2019年12月23日月曜日

細菌戦の系譜!!


ABC企画委員会パネル展2019中野
第5回三多摩平和交流会2019
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




日本は唯一の戦争被爆国なのに、なぜ核兵器禁止条約に署名しない?
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆
奇々怪々の現代
2008年データでは、0.37℃しかない。【図3】の基準として比較した平年値は、どちらも1971~2000年の平均値で、同じである。つまり、0.8℃マイナス0.37℃で、0.43℃も下げられているのだ。地球が冷えたのではなく、公表されてきたデータが密かに冷えているのだ。
 100年間で0.6℃~0.7℃も上がったと叫んでいる時に、0.43℃の数字はあまりに大きいと感じないだろうか。


●核実験(ウキペディアより)
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

アメリカ合衆国
ネバダ州での核実験
1957年8月7日ネバダ核実験場における核実験(プラムボブ作戦)で破壊された米海軍の飛行船。この飛行船は軍事効果実験のため爆心地点から5マイル以上離れた地点を無人で浮遊中だったが、爆発の衝撃波で崩壊した。
南太平洋での実験は費用が掛かるため、トルーマン大統領の提案により1951年にネバダ州の砂漠にネバダ核実験場 (NTS,Nevada Test Site) が設置された。その後、フォールアウト(放射性降下物)の測定や建物・動物などへの影響を調べるための実験が地上・地下含めて928回行われた。
核実験の振動がラスベガスの建物に影響を与えたため、核出力5Mtの爆発実験の前段階として、1968年1月19日にラスベガスの北130kmにあるトノパー近郊で1Mtの地下実験"FAULTLESS"が行われた。これがアメリカ合衆国本土で行われた最大の核爆発であった。その結果、衝撃で地上に大きな断層ができてしまったために本土で実験は行わないことになり、5Mtの実験はアラスカのアムチトカ島で行うことになった。
1997年7月2日 地下実験場で初の臨界前核実験が行われた。
・928回繰り返された核実験の放射能で、多くの人々がガンになって死んでいるというドキュメンタリーがある。
詳細は「ネバダ核実験場」を参照
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ



●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ

天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
安倍政権「言い逃れ」文学賞 萩生田、塚田、河井、菅原氏

総務省事務次官が「事実上クビ」のワケ…日本郵政への情報漏洩の深層

安倍首相のお膝元は公私混同、腐敗のオンパレード

横浜カジノとサンプラザ、なぜ「公約」は破られる?

辺野古埋め立て工期10年 政府、当初見積もりを修正 

#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-12-20)



【全編動画】「下村氏は氷山の一角」!?〜加計学園から安倍総理に「カネ」は流れていなかったのか!? 下村博文・元文科相告発直後の上脇博之・神戸学院大教授に岩上安身がインタビュー!2017.7.31



●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる


なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!




●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。

南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める





●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故

「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

●核兵器廃絶
2019  所沢市 平和祈念資料展

ヒロシマ 私たちの心の傷


徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



●731部隊(unit731)
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」

竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に




●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!大嘗祭反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
(1)関東軍防疫部の設置経緯
1936年4月13日参謀本部第1課(編制動員課)「満洲派遣部隊一部ノ編成及編制改正要領(決定案)」作成
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記

昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記

昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる

京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年









●横浜「戦争の加害展」感想


2月16日
76.大変分かりやすく展示されていました。全国で展示されますよう期待します。(男性、70代)


●なかのゼロ(「過去からいま 未来をつなぐ」展
2019年12月13日(金)
「ひろしま」の感想
・この年になって真実を知りました。「日本人はモルモット実験された」-ドイツ人の指摘。優秀な高校生の発言は感動しました。(女性、70代、都内)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき


Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K

毒ガス実験の撮影は命がけだった

 部隊本部の東側に、航空版がおかれていた。その滑走路の端、5、6キロのところに、ややくぼ地になったところがあった。
 このくぼ地の中に、周囲をアンペラで囲まれた約100坪(330㎡)ほどの、奇妙な空間があった。この空間は、全く外部から遮断され、近づくことは許されなかった。
 この奇妙な空間こそ、毒ガス研究部隊である、チチハルの関東軍第516部隊の秘密実験場だったのだ。この516部隊の毒ガス実験に、721部隊が全面的に協力していたことは、言うまでもない。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第9章 戦犯の証言
「中国帰還者連絡会」

だが、彼を始め、「中帰連」の人々はどんな困難にも屈せず、自分の力を尽くして中国の経済建設を支援し、中国人民の友人となり、訪中するたびに中国の友人たちの温かい歓迎を受けた。1972年の訪中の際、周恩来総理が特別に彼に接見した際に撮った、周恩来と握手している写真は、ずっと大事にしまっている。
 私は山邊悠喜子さんの紹介で三尾さんと知り合った。三尾さんの年齢は私の倍で、まさに年齢を超越した付き合いである。







●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況

3、石井部隊の組織及びその業務(1939年1月)

前述の組織機構に基づく各班の業務内容は、おおよそ次の通りである。

 このほか、5棟の2階では田中雇員がノミとシラミを繁殖させていた。おじの青柳によると、田中はその研究成果を論文にすれば博士号を取得できるだろう、と話していたという。私自身はそのノミとシラミを見たことは無いが、田中が白い作業服を着て研究室に出入りしていたのは目撃している。





●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■外科用メスと銃
1942年にスイスの赤十字の運転手フランツ・ブレットラーが占領下のワルシャワのドイツの戦時医学について述べているが、彼の言葉は少しも勇ましいものではない。彼は見たものは負傷兵にこの上なく悲惨な姿であった。「小さなストーブで辛うじて暖房されたトラックに乗せられて、負傷兵たちはワルシャワへたどり着いた。彼らは長い苦しみの旅をしてきたのである。多くの者は裸でわらの上に寝かされており、10日から15日間も自分たち自身の糞尿にまみれたままにされていた。このような車が発する悪臭はとても口には言い表せないものだった。途中で死んだ者は少なくないが、彼らはみんな車の外へ放り出された。しかし死者たちが何日も生きている者の横に横たわっていたこともよくあった。包帯の下にはしばしば蛆が湧いており、たいていの場合包帯からは膿が流れ出ていた。ほとんどが凍傷だったからである。誰もが虱を湧かしていた。凍傷や負傷によって両手が包帯され、虱が包帯の下にいたので、負傷者は掻くことができなかった。苦痛のため彼らは半ば気が違ったようになっていた。兵士たちはみんな恐ろしくやせ細っていた。ある者は無感情に横になっており、またある者は長い苦痛に満ちたトラックの旅で神経を犯され、半ば狂気になっていた。」


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

〇小川国務大臣  四塩化エチレンというお尋ねだったと思いますが、これはいわゆる四エチル鉛と同じものでございましょうか。
〇楢崎委員  これはテトラクロールエチレンともいいます。それからパークロールエチレンともいう。過酸化エチレンともいう。
〇小川国務大臣  ちょっとこの場でお答えできませんから、調べてご返事を申し上げます。
〇園田国務大臣  クロルエチレンは、有機溶剤または駆虫剤等に使っておりますが、この原液は、やはり炎症又は腐食をおこします。
〇楢崎委員  私が労働大臣にお伺いしておるのは労働大臣の所管なんです。有機溶剤中毒規則というのがありますね。これに該当するかどうかをお伺いしておるのです。
〇小川国務大臣  今ご指摘のありました薬品がそれに該当するかどうか存じませんのですぐ取り調べてご返事を申し上げます。




第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道


 1941年春、近衛はより友好的な政策を求める対米交渉を希望していた。野村吉三郎駐米大使とコーデル・ハル国務長官の間で、秘密の非公式「会談」が持たれた。そこで日本側は蒋介石に対する援助を止めて、日本へ戦略物資の供給をするように求めた。交渉は数ヶ月続いたが、何ら得るものはなかった。そして、南部仏印進駐により、会議は完全に決裂し、近衛の希望も潰(つい)えた。絶望から、そして当初、駐米大使に任命した人物が無能であるとの判断から、近衛は直接、ルーズベルトと会談して、行き詰まりを打開することを決意した。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!
















2019年12月22日日曜日

細菌戦の系譜!!


第5回三多摩平和交流会2019
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




日本は唯一の戦争被爆国なのに、なぜ核兵器禁止条約に署名しない?
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆
奇々怪々の現代
10年前の2000年に戻るが、その当時発表され、あらゆる新聞と雑誌に掲載され、テレビに映し出された地球の気温上昇グラフは、次頁の【図2】であった。1998年に平年差が0.8℃にもなったと騒がれた。ところが、2003年と2009年に発表された気温をグラフに描くと、【図3】になる。先の4人を含めて、今まで私が読んだ「CO₂温暖化説を否定する書」のどこにも書かれていない事実だが、この10年ほどの間に、1998年の温度データが、どんどん下がってきているのである。平年差と呼ばれるこの1998年温度上昇分は、2000年の【図2】で0.8℃もあったのが、【図3】の2002年データでは、0.64℃しかない。


●核実験(ウキペディアより)
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

アメリカ合衆国
マーシャル諸島での核実験
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
・ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。
・日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百〜千隻の漁船が、死の灰で被曝した。
・240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。
・ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ



●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ

天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
辺野古の工期10年程度、返還は2030年代…政府見込み

下関市長選の安倍派勝利から見る支出額・参加者増の謎。「桜を見る会」追及チームの下関視察で疑惑が浮上

伊藤詩織さん「勝訴」!敗訴の「山口敬之」 TBS退社後を支えた美味しすぎる“顧問契約” 菅官房長官の口添えも…

膨らむ予算102兆円 消費税、増税分超す対策費 社会保障費、最大の35兆円


#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-12-20)



【全編動画】「下村氏は氷山の一角」!?〜加計学園から安倍総理に「カネ」は流れていなかったのか!? 下村博文・元文科相告発直後の上脇博之・神戸学院大教授に岩上安身がインタビュー!2017.7.31



●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる


なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!




●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。

南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める





●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故

「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

●核兵器廃絶
2019  所沢市 平和祈念資料展

ヒロシマ 私たちの心の傷


徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



●731部隊(unit731)
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」

竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に




●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!大嘗祭反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
(1)関東軍防疫部の設置経緯
1936年4月13日参謀本部第1課(編制動員課)「満洲派遣部隊一部ノ編成及編制改正要領(決定案)」作成
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記

昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記

昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる

京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年









●横浜「戦争の加害展」感想


2月16日
75.日本人が過去にしてきたことに、目を向けなければと思いました。子供たちにも、伝えなくてはいけませんね。(女性、60代)


●なかのゼロ(「過去からいま 未来をつなぐ」展
2019年12月13日(金)
「ひろしま」の感想
・私もNHKの番組を視聴し初めて知り、是非見てみたいと思い、今日視聴させていただきました。小林さんの映画にまつわる裏の話も聞くことはでき、良かったです。とてもインパクトのある映画に驚きました。戦争を美化したりせず、その現実を直視することが重要と考えます。是非この映画を広く視聴されることを希望します。(男性、60代、八王子)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき


Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ

実験が終わって夜になると、宿屋でのど自慢大会が催された。その頃、ラバウル小唄が流行していたが、その替え唄で「さらばハルピンよ、また来るまでは・・・・」と唄っていたのを覚えている。唄好きというか、なかなかの名歌手もいた。
 この鉄橋のたもとに、2軒の日本人農家があり、東北出身の人らしかった。2世までいて、相当以前からここで農業をしていたらしい。日本内地で見かける田舎の農家そのままで、かや葺の屋根に雨戸・障子、牛も数頭飼っていた。奥さんはカスリの着物にモンペ姿、農機具も内地で見かけるものを使っていた。
 夕方、電灯の明かりが障子に映し出されるのを見て、内地のことがなつかしく思い出された。満州の一般農家で障子を見たのは、ここが初めてだった。この人たちも終戦になってどうなったことか、日本へ引き揚げても、落ち着く先はあったのだろうか。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第9章 戦犯の証言
「中国帰還者連絡会」

1956年に釈放されて帰国したが、彼を再生させてくれた中国、そして戦犯管理所で受けた教育のことを生涯忘れはしないと思った。これは当時、同じく境遇にあった多くの日本戦犯たちの共通した思いで、その為彼は「中帰連」に参加し、日中友好事業に積極的に携わり、会の常任委員を務めた。5,60年代、日本での日中友好事業は並大抵の苦労ではなく、いろいろな方面からの横槍や圧力、さらには脅迫を受けることさえあり、正式に職に就くことさえもままならなかった。







●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況

3、石井部隊の組織及びその業務(1939年1月)

前述の組織機構に基づく各班の業務内容は、おおよそ次の通りである。

X線班  指導者不詳。同班は3棟の2階にあり、私はここに部品を運んだことがあるが、据え付けに参加したことは無い。

防疫班  私が聞いたところでは、この班は確かに存在していた。ただ、誰が指導し、何を担当していたかは、わからない。私は石井式濾水器を見たことは無い。

航空班  増田大尉の指揮下で、2,30人の下士官と職工がこの班で働いていた。私の記憶では約4,5機の飛行機があった。毎日1,2機が飛行し、気流と細菌散布の方法を研究していたようだ。







●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■外科用メスと銃
1942年にスイスの赤十字の運転手フランツ・ブレットラーが占領下のワルシャワのドイツの戦時医学について述べているが、彼の言葉は少しも勇ましいものではない。彼は見たものは負傷兵にこの上なく悲惨な姿であった。「小さなストーブで辛うじて暖房されたトラックに乗せられて、負傷兵たちはワルシャワへたどり着いた。彼らは長い苦しみの旅をしてきたのである。多くの者は裸でわらの上に寝かされており、10日から15日間も自分たち自身の糞尿にまみれたままにされていた。このような車が発する悪臭はとても口には言い表せないものだった。途中で死んだ者は少なくないが、彼らはみんな車の外へ放り出された。しかし死者たちが何日も生きている者の横に横たわっていたこともよくあった。包帯の下にはしばしば蛆が湧いており、たいていの場合包帯からは膿が流れ出ていた。ほとんどが凍傷だったからである。誰もが虱を湧かしていた。凍傷や負傷によって両手が包帯され、虱が包帯の下にいたので、負傷者は掻くことができなかった。苦痛のため彼らは半ば気が違ったようになっていた。兵士たちはみんな恐ろしくやせ細っていた。ある者は無感情に横になっており、またある者は長い苦痛に満ちたトラックの旅で神経を犯され、半ば狂気になっていた。」

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

〇園田国務大臣  劇毒物に指定してない理由はご指摘の通りでありまして、一般工業用、農業用、薬用に使っていないからであります。しかしながら、問題が起きてまいりましたから、直ちに分析検討を命じておりましてしかるべく処置をしたいと考えております。
〇楢崎委員  それではあと少しで止めます。ちょっと辛抱してください。
 もう1つ問題があるのです。今厚生大臣は、これは直ちに分析検討して指定するかどうか決めるというお考えのように承ります。いいです。これは厚生省としては当然だろうと私は思います。また、法的にも根拠は無いけれども、そういう精神になっております。
 そこで、お伺いしますが、労働大臣にお伺いします。いいですか、警察は佐世保あるいは機能成田で使いましたが、この中身は、先だっての答弁によると、クロルアセトフェノンが5%、四塩化エチレンが95%、その原液を60倍に薄めて使ったという。いいですか、四塩化エチレンはどういう物かご存知ですか、労働大臣。溶剤としての取り締まりの規定に触れるかどうか。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道


一方、近衛首相はアメリカの経済制裁に動揺していた。すでにドイツの同盟国として日本に経済制裁を科していたイギリスは、アメリカに引き続き資産凍結を7月末に実施した。石油購買をめぐるオランダ領東インド諸島政府との交渉も決裂し、7月27日、オランダ当局もまた日本の資産を凍結した。日本はいまや、石油や他の戦略物資を自国の備蓄から引き出すよりほかにない状況に立ち至ったのである。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!
















2019年12月21日土曜日

細菌戦の系譜!!


第5回三多摩平和交流会2019
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




日本は唯一の戦争被爆国なのに、なぜ核兵器禁止条約に署名しない?
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆
奇々怪々の現代
この4人の考えは、私の考えと合致するものと、合致しないものがある。その違いを議論し合い、みなで共に考えることが、科学に取り組む基本精神である。これまで全くそれが行われてこなかったことが、最大最悪の問題である。そこで、なぜこれらの自然を調べている人たちが二酸化炭素温暖化説を否定するかを知るために、数々の事実を見てゆこう。


●核実験(ウキペディアより)
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

アメリカ合衆国[
ニューメキシコでの核実験
1945年7月16日にアメリカ合衆国がマンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)では、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させた。
・爆発で火球の中に舞いあげられた砂漠の砂が溶けて液体になって降り積もったガラス質の緑色鉱石(トリニタイト)が生成され、今なお中レベルの放射能を帯びている。ほとんどは1952年に埋め立てられ、持ち出し禁止になっている。
・実験から50年以上が経過した現在でも、実験場跡地では通常環境の約10倍の残存放射線が検出される。
詳細は「トリニティ実験」および「マンハッタン計画」を参照
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ



●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ

天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
「桜を見る会、自民議員全てに及んでいる」市民が大岡議員を公選法違反容疑で告発

総務相が緊急会見、官僚トップを異例の“更迭”

米軍機訓練の馬毛島移転 鹿児島知事、受け入れ明言避ける

護衛艦「いずも」、正真正銘の空母へ。F35Bの発着艦に必要な改修費31億円を計上


#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-12-20)



【全編動画】「下村氏は氷山の一角」!?〜加計学園から安倍総理に「カネ」は流れていなかったのか!? 下村博文・元文科相告発直後の上脇博之・神戸学院大教授に岩上安身がインタビュー!2017.7.31



●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる


なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!




●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。

南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める





●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故

「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

●核兵器廃絶
2019  所沢市 平和祈念資料展

ヒロシマ 私たちの心の傷


徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



●731部隊(unit731)
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」

竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に




●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!大嘗祭反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
(1)関東軍防疫部の設置経緯
1936年4月13日参謀本部第1課(編制動員課)「満洲派遣部隊一部ノ編成及編制改正要領(決定案)」作成
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記

昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記

昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる

京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年









●横浜「戦争の加害展」感想


2月16日
74.パネルは分かりやすく、簡潔で読みやすかった。10日のミニ講演が特によかった。入りやすい題材で、奥深く考えさせられる内容で大変勉強になった。専門的な題材と入りやすい題材を併せて、今後も行っていただけると私のような、何も知らないものも入りやすいです。(女性、40代)


●なかのゼロ(「過去からいま 未来をつなぐ」展
2019年12月13日(金)
「ひろしま」の感想
・原爆には今までいろんな気持ちでいました。10月に娘と一緒に広島原爆ドームに行ってきました。30年前とは少し違った趣の資料館・原爆ドームでしたが、TV・新聞で伝わる事とは違った思いがありました。日本人が今、今こそ戦争、そして原爆(広島・長崎)の事実をしっかり受け止めて、声を出していかなければと強く思いました。乱筆・乱文ですみません。


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき


Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ

731部隊は冬期、この橋の下で爆弾実験を行なったことがある。「丸太」は使用しなかった。安達では普通陶器製の爆弾を使用したが、ここでは、鉄製の爆弾を使用した。導火線で爆発させたが、相当飛散するので、私は壕の中から写真を撮ろうと身を隠したところ、「そんなに恐いものではない。そんなところからは写真は撮れない。もっと高いところから写せ」と研究班長から注意された。爆弾の中身は、飴の棒をねじって切ったような、鉄片が詰まったようなものを使用していた。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第9章 戦犯の証言
「中国帰還者連絡会」

まもなく、彼の部隊は中国・東北地区へ移動、中国への侵略活動を始める。その後、大連の憲兵隊に派遣されたが、戦争の非道な環境が彼を変え、憲兵の一員として中国の抗日組織への迫害を行った。戦後、1950年から56年の間、撫順戦犯管理所での教育は、彼の魂を新たに形作る時期であった。この数年間に彼は社会というものを正しく知り、正しく中国を認識した。







●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況

3、石井部隊の組織及びその業務(1939年1月)

前述の組織機構に基づく各班の業務内容は、おおよそ次の通りである。
特別班  責任者不詳。実験供給用に収容した人々の監視、給養及び実験などを担当した(特別班で働いていた叔父の話では、当時実験が行われていたのは南棟だけで、平房では実施されていなかったという)。特別班では実験用に送られて来た人を「丸太」と呼び、人数を「本」で数えた。例えば、「丸太3本到着」というのは、実は実験用の人間3名を収容した、という意味である。

動物班  指導者の氏名は忘れたが、千葉県出身者だったのを覚えている。動物班はモルモット、兎、羊、馬、猿、ロバなどの動物を飼育していた。当時、トラックで南棟研究所から平房へこうした動物を運んでいた。実験に使ったかどうかわからないが、毛の抜けたロバやモルモット、兎の死体を見たことがある。







●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■外科用メスと銃
『ドイツ医師報』に収録されている、軍医たちによって英雄小説張りのスタイルで書かれた報告は、この現実を垣間見させてくれる。例えば軍医中尉のペーター・フック博士は1942年の1月から3月までホルムの谷間の主要介護所でマイナス50度の気候条件と戦っていた。彼は手術を―頭蓋開口手術やその他ありとあらゆる切断手術であってもー「無菌にはほど遠い」条件の下で、ろうそくの火を頼りに開放エーテル麻酔で行っていた。たいていの場合、敵は手術台から100メートルしか離れていないところに所にいた。時には戦闘が場所を移動し、主要戦線が手術の場の真っ只中を通ることもあった。「いつもわたしたちは銃を取るべきか、メスを取るべきか、わからなかった。」戦闘能力のある兵士が大量に戦死したため、軍務遂行能力の判定にも厳しい尺度が適用されるようになり、「頭が腕の下にあるようになった者だけが満員の主要看護所へ収容されることができる」といわれた。

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

〇佐藤(正二)政府委員 先ほどの答弁を繰り返すようで、まことに相済みませんが、戦時に関する条約でございますから、当然戦争手段に関する制限の規定でございますから、そういう意味で、私、先ほどの殺傷性のあるものと申し上げたのでございます。
〇楢崎委員 それは私の問いに対する答弁にはなりませんよ。これは国際法違反です。全世界のの世論がそうでございました。アメリカのCN使用について、そういうことをあなたは仰っちゃいけませんよ。
 それでは厚生大臣にお伺いしますが、なぜクロルピクリンが毒劇物指定になって、それよりも効能の強いクロルアセトフェノンがなぜ指定にならないのか。この指定になるのはいいですか。工業用、農業用、医薬用に使われると予想されるものが指定の対象になるのです。まさかこのクロルアセトフェノンが人間にぶっかけられるということは想像していないから、厚生省も指定のしようがなかった。指定されてなかったからということを錦の御旗にすることは間違っております。そうではありませんか。厚生省の考えを聞きたい。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道


第三次近衛内閣は発足の当初から政治的な危機をはらんでいた。それは日米関係の危機によっていちだんと強まり、海軍は、陸軍が勝手に対ソ戦を始めてしまうのではないかとの懸念を再び抱いた。実際、ちょうど7月末になると陸軍内では、ソ連との中立条約よりも三国同盟を優先しようとする北進論が再燃していた。しかしながら、すでに見たように、7月30日、昭和天皇は杉山に関東軍特種演習を中止するように話し、その直後の8月9日、陸軍参謀本部は年内にソ連に侵攻するという作戦を棚上げにした。陸軍参謀本部は8月末までその決定を海軍に正式に通知することをしなかった。しかし、陸軍の主だった作戦立案者は、独ソ戦はドイツの決定的な勝利により短期間で終結するとの見解にとらわれていた。こうした状勢のもとで9月の初めに陸軍上層部に変化があった。(1942年)春の北方作戦に備えてそれまでに南方を片付けよう」という構想の台頭である。こうして、アメリカの石油禁輸からわすか1ヵ月後、陸軍は1年以内に「北進」を開始するため、すみやかな対米戦争の勝利を望むようになったのである。これらの対立や不一致はすべて連絡会議で徹底的に議論され、その後、9月5日、天皇に非公式に報告された。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!
















2019年12月20日金曜日

パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!」









『衛生学校記事』・『化学学校記事』情報公開裁判


731部隊関連資料の公開を求めて
多くの元 731 部隊員及び関係者が戦後自衛隊に入隊しています。私たちは、元隊員たちが当時実戦 で知り得た情報・研究等を掲載していると思われる陸上自衛隊衛生学校発行の内部誌『衛生学校記 事』と化学学校発行の内部誌『化学学校記事』の公開を求めて 2013 年 11 月(化学学校は 2016 年) 東京地裁に提訴しました。

『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
4月23日14:00~ [419号法廷]東京地裁民事51部
『衛生学校記事』第 1 号(1957 年)には、生物剤に関する米軍資料の翻訳が掲載され、第 2 号の 予告目次には「生物戦研究は社会の役にたったか?」が掲載されています。 被告(国・防衛省)は裁判当初は「1 冊も無い」と主張していました。しかし、金原節三元衛生学 校長が『衛生学校記事』を衛生学校に寄贈している事実等を突き付けられて、被告は裁判途中で防衛 医科大学の図書室等から発見されたとして計 28 冊を 2014 年 9 月に公開しました。 しかし、発行元の衛生学校に「無い」というのはいかにも不自然であり、金原元衛生学校長が大量 の『衛生学校記事』を寄贈した彰古館にも「無い」と嘘を主張し続けています。 現在『衛生学校記事』が衛生学校の図書原簿に記載され平成 17 年に赤線で抹消されていたが「廃 棄」の記載もない事、更に金原寄贈史料の行方の再調査を要求し、全『記事』公開を目指しています。 皆様の裁判傍聴によるご支援をお願いします。


『化学学校記事』情報公開裁判(第16回)
2020年6月3日(水)11:30~ [522 号法廷]東京地裁民事 3 部
周知のとおり戦前の日本軍は、毒ガス・生物兵器を実戦使用し多数の軍民に残虐な被害を出してきました。旧軍を引き継いで発足した自衛隊も発足直後から秘密裏に化学兵器を所持、研究しています。 特に化学学校の防護隊については 1995 年のサリン事件によって多くの方が知ることになりました。 現在では自衛隊は CBRN(化学兵器・生物兵器・放射線・核)攻撃への防護のためと称して、演習を行っています。しかし、化学学校は厚い秘密のベールに覆われており、その研究や訓練の内容を知る ことは非常に困難です。 既に裁判は 3 年になりますが防衛省は「1 冊もない」と主張しています。政府・防衛省の隠蔽体質 は民主主義の否定、更に戦争への道にも通じる危険なものです。全資料公開に向けて皆さまの支援、傍聴をお願いします。
※前回の裁判で防衛省は『化学学校記事』16号の存在を初めて認めました。
何で、こんなに認めるまでに時間がかかるのか?
どんどん防衛省は、隠さず公開して、自衛隊の実態を明らかにすべき!!


《連絡先》
■ NPO 法人 731 部隊・細菌戦資料センター (共同代表:近藤昭二[ジャーナリスト]
・王選[細菌戦犠牲者遺族]・松井英介[医師])
〒 105-0003 港区西新橋 1-21-5 一瀬法律事務所 電話:03(3501)5558(元永)
Email:info@ichinoselaw.com
■ ABC企画委員会(代表:田中寛[大東文化大教授])
電話:042(348)1127/080-5655-3354(和田)
■ 731・細菌戦部隊の実態を明らかにする会(代表:松村高夫[慶応義塾大学名誉教授])



『衛生学校記事』情報公開裁判


731部隊関連資料の公開を求めて
多くの元 731 部隊員及び関係者が戦後自衛隊に入隊しています。私たちは、元隊員たちが当時実戦 で知り得た情報・研究等を掲載していると思われる陸上自衛隊衛生学校発行の内部誌『衛生学校記 事』と化学学校発行の内部誌『化学学校記事』の公開を求めて 2013 年 11 月(化学学校は 2016 年) 東京地裁に提訴しました。

『衛生学校記事』情報公開裁判
4月23日14:00~ [419号法廷]東京地裁民事51部
『衛生学校記事』第 1 号(1957 年)には、生物剤に関する米軍資料の翻訳が掲載され、第 2 号の 予告目次には「生物戦研究は社会の役にたったか?」が掲載されています。 被告(国・防衛省)は裁判当初は「1 冊も無い」と主張していました。しかし、金原節三元衛生学 校長が『衛生学校記事』を衛生学校に寄贈している事実等を突き付けられて、被告は裁判途中で防衛 医科大学の図書室等から発見されたとして計 28 冊を 2014 年 9 月に公開しました。 しかし、発行元の衛生学校に「無い」というのはいかにも不自然であり、金原元衛生学校長が大量 の『衛生学校記事』を寄贈した彰古館にも「無い」と嘘を主張し続けています。 現在『衛生学校記事』が衛生学校の図書原簿に記載され平成 17 年に赤線で抹消されていたが「廃 棄」の記載もない事、更に金原寄贈史料の行方の再調査を要求し、全『記事』公開を目指しています。 皆様の裁判傍聴によるご支援をお願いします。


『化学学校記事』情報公開裁判(第 15 回)
2020年2月12日(水)11:30~ [522 号法廷]東京地裁民事 3 部
周知のとおり戦前の日本軍は、毒ガス・生物兵器を実戦使用し多数の軍民に残虐な被害を出してき ました。旧軍を引き継いで発足した自衛隊も発足直後から秘密裏に化学兵器を所持、研究しています。 特に化学学校の防護隊については 1995 年のサリン事件によって多くの方が知ることになりました。 現在では自衛隊は CBRN(化学兵器・生物兵器・放射線・核)攻撃への防護のためと称して、演習を 行っています。しかし、化学学校は厚い秘密のベールに覆われており、その研究や訓練の内容を知る ことは非常に困難です。 既に裁判は 3 年になりますが防衛省は「1 冊もない」と主張しています。政府・防衛省の隠蔽体質 は民主主義の否定、更に戦争への道にも通じる危険なものです。全資料公開に向けて皆さまの支援、 傍聴をお願いします。


《連絡先》
■ NPO 法人 731 部隊・細菌戦資料センター (共同代表:近藤昭二[ジャーナリスト]
・王選[細菌戦犠牲者遺族]・松井英介[医師])
〒 105-0003 港区西新橋 1-21-5 一瀬法律事務所 電話:03(3501)5558(元永)
Email:info@ichinoselaw.com
■ ABC企画委員会(代表:田中寛[大東文化大教授])
電話:042(348)1127/080-5655-3354(和田)
■ 731・細菌戦部隊の実態を明らかにする会(代表:松村高夫[慶応義塾大学名誉教授])




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