2019年6月10日月曜日

細菌戦の系譜!!


長野平和の旅
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)
人体実験疑い 京大調査継続せず
「北東アジア国際関係の激変と日中関係」 大西広慶応義塾大学教授
ABC企画委員会
4月18日(木)18時~「ビザ発給拒否国賠裁判」報告会
731と米国の核戦略
防衛省731部隊情報公開裁判の途中経過から見えてきたこと
原子爆弾症研究者都築正男と米の核戦略
武見太郎と金原節三の関係
ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
731部隊関連年表





徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか

※次回 情報公開裁判『化学学校記事』は9月4日(水)11:30~
自衛隊・防衛省は、保管資料を速やかに国民の前に公開すべきだ!!


●催し物



海は命!!
シバサシ-安里清信の残照- ダイジェスト




「天皇メッセージ」 (てんのうめっせーじ)

●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!


●戦争とは何だろうか??
隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~


治安維持法「自由はこうして奪われた」データで読み解く戦争の時代 第1回


NNNドキュメント「防衛大学校の闇 連鎖した暴力…なぜ」


東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ



●ニュース

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
危険性高いウイルスの取り扱い 住民に伝達 国立感染症研究所

危険性高い病原体扱えるBSL4稼働へ 武蔵村山の施設



「返還後最大」100万人デモ=中国への容疑者移送反対-香港

イージス・アショア説明会 防衛省が居眠り謝罪



自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】




“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~


「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声

福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上


彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚


「原発止まれば相当インパクト」 救済一蹴、電力の誤算


医学界の天皇制??
“無給医よ、甘えるな” 真意は…


医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ

強制不妊「反省とおわび」、首相が談話発表へ 救済法成立時

東大祝辞の核心「日本は世界一冷たい国」

戦争を放棄した国がなんで高価な戦闘機を爆買いするのだ???
墜落したF35、1機分のお金で何ができたか―「欠陥商品」147機6兆2000億円を爆買いの愚

海上保安庁の100%落札 予定価格は把握可能か 内部調査で判明

【原発】福島の政治家がついに決死の大暴露! 「政府は現実をことごとく隠す」「復興は原発セールスのため」「動植物の奇形も増加」(インタビュー)


放射能汚染が国際的な問題になっているのではないか!!
WTO逆転敗訴 誤算の外交戦略、見直しへ

なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」



731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


徴用工を象徴する像 韓国 プサン市が強制撤去

“アッキード”安倍昭恵さんは名誉校長を辞めたくなかった


真理を追究すると食えない社会!!
文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死


原因究明されず、ウヤムヤのまま終止符??
強制不妊救済法案、来週にも成立へ

【平成の事件】19人殺害と強制不妊手術 「善意」の暴走と「生産性」追求の果て、続く差別との闘い

発生50年 終わらないカネミ油症事件

医の倫理はどうなっているの??
東京・公立福生病院 透析中止・非導入21人、同意書なし ずさん体制露呈 都指導


「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない

「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃


人体実験疑い 京大調査継続せず

イージス・アショア 田岡俊次 青木理




戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術

なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に




●横浜「戦争の加害展」感想


2月13日
・戦後70年以上経つと、加害者意識はだんだんうすれてきますね。しかし忘れてはいけないこと我々はこ後世の人々に伝えるべきことは、伝える義務と責任を改めて感じた。(男性、80代以上)

●横浜「731部隊・100部隊・毒ガス戦パネル展の感想(4月29日~5月3日)

5/3(金)
1.男.60.大磯町.貴重な展示ありがとうございます。県民センターで今日の展示棟で行われることに感謝いたします。スタッフの方々のご尽力に大いに“ありがとうございます。”沢山の方々に真実を伝えてゆけるよう、今後ともよろしくお願いします。名簿の公表等、少しづつベールがはがれてゆくこと、戦争、間違いを再び起こさないようにみんなで努力してゆきたいと思います。広報を工夫して、もっと多くの人々に知って欲しいと思う。

●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第3部

友を残して

係りの者に逢わせてくれといって頼むと、
「だめだ。もし感染したらどうする気だ」
と一言のもとにおどしつけられてしまった。
「来住野はどうなるのですか?」
「どうなるって、病人だから仕様がないだろう。残しておくよりないじゃないか」
「しかし・・・・」
私はめくるめく思案の中で、恐ろしいことに思い当たった。徹底的な証拠隠滅を行っている部隊が、たとえ病人だとしても生き証人となるべき者を、そのまま残しておくであろうか。という考えだった。
私は、そこを出て、小枝傭員が寝ている病棟へ向いながら、出発の時に見た来住野の母親の顔を想い浮かべた。夫に先立たれて、息子を中学へ出すのに苦労したと私の父に語っていたときのころを・・・・。
「おうい、秋山ァ、集合だよ」
向うから駆けつけて来て叫んでいるのは浜中だった。私は、いよいよ出発だと思い、小枝傭員のことはあきらめてきびすを返した。我知らず駆け出したのは、遅れて取残されてはという本能的な恐怖のせいだったろう。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網

関東軍化学部

もう1つの訓練は、こちらがまだ準備をしていないのに、相手方が使用した毒ガスを発見した時を仮定したものだった。しばらく息を止めて、呼吸を停止し、できるだけ毒ガスの傷害を軽減させ、同時に有効な防備をしていく。具体的な訓練方法は隊員たちに水をたたえた洗面器の中に頭を浸けさせることで、一般には1分間前後息を止められるが、少数の人は3分間も止められた。



(広島県大久野島毒ガス工場)




●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
1)日米軍事同盟の原点としての「原爆正当化」と天皇免罪・免責の共同謀議
他方、米国側は、日本帝国陸海軍大元帥であった裕仁の戦争責任を不問にした。それどころか、日本政府と共謀で「裕仁は平和主義者」という神話を作り上げ、彼の戦争責任を日本側が隠蔽することに積極的に加担し、天皇制を存続させて、それを日本占領政策に、更には戦争終了後の日米安保体制下での日本支配のために利用し続けてきた。米国によるこうした裕仁の政治的利用が、ごく一握りの数の日本帝国陸海軍指導者並びに戦時政治指導者だけを戦争犯罪人として東京裁判で裁くことで、彼らにのみ戦争責任を負わせたことと密接に関連していたことは明らか。


日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか  田中利幸



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

5、いまどんな議論が必要か

■世界と日本での議論の進展

―それに対し、日本の科学者の世界では、全体の問題としてどう議論されていますか。

明らかになったのは、国会のような議事録がないため、議事詳細は議事速記録を通じてしか知ることができないこと、学術会議総会議事速記録は図書館に収蔵されているが図書館所蔵でないため、日本学術会議事務局に閲覧許可申請をしなければならないこと、他方、学術会議の運営審議会資料などは図書館所蔵のため日本学術会議図書館利用規程に基づき、閲覧許可申請をしなければならないこと、日本学術会議図書館は国立国会図書館の支部であるにもかかわらず、「一般公衆」などについては「館長が特に承認した者」でないと利用できないとされるなど著しく利用が制限されていること、複写サービスは、原則として行わない。 ただし、館長の許可を得たときは、利用者において複写又は撮影を行うことは妨げないことなどです。これらの制度は国立国会図書館制度の趣旨や国立公文書館の制度に合うように見直されないままでは、検証は困難です。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

第22回『衛生学校記事』情報公開裁判
明日11日(火)15:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)に、話を聞くと、金原資料をきちんと分けて管理していたとも言っていないという。
金原コーナーはいつなくなったのか?1995年に防衛庁戦史部に移管された?
全ての金原資料が移管されたのか?
それとも1部なのか?消えた資料はどこに行った。
ものすごく曖昧である。
勤務していた人への聞き取りではなく、その本人の証言を聞きたい!!

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。


1)化学防護(草案)陸幕化学課、第2編第1章
2)原子力必携37.7衛生学校 第1.2.3.4章
3)特殊武器衛生 35.10 衛生学校 第1編 第1章 第2編 第1章 第2~4節 第3編 第1章 第2節 付録第7
4)旧『衛生学校記事』第1号(32.7)
生物戦に対する医学的防御の問題点  園口忠男
5)同上第3号(32.9)
細菌戦回顧             北条円了
6)同上第12号(33.6)
軍陣医学における放射線防護     泉 将
7)新『衛生学校記事』第1巻第2号(36.7)
放射線の正体            泉 将
8)同上2巻1号(37.1)
忍び寄る死の灰           泉 将
9)同上2巻2号(37.4)
神経ガス症について         河合正計


※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年


第9章 聖戦


この時点で、蒋介石は華北を放棄し、上海を起点とする揚子江下流地域に戦場を移動した。上海は中国最大の、そしてもっとも国際的な都市であり、おそらく自国の居留民を保護しようとする列強を戦争に引き込む意図だった。上海には、日本人約2万2000人、ヨーロッパ系約6000人、アメリカ人は約4000人が居留していた。その大半が諸外国が管理する共同租界で生活していた。8月13日、上海で戦闘の火ぶたが切られ、翌日には、中国空軍機が日本の部隊や地上にあった海軍の航空機、第3艦隊旗艦咄雲を爆撃した。その直後、米内提督のもと、海軍省は南京占領も含めた戦争拡大を唱える中心となった。蒋介石対帝国海軍という情勢の第2段が、「北支事変」を日中戦争へと転換させたのである。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!










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