2021年4月5日月曜日

細菌戦の系譜!!

                  




















『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」












原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

ミドリ十字は元731部隊員が作った会社

血友病患者の悲劇

日本には約5000人の血友病患者がいます。

事件で問われるもの
しかし、この事件を通じて問われたのは、人命より社益を優先させた製薬会社の体質・行政の怠慢と天下り・医師の低い人権感覚などだけではない。全体から見れば小数だが、一部のマスコミ(新聞・TV・雑誌)が日中戦争以来の731部隊とミドリ十字の歴史関係に着目し、日本の戦後医学会における人体実験体質に言及している。すなわち、元731部隊の中枢にいた陸軍軍医学校教官の内藤良一(元軍医中佐)が戦後創業した製薬会社こそ旧ミドリ十字であり、そこには多くの731部隊員が就職していた。細菌兵器を開発するために多数の人間を人体実験に供し、「マルタ」と呼んで番号化し抹殺していた731部隊は、アメリカへの資料提供の見返りに東京裁判で免責となり、ほとんど裁かれることなく戦後社会の中に再び復帰した。この事実は、強制収容所で人体実験に従事していた医師らがニュルンベルグ医師裁判などで裁かれたドイツとは、根本的に異なった事情を戦後日本の医学会にもたらしてきたのではないか。

731部隊の生き残りと戦後日本の医学
ミドリ十字ばかりではない。戦後の1947年に設立された厚生省の国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)の歴代所長には、731部隊で人体実験に関与した医師が就任していたし、今回の被告人・安部英自身も、薬害エイズ事件以前に、すでに731部隊の関係者の1人として名を挙げられていた人物である。それは、ミドリ十字創業者の内藤良一との密接な関係に基づく報道であったが、今回の薬害事件があまりにも悲惨なものであったため、事件報道の背後で隠蔽されてしまった感がある。すでにエイズ・ウイルスが発見され、非加熱製剤の安全性に国際的にも疑問が出ていた1983年以降ですら、目の前の血友病患者に対して、まるで人体実験のようにミドリ十字社製の非加熱製剤を打ちつづけた安部英は、まさに731部隊の実験体質をそのまま引きずってきた亡霊であるかのように見える。
国際的な歴史感覚を望む
ドイツでは、ナチ時代の医学が1980年以降、一貫して検証され、その批判をもとに編まれた「第三帝国時代の医学」と題する本が医学生の教科書にまでとり入れられている。しかし、日本ではいまだに731部隊の存在をめぐってすら、医学会がはっきりと認める動向にはない。今回の薬害エイズ事件を機に、日本の医学史が再検証され、国際感覚に合致した共通の歴史認識が生まれることを切に期待するとともに、旧ミドリ十字・元厚生省・大学病院の一部などに残存した旧い人体実験体質に対して、歴史的かつ根本的な批判がなされるべきことを主張したい。

東京保険医新聞2001年6月5日号より

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」  1 
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 





実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

◎学術集談会開催

3月20日(木)午後1時より所内講堂に於いて学術集談会を開催。演題下の7題である。

南京鼠腹腔液中に出現する鼠咬症Spirochaetaの研究、追加特にAgglomeration現象について

                       鯛瀬國一

4. ・・・・化学療法としてNeosalvarsan、Bayer205、Trypaflavin、Chium. hydrochl.Emetin hydrochl.Kokomel等を使用したるにNeosalvarsanにては完全に治療せしめ得たるも他種化学薬品にては不可能なりき。

 鼠咬症SpのAggloeration現象について従来の精細なる観察を行いたるものなし。余は感染南京鼠腹腔液中にて之を観察したり。本現象の自然形成は感染南京鼠の約5-10%に於いて認めその数種々にして400-500匹群集したるものより数匹ー10匹内外の少数なるものあり。形状は多く絲毯状を呈しその中心は血球もしくは繊維様物質を抱く事稀にして個々のSpの毬を中心とし求心性もしくは周辺性に微弱なる移動運動を営むAgglomerationは自然形成の外、人工的に形成せしめ得。

即ち感染南京鼠の脾臓剔出、諸種動物血清並びに臓器浸出液を腹腔内接種することにより之を発揮せしめ得。然れども諸種化学薬品にては不可能なり。Agglomerationの発揮物質と免疫体とは密接なる関係を証明し得ざりき。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声


1章 国会議員、研究者、ジャーナリストから


賠償無くして戦争の悲惨さはなくならない


阿部知子(衆議院議員、社会民主党)


本日の判決は、国家として、被害を受けられた1人1人の被害者に対する責任を放棄したという点で非常に問題があると思います。

 私自身は医者でありまして、731部隊については医学生の頃知り、なぜ人を助けるはずの医学がこのような残虐な行為をしたのかという事について衝撃を受けました。

 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月七日


何分夜一寸奉天に行くには汽車がなし 事務所帰りに軽い物を引っ掛けて夜店を見に行くようなことは思いもよらないから こうした活動でもあれば何よりであろう。物質に恵まれた家庭生活者にも慰安がなければ 到底耐えられない事と思う。最もこんな街に娯楽機関と云ふ様な大きい物でもなく 活動の小屋位あれば何よりの天国であろう。総員二八八名では ないのは止むをえまい。最も玉つきはあるしテニスコートでは飛び回れる。入浴は自由に金などなくスチームに水道等々 そんなに淋しがらなくとも天国式の生活は出来るには出来るがね。


大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

亡霊は決して消え去らない。勿論日本文学に、これらの言葉の使用例が絶無というのではない。我が私小説の伝統的主題として、屈辱、恥をあげることは無理ではない。しかし、フランス文学において、屈辱、恥という言葉は、作家と読者の胸を刺す、人間的なモラルの、最も鋭い剣なのだ。そのような重みと共にそれが日本文学に現れることはない。もう1つの言葉、威厳について言えば、事情はもっと明らかだ。例えば、≪あの少年は威厳に満ちている≫という文章を、日本文学のシンタックスが、滑らかに受け入れられるだろうか?これは正しく翻訳の文章にすぎない。

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


終生の重荷

脳裏にこびりついて離れない断末魔の形相

 

千田英男(ちだ ひでお)

731部隊・教育部

 

〈略歴〉

1917年生まれ

1942年 731部隊入隊

教育部付き衛生兵教育

吉村班、植村班、教育部庶務を歴任

■この証言は戦争体験を記録する会(宮城県)編『雲はかえらず』所収「終生の重荷」(1974年)より転載したもの

 拭うことの出来ない傷痕


あれから約40年。この長い年月をもってしても、あの忌まわしい思い出を私から洗い流してくれない。それどころか死ぬまで絡みついて離れないだろう。上司の命令とはいえ生体実験に参加し、同じ人間をモルモット代わりに使用したために、日の目も見ずに死んでいったあの人たちの顔、顔、顔が瞼に焼き付いて離れない。この拭うことの出来ない傷痕は、これまで誰にも黙して語らなかった。

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊


1 関東軍第100部隊


鈴木元之の安達誠太郎告発資料(1953年9月26日)


安達誠太郎と関東軍獣医部、100部隊との関係。

3、1942年3月下旬、従兄林鉄雄(関東軍獣医部員)との話で知るに至ったことー

(a)大東亜戦争勃発後、軍は食糧増産を保証する為、防疫活動を強化し、同時にソ連に対する国防建設の必要から、本年度より500万円をかけて研究処を拡大し、研究活動を強化することになった。

 1942年度より、軍は満洲に於いて40万頭の食用豚の供給を保証しなければならず、この任務の完遂の為、畜産司と満洲畜産株式会社を獣医部の指揮下に帰した。このため、防疫問題を迅速に解決することが緊急課題となり、これは馬疫研究処の課せられた新たな任務となった。



●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

4 欧米列強の毒ガス準備

毒ガスをめぐる陸軍の態度の変化


 以上の経緯についてその背景を考察すると、まず、1925年から30年までの時期は陸軍の毒ガス研究が大いに進展した時期であることに注目する必要がある。25年に陸軍科学研究所第2課は同3部へと昇格し、同年末からメッツナー博士を招聘してその知識を吸収し、さらに28年に忠海兵器製造所が創設されてその翌年から毒ガス製造が始まっていく。毒ガスの知識が深まってその扱いに習熟していくにつれて、ようやく手にしたこの〈新兵器〉を実際に戦争で使ってみたいという衝動が生まれ、30年の霧社事件で使用するに至ったのではないだろうか。




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


 第4章 科学はいかにして罪業となったか

多種多様な化学兵器


各種毒ガス弾の外部形状及び規格は普通の砲弾と違いは無い。一般の火炎砲を用いて発射することもできる。しかし毒ガス砲弾の内部には、火薬の他に毒剤が入っている。このため内部の構造は普通の砲弾に比べて複雑で、各種毒ガス弾は装入される毒剤の成分によって分類できる。毒ガス弾の外側は様々な色の塗料で環状の標識帯が塗られている。ラベルの色は毒剤の色の表示と一致する。例えば糜爛性毒剤(きい一号もしくはきい二号)を装入した砲弾には黄色の標識帯が塗られ、嘔吐性のジフェニールシアンアルシン(あか一号)毒剤を装入した砲弾には赤い標識帯が塗られている、等々。日本の軍隊の中では、一般に砲弾の表示帯の色によって砲弾を「きい弾」「あか弾」等と名付けている。1934年、迫撃砲弾用のあか弾、きい弾及び飛行機から空中投下する15キログラムのあか弾が制式化され、また毒ガス部隊用の毒剤補給管も開発された。1937年には、青酸ガスが制式化されたため、この毒剤を装填する山野砲及び榴弾砲用弾丸も制式化された。











 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

戦争に正義はない

                  森村誠一

私は侵略戦争の実相を避けることなく直視することによって戦争の旗印として使われる「国のため」という意味を改めて問い直してみたい。個人あっての国なのか、国あっての個人なのか。

私は日本という国が大好きである。オリンピックで日の丸が翻ると、胸が熱くなる、だが同じ日の丸が侵略の旗として使われた事実も忘れてはならない。自分の国を愛するという事と、国の独善性を維持促進するために戦う事とは別である。防衛のための戦いすら、侵略との境界が曖昧であり、国の独善性から免れられない。だが国民が「国のために」戦う時、その両者が混同される。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 423日(金)14:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷




◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

1、戦後日本の機密保護体制

造船疑獄から20年めに、再び機密問題をめぐる国家悪の主犯として同じ佐藤栄作が登場することになったのは、歴史の皮肉であろうか。沖縄交渉をめぐる佐藤内閣の対米密約は、より高度な政治的次元において、国家機密とはなんであるかの問題を、するどく提起したのであった。

『検察月報』論文がみずから告白しているように、「秘密保護の必要が強く認められるのは」「警察・検察・裁判、あるいは軍事・外交等」「一国の存立にもかかわる基本的な事務についてである」。別の言葉でいえば国家の暴力装置の対内的・対外的作用が、もっとも厳重に秘匿されるのである。少数支配階級による多数人民の支配は、こうした暴力装置なしに維持することができない。だが、国家の暴力的本質は、蔽いかくさなければならない。それは権力の恥部なのである。こうして暴力には、不可分の属性として秘密がつきまとうのである。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

生体実験の事実

乳酸菌ポリラクトンが厚生省から薬剤として許可されたのは67年11月のことで、これを勝田部隊の隊員に投与した段階では薬剤として許可されていなかったし、あの池における渡河訓練中に集団水死事件を起こした少年工科學校の少年に投与したインフルエンザ・オイルアジェパンドワクチンは、これを使用した当時から69年8月現在に至るまで、論文によれば「試作」したもので、現在に至るも厚生省から認可は無い。したがって、法的な意味で薬剤ではなく、いわば、自衛隊員たちは生体実験の材料にされたという事実はかわらない。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

フェラーズの露骨な反ユダヤ主義 (フランクリン・D・ルーズベルト大統領やニューディル政策、およびすべての自由主義者に対して彼やマッカーサーが抱いていた嫌悪と同じような)や、彼とマッカーサーが日本側要人に伝えた偏狭な信念は、もちろん新憲法の草蝶に反映されておらず、「象徴」君主制への転換に際しても何ら影響を与えることはなかった。しかし、天皇を戦犯裁判から守るためにマッカーサーが講じた異例の措置は、敗戦に対する日本人の考え方に長く、そしてきわめて歪んだ影響をおよばすことになるのである。







日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。

 

署名国            署名日        批准日 (締約日)

ホンジュラス       2017年9月20日     2020年10月24日

インドネシア       2017年9月20日

アイルランド       2017年9月20日     2020年8月6日

ジャマイカ       2017年12月8日     2020年10月23日

カザフスタン       2018年3月2日     2019年8月29日



水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した











           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!





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