「不公平な合意」
同盟深化も「トランプ・リスク」 日米安保、19日で改定60年
上海や広東省でも3人が新型ウイルス肺炎感染か 香港メディア
伊方3号機運転差し止め 活断層「否定できず」―仮処分の即時抗告審・広島高裁
地元広島の自民議員からも 河井夫妻へ渦巻く不満 「説明責任」を 離党勧告促す意見も
“雲隠れ”菅原前経産相 週明け疑惑を説明へ
招待者名簿「未記載」認識から報告に3週間 桜を見る会
東大合格者数で渋幕を超えられない……県立千葉高校出身の神童は安倍政権を支え、揺るがしていた
軍事費にお金をかけるな!!
海自 音響測定艦「あき」進水 世界的レア艦種 潜水艦や護衛艦の活動に超重要な理由
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-01-17)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
●読者から寄せられた記事
タイトル:
戦争とは金の陰謀だという事です。中央銀行がロスチャイルドの手に堕ちていない国は、戦争を仕掛けられ支配されている
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
********************
あなた方が解っていないのは、戦争とは金の陰謀だという事です。中央銀行がロスチャイルドの手に堕ちていない国は、戦争を仕掛けられ支配されているのです。
リビアもアメリカ(NATO)の軍事介入で、最高指導者カダフィが殺害されます。
非人道的な独裁者だと宣伝されたカダフィでしたが、リビアは教育は大学まで無料。
健康保険も無料。
職に就けない者には住宅を提供していた、という人道的な国家であり
カダフィはアフリカの英雄でした。
そして、これらの国の中央銀行は、ロスチャイルド家の支配下になったのです。
更に、スーダン、パキスタンも支配され、
残るは、シリア、イラン、北朝鮮、キューバ、となっているのです。
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
105.2枚目です。「神奈川県の毒ガス地図」がとても良い資料なのに手書きの文字が読みにくく残念でした。せめてパソコンの文字を打ち出して、張る様にされると良いのではないかと思います。松代大本営の内容をもう少し深めると良いと思います(沖縄戦との関連など)(女性、50代)
●なかのゼロ(「過去からいま 未来をつなぐ」展
12月14日(金)の感想
・山内さんの話は、とても具体的でよかった。(女性、80代、鎌倉)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
私たちは、引揚列車に、調査課図書室から貴重な医学書を持ってきていた。ドイツ語のものも多かった。敗戦の報とともに、それらを焼却することになった。まず、本に捺されている「石井部隊蔵書」という印を注意深く破り取り、それから焼くのである。それでも日本にないだろうといわれるほど貴重な書物は、I課長が焼かずに携行したようだ。
列車を運転していた満鉄の中国人機関士は、もう列車を走らせないという。彼をなだめたり、おどしたりしながら、南下を続け、18日に京城(ソウル)に着いた。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第9章 戦犯の証言
戦犯たちの戦後50年
雨宮健治は1954年8月15日の供述で、他に山東省費県、河南省の新鄭においても毒ガス使用に参加したことを証言している。
「・・・・1944年5月初旬、河南省新鄭の城内の、第12軍戦闘指令所で、軍司令・内山栄太郎中将は27師団、67師団、110師団、戦車第4師団、騎兵第4旅団(旅団長藤田茂少将)及び飛行隊に命令を下しました。戦車第4師団は県の郊外、西門の外の、塹壕内にいる抗日軍200名及び一般民衆約100名をひき殺し、あるいは射殺しました。臨汝鎮南石大街の付近の川岸において、騎兵が抗日軍約700名(死体は約500体)及び一般民衆約400名を斬殺あるいは踏み殺しました。禹県の付近において、抗日軍娘子軍部隊(女子部隊)約200名を捕らえました。その他、67師団は禹県の付近で毒ガス「あか筒」20個を放ちました。」
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
5、石井四郎という人物
このほか、千代田村加茂は片倉製糸会社と特別な契約を交わしていて、石井家が片倉製糸会社の事務所になっていた(敗戦まで)。片倉会社が繭を買い上げる時も、又肥料を売る時も、石井家を通じて行われた。片倉製糸会社と石井家がなぜそうした根強い結びつきがあったのか分からないが、こうした軍事独裁者と独占資本の関係は、まさにスターリン同志が言っている通り、資本主義の基本的経済法則の特徴と要求を具体的にあらわしたものであろう。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■ヘルマン・フォスの日記
「今日わたしは上級検事のハイゼ博士と解剖研究所の死体調達について興味深い話し合いをすることができた。ケーニスベルグもブレスラウもここから死体の供給を受けているという。3つの研究所を全部まかなうことができるほど多くの処刑が行われているのだ。」
(1941年9月30日)
「解剖教育には約60名の学生が参加した。使われた死体は19体だった。そのうち7体ははポーランド時代のもので、残りはほとんど全部が処刑者で、死後数時間以内にフォルマリン注射されたものだった。ふつうの筋肉、関節の標本のほかに、胸部組織、腹部組織、性器の標本も作成された。処刑者の組織標本は、わたしがこれまで標本室で見たことがないほどすばらしいものだった。」(1942年3月10日の日誌)
「日曜日にV.H.氏(標本製作官のヒルシュハイトのこと―編者)がわたしに話してくれたところによれば、彼は土曜日に、あるユダヤ人の若者の死体から数匹の虱(しらみ)をもらったという。ウィーンの人類学博物館のためにユダヤ人の頭のギブスの型がとられたからである。これはすばらしいメッセージだ。ここに供給されるユダヤ人の死体はしばしば発疹チフスで死んだ死体だからだ。」(1942年5月19日)
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
また、『化学学校記事』16号が存在するのだから、正直に防衛省はそれを認め、その他の全ての『化学学校記事」を公開すべきだ!!
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
装備・訓練の実体は
自衛隊教範(14-2-3、14-4-2)から化学兵器の幾つかを紹介してみよう。
〔応急手当〕
クロルアセトフェノン蒸気は強く眼を刺激し、気温が高い時は、皮膚を刺激するかもしれない。患者を風に当てるため、非ガス地域へ運び出す。患者に眼をこすらせないようにする。症状が悪化した場合は10%重炭酸ソーダアルコール溶液(50%アルコール使用)で皮膚を洗う。硼酸溶液又は水で眼を洗う。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
Ⅲ
翌6日の午前9時40分、御前会議の20分前に、昭和天皇は木戸を呼び、御前会議でいくつかの質問をするつもりであると話した。これに対し木戸は「御疑問の重要なる点は原〔嘉道〕枢相に於て質問すべき筈」であると答えた。そのうえで木戸は、「最後に今回の決定は国運を賭しての戦争となるべき重大なる決定なれば、統帥部に於ても外交工作の成功を齎(もたら)すべく全幅の協力をなすべしとの意味の御警告を被遊(あそばされる)ことが最もしかるべきか」と奉答した。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2020年1月18日土曜日
細菌戦の系譜!!
●小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
●核なき世界へ 映画「ひろしま」
●知っていますか?「731部隊」
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●第5回三多摩平和交流会2019
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日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
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●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代
トリックの実例を見よう。日本の気象庁に相当するニュージーランドのNIWARは、IPCC第4次評価報告書を執筆した権威の1つだが、これまで【図10】のグラフを公表してきた。本書冒頭に示した【図2】と同じように、過去156年間の気温、20世紀に入ってから一直線の上昇を示している。地元の科学者たちが、スキャンダル発覚後にオリジナル・データを調べたところ、実際の数値は【図11】であり、気温は上下に変動しているだけで、全く上昇していなかった。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
アメリカ合衆国
ニューメキシコでの核実験
1945年7月16日にアメリカ合衆国がマンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)では、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させた。
・爆発で火球の中に舞いあげられた砂漠の砂が溶けて液体になって降り積もったガラス質の緑色鉱石(トリニタイト)が生成され、今なお中レベルの放射能を帯びている。ほとんどは1952年に埋め立てられ、持ち出し禁止になっている。
・実験から50年以上が経過した現在でも、実験場跡地では通常環境の約10倍の残存放射線が検出される。
詳細は「トリニティ実験」および「マンハッタン計画」を参照
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
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20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
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●ニュース
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都合が悪いと「書類がない」と開き直る安倍政権
「桜を見る会」の実態を知らなかったからこそ立ち上がった問題意識ーーしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長との対談を振り返って(第2回)
招待者名簿「未記載」認識から報告に3週間 桜を見る会
【中継録画】「桜を見る会」野党追及本部が24回目のヒアリング
リニア水問題 従来議論、前提にせず 国交省、県に専門家会議設置を提案 知事「とんでもない」
加計学園裁判、前川喜平氏の証人認めず 原告側は「裁判官忌避」申し立て
前法相夫妻の説明責任 まったく果たしていない
広島地検、河井夫妻秘書一斉聴取 報酬支払い担当の違法性認識捜査
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-01-17)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
●読者から寄せられた記事
タイトル:
戦争とは金の陰謀だという事です。中央銀行がロスチャイルドの手に堕ちていない国は、戦争を仕掛けられ支配されている
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
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あなた方が解っていないのは、戦争とは金の陰謀だという事です。中央銀行がロスチャイルドの手に堕ちていない国は、戦争を仕掛けられ支配されているのです。
当然この仕組みはFRBの株主達にとんでもない富をもたらしており
1974年にロックフェラー家の一人
ネルソン・ロックフェラーが公開した資産は
なんと6400憶ドル(約70兆円)でした。
そしてその後も彼らは世界中の中央銀行を彼らの支配下に置いていきました。
いったいどうやって?
2000年当時、世界で中央銀行が無い、あるいは、中央銀行が
彼らの支配下に置かれていない国は、この9つでした。
アフガニスタン、イラク、リビア、スーダン、シリア、イラン、パキスタン、北朝鮮、キューバ
まず、イラクは大量破壊兵器を持っているとイラク戦争を起こされましたが
イラクは大量破壊兵器は持っていなかったのです。
イラク市民は「フセイン時代は平和で安定していて良かった」と言っています。
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
104.被害はいつも思い出したい(原爆、空襲等)が、加害からは目を背けたいという日本人。戦争の総括をきちんとしていないことが大きく悪影響として表れている。”あの戦争は正しかった”など、あり得ない、有ってはならない。安倍政権が集団的自衛権の行使を可能にし、安保法制、共謀罪等の成立、戦争に近づく、好戦的な政権で本当に危惧しております。スタッフの皆様、誠にありがとうございました。今後も展示を継承していただけますよう。お願いします。乱筆で申し訳ございません。(女性、50代)
●なかのゼロ(「過去からいま 未来をつなぐ」展
12月14日(金)の感想
・映画「ひろしま」、かつて「原爆の子」や「黒い雨」等、観た時以上のリアリティを感じました。この作品が日教組によってしかも1953年に作られたものとは!本当に当時の組合の存在の重大さ・意味を再認識、今は“日教組のみならず労働運動は何処へ?・・・”の感ですが“被爆の地獄図”を生々しく再現した監督の力量、又それに応じて出演した俳優、エキストラ(?)の子どもや市民に心より敬意。再び戦争の危機が世界中に広がり、中でもアメリア追従の日本政府が今や自衛隊を武器を持って海外へ浸出させようとしている時、この映画が1人でも多くの人に目に触れますように。
パネル展示、内容がとても充実していますね。準備を重ねてまたご苦労がしのばれます。ありがとうございました。乱筆の感想お許しください。(女性、70代、中野区)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
その日のうちに(あるいは翌日かもしれない)、私たちは引揚列車に乗って平房を撤退した。最後まで残った写真班員2、3名、それにI調査課長も一緒だった。
有蓋貨車に詰め込まれた私たちは、通化(トンホウ)を通って朝鮮に入り、金日成の生まれた町という江界(カンケ)に着いた。8月14日の夜だった。
江界で一泊した私たちは、翌日、そこで日本の敗戦を知ったのだった。町には《民主朝鮮万歳》の文字が躍っていた。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第9章 戦犯の証言
戦犯たちの戦後50年
雨宮健治は1954年8月15日の供述で、他に山東省費県、河南省の新鄭においても毒ガス使用に参加したことを証言している。
「1943年2月上旬、第32師団の『魯中作戦』で、山東省費県石荘山において、抗日の国民党根拠地殲滅を目的に、第32師団の主力が進攻した際、第210連隊の山砲隊は、山上の陣地に向けて砲弾約20発(うち催涙ガス弾が約5発)を発射、爆死と毒死した抗日軍兵士150名に達しました。私は第210連隊1大隊第1重機中隊第2分隊長の軍曹で、分隊員10名を指揮し、抗日軍の退路を断ち、撤退する敵を重機関銃で撃ち、20名を射殺しました。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
5、石井四郎という人物
戦争に敗れる時まで、石井の郷里の加茂及びその付近の村の人々、とりわけ石井から経済的「恩恵」を受けた人たちは石井を偉大な科学者として尊敬し、感謝していた(私の家族も例外ではない)。石井一門と、目先のわずかな利益にとらわれて国際的犯罪に加わった人々の間の封建的な結びつきは非常に根強いものだった。それは支配階級に反抗する階級意識を麻痺させ、そして革命勝利後に人民の制裁を受けるであろうと人々は、自分が革命勢力の一部であるにもかかわらず、反革命の泥沼に陥ってしまったのである。それは、当然想像しうることだった。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■ヘルマン・フォスの日記
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
また、『化学学校記事』16号が存在するのだから、正直に防衛省はそれを認め、その他の全ての『化学学校記事」を公開すべきだ!!
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
装備・訓練の実体は
自衛隊教範(14-2-3、14-4-2)から化学兵器の幾つかを紹介してみよう。
M7A1型CN催涙手榴弾
暴徒、群衆の制圧、ならびにその他の暴動及び部隊の訓練に使う。催涙剤はクロルアセトフェノン、砂糖、塩素酸カリ、重炭酸カリ、及び珪藻土(けいそうど)が約12オンス充填されている。擲弾頂上部に2秒延期信管M201が取り付けられている。燃焼時間は約45秒。発射補助筒を使って小銃発射することができる。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
Ⅲ
昭和天皇はまた、けっして政策に満足していなかった。9月5日の報告で、天皇は杉山や陸軍統帥部全体に対する苛立ちをあらわにし、統帥部とは異なる戦略思考を持てることを示した。さらに四日間にわたり両者の相違が明らかとなるにつれ、昭和天皇は世界情勢さまざまな可能性に満ちており、この段階で戦争を正式に決定することは時期尚早であると警告するようになっていた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2020年1月17日金曜日
細菌戦の系譜!!
●核なき未来へ(森川聖詩)
●核なき世界へ!! 映画「ひろしま」
●知っていますか?「731部隊」
●ABC企画委員会パネル展2019中野
●第5回三多摩平和交流会2019
●パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
核なき世界へ!! 映画「ひろしま」
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代
マイケル・マンたちは、あろうことかこの山と谷をきしてしまい、平らに削ってスティックの真っ直ぐな握り棒に変えて、最後の部分だけが「異常な気温上昇だ」と叫び始めたのだ。世界中がそれを信じたのだから、新興宗教まがいの科学崩壊の恐ろしさはここにある。
そのトリックについて「うまくだました」とはしゃぐメールが大量に流出し、当人たちがそれを認めたのだから、クライメートゲート事件であった。IPCC司令塔CRUの所長フィル・ジョーンズが、ホッケー・スティック発表直後、そのグラフ作成者3人に宛てたメールの1つが【図9】である。「マイケル・マンのトリックを完成した」と書いている。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
田村智子議員「桜」質疑はどう組み立てられたか?ーーしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長との対談を振り返って(第1回)
「桜を見る会」推薦者名簿加工、内閣府「極めて不適切」謝罪
野党、河井夫妻「説明」に反発 通常国会、新たな火種
「頭越しの対応は甚だ遺憾」 西之表市長が防衛省を訪問
自衛隊の中東派遣をめぐる議論が示した安保法制の瑕疵
植村隆・元『朝日』記者が「第7回李泳禧賞」受賞 中傷に屈せず闘う姿勢評価
自衛隊も録画していないのか?日航123便の墜落事故を!!
ウクライナ機撃墜の瞬間映像か 閃光後に火の塊落下(20/01/16)
[金子勝]今年も言いたい放題!公正なルールが破壊された社会だから倫理もモラルも経済も壊れる
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
●読者から寄せられた記事
タイトル:
戦争とは金の陰謀だという事です。中央銀行がロスチャイルドの手に堕ちていない国は、戦争を仕掛けられ支配されている
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
********************
あなた方が解っていないのは、戦争とは金の陰謀だという事です。中央銀行がロスチャイルドの手に堕ちていない国は、戦争を仕掛けられ支配されているのです。
現在FRBの株主は完全非公開になっていますが
彼らが株を手放していなければ今もこれは変わらないでしょう。
そして問題点ですが、お金はまずFRBが発行し
それを「普通の銀行」や「政府」に貸し付けます。
政府はそのお金で国家運営を行いますが
FRBからお金を貸し付けられているので
毎年とんでもない額の利子をFRBに返済しています。
そしてそれは当然国民の税金から支払っており
もしドルを国が発行し余計な利子を払う必要がなくなれば
アメリカの国民は税金の40%を払う必要が無いとも言われています。
これらの件は大学の教授でも知らない方は多いですが
一部の気付いた市民は激怒しています。(ブチ切れています。)
因みに、日本の中央銀行「日銀」はジャスダックに上場していますが
その株の所有者は非公開です。
これも社会科の先生ですらほとんど知らない事でしょう。
※日本銀行百年史
http://www.boj.or.jp/about/outline/history/hyakunen/index.htm/
ここで詳しく書いてありますね。どうやら三井財閥の総帥が最多の出資をしたみたいです。ちなみに日銀が上場しているのは株式ではなく出資証券です。議決権などの一般の株主の権利はありません。日銀が解散を決議した時の財産分与請求権もありません。
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
103.当時の人々が高齢になる中、このようにまとめる活動は、非常に重要と思います。(特に我々のような世代には)膨大な情報を個人でまとめるのは難しく、パネル展という形で拝見する機会を今後も維持してもらえると助かります。パネル展以外に、ウェブ等で常時閲覧できるようにはならないでしょうか?け権利関係で難しいですかね。(男性、30代)
●なかのゼロ(「過去からいま 未来をつなぐ」展
12月14日(金)の感想
・ショッキングな写真等も多かったですが、加害国の国民として目をそむけてはならないと感じました。私は恥ずかしながら戦時中の史実など詳しく知らなかったので、これを機会にこれから勉強して、そして周りの人にも発信していこうと思います。ありがとうございました。模型が細部まで作りこまれていたので、人体実験の非道さよく伝わってきました。(男性、20代、千葉市)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
8月10日。写真班は総出で資料の処分に忙殺された。おびただしい写真、ネガ、乾板類が箱にギッシリ詰められている。それをボイラー室まで運んで燃やすのだ。ことに乾板(主としてスタジオ撮影のために使用された)は、重いいうえに、ガラス製なのでなかなか燃えない。自分たちの努力の結晶が消えてしまうという感傷などカケラもなく、ただただ、焼却の肉体的つらさに、泣く思いだった。
8月11日。隊員の家族が引き揚げた。写真班からも2、3人が先発していった。
翌8月12日。昼頃からだったろうか。本部建物の各階に仕かけられた爆弾によって、731部隊の本部が爆破された。遠くからその光景を眺めながら、私は「戦争だな」とポツンと思ったものだ。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第9章 戦犯の証言
戦犯たちの戦後50年
1943年、日本軍は再びこの一帯において中国軍と交戦し、毒ガスを使った。戦犯・宮川三郎は1954年8月18日、以下のように供述している。
「1943年6月初旬、山東省堂邑の北方20㎞における”南部東臨堂作戦”において、110大隊の藤崎秀一中佐以下400名は、42大隊とともに、斉子修部隊の約300余名と交戦し、毒ガス弾5発を発射、戦車隊は石油を撒いておよそ100戸の民家をすべて焼き尽くしました。私は59師団54旅団110大隊2中隊1小隊1分隊歩兵銃手1等兵で、毒ガスの放射、放火に参加しました。毒ガスを放った結果、斉子修軍及び農民20名が意識朦朧の状態の中捕虜となって、堂邑の日本軍本拠地に護送しました」
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
5、石井四郎という人物
もし石井が今、日本で朝鮮の細菌戦のために細菌を培養、研究しているとしたら、私の弟(もしまだ生きていれば)や叔父、加茂の多くの人、かつて石井部隊で働いていた人々の中で、再びその活動に参加しているものがいないとは断言できない。日本は、今アメリカ帝国主義が支配する反動的政権の支配下にあり、支配者たちは何とかして貧農のために「働く場を提供し」、彼ら自身のために「労働力を吸収する道を切り開いている」のだから。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■ヘルマン・フォスの日記
「すべての対立は、結局、ボルシェヴィズムとナチズムの対立に帰せられる。チェコでは赤どもがすでに権力を握っているだからだ。この野獣どもには火薬と弾丸しか役に立たない。」(1938年9月16日)
「昨日わたしは地下の死体置場と、これも地下にある焼却炉を見てきた。この焼却炉は、解剖実験教育で残った死体の部分を片付けるために使われるものだった。今ではこれは処刑されたポーランド人の死体を焼却するために使われている。ほとんど毎日、グレーの制服を着たゲシュタポのSS隊員が乗ったグレーの車がやって来て、焼却材料を持って来る。しかし昨日は焼却炉が使われなかったので、わたしたちはその内部を見ることができた。中には4人のポーランド人の灰があった。すべての組織が焼かれてしまうと、1人の人間の身体で残るものはなんと少ないことか。このような焼却炉を見せてもらって、わたしは安心することができた。ネイ将軍も処刑される前に、間もなく一握りの灰になってしまうだけだ、と言ったではないか。ポーランド人は最近ずいぶん厚かましくなっており、そのため焼却炉はフル活動だ。彼らの社会全体をこのような焼却炉にぶち込んでしまうことができたらいい。そうすればドイツ民族は東でやっと安心していられるだろう。」
(1941年6月15日)
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
また、『化学学校記事』16号が存在するのだから、正直に防衛省はそれを認め、その他の全ての『化学学校記事」を公開すべきだ!!
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
装備・訓練の実体は
自衛隊教範(14-2-3、14-4-2)から化学兵器の幾つかを紹介してみよう。
M6CN-DM刺激性手榴弾
〔応急手当法〕頭痛、吐き気、くしゃみ、圧迫感、強い目の刺激、及び一時的倦怠の原因となり、気温が暑いときは皮膚を刺激することもある。応急手当は、患者を非ガス地域に運び出し、風にあて、患者に眼をこすらせないようにする。患者に低濃度のクロロフォルムを吸わせる。症状が悪化した時は、50%アルコールを使った10%重炭酸ソーダアルコール溶液で犯された皮膚を洗う。硼酸(ほうさん)溶液または水で洗う。症状が無くなるまで患者を温め安静にする。。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
Ⅲ
昭和天皇はまた、けっして政策に満足していなかった。9月5日の報告で、天皇は杉山や陸軍統帥部全体に対する苛立ちをあらわにし、統帥部とは異なる戦略思考を持てることを示した。さらに四日間にわたり両者の相違が明らかとなるにつれ、昭和天皇は世界情勢さまざまな可能性に満ちており、この段階で戦争を正式に決定することは時期尚早であると警告するようになっていた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
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