731を問う!!
2019年10月26日土曜日
細菌戦の系譜!!
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●黒岩知事に抗議!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●脱原発!!
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●前川喜平講演会
●「731部隊犠牲者遺族の声を聞け!①のご案内
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
現在の課題
7、入試差別
医学部専門予備校運営のプロが絶望した、この国の「入試差別」の実態
まさかこれが現実とは
東京医科大の不正入試問題の内部調査で、女子受験生と3浪以上の男子に対して、一律減点措置を施すという不当な差別を行なっていたことが判明した。しかも、何年にも渡り、組織的に実施していたという。女子と多浪生への減点措置が、1次の学科試験から行われていたことには、正直なところ、かなり驚いた。
医学部予備校業界では、小論文や面接試験が行われる2次試験で、大学に都合の良い人材(若い男子)を優遇する措置を極秘裏に、ごく少数の学生に対して施しているだろうということは周知であった。・・・・ 原田 広幸(2018.8.14)
2019年八王子「日本の毒ガス戦と遺棄毒ガス」展
「遺棄毒ガス弾の被害者支援について」
10月20日(日)の感想
・戦争に関わる毒ガスについてはあまり知っていませんでした。これから関心を持ちたいと思います。よい機会をありがとうございました。(女性、60代、市内)
天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
被災地は雨が止んでも土砂災害や川の増水に警戒 復旧作業は暑さ対策を
雨ピーク過ぎても... 今後の警戒ポイントは
千葉豪雨、死者6人に
千葉 大雨で鉄道運転見合わせ相次ぐ
前環境大臣・原田義昭氏激白。「統一教会イベントに自民党から10名が出席」<政界宗教汚染~安倍政権と問題教団の歪な共存関係・第21回>
鳩山元首相「共和党棟梁」に就任へ
独立運動家・安重根の義挙110周年 きょう式
関西電力の不祥事にも反省なし? 企業統治強化に背を向ける関経連
「自分の身の丈に合わせて...」 受験生の反発買った萩生田文科相「民間試験」発言
「“日本の植民統治への擁護行為”処罰特別法をつくらねば」=韓国シンクタンク
問われる安倍首相の任命責任=経産相辞任、菅官房長官の求心力に影響も
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-10-25)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
19.731部隊名簿が出てきたことは今後の事実解明に期待が持てる。731部隊の生き残りが戦後はたしたや役割をもっと明らかになれば。(男性、70代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
118.写真だけでなく、資料が充実していてとても勉強になりました。展示のキャプションも要点がまとまっていて分かり易かったです。宮古島へ行く関係で南西諸島の自衛隊基地に特に関心があります。予想以上に基地建設が進んでいて、日本がより戦争のできる国になろうとしていると思いました。本も購入したのでもっと勉強したいです。後田多氏の講演を聞いて、今の沖縄県と日本政府の関係、国の施政を見ると「琉球処分」からつながっていると思いました。若者が少ないのが残念でした。(男.20.大和市.チラシ)
●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
私は、3ヶ月ほど前に出版していただいた私の本『証言・731石井部隊』(徳間書店)の「あとがき」に次のように結んだ。
「私は、多くの『私たちが』、この手記を読んで、私の言いたかったことを理解し、これを機に沈黙という苦しみから解かれることを願ってやまない」
そして今、思いもかけず、こんなに早く、本書が出来上がったことを、素直に喜んでいる。自分の手記を出した直後の、言い知れぬ不安感は、徐々に消えつつある。私は、今、やっと一つの仕事が終わったと感じている。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
河北井シン(チンシン)県老虎洞 毒ガス殺人事件
黒水坪村とその付近の部落の大部分の住民は抗日県政府について移転したいたが、老人や病人、障害者及び山間部に点在する住民たち、それに平山県温塘(ウェンタン)一帯の農民たちは避難に遅れ、付近の山中に隠れていた。
11月14日(旧暦10月17日)、日本軍は山間部の大がかりな捜査をはじめ、祥子山がその重点となった。この山の北柴溝里に老虎洞がある。日本軍は潜伏していた民衆を捕まえ、老若男女を問わず、衣服を剥ぎ、厳寒の中に立たせ、したい放題蹂躙し、はてはその場でまたは黒水坪まで連行して殺害した。そのやり方は残忍かつ野蛮なものであった。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
田村良雄供述書(1954年10月10日)
問:自身の経歴を述べよ。
答:1938年3月、本籍地で本納尋常小学校を卒業し、1938年4月本納実業高校に入学。1939年3月に退学し、旧日本関東軍防疫給水部(石井部隊)少年隊を受験、入隊した。東京市牛込区戸山町の陸軍軍医学校防疫研究室で2か月勉強した後、中国ハルピンの関東軍防疫給水部に派遣された。1943年3月下旬、兵役の時期が来たので退職し、帰国した。(中略)1944年11月から45年2月まで、旧関東軍第54師団軍医部診療助手を務めた。1945年2月から6月まで、ハルピン南崗の関東軍給水部(731部隊)第3部(永山隊)で防疫給水部下士官の教育を受けた。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■生きるに値しない生命
ヴェルツブルグ大学の神経医学の教授、ヴェルナー・ハイデは1939年から1941年まで「T4行動」の指導者であった。戦後彼はアメリカ軍に抑留されたが、逃亡し、サヴァート博士と名乗ってフレンズブルグで暮らしていた。1950年から1959年に逮捕されるまで、彼はシュレースヴィッヒ上級保険局の鑑定医として―この制度は彼がつくったものだった―生活していた。ザヴァードがハイデであることはフレンスブルグでは、また北ドイツの指導的な精神科医たちの間では、公然の秘密であった。ハイデは未決拘留中に首吊り自殺した。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、次のように主張する。「昭和35年4月以降は、編集は化学学校が行うものの、発行は大宮修親会業務とされている。昭和43年以後の「化学学校史」には学校記事の記載は無いものの、廃刊に関する記載は無く、化学学校記事が発行されていなかったことは確かであるが、昭和42年発効の第12号が最終号であるかは不明であると。」
何で、自分の所が出している機関誌がいつ廃刊したのか分からないのか?
こんなことでは、税金の無駄遣いである。
それ以後の「化学学校記事」16号は存在しているのである!!
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
目に見えない恐怖
関係者によると、毒ガスが瀦貯蔵されているところは、ヤギやウサギが放し飼いされており、警備犬が、侵入者の監視に当たるとともに、これらのヤギやウサギの逃げるのを見張っているようだ。
だから米軍関係者の間では、警備犬が多数いるところは、特殊兵器の貯蔵庫か、訓練施設ある、と見ている。
一説によると、知花地域には、50頭以上の警備犬がうようよしているという。同地域の中央部に当たる通称レッド・ハットンと呼ばれるところには毒ガスをはじめ、鉛の丸い容器に入った細菌類や、放射能物質がある、と従業員の間では、強く信じられている。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第10章 戦争の泥沼化と拡大
Ⅲ
昭和天皇は対外的な軍事方針を自ら転換するに際し、日露戦争前夜の祖父明治天皇に自らをなぞらえた。当時、伊藤博文は、もし日本が敗れるようなことがあれば死をもって償う、と天皇に忠誠を誓ったのである。9月15日、天皇は伊藤博文の明治天皇への誓いを想起したのか、木戸に「こうなったら近衛は真に私と苦楽を共にして呉れなくては困る」と話している。のちに、近衛は原田熊雄に「自分はその翌日(9月16日)参内したところが、陛下は自分に向って、『今回の日独軍事協定については、なるほどいろいろ、考へてみると、今日の場合已むを得まいと思ふ。アメリカに対して、もう打つ手がないといふならば致し方あるまい』」と語っている。近衛によれば、さらに昭和天皇は「万一日本が敗戦国となつた時に 一体どうだらうか。かくの如き場合が到来した時には、総理も自分と労苦を共にしてくれるだらうか」と下問したという。p37~38
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年10月25日金曜日
細菌戦の系譜!!
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●黒岩知事に抗議!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●脱原発!!
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●前川喜平講演会
●「731部隊犠牲者遺族の声を聞け!①のご案内
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
現在の課題
・ハンセン病患者の家族も被害、国に賠償命令 熊本地裁
国が続けたハンセン病患者の隔離政策によって家族も差別などの被害を受けたとして、元患者の家族らが国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁(遠藤浩太郎裁判長)は28日、原告541人について国の責任を認め、1人当たり33万~143万円、計約3億7千万円の賠償を命じた。・・・・
元患者本人の訴訟では、2001年の熊本地裁判決が隔離政策は違憲だったとして国に賠償を命じ、当時の小泉純一郎首相が控訴を断念して確定した。その後、本人の被害を補償する制度が創設された。
家族の被害を巡っては、患者の遺族が国に賠償を求めた訴訟で鳥取地裁が15年、訴えを退けたうえで「国は患者の子に対する社会の偏見を排除する必要があったのに、相応の措置をとらなかった」などと言及していた。
(日本経済新聞2019.6.28)
2019年八王子「日本の毒ガス戦と遺棄毒ガス」展
「遺棄毒ガス弾の被害者支援について」
10月19日(土)の感想
・不都合なことを閉ざし、楽しいことだけを見ようとする世。その中にいる私たち。耳の痛いことだし、目にもおぞましいこと。しかし戦争が終わって何十年もたって、被害にあい、それまで生活も180度変わってしまった人々がいる。戦争は終わっていたない。私たちは見て、聞いて意識的に知り、「平和」を考えていく必要があると思う。ありがとうございました。(女性、50代、市内)
天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
東京都心など関東で非常に激しい雨 夕方にかけ道路冠水などに警戒
菅原一秀経産相が辞表提出 寄付・香典めぐる疑惑指摘
「信頼関係は完璧に壊れた!」 “質問内容流出”に猛反発の野党 対抗策の実効性は?
三・一運動国連ユネスコ平和大賞に鳩山由紀夫元首相
#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-10-18)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
18.SNSで加害歴史の否定、デマがひどく、改めて学ぶ必要があると思い足を運びました。知らないことも多く、勉強になると共に、具体的な”生身の人間の被害”を見ることができて、強い悲しみと憤りを感じんす。貴重な展示、ありがとうございました。
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
117.広い展示場がとても見やすかった。座る椅子もあり助かった。(男.60.町田.メール)
●日中戦争(『三光』より
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部
● ― 筆者からの一言 ―〈昭和57年7月〉
中国の諺(ことわざ)に、『牛を川の辺(ほとり)まで連れて行くことはできるが、牛が水を欲しなければ飲ますことはできない』とあります。当時の私は、己の行為はやむを得ないことだと自慰していたのであります。そして、すべての責任を戦争に転嫁していたのであります。今、私は自分の犯した罪を心から反省するとともに、再び戦争を引き起こすことだけは制止せねばならないと思っております。私自身が苦しみを与えた多くの人々のためにも、平和のために余生を捧げるつもりでおります。(小美野義利)
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
河北井シン(チンシン)県老虎洞 毒ガス殺人事件
1943年9月16日、日本軍は4万余の兵力を結集し、晋察冀北岳区への大掃討を行い、11月11日には、河北省井シン(チンシン)県路北抗日根拠地への包囲討伐を開始、ここで後日人々を戦慄させた老虎洞毒ガス事件を引き起こした。
日本軍は道々、略奪、放火、殺戮を続け、11月12日夕刻、黒水坪村へ攻め入った。根拠地の軍民は準備を済ませ、既に移転した後だった。もぬけの空の村を前に、日本軍は怒り心頭に発し、腹いせに農家を放火。火は天を焦がし、一昼夜燃え続けた。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
田村良雄自筆供述書(1954年9月30日)
7、教育部 部長は軍医中佐、永山。
8、診療部 部長は軍医中佐、永山。本部はハルピン市内【篠塚(旧姓田村)良雄氏からの聞き取りに依れば、ハルピン市内は記憶違いで、平房が正しい】。中国愛国者に診療実験を行うこともあった。
9、支隊 林口支部、南京支部(*孫呉では?)、ハイラル支部、牡丹江支部、大連衛生研究所。
本部には、1939年に約400人、1943年に約2000人がいた。
訳注:田村良雄氏の731部隊についての告発記、「細菌戦―731部隊の蛮行」(中国帰還者連絡会『新編三光』第1集、光文社、1982年)がある。
*ブログ発信者
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■生きるに値しない生命
69.1945年3月の初め、赤軍がメーゼリッツ=オブラヴァルデの収容施設を解放した。3月16日から26日まで、第1白ロシア戦線部隊の指導部は医学軍事裁判の審理、死体発掘、関係者の証言聴取を行った。さらに審理委員会の医師たちは「約1000人の、明らかに慢性精神病の患者」がまだ生きているのを発見した。医師たちは「オブラヴァルデ病院が実際にはドイツ市民を絶滅するための施設であった」ことを知った。審理委員会は100ページにわたる入念な報告書を作成し、それに証拠写真、尋問証人の証言と医学実験調査書を添えた。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、次のように主張する。「昭和35年4月以降は、編集は化学学校が行うものの、発行は大宮修親会業務とされている。昭和43年以後の「化学学校史」には学校記事の記載は無いものの、廃刊に関する記載は無く、化学学校記事が発行されていなかったことは確かであるが、昭和42年発効の第12号が最終号であるかは不明であると。」
何で、自分の所が出している機関誌がいつ廃刊したのか分からないのか?
こんなことでは、税金の無駄遣いである。
それ以後の「化学学校記事」16号は存在しているのである!!
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
目に見えない恐怖
また、別の人によると、CBR部隊は、目に見える兵器を相手にしているので、頼りになるのは、臭覚―鼻だけ―クンクンさせねば、生命(いのち)を落とすからだ、とも言われる。
いずれも“毒ガス部隊”の性格を表すしている。
ところで、部隊標識を塗り潰したり、略称を書き込んだりして“忍者ぶり”をイカンなく発揮した毒ガス部隊・陸軍第267化学中隊は、独自の警備犬部隊と訓練施設をもっている。
沖縄には米軍憲兵隊管理の大がかりな太平洋方面警備犬養成学校があり、米軍施設の警備にあてているが、化学部隊だけは独自に犬を養っている。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第10章 戦争の泥沼化と拡大
Ⅲ
1年半後、ルーズベルト大統領は武器貸与法に基づき、「ニューファンドランド、バミューダなどの」イギリス海軍基地の使用権と引き替えに、イギリスに駆逐艦を引き渡すことを決めた。こうしてアメリカが危機に瀕したイギリスヘの支援を強化すると、昭和天皇は、懸念を抱きながらも、三国同盟への反対を取りやめ、これに同意したのだった。それはご都合主義的で危険な措置であり、ドイツがヨーロッパにおける侵略を再開すれば、確実に日本と英米との関係を難しくさせるものだった。さらに、それは英米との友好関係という明治天皇の外交遺産と、まさしく訣別するものであり、昭和天皇はそのことをよく理解していた。それがかなり以前から三国同盟の締結をめぐり天皇長い間、悩んできたもうひとつの理由であった。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年10月24日木曜日
細菌戦の系譜!!
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●黒岩知事に抗議!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●脱原発!!
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●前川喜平講演会
●「731部隊犠牲者遺族の声を聞け!①のご案内
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
現在の課題
6、強制不妊手術やらい予防法で不当な扱いを受けた人たちへの賠償
・旧優生保護法は違憲 強制不妊訴訟で判決 賠償は認めず
旧優生保護法の下で知的障害を理由に不妊手術を強制されたのは違法だとして、宮城県内の60代と70代の女性が国に損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、仙台地裁であった。中島基至裁判長は法律が憲法に違反していたと判断しつつ、手術から20年の「除斥(じょせき)期間」を過ぎて損害賠償を請求する権利が消滅したと判断。国会が、賠償するための法律を作らなかったことについての責任も認めず、原告の請求を棄却した。・・・・・
強制不妊手術をめぐっては今年4月、国会で被害者に一時金320万円を支給することを柱とした法律が成立。ただ、旧法の違憲性を前提としておらず、国の責任も明記されなかった。(志村英司、山本逸生)(朝日新聞デジタル2019.5.28)
2019年八王子「日本の毒ガス戦と遺棄毒ガス」展
「遺棄毒ガス弾の被害者支援について」
10月19日(土)の感想
・毒ガス問題については、多少知っていましたが、中国では勿論日本においても遺棄された毒ガスが各地で問題になっていること等、戦後70年以上経っても、全く解決されてないことに憤りを感じます。
説明等、ありがとうございました。(男性、60代、市内)
天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
台風21号 小笠原諸島が暴風域 記録的暴風のおそれも 厳重警戒
沖縄県の請求を却下 辺野古関与取り消し訴訟
「関電崩壊」悪夢のシナリオ、原発全停止で迫る巨額赤字リスク
米、対トルコ制裁解除=「恒久的停戦」に移行で
菅原経産相秘書が選挙区に香典=週刊誌報道、与党に危機感
中東への自衛隊派遣、安倍首相出席で審議を=立憲・安住氏
#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-10-18)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
17.情報量と内容に圧倒されました。横浜以外でも開催されたり、Webで展開されても宜しいのではとお思います。(女性、40代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
116.沖縄をどう伝えようとしたか、本や絵本などの展示があればよかった。(50.市外.友人)
●日中戦争(『三光』より
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部
● ― 筆者からの一言 ―〈昭和57年7月〉
この文章は、私が中華人民共和国に戦犯容疑者として抑留されていたときに書いたものです。現在、振り返ってみると、当時の上司や同僚についての子細な描写には、正確さを欠く箇所があるかもしれません。その点は、ここに謹んでお詫びいたします。しかし、大切なことは、在職中、多くの中国の人々に言語に絶する困難や苦しみを与えたことであり、今思うと誠に申し訳なく存じております。私は表面は従順にしておりましたが、内心はすべて上官の命令でやったことだと考え、自分の行為を責める気持ちはなかったのであります。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
河北叩崗(コウカン)毒殺事件
叩崗事件で日本軍に殺された21人のうち、14人は東叩崗村の王文起、王永章、往連弟、王俊選、張俊起、張鉄、張鎖、張万良、胡文、趙天然、張木恩、任二子、姚寿録、姚春迎、7人は西叩崗村の李万元、李吉、李長順、李全福、劉春栄、李文の人々である。(文安県委党史征辨室 趙宏沢氏 整理『河北惨案史料選編―侵華日軍暴行録』より)
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
田村良雄自筆供述書(1954年9月30日)
5、第4部(細菌生産) 部長は軍医大佐、川島清。
第1課 課長は軍医少佐、柄沢十三夫。
柄沢班 班長は柄沢十三夫。細菌の大量生産。
第2課 課長は軍医少佐、三谷幸雄。
三谷班 班長は三谷幸雄。細菌戦に使用する乾燥菌の製造。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■医療の根本的変化
1940年から1945年までベルリンのティアガルデン4番地にあまり人目につかないある部局があった。約20万人の精神病患者、収容所の病人、絶望し適応できなくなった人々を殺害する計画が組織されたのは、ここであった。この番地名から、この国家的殺戮計画は“T4"という暗号名で呼ばれた。
この部局への全権付与―それは命令ではなかった―によって、1939年、全国の収容施設にいる患者たちの「計画経済的リストアップ」が行われ、同時に組織的殺戮が始められた。先ず内務省の医学課が、病気の種類、収容期間、労働能力の欠如を質問するアンケートを各地の施設へ送った。ついでその記入されたアンケートによって、「T4行動」の約30人の専門鑑定医―彼らの中には有名な大学教授や経験豊かな施設の長が加わっていた―が、相互に関係を持つことなく、生死の決定を行った。彼らの判断―それは簡単に+、-の符号で記入された―が異なっていた時は、鑑定医長が決定を下した。その数週間後に、各施設は「公益患者移送会社」から、「全国防衛特別委員の指令により」指定の日時までに移送されなければならない患者の名前を記したリストを受け取った。どこへ移送されるのかは明らかにされていなかった。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、次のように主張する。「昭和35年4月以降は、編集は化学学校が行うものの、発行は大宮修親会業務とされている。昭和43年以後の「化学学校史」には学校記事の記載は無いものの、廃刊に関する記載は無く、化学学校記事が発行されていなかったことは確かであるが、昭和42年発効の第12号が最終号であるかは不明であると。」
何で、自分の所が出している機関誌がいつ廃刊したのか分からないのか?
こんなことでは、税金の無駄遣いである。
それ以後の「化学学校記事」16号は存在しているのである!!
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
目に見えない恐怖
7月30日のカーペンター民生官との会談の後で屋良主席は、「私としては化学物質を扱っているといわれる第267中隊の説明を求め、ガス兵器を撤去するとなれば同中隊も必要ないと思うので改めてその撤去を要求した。これに対して民生官は、部隊の内容については言えない。主席はの要求は上司に伝えると言っていた」と述べたが、『沖縄タイムス』は、この第267中隊に関連した、5回にわたる『目に見えぬ恐怖』と題する連載記事を掲げ、その最終回(69・7・27)で次のように書いている。
―CBR(化学、生物、放射能物質)部隊のことを1名、“ドッグ”部隊と呼ぶそうだ。何でも、最初にCBR部隊で出合うのは、警備犬であるからだと言われる。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第10章 戦争の泥沼化と拡大
Ⅲ
たとえば近衛が辞任をほのめかした1938年末から1939年はじめのころに、昭和天皇は新任の畑俊六侍従武官長に次のように語ったという。「そんなに近衛総理の辞めるのが困るのなら、近衛総理を引留める代りに、例の防共強化の問題を最初の五相会議で決定した通りに決めて、・・・・ソヴィエトのみに対する純然たる防共協定といふことにしてはどうか。参謀本部に行ってさう言へ」。当時、天皇は三国同盟そのものに明確に反対していたわけではなく、英仏をも対象とした同盟に反対したに過ぎなかった。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
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