2021年4月12日月曜日

細菌戦の系譜!!

                   





『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

ミャンマー抗議デモで10人死亡、国軍は間もなく正常化と強調

2021年ABC企画委員会総会のお知らせ
情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」












原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

-------(引用ここから)--------
厚生省施設が人体実験の中心
私の調査では、それらの実験は、昭和二十七年以来、東大伝染病研究所(現医科研)、国立予防衛生研究所、東京第一病院、都立駒込病院、婦人共立育児会病院を動員して行なわれた。
その中心的組織は国立予防衛生研究所の元所長(当時細菌第二部長)福見秀雄であった。
私が調査したかぎりでは、その人体実験は、
①国立東京第一病院で健康な乳児四名(一~四号)にβ型大腸菌を牛乳に混ぜて飲ませた。
②三号と四号は下痢を起こした。
③四十二日後に再び同じ菌を飲ませた。これは免疫を調べるためで、この結果、乳児の菌への抵抗力強化が確認された。④婦人共立育児会病院でも十人の健康児を三群に分け、生きたα型菌を一群と二群に飲ませ、三群(四人)には熱湯で死んだ菌を飲ませた。
⑤一群の乳児二人に顔面蒼白、食欲のおとろえ、吐きけ、微熱、口のまわりの
おデキ、などができた。
私は国立予研に福見氏を訪ねた。彼の論文にα型、β型菌の致死率の高さが書いてあるのだ。
にもかかわらずそれを飲ませたのは?
「人体実験などと君の質問はピントが外とりゃせんか?」
福見氏の応答はノッケから高飛車であった。
「名古屋のことは知っているが予研ではやってないよ。病原性は疫学的に調べただけ。
動物実験もやっていない。人間と動物は違うからそんなものやっても意味がない」
----ほう、そうですか?私がうかがったかぎりでは、乳児にサルの大腸菌をのませたとか。
「サルの大腸菌?ますます知らんな!」
----そうですか?サルの大腸菌と赤痢菌ですね。それは異種族の大腸菌の腸内における争いや生存の状態を調べるために飲ませたという話ですが。
「飲ませたんじゃなくて調べてたんじゃないですか?」
実は、私はこれらの事実をほかならぬ福見の論文から調べ上げていたのだ。
ほかの誰から情報を得たのでもない。ところが論文を書いた本人が「知らぬ」というのである。
国立第一病院で行なわれた実験では、健康な乳幼児八人が選び出され、生後五ヵ月から七ヵ月の男女乳児四人がまずサルの大腸菌を飲まされた。一歳七ヵ月から二歳三ヵ月の四人に対する人体実験はサルの大腸菌を最初に飲まされ、ついで赤痢菌が「侵襲した」
(偶然?)と報告している。都立駒込病院と東大伝染病研究所付属病院では一連の実験の一環として成人の赤痢患者にサルの大腸菌を飲ませている。これは志願者になされた(「日本医事新報」昭和二十七年三月二十九日一四五七号「α及びβ大腸菌の病原問題」)。
-------(引用ここまで)--------
自分の公表した論文の内容についても、平気で知らぬ存ぜぬとウソをつく、シラを切る。
このやりとりだけでも、彼の人格がよくわかる。
福見は1980年に予研を定年退官後、長崎大学学長に就任した。
凄惨な人体実験を繰り返した731部隊の関係者が国立大学学長に就任とは悪夢のような話であるが、事実である。
これが日本という国なのだ。
公益財団法人・黒住医学研究振興財団は、毎年、優秀な医学研究者に福見秀雄賞を授与している。
受賞者は誇らしげだが、福見秀雄の経歴を知っているのだろうか。
福見が長崎大学学長に就任した年に、教え子の長瀧重信氏が長崎大医学部教授に、のちに医学部長になっている。長瀧教授の教え子が山下俊一教授、その後輩が高村昇教授である。
山下教授が福島原発事故直後に、「福島県は世界最大の実験場」と発言して大ひんしゅくを買ったが、こういった人脈、歴史的経緯を見れば、どうしてそういう発言をするのか、よく理解できるだろう。私利私欲のため人間を断りもなく平気でモルモットにする人体実験の伝統は、福見が最高責任者として在籍した国立感染研究所(旧予研)や長崎大学において、731部隊からしっかりと受け継がれているのである。
極悪非道を行なった人間を責任追及しない、断罪しないから、繰り返し犯罪が行なわれる。
悪が当たり前のようにはびこり、いつまでたっても世の中が良くならない。
これが日本の慢性的な疾患であり、死に至る病である。
福見秀雄と彼の教え子たちはその典型例と言えるだろう。
731部隊に巣食った悪魔は、戦後71年目の現在も、人を変え場所を変え、脈々と生き続けているのだ。


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)









 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 







実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

コレラ菌の溶血現象について

柿原辰雄

楊自汧

4、1%の割合に、Starke、Galactoseを血液寒天に混入せしむる時は、菌の発育幾分阻止さるるも大なる影響は与えられず。而してHaemolyse現象は幾分阻止さるるも尚著明なり。

Haemodigestion作用は著しく阻止さる。Saceharose,gulucoseを使用する時は菌の発育甚だしく阻害されHaemodigestion現象全く認められず。

然れどもHaemolyse現象のみは尚相当著明に現る。

Glykogen、Dextrin及びInulinha殆ど影響を与えず。

但し、Dextrinはわずかに両現象の阻止さるるを認む。


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声


1章 国会議員、研究者、ジャーナリストから

細菌戦の被害者救済と戦後補償を

日森 文尋(社民党衆議院議員)


731部隊に着いての文書を読むと、愕然とします。戦後世代ですが、謝罪を申し上げたいと思います。同時に昨日の判決に対しても、事実は認めるが、国家賠償をしない日本政府に対しても憤りを感じています。

 私なりの謝罪というのは、細菌戦の被害者の救済は勿論の事、戦後補償をするために国会で全力を尽くすことだと思っております。日本が謝罪を行い、補償を行うことが日中友好の大きな力になるでしょう。1人でも多くの国会議員の賛同を得て、この運動が大きな成果を上げることができるように、国会で頑張っていく所存です。(8.28国会内集会での発言)


 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月十日


何分少ししかない小さな草故に 丁度小供の遊びごとの様だ。明日は又上番だと思うとちょっと嫌になる。中隊では不公平な割出でそれは二二が五の如く理屈も何もない割出し方で前期初年兵の全部と後期初年兵のの一部分が 今度十八にて旅順に沿線見学に行く―十、十一、十二の三日間は中隊では休みという―愈々もって嫌になる。

夕食をすました夜 東の新しい運動場に遊びに行く 心限りに歌ってやった。本当に晴れ晴れする。測量技師はだしの苦力の仕事の成果は中々立派なものだ 此の運動場ができ次第小学校の運動会があるとか 五十名あまりの生徒に十名あまりの幼稚園の小供では集団の体操もできず 丁度守備兵のごとき変なものが出来上がりはしまいか。兵隊の格好をして兵隊らしくなく生徒の姿で生徒らしいことの出来ない所は。


 



大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

 そして、もう1つのタイプ。それは、核兵器の廃止を求める運動に加わることで、人類全ての代わりに自分たちが体験した、原爆の悲惨を逆手に取り、自分の感じている恥或いは屈辱に、そのまま自らの武器としての価値を与えようとする人々である。僕の、こうした迂遠なる分類は、本当は必要ではない。広島で人々が体験し、今もそれを体験しつつある、人間の悲惨、恥或いは屈辱、あさましさ、それら全てを、直ちに逆転して、価値あらしめるためには、そしてそれらの被爆者たちの人間的名誉を、真に回復する為には、広島が、核兵器全廃の運動の為の、最も本質的な思想的根幹として威力を発しなければならない。その威力を、ケロイドのある人間たちと、それを持たない全ての他の人間たちが、こぞって確認しなければならない。その他に広島の被爆者たちをその最も悲惨な死の恐怖から救う、如何なる人間の手段があろう?

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ

撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった


大竹康二

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ

1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。

43年8月開拓団入植

1945年5月 122師団(牡丹江)入隊

1945年6月 731部隊教育部に配属

1945年8月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの



満蒙開拓青少年義勇軍


 わしらは1人200町歩(200ヘクタール)ずつ貰いました。1年間に50町歩耕して、ほかは放ったらかし、その間にその土地は肥えているわけ、肥料なんてほとんどいりませんでした。軍に大豆や麦を供出するわけですが、強制ではありませんでした。

 徴兵検査は昭和20(1945)年1月頃、“満洲”とソ連の国境の黒河という所でありました。ソ連がすぐそこに見えました。検査の結果は第2乙だったので絶対兵隊に行くことはないと思っていました。でも5月に召集令状、男と名の付くものなら片っ端から動員されました。義勇軍も全部解散でしたので、自分の持ってるもの、馬でも牛でも、そこら中の人を集めてくれてやりました。みんな、ようしてくれましたからねえ。 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊


1 関東軍第100部隊


鈴木元之の安達誠太郎告発資料(1953年9月26日)


安達誠太郎と関東軍獣医部、100部隊との関係。


6、1942年11月上旬、防疫活動から戻り、従兄林鉄雄に防疫活動に参加した状況を報告した。

(a)3名のソ連人が満洲国国境内に侵入、炭疽菌を散布したが、2名は逮捕、銃殺され、1名は逃走した。炭疽防疫と予防注射は実施したが、まだ現地でいかなる状況が発生したかわからない、

(b)10月下旬より、西南地区で口蹄疫が蔓延し、被害は甚大である。



●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開


1、催涙性ガスの使用とより強力な毒ガス兵器使用の要求

日中全面戦争の開始と催涙性ガスの使用


 このとき参謀総長・閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)大将は、7月28日付けの香月清司支那駐屯軍司令官に対する指示の中で、催涙性ガス筒(みどり筒)の使用を許可している(参謀総長閑院宮載仁「臨命第421号」『資料集Ⅱ』資料37-1)。そして、8月4日の参謀本部作戦課戦争指導班の日誌には、「催涙性瓦斯及火焔発射器使用の為工作決定通達あり」と記されており【参謀本部第2課戦争指導班「支那事変処理日誌(支那事変業務日誌)】、国際法を意識して、非難を受ける事を恐れて使用の事実を欺くための工作活動が行われていたことをうかがわせている。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


 第4章 科学はいかにして罪業となったか

多種多様な化学兵器


 軽型装甲車で牽引し、円盤式撒毒器で散布する。車の壁には3~5ミリの鋼板が取り付けられている。1935年、糜爛性毒剤の散布器が制式化された。1940年には、ちゃ剤ときい剤と発射できる重さ15トンの大型化学戦車を試作した。しかし密封条件が良くなかったため、ずっと実用化されなかった。このタイプの撒毒車を使用する際は、通常、化学毒剤を積んだ車が後について行き、すぐに撒毒車に対して毒剤を補充できるようにした。

 噴射器には、1933年に制式化された「94式」毒ガス雨下器と、1941年に開発に成功した携帯式噴射器がある。これらは基本的に第1次世界大戦時のタイプで、形状は噴射器に似ており、兵士が背負って毒を撒いた。










 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

刺突(しとつ)

農民を初年兵の訓練に


江先 光(えさきひかる)

曹長

〈略歴〉

私は山口県岩国市岩国に生まれた。

小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、

1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。

以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において

捕虜となった。今年40歳です。


春には桃の花が咲き、菜の花が畑を埋め、川辺の柳の青い芽がそよ風に踊るように揺れていた、

夏には梨がなり、秋は黄金色のみかんが夕日に照り輝いていた。だが、どんな豊かな村をも戦争は一瞬にして地獄にする。1940年、日本軍が宜昌を占領してから幸福な一切が奪い去られた。「村を守れ・・・鬼めに荒らされてたまるかッ!」村人たちは手に手に鎌を持ち鍬を持って立ち上がった。これは人間として当然の事ではないだろうか。こうして村落に侵入略奪し、強姦してやろうとした日本兵を後ろからイモ刺しにした。一挺の銃はまた一銃を奪った。二挺の銃は四銃を奪った。こうして青年張子良を隊長とする村人たちは遊撃隊を組織した。これを私達は土匪(どひ)と呼んだ。日本軍に刃向かう不逞の輩と罵った。



 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 423日(金)14:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷




◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

1、戦後日本の機密保護体制

ブルジョア民主主義の恥部

1971年6月30日、ニューヨーク・タイムズのベトナム秘密文書公表事件について合衆国最高裁は、政府の公表差止め要求を否定する判決を下した。これを契機としてニクノン政権は政府秘密の縮小に、わずかながらも着手せぎるをえなくなったのである。 


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

4 公害調査に名を借りたBCW作戦

蛍光粒子使用の意味

米陸軍生物戦争研究所のリロイ・ウォースエギルの生物兵器に関する発表によると、「無害化した炭疽病菌」を水滴の大きさ1~5ミクロン、有効成分5%を含む霧状の雲がジェリージリット装置(発射機)からエアロゾル化して発射する。このスプレー作戦では、海岸2マイル沖の海軍の小型船後部デッキから2マイルにわたって陸地に向かって散布しているのだが、細菌を含んだ霧状のこの雲は広大な地域をエアロゾルで覆い、約100㎢が汚染地域となり、風下23㎞にまで達した、と報告している。




 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

1946年初頭、宮内省の資産が凍結され、人員も縮小されて、その情報源は制約を余儀なくされた。裕仁と側近たちは来たるべき戦犯裁判に効果的に対処するため、新たな情報源を見つけなければならなかった。そのため松平康昌は、終戦後、第1復員省法務局で活動を続けていた旧陸軍省の秘密研究グループの専門知識に頼るようになった。グループのリーダー松谷誠(せい)大佐は、戦時の計画立案に関わり、杉山、阿南の両陸相と鈴木首相の秘書官を務めた人物である。同大佐は木戸の秘書を通じて、敗戦はもはや必至である以上、すぐに和を講じるべきであると天皇に伝えようとしたが、果たせなかった。いまや松谷と彼のグループは、来たるべき戦争犯罪裁判に向けて、打撃を軽くする方法を検討していた。



日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。

 

署名国                                    署名日       批准日 (締約日)

セーシェル             2018年9月26日

南アフリカ             2017年9月20日  2019年2月25日

セントクリストファー・ネイビス   2019年9月26日  2020年8月9日

セントビンセント・グレナディーン       2017年12月8日  2019年7月31日

スーダン                                                  2020年7月22日





水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した










           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!





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