2019年4月19日金曜日

731と米国の核戦略

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米国の核戦略に全面的に協力する体制をとっている日本は、謀略も平気でやってのける!!
勿論、日本の核武装も考えているのだろう。



都築正男は軍人であり、医学者であった。
病気を治すのにも関心はあっただろうが、731部隊の石井四郎のように、細菌兵器やその他の兵器にも大いに関心があったのではないか??
都築は東大が中心になって作った同仁会に属していたが、勿論陸軍の731部隊などの情報も得ていた。
第10回の日本医学会総会では、最後報告として「支那事変における戦傷について」という題で講演をしている。
この第10回の医学総会からは、軍事色一色の研究になった。
以下、「原爆調査以前の都築正男ー日本軍の中国侵略との関わり」から引用
原爆調査の日米合同調査団の日本側メンバーは村地孝一(理化学研究所)を除けば東大医学部だけで組織された。米国の進んだ知識や技術を利用できて、かつ世界初の学術的成果を残せるかもしれないという東京帝国大学としての学術的な「野心」もあったかもしれないが、第1章で述べた「助教授自殺事件」を含め、戦争犯罪に関わるような不都合な事実を隠蔽して「東京帝国大学を守るために」東大医学部が米軍に積極的に協力する道を選んだと解することもできるのではないだろうか。さらに『東京大学医学部百年史』にも、米軍の原爆調査への東大の協力は一言も触れていないという不自然さもまた存在するのである(笹本1995:66)
以上引用

東大も自らの戦争犯罪を隠蔽するために原爆調査に積極的に米軍に協力したが、同じように731部隊も原爆調査に積極的に協力し、自らの戦争犯罪の免責を米軍から得たのではないか!!
原爆調査は、残留放射能はないと言ったり、放射能の被害を矮小化した!!
今の、フクシマで起きている事象にも、同じようなことが起こっている。




















細菌戦の系譜!!

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防衛省731部隊情報公開裁判の途中経過から見えてきたこと
原子爆弾症研究者都築正男と米の核戦略
731部隊関連行事
(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
武見太郎と金原節三の関係
北京にも細菌部隊(1950年1月10日)
4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場)
ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
731部隊関連年表
人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
日本の核開発(加藤哲郎さん)

明仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!

●ニュース
在職老齢年金の廃止検討 政府・与党、高齢者の就労促す 高所得者優遇懸念も

萩生田氏“消費増税延期ありえる” 衆参同日選含め臆測も

籠池夫妻 あす安倍首相の街頭演説へ

「トランプ氏、無罪放免せず」 捜査報告要旨

トランプ氏「私は終わった。くそっ」報告書が明かす攻防

医学界の天皇制??
“無給医よ、甘えるな” 真意は…

室井佑月「新元号で、どうしろと?」


医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ

強制不妊「反省とおわび」、首相が談話発表へ 救済法成立時

東大祝辞の核心「日本は世界一冷たい国」

戦争を放棄した国がなんで高価な戦闘機を爆買いするのだ???
墜落したF35、1機分のお金で何ができたか―「欠陥商品」147機6兆2000億円を爆買いの愚

海上保安庁の100%落札 予定価格は把握可能か 内部調査で判明

【原発】福島の政治家がついに決死の大暴露! 「政府は現実をことごとく隠す」「復興は原発セールスのため」「動植物の奇形も増加」(インタビュー)


放射能汚染が国際的な問題になっているのではないか!!
WTO逆転敗訴 誤算の外交戦略、見直しへ

なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分で『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」



731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


徴用工を象徴する像 韓国 プサン市が強制撤去

“アッキード”安倍昭恵さんは名誉校長を辞めたくなかった


真理を追究すると食えない社会!!
文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死


原因究明されず、ウヤムヤのまま終止符??
強制不妊救済法案、来週にも成立へ

【平成の事件】19人殺害と強制不妊手術 「善意」の暴走と「生産性」追求の果て、続く差別との闘い

発生50年 終わらないカネミ油症事件

医の倫理はどうなっているの??
東京・公立福生病院 透析中止・非導入21人、同意書なし ずさん体制露呈 都指導



元号反対!!
「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない

「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃

天皇神話はいらない!!
皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式


人体実験疑い 京大調査継続せず

イージス・アショア 田岡俊次 青木理




森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審

戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術

なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


●廃墟の昭和から
帝国陸軍葬送の記
美山要蔵
9月27日
昨日、補導会発会式を挙げたが、前途は憂慮に堪えない。軍管区、連隊区の熱意も不十分である。軍隊だけが熱心である。支部長は知事とする。
陸軍省を今後どうもって行くかについては、外務省が問題としていて、なかなか政府部内が一致せぬ。陸軍部内の意見すら一致していない感がある。
人事については9月2日以降は公務死とし、同日以降1年間は復員後といえども、遡及進級を認めていくこととする。嶋田大将の気持は真珠湾攻撃は全員責任を負うし、東條大将は開戦の全責任を負うという気持であってよし。終戦航空便は松戸より毎日西へ、北部には週2回送る。



京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日
・慰安婦問題、徴用工問題は日本が反省し謝罪しなければ解決しません。金銭的支払いをしても解決する問題ではありません。安倍晋三は謝罪する気持ちがないのでいくら金銭的に補償しても、不可逆的に解決とはなりません。・歴史修正主義の歴史的教科書である育鵬社の教科書を採択しないで本当の歴史を学ぶために子供たちにこの「パネル展示」を見学させたいです。(男性、70代)



●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部

沖縄失陥のあと

彼らは大声をあげて叫んだり、はしゃいだりはしない。人数の割には驚くほど静かと言えた。ざわざわと蚕のようにうごめいているだけだった。
「あんな所に、爆弾がつんであるよ」
と保坂が誰にともなく言った。見ると、右手の建物のそばに、赤くさびついた爆弾が鉄屑のように積み重ねられてある。長さは私達の背丈ほどもありそうだった。
「ああいう爆弾もつくっているのですか?」
私は、小枝雇員に尋ねてみた。
「うん、前は、あんなのを使ってたんだが、途中で方針がかわったのだ。あれは普通の爆弾だからね」
私達は、5時までで作業を切り上げて帰ったが、苦力たちはほとんど徹夜の仕事を続け、2日で3つのえんぺい壕を掘り終えた。輸送機は7機あったのだが、幹部の出張や支所との連絡などに絶え間なく用いられているので、壕は3機分で足りると言うわけだったのであろう。
部隊の南側、官舎の近くに三角のモグラ兵舎が作られ、工兵隊と爆弾操作要員が2個中隊ぐらい部隊に駐屯することになった。爆弾操作要員というのは、つまり謀略攻撃要員のことで、細菌爆弾をかかえて敵に潜入する訓練を受けているのだという。斬込隊の要領で行うのだそうだが、どの程度の訓練を受けたのか、はっきり聞いていない。だが、彼らは全部、かなり年配の補充兵であって、見るからに士気阻喪していた。練兵場で、ほふく訓練などをやっているのを見かけたが、まだ軍隊生活に不慣れなぎこちない動作がはっきり感じられた。士気高揚の意味で、夕方、赤い残照に包まれて軍歌を歌っていたが、それを聞いていると、私達までが、悲しくなるような愁いに満ちていた。




●陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず




●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校

重要な実験場

東北にいたとき稲田は関東軍首脳に対し何回も交渉し、大規模な化学戦の演習の遂行に賛成するよう説得した。重要なのは、「きい弾」つまりマスタードガスの効力射撃実験と大規模な青酸の放散実験だった。彼らの了解を得た後、稲田は国内各方面と協力して、実験に必要な大量の毒剤と器材を調達し転送した。
中国東北へ化学兵器を転送した状況に関しては、我々は先に服部忠さんの回想を見た。彼は毒剤が運ばれた具体的な場所までは提供できなかったけれど、渡した相手の勝村福太郎という将校を記憶していた。我々は彼の回想と、当時チチハルにあった関東軍化学部隊の前身は関東軍技術部化学班であり、班長が勝村だったので、「勝村部隊」と呼ばれていたことを知った。また当時は「731部隊」でも「516部隊」でも、毒剤はすべて日本の大久野島がら運ばれていたことが知られていた。これは一般の常識だったから。大規模にマスタードガスを放出する実験は以前から行っていたが、すべて散布の方法を採用していた。しかしこの回収採用したのは野戦砲を利用して射撃する方法で、砲弾の爆発後、マスタード毒剤を飛沫状態で放散させるが、この種の飛沫の効力は、上述の相馬原の実験ですでに検証済みであった。



(広島県大久野島毒ガス工場)




●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第四展示室
第四展示室は、偽札製造を行った第三科の活動を中心に紹介しています。第三科は高度な印刷技術を駆使して、偽札や偽造パスポートの製造を行い、とりわけ中国の蒋介石政権の紙幣の偽造に力を注いでいました。偽札の偽造と散布、それが戦局に与えた影響について見ていきます。


「秘密の中の秘密」の組織
さらに敗戦時に、偽札をはじめ第三科に関する資料のほとんどを焼却しました。戦後においても第三科は一部の所員が証言を行うまでほとんど実態がわかりませんでした。第三科は戦中・戦後を通じて「秘密の中の秘密」の組織であり続けたのです。

川崎市民が実施した元所員へのアンケートより
1989年に川崎市民が元所員に実施したアンケートの回答。第三科に勤務していた男性の証言抜粋。ここから第三科の「秘密性」がうかがえる。
【面接、作文、健康診断があり合格者は学校に通知がありました。入所決定の後、憲兵本部から身体調査があった様です。(三科に決定するため)
北方班で作っている製品が何のための物だったのか極秘のため知らなかった人が多い様でしたがお札を作っているのは噂で知っていたがお互いに口に出すのは禁じられていました。






●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

5、いまどんな議論が必要か

■今後の検証で重要なこと

―今後さらに検証を進めるうえで重要なことはなんでしょうか。

国政、日本学術会議、日本医師会、日本医学会で検証を行うという意思決定がなされていない状況を考慮しなければなりません。これまでは「戦争と医の倫理」の検証を進める会などは、4年に1回開催される日本医学会総会での意思決定を期待して主に日本医師会や日本医学会に働きかけてきましたが、今後はどうするかということが問われているように思います。この間の検証で、個々の専門医学会や大学医学部、医科大学が自省すべき史実も明らかとなっていますが、その気配が見られないところにどのように働きかければ自省が進むのかの議論です。具体的には、戦中の医学部教授会の議事録の開示、不正・非人道性が疑われる論文を学会誌に掲載した当該学会(日本病理学会、日本感染症学会など)における検証、不正・非人道性が疑われる学位授与論文が受理されている大学(京都大学、東京大学、新潟大学など)における当該学位授与の検証、九州大学医学部「生体解剖」事件に関する九州大学における検証、731部隊や戦中の学術に関する学術会議における検証などです。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
第21回『衛生学校記事』情報公開裁判

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『衛生学校記事』2巻4号 1962年10月
(2)第9期幹部対化学衛生課程
〇目的:衛生課幹部に対し、対化学傷者の取り扱い治療技術に関する技能を修得させる。
〇資格:衛生科陸佐、陸尉
〇人員:10名
〇期間:10週間、1月10日~3月24日
〇内容:将来戦におけるCBR衛生に関する識能の普及向上を図るため基幹幹部養成を目途とし、特にCBR防護に必要な医学的知識、大量傷者の治療処置等を重点に教育を実施する。


※CBRとは化学(Chemical)、生物(Biological)、放射性物質(Radiological)用いた兵器はそれぞれの頭文字をとってCBR兵器と呼ばれている。

※明らかに、自衛隊では、化学兵器、生物兵器、核兵器の積極的利用を考えている!!
理研では、核兵器の研究を戦後もずっとやっているのだろうか?


※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年


第8章 昭和維新と統制



蜂起から4日めの朝、2月29日までに、天皇は確実に権威を維持していた。蜂起部隊は兵営に戻り、首謀者の多くが捕らえられた。4月に開廷した軍法会議は、弁護人をつけない秘密裁判であり、これによって、首謀者17名に死刑判決が下され、うち15名が7月に銃殺刑となった〔残る2名は翌年8月、北一輝らとともに処刑〕。その後、間もなくお盆になると、天皇は侍従武官のひとり(叛乱が起きた際、たまたま宮中に夜勤で入っていた)に、盆提灯17個を用意するように命じたといわれる。この侍従武官は宮中のさるところに提灯をつるした。天皇は提灯についていっさい語らず、このことは天皇が叛乱を許したと思われることがないように秘密にしておかなければならなかった。これはみずからを慰めるためか
もしれない。側近に対する迫害を断つため死刑判決を裁可した後でさえ、天皇は、臣下を思いやる信念に生きていると、依然として、思い込むことができたからである。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!









2019年4月18日木曜日

細菌戦の系譜!!

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●ニュース
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原因究明されず、ウヤムヤのまま終止符??
強制不妊救済法案、来週にも成立へ

【平成の事件】19人殺害と強制不妊手術 「善意」の暴走と「生産性」追求の果て、続く差別との闘い

発生50年 終わらないカネミ油症事件

医の倫理はどうなっているの??
東京・公立福生病院 透析中止・非導入21人、同意書なし ずさん体制露呈 都指導



元号反対!!
「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない

「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃

天皇神話はいらない!!
皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式


人体実験疑い 京大調査継続せず

イージス・アショア 田岡俊次 青木理




森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審

戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術

なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


●廃墟の昭和から
帝国陸軍葬送の記
美山要蔵
9月26日
極東空軍のやり方、今後実際的になる見込み。
ソ連との直接連絡を一切禁止せられた。
細菌戦については、次の諸件を基本として調査に応対する。
1これを実施すれば日本及び皇室に累を及ぼす
2新しい細菌は得難い
3機密保持は困難である
ゆえに細菌戦は実施し得ない。

*細菌戦をやれば、皇室に累を及ぼす、というのも、新種の細菌は入手困難、第1そんな秘密は保てない。だから細菌戦など絵空事だ。この言い訳は、悲しい。無性に悲しい。心に浸みる悲しみだ。石井四郎=千葉県出身、京大医学部卒、2等軍医、近歩三付を振出しに1等軍医で学位取得、日韓事変中に大佐に進級、関東軍防疫部長、防疫給水部長を3度やって中将。敗戦時にソ連の追及を潜って米軍に確保され、巣鴨に収監されたが、昭和25年、朝鮮戦争が勃発すると、なぜかあわただしく出所、朝鮮戦線での細菌爆弾使用に、何らかの関係があったと見られている。34年10月8日死去



京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日
・6月に横浜の戦争展を開催しています。戦争の被害・双方を事実に基づいて伝えていくことは
再び同じ過ちを繰り返さないために大事なことだと重います。とりくみの大事さをつくづく感じます。あありがとうございました。(女性、60代)



●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部

沖縄失陥のあと

夜の講義には、講師がそれを裏付けるように、
「いまに、世界中をあっといわせる新兵器ができあがる。このくらいで、一億人の人間を殺すことができるのだ」
と、小指の先を示して、沈みがちな私達を励ました。それは確かに私達の大きな期待となった。
「高等官が言うんだから、間違いないよ」
というのが私達の共通な感情だった。
7月に入ってからは、何かとあわただしい日が続いた。飛行場のそばに輸送機のえんぺい壕を掘るために、千人近い苦力を動員したが、私達も一日、壕掘りに奉仕したことがある。
小枝雇員と一緒に、私と佐々、保坂の3人はボイラー室の横を通って第2部の飛行場をめざして進んだ。裸に素足という大勢の苦力たちが悠長な動作で土を掘ったり運んだりしている風景は、何か原始の人間の営みを見るようである。




●陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず




●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校

重要な実験場

稲田は東北に来てから、すぐにソ連との国境にある重要な軍事拠点、東寧に赴いた。ここで、彼は陸軍の参謀人員と関東軍化学部の主要首脳と合同で、国境突破時実施する化学戦の戦術問題と使用する化学兵器の種類を実地に研究した。前にあげた「ちゃ瓶」はこのときの研究で、ソ連国境にあるコンクリートのトーチカに対して攻撃のために使用することが決定された。関東軍自身も辺境線上に大量にこの種の工事を建設していたので、一旦この種の陣地に向かって激しい攻撃を加えたら、相当大きな死傷者を出し、しかも効果を上げるのは大変難しいことがはっきりしていた。有効な通常兵器がない状況下で、日本陸軍は毒ガス兵器使用の問題を考慮したのだ。この時の研究終了後、稲田は白河付近で実地考察を行ったが、彼の回想によると、これらの考察を通して、化学戦主体の攻撃戦による辺境線上の通過に関して彼の胸中に成算ができあがった。



(広島県大久野島毒ガス工場)




●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第四展示室
第四展示室は、偽札製造を行った第三科の活動を中心に紹介しています。第三科は高度な印刷技術を駆使して、偽札や偽造パスポートの製造を行い、とりわけ中国の蒋介石政権の紙幣の偽造に力を注いでいました。偽札の偽造と散布、それが戦局に与えた影響について見ていきます。


第三科の施設 ~5号棟・26号棟~
明治大学生田キャンパスには5号棟・26号棟と呼ばれる第三科の木造平屋建ての建物が存在しました。それらは細かい間仕切りを必要としない西洋トラス構造で屋根が作られており、大きな印刷機を設置できるようになっていました。5号棟は偽札の印刷工場、26号棟は偽札を保管する倉庫として使用されていました。5号棟は2011年2月に、26号棟は2009年7月に老朽化のために解体されました。





●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

5、いまどんな議論が必要か

■立法府の動きにどう向き合うのか

―戦争放棄、軍事研究復活阻止が決定的に重要であるとしても、「命令には従わざるをえない」ということについてはどう考えればいいでしょうか。

「戦争と医の倫理」の検証を進める会などで一致協同して取り組んでいる根底には戦争医学犯罪を繰り返さない、繰り返させない、ということがあります。戦争は人を狂気にします。今日ではPTSDに分類される戦争神経症などは先の戦争でも日本の軍や医学界・医療界の課題でした。
被害者やその遺族の無念・怨念も癒えることはありません。戦後も狂気が癒えず入院したままで世を去った人々や今も入院中の人々がいます。だから医師・医学者は「戦争に反対だ。でも戦争になったらお仕舞」では済まないのです。戦争で医師が狂気に陥り、戦争に賛成し参加すれば、治療や予防という医師の役割に相矛盾します。その意味で「繰り返さない」ということは、医師・医学者自身が、人間の一尊厳、人権、命と健康の擁護を貫ける強靭な倫理観を持つことであり、検証の意義はそこにもあります。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
第21回『衛生学校記事』情報公開裁判

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『衛生学校記事』2巻4号 1962年10月
(1)第8期幹部対化学衛生課程
精神教育
「C」戦用化学剤の特性、検知除毒、化学剤の医学的効果と治療、傷者取り扱いを重点に動物実習を行う。
「B」生物戦の意義、攻撃法、防護要領、軍事生物学全般、生物地理、疫学等
「R」原子物理、原子武器の種類、爆発効果、原子爆弾の医学的効果、放射能測定実習、動物実験、被害検知地図作成等、その他軍事気象学、国際法、図上研究、防疫実習等。
なおこの間、原子力研究所、燃料公社、遺伝学研究所、理化学研究所等の見学を予定している。また入校前に通読されたい教範、資材等は次の通りである。
1)化学防護(草案)陸幕化学課、第2編第1章
2)原子力必携37.7衛生学校 第1.2.3.4章
3)特殊武器衛生 35.10 衛生学校 第1編 第1章 第2編 第1章 第2~4節 第3編 第1章 第2節 付録第7
4)旧『衛生学校記事』第1号(32.7)
生物戦に対する医学的防御の問題点  園口忠男
5)同上第3号(32.9)
細菌戦回顧             北条円了
6)同上第12号(33.6)
軍陣医学における放射線防護     泉 将
7)新『衛生学校記事』第1巻第2号(36.7)
放射線の正体            泉 将
8)同上2巻1号(37.1)
忍び寄る死の灰           泉 将
9)同上2巻2号(37.4)
神経ガス症について         河合正計

※CBRとは化学(Chemical)、生物(Biological)、放射性物質(Radiological)用いた兵器はそれぞれの頭文字をとってCBR兵器と呼ばれている。

※明らかに、自衛隊では、化学兵器、生物兵器、核兵器の積極的利用を考えている!!
理研では、核兵器の研究を戦後もずっとやっているのだろうか?


※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年


第8章 昭和維新と統制



天皇は、叛乱軍鎮定に強い意志をもって臨んだ。叛乱の翌日から3日めとなる28日早朝にかけて、天皇は、本庄を繰り返し引見したため、侍従は頻繁に明治宮殿の長い廊下を走ることとなった。天皇は、その都度、叛乱が鎮定されているか否かを、問いただした。本庄の報告が気に入らず、天皇はみずから近衛師団を指揮して鎮圧すると脅かした。しかし(秦によると)本庄もまた叛乱軍の行為を頑固にかばった。実際、当時のことを記録した本庄の日記は、事実上、彼が天皇を裏切っていたことを示していた。
叛乱が続いているとき、天皇は遠く離れた弘前の任地から戻ってきた秩父宮と会った。これまで、秩父宮と天皇の関係は必ずしも親密なものではなかった。この会見の後、秩父宮は叛乱軍から身を遠ざけ、青年将校や皇道派の将軍たちとの関係を絶ったといわれる。それでも、秩父宮が叛乱軍に同情的だったという噂は後を絶たず、2年後、西園寺は(秘書の原田に)、皇室内の骨肉の争いがいつか流血の惨事を引き起こすのではないかと心配していたと2度語っている。叛乱から2日め、この日もふたりの海軍高級将校、米内光政中将と井上参謀長は、 天皇への忠誠で際立っていた。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!









北京にも細菌部隊(1950年1月10日)

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北京にも細菌部隊(1950年1月10日 AKAHATA)
終戦後ノミ入り石油缶1万個持ち去る
当時の衛生兵松井寛治氏語る
満州で細菌兵器が使われていたことが先にソ同盟の元陸軍大将山田乙三氏らの裁判で明らかになったが、たまたま昭和20年北京に衛生兵として駐屯していた電産神奈川支部執行委員長松井寛治氏が9日代々木の党本部を訪れ、北京でも細菌兵器の培養所があったと、終戦と同時に細菌を培養したノミ入り石油缶1万個がトラックでどこかへ持ち去られたと当時の事情を次のように語った。

応召になり、満州で3か月の歩兵訓練を受け、昭和20年4月に北京に回され衛生2等兵として1855部隊篠田隊に配属された。ここは細菌兵器研究所だった、ペスト菌とノミの培養を主として行い、対ソ戦の準備が行われていた。北支派遣1855部隊とは当時の北支派遣軍総司令官下村定元中将の指揮下にあり、部隊長は西村英二元軍医大尉だった。本部は北京の名所天壇のすぐそばにあって表面上の仕事は野戦給水及び伝染病予防ということになっていたが、現業部門として第1課(病理試験)、第2課(ワクチン製造)、第3課(細菌兵器研究所)があって活動していた。第1課は北京市内東南のロックフェラー医大に、第2課は北京市内の北海公園の国立博物館にあった。

同部隊は北京本部の他に開封、天津、石家庄、張家口、青島、太原などに支所を持ち部隊は総員1000名以上だった。
第3課の作業内容は(1)ノミの大量生産(2)ペスト菌の大量生産(3)ノミとペストの結合(4)航空機上からの撒布などだった。
 ここの隊長は篠田統で京大教授理学博士で大佐待遇の軍属だった。下には軍医将校2名、将校待遇軍属3名、衛生下士官6名、衛生兵45名、女子軍属3名、下士官3名、中国人苦力5名、その他北京高女の邦人少女10名が働いていた。建物の地下室は細菌培養室、動物室、ハエ培養室、マラリア研究所があり、2階全部はノミ培養室だった。第3課は作業内容により第1業室(ノミの生産)第2業室(ハエの生産、マラリア研究)第3業室(ペスト菌の生産)小動物室(ねずみ)等に分かれ、作業中は内部からカギがかけられ常に当直者がおかれていた。

作業終了後宿舎に帰っても作業内容についての話は一切禁止され、日曜の外出中でも部隊の内容は憲兵の尋問にも答えるなと厳重に申し渡されていた。

部隊の存在を抹殺
隊長ら、背広で逃げ帰る
1945年6月には、ドイツが降伏し、米軍は沖縄に迫り本土の空襲の激化が伝えられてもノミとペストの生産は着々と行われていた。ノミの発育には暗闇と摂氏28度の気温と90%の湿度が必要なため研究所の2階の窓はかたく閉ざされ、ガラスには内側から黒ペンキが塗られ室内は暗黒が保たれ、湿度を保つために廊下や各室には天井からボロ布が吊り下げられ、1時間に1回ずつ噴霧され、床には2㎝以上の水が常に蓄えられていた。

各室に取り付けられたスチームのバルブは少しずつ緩められ1日中蒸気が室内に立ち込めて回転し、木製の棚が数列並べられ、その上に無数の石油缶が置かれノミが入っている。缶の中にはノミの餌として小かごにネズミが入れられ、数千匹のノミから生血を吸われている。このネズミには毎日餌をやる。ネズミは4日ないし1週間で死亡するから毎朝点検して、死んだ奴は生きたものに取り換え、ネズミの死体はそのまま地下室に運ばれ、ヘビの培養室の餌に使われる。

しかし恐ろしいことにはネズミの体内にある発疹チフスの病原体はノミを通じて人体に入り戦友は次々と倒れて一時は部隊の3分の1の人員が入院したことがあった。
 私が配属される1年ほど前ここで人体実験が行われ2人の中国人が犠牲になったという話を聞いた。実験の内容はよくわからないが、その中国人は手足を縛られて口にはサルグツワをはめられ、カマスに詰め込まれトラックで白昼北京市内から部隊に搬入され1週間目に絶命したということだ。さらに私が尾崎技師から直接聞いたところによると1942年頃徹夜でノミの大量生産を行い外部に出したことがあり、またノミの対空実験をやり満足すべき結果を得たと言っていた。

8月9日ソ連の参戦と同時に細菌戦研究所の人員は銃を持って張家口方面に出動して作業は不可能になりブラブラしているうち8月15日の終戦になった。
 例の正午のラジオ放送の終わった20分後、篠田は細菌研究所の破壊を指令した。作業は3日3晩徹夜で続けられれ太。
 中庭に大穴が掘られ、ノミをその内に入れ、ガソリンをかけて焼き払った。重要書類、細菌培養器具はすべて焼却された。ノミ培養の石油缶1万個はトラックで、どこかへ持ち去られた。
 終戦7日目、私達は破壊作業を終わり、本部に集結したが、それと同時に中国国民党の目をごまかす為、部隊の解散が指令され、北支那防疫給水部の名称は終戦直後、北支那派遣軍の名簿から抹消され、所属の将校は各陸軍病院へ転属させられた。

 1945年9月には天津の病院付きとなり11月から開始された復員者の検疫にあたった。同年12月隊長の篠田統と軍医大尉の高岡満、軍属技師の尾崎繁雄のの3名は軍籍を抜き背広姿に頭髪を分け居留民の中に紛れ込みLSTで内地に帰った。時岡孝元兵長は歩兵部隊に復帰し同年11月他の部隊の兵隊に混ざって帰還した。
 私は1946年1月盲腸炎で入院し、手術後化膿し、46年3月まで病床で生活を送り、同年4月帰還したからその後のことは分らぬが、おそらく細菌研究所は戦犯容疑にもならず、全員帰還した模様である。






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