731を問う!!
2019年7月15日月曜日
細菌戦の系譜!!
●香港人見せしめ弾圧事件
●7月19日 ビデオ学習会 731部隊員の証言
●日本軍の毒ガス戦
●7.7「戦争を始めた日」国会前集会
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却 1949-1956
●旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●記憶の継承を進める神奈川の会
●沖縄
●戦争とは何だろうか??
●軍事研究に関する学長声明 龍谷大学 学長 入 澤 崇
●第24回 スタディツアー 事前学習会
●文学者の戦争協力
●北宏一朗さんを偲ぶ
●長崎731部隊・100部隊パネル展
●京大 学位授与問題!!
●長野平和の旅
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●1937年7月7日→日中全面戦争
●7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会
●香港の皆様へ!!
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
「国に帰っては」トランプ大統領の非白人女性議員への発言が波紋を広げる
香港デモ郊外に拡大、11万人参加 一部は普通選挙要求
加計学園問題から1年、地元の今治で見たシャッター通り
日本政府は歴史を直視せよ!!
「日本の輸出規制は不当」 韓国がWTO理事会で説明へ
かんぽ生命 全顧客意向確認へ「どれだけ時間がかかるか…」
【横田現場直撃】山口イージス/参院選大物直撃!進次郎・二階・菅20190712
【横田現場直撃】決定版!イージスアショアの虚妄 防衛省の杜撰/維新お忍び謝罪/滋賀の野党共闘候補
過去を反省しない日本これでいいのだろうか??
輸出規制 日本側は韓国の対応見極めたい考え
佐川 元財務省理財局長を証人申請へ 森友文書の訴訟で原告弁護団
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
消えゆく「陸軍中野学校」の跡と記憶 「結局は駒」と卒業生は語った
遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議
エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声
辺野古の埋め立て加速 玉城デニー知事「暴挙以外の何ものでもない」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~
医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ
福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上
彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚
なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月13日
・戦争は絶対ダメ。確認。(男性、80代以上)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6 月 24 日
2、先月、沖縄本島に初めて行ってきました。戦跡を数か所巡り、辺野古にも行ってしっかり「ごぼう抜き」されてきました。沖縄の基地問題は、「本土の問題、沖縄はやれることは全てやっている」という現地の方々の言葉が、深く心に響きました。改めて、沖縄の歴史を学ぶには良いきっかけのパネル展になりました。期間中、ビデオ(2作品見ました)視聴にもまた訪れたいと思いました。(女、60代、市内、新聞)
●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
群がる避難民
「どこか、炊く場所はないかなァ」
と言うので、私は森島と一緒に米の入った鍋を持って、幾つかの線路を横切り、人々の間を縫って、駅の食堂を探し当てた。
誰もいず、室内は火事場の跡さながらに乱雑を極めていたが、カマ場だけはどうにか使えそうであった。森島が、崩れた煉瓦を積んで鍋を安定させながら火を焚き、私は板切れや紙くずを拾い集めた。荒らされたあとの食堂には、さすがに目ぼしい物は残っていなかったが、丹念に探してみたら、紙屑や食器のかけらなどに混じって、食卓塩とコショウの壜があった。逃走中のおかずは、粉末味噌ばかりだったので、コショウの発見は、またひとしお空腹感をかきたてた。
ようやく飯が炊きあがってきたばかりのところへ、浜中が息をはずませながらながら駆けつけてきた。
「出発だぞ。乗り遅れたら大変だ!」
私と森島は大いにあわてた。飯など捨てて駆け出したかったが、空腹を思うと、半煮えの飯を捨てるのも惜しく、ぶつぶつ炊いている熱い鍋の耳を戦斗帽でつかみ、2人で鍋をさげて駆けつけた。そのとき、建物のそばに寄りかかって瀕死の状態で訴えるようにうめいている女の人を見た。まだ若いようであったが、服装も顔も汗とほこりで真っ黒に汚れ、邦人かどうかの区別もつかない。だが、私達は、今それを気に留めている余裕はないのだ。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
悪魔の兄弟の毒網
実験演習のため、日本の大久野島から猛毒の青酸が慎重に運ばれた状況については前に述べたが、輸送に当たった前出・服部忠さんの記憶によると、1942年8月、2回目に輸送した青酸は1t詰めの大缶で、合計3tだった。路程は1回目と同様、大久野島から宇品へ行き、さらに大連に渡ったが、大連にはハイラルから来た516部隊の軍人が待っていて、毒剤を直接ハイラルに送り、そこで小型缶に詰め分けた。詰め分けるために、大久野島から専門に山敷弘一を頭に4人がハイラルに派遣された。服部忠さんは、これらの毒剤がその秋ハイラル付近のホロンバイル草原で行われた大規模な青酸を撒く演習に使われたのを記憶している。
このように我々は、日本陸軍化学兵器の研究、製造部門と化学戦の訓練、教育部隊との間の密接で有機的な関係が分かったが、これは、悪魔の兄弟たちがすでに毒網を織り成していたということだ。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み
A.「食料メーデー・プラカード事件」裁判
裁判長・五十嵐太仲は、この正木の要求に驚いて、最初はどう判断してよいのか困ってしまったようである。しかし、最終的には五十嵐は、「告訴は単に親告罪の訴追を被害者の意思に係らしめる形式的要件であって、犯罪の成立に必要な構成要件ではない」とワケの分からない理由を挙げて、天皇を喚問する必要なしという判断を下した。これは、「天皇の意思」を検事が忖度で尊重して、天皇に対して無礼な態度をとった人間を訴追することに何ら問題がないと判断したと解釈してよいだろう。「天皇を法廷に呼び出すなどという不敬は、畏れ多くてとてもできない」というのが、五十嵐の本音であったのであろう。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■処方箋による4分の1リットルのミルク
・・・・・・・
3.[結核が結核菌によって感染するものであり、どのような場合に感染するかを伝える啓蒙的なパンフレット]
1918年にドイツでは約143000人が結核で死亡した。これは戦争直前の年に比べると1,5倍であり、1897年の結核死亡率に相当する。
1918年にドイツでは約143000人が結核で死亡した。これは戦争直前の年に比べると1.5倍であり、1897年の結核死亡率に相当する。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「衛生学校30年の歩み」によせて
入隊から退官まで
第8代校長 園口忠男
各科目のうち、衛生部隊の展開、第1線での傷者処理については、後送、後方治療等の診療体系については、小野寺、伊東、緒方、核兵器による大量傷者処理については、泉、化学傷者の基礎的研究については河合各教官が継続して研究し、それを教育に反映して、ラインの連中又は部外が刮目する程の成果をあげた。
隊員集団の疾病予防を使命と心得て入隊した私は、翌32年4月から始まったアジアかぜの世界的大流行が過密集団に大きな被害を与えることを考えて、これをモデルとして研究することを金原校長に進言して快諾を得た。
校長が衛生監となられたあとは、これを全衛生科の業務として取り上げられた。陸幕 高木達郎班長は、全部隊の被害状況を調査した。卓見である。中黒校長が常に予算及び人員の面で特別に配慮して下さったから、次に起こった香港かぜ時代を含めて退官まで研究を続けることができた。その成果は、共同研究者で学位を取得したもの15名、米英からの講演招待4回(うち2回は退官後)、医学著書4冊を見ればわかる。個人では非力な衛生科隊員でも、組織をあげて事に当たれば、世界の学界から認められる業績をあげ得る好例であろう。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第9章 聖戦
Ⅱ
陥落直後の南京を訪れていた外交官日高信六郎(ひだかしんろくろう)も、広田に詳細な報告をしており、確かな証拠はないが、1月末に虐殺について天皇に報告した可能性がある。日高は流暢に英語を話した。彼はナチス党員だったドイツ人、ジョン・ラーベと個人的に親交があり、ラーベは避難民の保護のため西洋人により南京市中央に設立された南京安全区国際委員会の組織者の1人だった。「マンチェスター・ガーディアン」の記者、ハロルド・J・ティンパーリーの著書「中国に於ける日本のテロ」(1938年)は、南京大虐殺を扱った最初の本だが、彼は日高の個人的な友人だった。彼もまた、南京での出来事について「ニューヨーク・タイムズ」記者はレット・アベントと議論していた。日高は、南京安全区国際委員会メンバーの苦情を外務省に取り次いでさえいた。それにはラーベや、南京大学教授ルイス・スマイスの書面も含まれていた。日高か、広田外相のいずれかが陸軍による南京の蛮行を昭和天皇に伝えていたとすると、天皇は事態を非常によく知っていたはずである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
「ホルムズ海峡に自衛隊を送るな!7.22緊急アクション」
転載です。
【拡散希望】
「ホルムズ海峡に自衛隊を送るな!7.22緊急アクション」
病気療養中の栗原(学)さんから「やります」とメールがきました。こりゃどんなに身体が疲れていても、やるしかない。
同じ思いのかた、選挙投票日の翌日、官邸前に集まりましょう。
::::::::::
~イラン侵略戦争許さない~
ホルムズ海峡に自衛隊を送るな!7.22緊急アクション
7月22日(月)19時~ 首相官邸前
呼びかけ:琉球弧自衛隊配備反対アクション
琉球弧自衛隊配備反対アクション
香港人見せしめ弾圧事件
以下、村山首相談話の会からの転載です。
南京大虐殺・靖国に抗議した香港人見せしめ弾圧事件の第6回裁判と7.17抗議集会が、来たる7月17日(水)の午後と夜、下記の要領で開催されます。
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本も人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
●香港の皆様へ!!
●香港人見せしめ弾圧事件の経過
——昨年12月12日、香港市民・郭紹傑(グオ・シウギ)さんは、「南京大虐殺を忘れるな!」「A級戦犯東條英機の靖国合祀に反対する」と日本政府と靖國神社に抗議をして不当に逮捕されました。
香港市民・嚴敏華(イン・マンワ)さんは、香港民間電台の記者として郭紹傑(グオ・シウギ)さんの抗議行動を撮影し報道したところ、逮捕されました。
日本の国家権力は、2人の香港市民を建造物侵入罪で起訴し、東京地方裁判所刑事第7部で審理されています。度重なる弁護団による保釈申請も却下され続けて、2人の勾留はすでに7か月近くの長期にわたっています。
これまでも、靖国神社は、多数の抗議を受けています。例えば2009年8月11日の台湾の高金素梅氏(立法委員)ら約50 名による台湾兵合祀問題の抗議は靖国神社内苑で約20分行なわれましたが、逮捕も起訴もされていません。
今回のような逮捕・起訴自体がきわめて異例な対応です。アジアの民衆の告発など一切耳を貸さず、公然と批判の声を上げることは許さない、という安倍政権の強権的な態度が反映した弾圧というほかありません。
●7月17日(水)13時30分からの裁判(ただし、13時に傍聴抽選の締め切りとなりますので、必ず13時までに東京地裁正面玄関にきて、抽選券を受け取って下さい)では、歴史認識問題での日本での第一人者である田中宏(一橋大学名誉教授)先生の弁護側証人尋問が1時間30分にわたって行なわれます。
●また、夜の集会では、盧溝橋事件や日中戦争・南京大虐殺事件に詳しい笠原十九司(都留文科大学名誉教授)先生から講演があります。
午後の裁判、夜の集会は、ともに、戦争と平和の問題を考える、大変、充実した内容の裁判・集会となりますので、皆さんのご出席を、是非とも、よろしくお願いいたします。
以下、ご案内です。
【集会と公判のご案内】
●第6回公判のご案内
7月17日(水)午後1時半から、第6回公判で、弁護側証人尋問として田中宏・一橋大学名誉教授の証人尋問が行なわれます。
ご多忙中恐縮ですが、皆様の、ご出席をお待ちしております。
(東京地方裁判所429号法廷、午後1時に傍聴抽選の締め切りになります。必ず、13時までに東京地裁正面玄関で抽選券を受け取り、抽選に望んで下さい)
●集会のご案内
南京大虐殺・靖国に抗議した香港人弾圧を許すな! 7.17集会
——————————————————————————————日時:7月17日(水) 18時30分(18時開場)
場所:文京区民センター2A (地下鉄)都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」
講演:「安倍政権下の国会で公然と主張されるようになった南京事件否定論」
笠原十九司さん(都留文科大学名誉教授)
著書に『増補南京事件論争史̶ 日本人は史実をどう認識してきたか』(平凡社新書, 2018年)など
報告:弁護団など
*資料代500円
●積極的な傍聴支援と集会参加を呼びかけます!
———12・12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会
●南京大虐殺
南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
『南京事件Ⅱ』
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
皇族はみな、大虐殺があり、軍紀が崩壊同然にあることを知っていた。そして、この皇族には、松井大将指揮による南京攻略戦で司令官を務め、虐殺がもっとも激しかった時点で南京駐在の最高級将校だった皇后良子の叔父で50歳の朝香宮、陸軍航空本部長で、やはり皇后良子の叔父にあたる49歳の東久邇宮、参謀総長を務める71歳の閑院宮が含まれていた。もとより、杉山陸相も知っていた。大本営の多くの中級、上級将校も知っていた。衆議院議員で予備役の江藤少将も知っていた。外務省は確実に知っていた。外務省東亜局長の石射猪太郎はその日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、略奪、強姦目も当てられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)これが皇軍か」と嘆じている。外交官であり、老練な中国通であった重光葵(しげみつまもる)は、その後、戦時中に特命全権大使として南京に駐箚(ちゅうさつ)した際に「南京占領当時の罪科を償ふ為め支那に善政を布くことを極力努めた」と記している。
したがって、近衛内閣は南京での強姦や強奪を知っていたが、多くの報告を受けていた天皇は知らなかった、というのはありそうもないことである。昭和天皇は指揮命令系統の頂点にあり、たとえその指揮系統にどんな欠点があろうとも命令のまさに初期の起点に位置する天皇が、上位、中位の段階での決定を知らずにいることは容易にありえないことだった。天皇は、あらゆる日本軍の動静を詳細に追っており、外信に目を通し、毎日、新聞に目を通し、そして、そのようにして知ったことについて、しばしば側近に質問をしていた。南京奪取と占領を裁可した最高司令官として、日本の精神的な指導者―中国の「膺懲」(ようちょう)に正当性を与えた個人―として天皇は、公ではないにせよ、軍紀崩壊に少しは関心を持つ義務を、憲法上はもちろんとして、最低限の道義的義務として負っていた。天皇は決してそれを行ったようには見えない。
上海―南京の戦闘地域での皇軍の行為に対し、諸外国から外交ルートで寄せられる抗議が増え、それは昭和天皇の目に留まるようになったかもしれない。確かに南京の諸問題は、何人かの帝国議会議員は言うまでもなく、最高司令部や外務省が注目するところとなった。アメリカ大使グルーは、日本陸軍がアメリカ人の資産を略奪した事、そしてアメリカの国旗を冒瀆(ぼうとく)したことについて、広田外務大臣に2度、正式に抗議した。そして、広田は1938年1月中旬、この問題を閣議に上げた。
陥落直後の南京を訪れていた外交官日高信六郎(ひだかしんろくろう)も、広田に詳細な報告をしており、確かな証拠はないが、1月末に虐殺について天皇に報告した可能性がある。日高は流暢に英語を話した。彼はナチス党員だったドイツ人、ジョン・ラーベと個人的に親交があり、ラーベは避難民の保護のため西洋人により南京市中央に設立された南京安全区国際委員会の組織者の1人だった。「マンチェスター・ガーディアン」の記者、ハロルド・J・ティンパーリーの著書「中国に於ける日本のテロ」(1938年)は、南京大虐殺を扱った最初の本だが、彼は日高の個人的な友人だった。彼もまた、南京での出来事について「ニューヨーク・タイムズ」記者はレット・アベントと議論していた。日高は、南京安全区国際委員会メンバーの苦情を外務省に取り次いでさえいた。それにはラーベや、南京大学教授ルイス・スマイスの書面も含まれていた。日高か、広田外相のいずれかが陸軍による南京の蛮行を昭和天皇に伝えていたとすると、天皇は事態を非常によく知っていたはずである。
2019年7月14日日曜日
細菌戦の系譜!!
●日本軍の毒ガス戦
●7.7「戦争を始めた日」国会前集会
●「旧優生保護法優生手術問題と人権」
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却 1949-1956
●旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●記憶の継承を進める神奈川の会
●沖縄
●戦争とは何だろうか??
●軍事研究に関する学長声明 龍谷大学 学長 入 澤 崇
●第24回 スタディツアー 事前学習会
●文学者の戦争協力
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
●長崎731部隊・100部隊パネル展
●京大 学位授与問題!!
●長野平和の旅
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会
●香港の皆様へ!!
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本も人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
●徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
韓国「理解も同意もせず」 日本が協議拒否と主張 輸出規制強化問題
【横田現場直撃】山口イージス/参院選大物直撃!進次郎・二階・菅20190712
【横田現場直撃】決定版!イージスアショアの虚妄 防衛省の杜撰/維新お忍び謝罪/滋賀の野党共闘候補
過去を反省しない日本これでいいのだろうか??
輸出規制 日本側は韓国の対応見極めたい考え
佐川 元財務省理財局長を証人申請へ 森友文書の訴訟で原告弁護団
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
消えゆく「陸軍中野学校」の跡と記憶 「結局は駒」と卒業生は語った
遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議
エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声
辺野古の埋め立て加速 玉城デニー知事「暴挙以外の何ものでもない」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~
医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ
福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上
彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚
なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月13日
・改めて戦争の闇の深さを思い知りました。なぜ、戦争をするのか、なぜ人を殺すのか、何の為の戦争なのか?これからずっとこの疑問を持ちつつ人間はどこに落ちていくのか悲しいことです。(女性、70代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6 月 24 日
1、知らないことがいかに多いか痛感させられました。知って考えて行動せねばと思いました。 (女、70 代、市内、友人)
●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
群がる避難民
しばらくして、一間堡から出た連絡隊が帰ったことが伝えられた。軍司令官は不在だったので正式な命令を受領することはできなかったが、居合わせた高級副官にあって、
「万全の措置を講ずるから、とにかく内地へ向って逃げろ」
と言われてきたそうである。
憲兵の護衛も、その措置の一つなのであろう。
場内アナウンスが、しきりに静粛を促している。
「・・・戦いには敗れましたが、国体は護持され、民族の栄誉は保たれるのであります。私達は、日本人としての誇りを忘れず、秩序正しく行動しようではありませんか。・・・・」
だが、生きて内地へ帰れるかどうか、また帰ったにしても、果して内地は平穏なのかどうか、それすら分からぬ不安と恐怖におののいている人々は、誰もそんな放送など聞いている様子はない。生きるか死ぬかの瀬戸際にある一個の生命にとって、国体も民族もあったものではなかろう。
列車は、いつ発車するとも知れず、とうとう正午になった。前方に他の列車が、つかえていて整理がつかず、くわえて満人の機関士に逃げられてしまった。それで目下運転のできる者を探しているのだと言う。
私達は空腹であった。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
悪魔の兄弟の毒網
日本陸軍の首脳は演習計画を直ちに裁可したが、真崎甚三郎の日記にはさらに、当時ソ連のスパイが北安地区に出没しているのを心配して、関東軍に調査を要求し、もし危険であれば、演習地点は洮南付近に変更することにしたと記載されている。
演習に参加した部隊は全部で135人(将校13人、准士官2人、兵120人)これらの人は12月4日に集合後、下関から乗船中国に向かい、28日、演習地点に着いた。そこで駐屯軍が提供した兵営に泊まったが、演習は1935年1月4日に始まり10日に終了した。
この時の演習後から、中国東北は日本陸軍習志野学校が化学戦演習を行う理想的な場所になり、演習地点は同時に北部の辺境地区に移動した。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み
A.「食料メーデー・プラカード事件」裁判
私がこの裁判で重要視するのは、第1審の公判で松島の弁護人を務めた正木ひろし弁護士が主張したその内容である。すなわち、検察側が主張するように松島のプラカードが名誉棄損罪に確当するのであれば、それは刑法232条の「告訴ヲ待テ之ヲ論ズ」という親告罪を前提としている。したがって、裕仁本人が出廷してその「被害」を述べなけらばならない、という主張しである。法廷に天皇を引きずり出し、じかに発言させる。これは旧憲法で規定された天皇の「神聖不可侵」、それを継承する新憲法をよりどころとする「象徴権威」に対する真っ向からの挑戦である。天皇が普通の人間であり、名誉棄損の被害者であるなら、出廷してはっきりと自分の意見を述べるべきだという、いたって当然の論理だ。おそらく、天皇を証人喚問するために出廷を要求したのは、日本の裁判史上これが初めてのケースであったと思われる。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■処方箋による4分の1リットルのミルク
・・・・・・・
戦争(※第1次世界大戦)が終わった時、ドイツには100万の住居が不足していた。労働者の住まいは過密でひどい状態にあり、肺結核、チフス、赤痢が蔓延していた。ベルリンの学童の77%が自分のベッドを持っておらず、開放性結核にかかっているベルリン市民の66%は自分たちの寝室すら持っていなかった。その後1918年にスペイン風邪が大流行した時、人々の肉体的抵抗力がどれほど失われていたかが明らかになった。「若い人々は朝病気になると、夕方にはもう死亡してしまった。」当時シャリテ病院(ベルリン・フンボルト大学付属病院)の医局医だったケーテ・フランケンタールは彼女の回想録に次のように書いている。
「1918年6月5日、ベルリンでは1週間の割当食糧は1ポンドのジャガイモと1キロのパンだった。わたしが本物の飢餓水腫をみたのはこのときだった。医者たちは毎日4分の1リットルのミルクを『治療薬』として処方することが許された。人々が闇値で医師の診断書を得ようとしたのを不思議に思う人がいるだろうか。飢餓はあらゆるモラルを破滅させた。わたしは診療時間にいつも文字通り恐怖を覚えていた。わたしたちはもう医者ではなく、予審判事であった。」
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「衛生学校30年の歩み」によせて
入隊から退官まで
第8代校長 園口忠男
陸上自衛隊の衛生支援は、衛生学校で教育を受けた学生が原隊復帰後、曹士に普及徹底することによって成立すべきである。ところが当時の教育は、口述原稿の作成にはうるさく言われたが、同一科目の教育内容が教官の質によって変わっていた。各科目の最低限の基準を示す教程が全然なかったためである。
中黒校長は着任以来、教育、研究、学校の整備並びに運営に極めて意欲的であったが、とりわけ、衛生科全体の教育を重視され、口述原稿、教授観察と、それらの検討が厳格で、各科目の教程作成を強力に指導された。退官されるまでには、ほとんど全ての教程を当時のレベルで完成された。その後の教育は整々と実施できた。この意味で、同校長が教育の基本を確立されたと考えている。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第9章 聖戦
Ⅱ
上海―南京の戦闘地域での皇軍の行為に対し、諸外国から外交ルートで寄せられる抗議が増え、それは昭和天皇の目に留まるようになったかもしれない。確かに南京の諸問題は、何人かの帝国議会議員は言うまでもなく、最高司令部や外務省が注目するところとなった。アメリカ大使グルーは、日本陸軍がアメリカ人の資産を略奪した事、そしてアメリカの国旗を冒瀆(ぼうとく)したことについて、広田外務大臣に2度、正式に抗議した。そして、広田は1938年1月中旬、この問題を閣議に上げた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年7月13日土曜日
日中戦争全史年表
日中戦争全史年表
・1924年7月28日、ヨーロッパで第1次世界大戦が開始されると、日本は日英同盟を口実にドイツに宣戦布告、ドイツ東洋艦隊の根拠地である要塞都市青島を軍事占領した。
・1915年、中華民国の袁世凱政権に対華21か条の要求をを突き付け、最後通牒を出して圧力を加え、5月9日袁世凱政権に受諾させた。
・1917年 ロシア革命、ソビエト政権樹立(11月)
・1918年 ウィルソン14か条発表、シベリア出兵開始、米騒動起こる(8月)原内閣成立(9月)、ドイツ降伏、第1次世界大戦終わる(11月)
・1919年 普選要求運動起こる(2月)、朝鮮で3・1独立運動、コミンテルン結成(3月)、中国で5・4運動。日本山東還附を声明(5月)、ベルサイユ条約調印(6月)
・1920年八幡製鉄争議(2月)戦後恐慌起こる(3月)、日本最初のメーデー(5月)
・1921年(大正10) 広東に中国国民政府成立(4月)、中国共産党結成(7月)、友愛会、日本労働総同盟と改称(10月)、原敬暗殺さる(11月)、ワシントン会議始まる。皇太子裕仁摂政に就任(11月)、日英同盟廃棄、四国条約成立(12月)
・1922年(大正11)ワシントン条約、9ヵ国条約調印(2月)、日本農民組合結成(4月)、日本軍山東撤兵(5月)、日本共産党結成(7月)、日本軍シベリア撤兵、ムッソリーニ、ローマ進軍(10月)
・1923年(大正12)共産党第1次検挙(6月)、関東大震災、震災恐慌起こる(9月)、大杉栄、伊藤野枝等殺される(甘粕事件)、暴動を警戒して、自警団、軍によって、朝鮮人、中国人、日本人が殺される!!
・1924年(大正13)中国国民党改組、国共合作なる、政友会分裂。政友、憲政、国民の護憲運動おこる(1月)、総選挙で護憲3派大勝。国本社創立(3月)、加藤高明護憲3派内閣成立(6月)、小作調停法公布(7月)
・1925年(大正14)日本、ソ連を承認(1月)。治安維持法・普通選挙法成立(3月)。4個師団廃止。日本労働組合評議会創立。中国で5・30事件(5月)。護憲3派分裂し、加藤憲政会内閣成立(8月)。農民労働党結成、即日禁止(12月)。
・1926年(大正15・昭和元年)京大学生事件。若槻内閣成立。共同印刷争議(1月)。労働農民党結成(3月)。中国国民革命軍北伐開始(7月)。労農党分裂(10月)。日本共産党再建。社会民衆党、日本労農党結成。大正天皇没。皇太子裕仁践祚、昭和と改元(12月)。
・1927年(昭和2)金融恐慌始まる(3月)。田中義一内閣成立。蒋介石の4・12反共クーデター(4月)。対支非干渉同盟結成。第1次山東出兵(5月)。
立憲民政党結成。東方会議開かる(6月)。武漢政府で国共分裂。27年でーぜ作成(7月)
・1928年(昭和3)第1回普選(2月)。3・15共産党弾圧(3月)。労農党、評議会など結社禁止。中国北伐再開。第2次山東出兵(4月)。全国農民組合結成(5月)。日本軍張作霖爆殺。治安維持法改悪、死刑追加(6月)。特高警察を全国に設置(7月)。不戦条約調印(8月)。ソ連5ヵ年計画発表(10月)。昭和天皇の即位の礼挙行(11月10日)。大嘗祭挙行(11月14日)。労働者農民党結成、直ちに禁止(12月)。
・1929年(昭和4)元労農党代議士山本宣治暗殺さる(3月)。4・16共産党弾圧(4月)。日本、中国国民政府を承認(6月)。浜口内閣成立。緊縮政策開始(7月)。ニューヨーク株式大暴落、世界恐慌始まる。政府、官吏減俸を声明、反対で撤回(10月)。新労農党結成。朝鮮光州学生事件(11月)。東京市電争議(12月)。
・1930年(昭和5)金解禁実施。ロンドン海軍軍縮会議開会(1月)。総選挙、民政党大勝(2月)。私鉄疑獄、売勲事件など発覚。東京市電、鐘紡争議。ロンドン条約調印、軍部右翼の反対起こる(4月)。桜会結成(9月)。ロンドン条約諮詢案枢密院で可決。台湾霧社事件起こる(10月)。浜口首相狙撃さる(11月)
・1931年(昭和6)3月事件、軍部のクーデター未遂(3月)。重要産業統制法公布。若槻内閣成立(4月)。満州で中村大尉が射殺さる(6月)。万宝山事件起こる(7月)。南陸相満蒙問題で訓示(8月)。柳条湖事件、満州事変始まる。イギリス金本位を停止(9月)。10月事件未遂(10月)。犬養内閣成立。金輸出を再禁止(12月)。
・1932年(昭和7)米、スチムソン宣言。上海事変起こる(1月)。井上準之助殺さる。総選挙、政友会大勝(2月)。満州国成立。団琢磨殺され、血盟団発覚(3月)。上海停戦協定成立。5・15事件。斎藤内閣成立。32年テーゼ発表(5月)。ナチス第1党となる(7月)。満州国承認、日満議定書調印(9月)。
・1933年(昭和8)ドイツ、ヒットラー内閣成立(1月)。関東軍熱河省に進入(2月)。国際連盟脱退。アメリカ大統領にルーズベルト当選(3月)。滝川事件起こる。塘沽停戦協定成立(5月)。共産党佐野、鍋山転向声明(6月)。神兵隊事件発覚(7月)。ドイツ国際連盟を脱退(10月)。
・1934年(昭和9)日本製鉄創立(1月)。帝人事件起こる(4月)。岡田内閣成立(7月)。ソ連、国際連盟に加入(9月)。陸軍パンプレット問題。中国紅軍長征開始(10月)。士官学校事件発覚(11月)。ワシントン条約廃棄(12月)。
・1935年(昭和10)天皇機関説問題化(2月)。参議院国体明徴を決議。ドイツ再軍備宣言(3月)。梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定成立(6月)。フランス人民戦線結成。真崎教育総監更迭(7月)。中共抗日救国宣言。永田軍務局長相沢中佐に殺さる(8月)。イタリア、エチオピアに侵入(10月)、中国幣制改革。冀東防共自治委員会成立(11月)。冀察政務委員会成立(12月)。
・1936年(昭和11)ロンドン軍縮会議脱退(1月)。総選挙で社大党進出。2・26事件起こる(2月)。広田内閣成立。メーデー禁止(3月)。軍部大臣現役制復活(5月)。スペイン内乱起こる(7月)。政府「国家の基準」を決定(8月)。綏遠事件。日独防共協定成立(11月)。西安事件(12月)。
・1937年(昭和12)広田内閣倒る。宇垣内閣流産(1月)。林内閣成立(2月)。総選挙、与党惨敗、社大党37(4月)。近衛内閣成立(6月)。盧溝橋事件、日中戦争開始(7月)。大山事件を海軍起こす。第2次上海事変(8月)。中国の国共合作なる。国民精神総動員運動開始(9月)。企画院設置(10月)。南京占領、日本軍南京大虐殺を引き起こす。日本無産党等弾圧。第1次人民戦線事件(12月)
・1938年(昭和13)国民政府対手(あいて)にせずと声明(1月)。第2次人民戦線事件(2月)。国家総動員法、電力国家管理法成立。ドイツ、オーストリアを合併(3月)。徐州占領。近衛内閣改造(5月)。張鼓峯事件起こる(7月)。英仏独伊ミュンヘン会談(9月)。広東、武漢占領(10月)。東亜新秩序建設声明(11月)。汪兆銘重慶脱出(12月)
・1939年(昭和14)平沼内閣成立(1月)。海南島上陸(2月)。ドイツ、チェコスロバキアを併合(3月)。ノモンハン戦争始まる(5月)。米、日米通商条約廃棄(7月)。独ソ不可侵条約締結。阿部信行内閣成立(8月)。ドイツ、ポーランド侵入。第2次世界大戦開始。9・18価格停止令公布(9月)
・1940年(昭和15)米内内閣成立(1月)。参議院、斎藤隆夫を除名。汪兆銘政権樹立(3月)。ドイツ軍、ベルギー・オランダ・フランスに侵入(5月)。フランス降伏。新体制運動起こる(6月)。各政党解散。第2次近衛内閣成立(7月)。北部仏印進駐。日独伊3国同盟調印(9月)。大政翼賛会創立(10月)。ルーズベルト3選。大日本産業報国会創立(11月)
・1941年(昭和16)中国新四軍事件(1月)。日ソ中立条約成立。日米交渉始まる(4月)。独ソ開戦(6月)。関特演。第3次近衛内閣成立。南部仏印侵入。米英、対日資産凍結(7月)。米英、大西洋憲章発表(8月)。東条英機内閣成立(10月)。マレー半島上陸、真珠湾奇襲。対米英蘭宣戦(12月)
・1942年(昭和17)シンガポール占領(2月)。ジャワ島上陸、蘭印軍降伏(3月)。米機東京空襲(ドーリトル隊)。翼賛選挙(4月)珊瑚海(サンゴカイ)海戦
。翼賛政治会創立(5月)。ミッドウェイ海戦(6月)。米軍ガダルカナル島上陸(8月)。米英軍北アフリカ上陸。大東亜省設置(11月)。対華新政策決定(12月)
・1943年(昭和18)ガダルカナル島撤退。スターリングラードドイツ軍降伏(2月)。山本連合艦隊司令長官戦死(4月)。米軍アッツ島上陸(5月)。イタリア、ムッソリーニ失脚。パドリオ内閣成立(7月)。米英軍南イタリアに上陸。イタリア無条件降伏(9月)。軍需省設置。カイロ、テヘラン会談。マキン・タラワ両島に米軍上陸(11月)。学徒出陣。徴兵適齢1年引き下げ(12月)
・1944年(昭和19)朝鮮に徴兵制敷く。東条、陸相・参謀総長を兼ねる。米軍マーシャル群島上陸(2月)。米軍サイパン島上陸。米英軍ノルマンジー上陸(6月)。小磯・米内内閣成立。中央公論・改造強制廃刊(7月)。米軍レイテ島上陸。満18歳以上兵役編入(10月)。サイパンからの本土空襲始まる(11月)
・1945年(昭和20)米軍硫黄島上陸。ヤルタ会談(2月)。大日本政治会創立(3月)。米軍沖縄本島上陸。鈴木内閣成立。ルーズベルト大統領没。サンフランシスコで国連創立総会(4月)。ドイツ降伏(5月)。ポツダム宣言発表(7月)。米軍、広島・長崎に原爆投下。ソ連対日参戦。日本ポツダム宣言受諾、第2次大戦終わる。東久邇内閣成立(8月)。降伏文書調印。米軍進駐(9月)。幣原内閣成立(10月)。占領軍、財閥解体・農地改革等民主化を指令(10~12月)
・1946年(昭和21)天皇神格を否定。軍国主義者の追放始まる。(1月)。チャーチル「鉄のカーテン」演説(3月)。婦人参政権による最初の総選挙(4月)。メーデー復活。東京裁判開廷。食糧メーデー。吉田内閣成立(5月)。第2次農地改革(10月)。日本国憲法公布(11月)
・1947年(昭和22)全官公庁共闘2・1ゼネストを決定。マッカーサー、スト中止を指令(1月)。トルーマン・ドクトリン声明。全労連結成(3月)。国府郡、中共攻撃を開始。6・3・3・4制教育実施。総選挙で社会党第1党(4月)。新憲法施行。片山内閣成立(5月)。米マーシャル・プラン声明(6月)。インド独立宣言(8月)。中国人民戦線反攻宣言(9月)。コミンフォルム結成(10月)
・1948年(昭和23)芦田内閣成立(3月)。コミンフォルム、ユーゴ批判(6月)。政令201号公布。大韓民国成立(7月)。朝鮮民主主義共和国成立(9月)。昭和電工事件。第2次吉田内閣成立(10月)。東京裁判判決(11月)。経済安定9原則指令(12月)
・1949年(昭和24)総選挙、民自党過半数、共産党進出(1月)。ドッジ・ライン指令(3月)。団体等規制令公布。北大西洋条約調印(4月)。下山事件、三鷹事件(7月)。松川事件。シャウブ税制改革勧告案発表(8月)。米、ソ連の原爆保持発表(9月)。中華人民共和国成立(10月)
・1950年(昭和25)コミンフォルム日本共産党を批判(1月)。中ソ友好同盟条約調印(2月)。原爆禁止のストックホルム・アピール発表(3月)。共産党中央委員追放。朝鮮戦争起こる(6月)。警察予備隊設置指令。総評結成。レッドパージ始まる(7月)。追放解除始まる(10月)
・1951年(昭和26)総評、平和4原則採択(3月)。マッカーサー解任(4月)。朝鮮休戦会談始まる(7月)。対日講和条約、日米安全保障条約調印(9月)。社会党左右両派に分裂(10月)
・1952年(昭和27)日米行政協定調印(2月)。講和条約発効(4月)。メーデー流血事件(5月)。破壊活動防止法施行(7月)。総選挙で自由党過半数(10月)。米大統領にアイゼンハワー当選。米、水爆実験成功。電産、炭労スト激化(11月)
・1953年(昭和28)ダレス米国務長官巻き返し声明(1月)。スターリン没(3月)。日米通商航海条約調印。総選挙で左社進出(4月)。内灘問題激化(6月)。朝鮮休戦協定調印(7月)。ソ連、水爆保有声明(8月)
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