2019年11月11日月曜日

細菌戦の系譜!!


前川喜平講演「つながりあえる社会へ 排外主義を乗り越えるために」
「敬蘭芝さんと牡丹江事件」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)のお話
「まともな働き口はどこに?」上西充子さん講演
731部隊関連資料の公開を求めて!!
「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
ABC企画委員会パネル展
『主戦場』上映会のお知らせ!!
第5回 三多摩平和交流会
旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
沖縄と枯葉剤
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
北支那防疫給水部留守名簿
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!





日本は唯一の被爆なのに、なぜ核兵器禁止条約を批准しない??
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
人類の生存を危機にさらす核兵器と気候変動(デイビッド・クリーガー核時代平和財団会長インタビュー)
JA:放射性降下物による影響についてはどうでしょうか。ビキニ核実験がマーシャル諸島や近隣の島々の人々に与えた影響について教えていただけますか?
DK:放射性降下物は、核兵器に独特な危険の一つです。1946年から58年の間に米国はマーシャル諸島で67回の核実験を行いましたが、これは広島型爆弾1.6発を12年にわたって毎日爆発させ続けるのに匹敵する破壊力です。これらの実験のうち23回がマーシャル諸島のビキニ環礁で行われました。
これらの実験の一部は、実験場から数百マイルも離れた島々や漁船を汚染しました。一部の島は依然として汚染されており、住民が帰還することができません。米国は恥知らずにも、放射性降下物の影響を被ったマーシャル諸島の人々をモルモットのように扱い、人体の健康に放射線が与える影響を調査するために利用したのです。

●核実験
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

歴史上重要な核実験

歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名)         核出力 (kt) 実施国     重要性
1967年6月17日 実験 No. 6 3,300  中国 中国による初の水爆実験
1968年8月24日 カノープス 2,600   フランス フランスによる初の水爆実験
1974年5月18日 微笑むブッダ 12   インド インドによる初の核分裂爆発実験
1998年5月11日 シャクティ I 43  インド インドによる初の潜在核融合増幅兵器実験(正確な核出力は25 kt〜45 ktの間で議論されている)
1998年5月11日 シャクティ II 12   インド インドによる初の原子爆弾実験
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ



●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ

天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
文大統領、与野党5党代表と会合「強制徴用の大法院判決を尊重しなければ」

青木理氏、安倍首相の国会でのヤジに「あえて言えばネトウヨ的。非常に低劣」

英語民間試験 123億利権に群がった役人・教育者・企業たち

特報! 関西電力の調査委員長が積水ハウスでも暗躍

東電、展望なき原電支援=東海第2再稼働見通せず―破綻回避を優先

安倍首相主催「桜を見る会」で後援会関係者をおもてなし。許されない公金の私物化




大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-08)




●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導


なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!




●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。

南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める





●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ


JCOの臨界事故


福島第1原発事故

「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す


2019  所沢市 平和祈念資料展

ヒロシマ 私たちの心の傷


徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」

竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に




●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記

昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記

昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる

京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年









●横浜「戦争の加害展」感想


2月16日

42.在日コリアンへのヘイトスピーチが報道されるたび、関東大震災時の虐殺や朝鮮半島での植民地政策をを思い出します。関東大震災の虐殺からわずか14年後には南京大虐殺が起きています。ともすれば「被害」が戦後の平和教育と言われていますが「加害」こそ本質です。「民族排外主義と差別こそが、戦争への道」とあるように、今こそ子の加害の事実と向き合い反省し、アジア諸国に対しは心からの謝罪と補償が問われています。(男性、60代)

●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想

6月28日(金)
137.沖縄は常に「捨て石」として都合よく利用されてきた。日本の政治家、政府は明治150年記念、改元etc.とさわいでいるが、もっと別の視点でものを見てほしい。最もそんなことは「死んでもイヤだ!!」というかもしれないが。また沖縄のことは、教科書でも取り上げていないので、特に関心のない人は知らないか、誤解していることが多い。このような展示会をもっともっと多くの地域でやって欲しい。(男.60.大磯.新聞)


●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき


Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
ところが、その後がいけなかった。巡査合格を理由に徴兵猶予の証明書を申請したところ、拒否されてしまったのだ。どうやら、私が徴兵逃れをもくろんでいると邪推した窓口の係官の怒りを買ったらしい。
 あげくの果てには、翌昭和14年3月1日付けをもって、満州にある関東軍独立守備第7大隊に直接入営せよ、という通知を受け取る羽目になってしまった。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第8章 無辜の被害者

山西沁水県西山の毒ガス殺人

辛酸を極めた8年にわたる抗日戦争において、日本の侵略者は中国を滅ぼし、中華民族を根絶することを目的に、人間性のかけらもない「殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす」という三光政策を実行し、山西の同胞に対して前代未聞の多大な災難をもたらした。以下は日本軍が山西省において一般民衆に毒ガスを使用した2つの例である。中国共産党山西省委員会・党史研究室の同志らが『中国侵略日本軍の山西における蛮行』を編纂するなかで明らかになったものである。







●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況

1、直接参加した犯罪行為
当時の状況:・・・・石井部隊の拠点は東京都牛込区の軍医学校に置かれていた。はじめ石井はこの軍医学校で細菌の研究に従事していたが、後に研究所を満洲国浜江省五常県に移し、そこで同様の細菌研究を行っていた。
 五常に研究所が設置された時(1934年頃)、石井の郷里、千葉県山武郡千代田村加茂の人々(約20人)が、石井に動員されて満洲へ渡り、石井部隊の職工として各種の業務活動に加わって、多額の財産を手にした。





●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■有能な社会的メンバー
〔コラー教授の生誕80年を祝う1988年2月2日付の新聞。コラー教授によってドイツで医学統計の本格的な研究所がマインツに初めて設立されたとして、その業績を讃えている。〕


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、次のように主張する。「昭和35年4月以降は、編集は化学学校が行うものの、発行は大宮修親会業務とされている。昭和43年以後の「化学学校史」には学校記事の記載は無いものの、廃刊に関する記載は無く、化学学校記事が発行されていなかったことは確かであるが、昭和42年発効の第12号が最終号であるかは不明であると。」
何で、自分の所が出している機関誌がいつ廃刊したのか分からないのか?
こんなことでは、税金の無駄遣いである。
それ以後の「化学学校記事」16号は存在しているのである!!


●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より

3、沖縄―核だけなく毒ガスも

4、日本本土も汚されている
防衛庁長官の珍答弁
米軍相模原補給廠での塩素ガス流出事件は更に問題が大きくなった。というのは、同補給廠に塩素ガスボンベは運び込まれる以前に、横浜港で人身事故を起こしていた事実がその後の調査で明らかになったのからである。
 事件は相模原市での農作物への毒ガス流出事件の1年前に起こっていた。1963年9月1日、横浜港内で作業中の清掃船「新和丸」(新和海運所属)の乗組員が、現場から100m離れた米軍基地から流出した塩素ガスによって中毒症状を起こして倒れた。ガスの被害を受けた6人の乗組員の内4人は、1週間の入院加療を行うほどの重症であったが、この事件も全駐労の調査が無ければ表面に出ることなく闇から闇に葬られて行く運命のもとにあった。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道

1941年以降、統帥機構は、確実に精緻になっていった。昭和天皇はまさにあらゆる軍事情報に関わり、その範囲はより広範で、より深いものとなった。詳細な想定問答集が、作戦課の将校により準備され、天皇のもとには戦況報告が毎週、毎日、ときには1日に2回届けられていた。戦況の評価は、また毎月、そして毎年、天皇が吟味できるように用意さていた。歴史学者山田朗によると、昭和天皇は日常的に、作成中の戦争計画の原案や作戦に関して十分な説明を受けており、詳細な地図とともに、その作戦が行われる理由や作戦を遂行する部隊について、説明を受けていた。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!















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