731を問う!!
2019年7月9日火曜日
細菌戦の系譜!!
●「旧優生保護法優生手術問題と人権」
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却 1949-1956
●旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●記憶の継承を進める神奈川の会
●沖縄
●戦争とは何だろうか??
●軍事研究に関する学長声明 龍谷大学 学長 入 澤 崇
●第24回 スタディツアー 事前学習会
●文学者の戦争協力
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
●長崎731部隊・100部隊パネル展
●京大 学位授与問題!!
●長野平和の旅
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)
●731と米国の核戦略
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
「旧海軍の毒ガス」に新資料 1987年4月7日(朝日新聞)
本土決戦へ相当量備 米軍報告書
同工廠の化学兵器研究部門は終戦時、300人が勤務していた。ガスマスクや防護服、汚染除去剤のほか、びらん性、くしゃみ性の各種毒ガス、催涙ガスなどを製造。陸軍の毒ガス製造所だった広島・大久野島が最盛期5千人の従業員を抱えていたのに比べると、規模は小さいが、致死性のびらん性ガス「イペリット」の生産能力は月間80トンで、19年には海軍司令部の要請でイペリット爆弾4万3千個を製造している。
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本も人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
●徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
ハンセン病家族訴訟 首相が控訴断念 国の責任認めた判決確定 賠償へ
5カ月連続で賃金減、勤労統計 名目と実質ともに、5月
ネット取引で覚醒剤浸透 キャリア官僚相次ぎ逮捕
「廃炉作業に外国人労働者を」の波紋――先送りになった東電計画の底流
佐川 元財務省理財局長を証人申請へ 森友文書の訴訟で原告弁護団
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
消えゆく「陸軍中野学校」の跡と記憶 「結局は駒」と卒業生は語った
遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議
エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声
辺野古の埋め立て加速 玉城デニー知事「暴挙以外の何ものでもない」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~
医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ
福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上
彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚
なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
【撮て出し!】田岡俊次の緊急解説 緊迫の中東とイージスアショア
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月13日
・大切な取り組みだと思います。ぜひ今後も続けてほしいです。(男性、60代)
●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
斬り込み決意のとき
彼は一見てんたんとしていながらも、そう言って自分自身をも力づけていたのであろう。
雇員たちも傭員たちも、眼前に迫った不安を忘れようとしてか、進んで炊事に協力し、そのあたりから野菜や焚き木などを集めてきた。
「おい、俺たちのとこには、うまい酒はないのか。日本酒ばかりじゃ、物足りないからな。お隣の軍医さんたちは、上ものをやってるぜ。何とかならんのかい?大角雇員殿は顔がきくんじゃないのかね」
と、伊東雇員が大角雇員をおだてながら、けしかけた。
「相手によるさ」
と言いながら、それでも大角雇員は出かけて行った。好きな口である。
しばらくして、ウィスキーを1本かかえて帰ってきた。
「わァ、こいつは豪勢だ。これはとっておいて、今日は、こっちで間に合わせようや。こんな日にゃ、酒の味なんぞ、本当は分るもんじゃないんだから、いいやつは勿体ないよ」
と、伊東雇員は、物足りないはずの日本酒を、また取り出してきた。
「なんだ、そいつを今飲むんじゃないのか?」
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
共同の人体実験
元隊員の回想によると、青酸ガスで死んだ「マルタ」の顔は例外なく鮮紅色を呈し、イペリットガスで死ねば全身水泡ができ、ちょうど焼けただれたように、正視できぬほどむごたらしかった。
731部隊に関する本を読んだことのある人は、多分この部隊で行った毒ガス実験のことが分かるだろう。そして今我々は、人間性から全くかけ離れたこの種の実験に、516部隊も参加していたことを知っている。
2つの悪魔部隊を結びつけたのはこの種のガス発生器にだけに止まらなかった。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み
そうした我々の側の意識の変革が、「象徴権威」を打破するためには必要であるし、天皇制廃止のためには「象徴権威」の打破は欠かせない。その点で、個人宛書簡は、受取人と対等の立場に立ってものを言うことで、相手の1人の「人間」として扱うには極めて有効な手段である。
この「天皇の人間化」に関連して言うならば、1946年1月1日に、「新日本建設に関する詔勅」なるものが発表され、天皇が「現人神」であることを裕仁自身が否定したことになっている。このことによって、、この詔勅は「人間宣言」と一般に呼ばれている。しかしながら、この詔勅を読んでみると、「自分は神ではなく、人間である」とは一言も述べていない。ただ、「自分と国民の間の関係は、常に相互の信頼と敬愛によって結ばれており、それは単に神話と伝説によるものではない」と述べているだけである。しかも、この詔勅発表2日前の12月29日に木下侍従長が日記に書き残した文章によると、裕仁は自分が神であることを否定はするが、「神の子孫」であることは否定しないと述べたそうである。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
ベルリン医師会理事会を代表して
ヘルムート・ベッカー博士
エリス・フーバー博士
序言
ワイマル共和国時代に社会医学、保健・精神分析・総合医療などの領域にみられた創造的な精神の高揚は、束の間のあまりにもはかない夢であったように思われる。当時の医療改革主義者たちは、戦争と帝政が残した窮状を全力を挙げて克服しようとした。与えられたわずか数年間の時期に、かれらは確かにかなりの成果を挙げた。当時は治療医学がまだそれほど進んでいなかった―抗生物質はまだ発見されていなかった―ので、病気予防が最重要視された。そのため、患者をできる限り完璧にリストアップすること、イグナーツ・ツァーテクが述べているように、「出生から墓場まで」人間を護衛することが必要とされた。こうして医者は個々の患者の弁護士になっただけでなく、国家全体の国民保健の代理人になった。改革者たちは、伝統的な個人倫理とキリスト教的慈善活動に代えて、国民全体の福祉の集団倫理を重視し、私的慈善活動は次第に国家の手に移されていった。人道的な目標を掲げて開始されたこの改革にとって、世界経済恐慌の後推し進められた節約政策は、管理と規制の締め付けになってしまった。構造的崩壊が始まり、この流れの中で、個人の価値はとどめようもなく下落していった。そこでは慈悲よりは収益性が重視された。住宅と食生活の改善、身体障害者ケア、健康を脅かされた児童や母親をレクリエーションキャンプで療養させるための費用など、さまざまな国家資金が削減され、保健福祉はみるみるコストと収益の問題にされるようになった。つまり、援助される価値のある、労働能力を持った強者と、抹殺されるべき弱者の選別にされてしまった。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「衛生学校30年の歩み」によせて
第6代校長 中黒秀外之
総務関係としては、それまで未着手であった学校史の編纂事業であるが、まず学校創設以来、昭和33年までの約7年間の事蹟をを1巻にまとめ、36年3月、漸く発刊することができた。第2巻は次の3年分をまとめ、翌年3月に、その後は順調に年1巻の割りで発行することになった。
次に、これは修親会の事業であるが、32年1月、金原校長時代に創刊された「衛生学校記事」が、34年1月、第19号をもって休刊となっていたものを、幾多の経済的障害を克服して、36年4月以降、期刊の形式であるが復刊することができた。本誌はその後、「ふかみどり」と名前が変わったようであるが、引き続き発行を継続して衛生科隊員の技能の向上に寄与していることは、わが子の成長を見る思いで、関係各位の努力を多とし、また部隊各位の支援に対し深く敬意を表したい。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第9章 聖戦
Ⅱ
12月17日午後2時、長谷川提督とともに松井将軍が宮城遥拝を行い、元国民政府庁舎の前に日章旗を掲揚して戦時祝賀行事を締めくくった。「大元帥陛下、万歳」と松井は3回叫んだ。結集した2万人以上の戦闘部隊―南京を占拠した部隊の3分の1になる―が一斉に唱和した。
南京市城壁内と近郊を合わせた中国人犠牲者の総数をめぐっては、いまだに激しい論争が行われている。日本人による最も適格な試算は、正確な数を知ることはできないと認めたうえで、犠牲者の数を「20万を下らない」としている。戦後の東京裁判では、「20万人以上」の民間人と捕虜が「最初の6週間で南京およびその周辺で殺された」としている。南京で行われた戦犯裁判では「30万人以上」とされ、のちに中国では裏付けを欠いたまま犠牲者数の推定を「34万人」へ引き上げた。1937年12月、初の西側の報道は、市内への立ち入りが制限されていたが、事件の犠牲者数を最初の数日で1万人から2万人以上と推定している。日本兵をむごい犯罪へ向かわせた戦場の特殊な条件として、日本の歴史研究者により最も頻繁に言及されるのが、軍紀の崩壊、人種的な優越感、復讐心、そして「極端な心理的な不満」である。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年7月8日月曜日
細菌戦の系譜!!
●旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●記憶の継承を進める神奈川の会
●沖縄
●戦争とは何だろうか??
●軍事研究に関する学長声明 龍谷大学 学長 入 澤 崇
●第24回 スタディツアー 事前学習会
●文学者の戦争協力
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
●長崎731部隊・100部隊パネル展
●京大 学位授与問題!!
●長野平和の旅
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)
●731と米国の核戦略
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
「旧海軍の毒ガス」に新資料 1987年4月7日(朝日新聞)
本土決戦へ相当量備 米軍報告書
資料の表題は『日本の化学戦についての情報報告』。常石敬一・神奈川大教授(科学史)と、長島修・立命館大教授(日本経済史)が、研究資料を調査中に、報告書とその基になった尋問所を見つけた。毒ガスの開発研究、生産、戦場への補給システムと貯蔵施設、化学戦訓練などにわかれ、全体量はA5判のリポート用紙で約650ページ以上。いずれも昭和21年5月までに米太平洋陸軍総司令部が作成、「部外秘」扱いにしていた。
報告書によると、海軍では技術局の機関として大正12年(1923)に東京・築地に最初の化学兵器研究所を設立した。その後、神奈川・平塚の海軍火薬工場敷地内に施設を移し、昭和6年の満州事変ぼっ発後、研究規模を拡大。戦局にかげりが見え出した18年に毒ガス製造の拠点となる相模海軍工廠となった。
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本も人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
●徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
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リニアでJR東海と対立、静岡県の「本当の狙い」
「心がこもっておらず上滑り」籠池泰典氏が安倍首相の演説メッタ斬り
遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議
エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に
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日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
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医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ
福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上
彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚
なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
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20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
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【撮て出し!】田岡俊次の緊急解説 緊迫の中東とイージスアショア
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月13日
・大変勉強になりました、またこのような企画がありましたら来たいと思います。(男性、60代)
●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
斬り込み決意のとき
一行の車が視界から遠ざかると、直ちに、武器を点検整備するよう命令が発せられた。武器と言っても、軍刀と拳銃がほとんどで、そのほかには軽機関銃が2挺と若干の手榴弾があるくらいのものだった。
長い貨車の片側に整列して、
「武器、挙げい!」
の声に、皆一斉に軍刀を抜き放って高々とかざす。白刃の林が、まだ大空に暮れ残る赤い夕陽の照り返しを映して、ぎらぎらと血の色に輝いた。それが、いよいよ差し迫った危機感をはらみ、あたりに不気味な殺気がみなぎった。
「今夜半をきして、新京駅を強行突破することとなった。もし、敵が列車を襲ってきても、そのまま突っ切る方針だ。だめなら斬込みがあるだけだ。最悪の場合は自決しても、軍機を守り通せ」
尾藤属が、車輌責任者として、命令を伝えた。さすがに顔色を失っている。斬込みを覚悟し、軍刀をさげてはいても、まるで実戦の経験を持たぬ軍医と軍属の部隊である。私は覚えず、渡された青酸カリの小瓶をシャツの上から押さえていた、
「ようし、そうと決まれば、心置きなく、腹一杯飯を食っておこうじゃないか。くよくよしたって、死ぬときがくれば死ぬんだ」
日頃から威勢のいい伊東雇員が、皆を励ますように言った。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
共同の人体実験
実験の情景はさらに残忍だった。森村の本にこのような描写がある。
「ガラス張りの中に閉じ込められた『マルタ』は忿怒の目を見開き、何とかもがいて飛び出そうとしたが、、体はしっかり縛られているので、なすすべもなかった。516部隊の隊員たちが電源をつなぎ、スイッチを入れると、中にしつらえた扇風機が回り始め、ビーカーの中の茶褐色の青酸が過熱され、ゆっくりガスが立ち上った。毒ガスはパイプを通って『マルタ』を閉じ込めたガラス張りに侵入する。毒ガス生産設備の中に、日本の島津製作所の製造した毒ガス濃度計が1台あり、随時毒ガスの濃度を記録し、『マルタ』の致死毒ガス数値が測定できた。
毒ガスがガラス張りの中に流れると、柱に縛り付けられた『マルタ』はかすれた叫びを発し、体は懸命に悶えたが、次の瞬間目をカッと見開き、口から白い泡を吹き出し、四肢が硬直、がっくりと頭を垂れ、絶命した」
(広島県大久野島毒ガス工場)
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み
しかし、天皇制を批判するために、なぜ明仁個人宛への書簡という形を取らなければならないのか、との疑問を呈する人もいた。この疑問に対しても既にブログで私の見解を説明しておいたように、「書簡」の主たる論点は、天皇制、とりわけ天皇の「象徴権威」が持っている民衆(とりわけ“民衆意識”)支配のカラクリを暴き出し、そのような「象徴権威」(武藤一羊の用語では「象徴権力」)を持っている天皇個人を、天皇という神がかり的で雲上人的な地位からいかにしたら我々市民と同じレベルにまで引きずり降ろすことができるか、ということである。「引きずり降ろす」という意味は、我々大衆の意識の中で、「天皇は特別に崇敬すべき」と捉えられている存在から、長所短所の様々な性格要素と喜怒哀楽の感情を持った「我々と同じ人間」としての存在になるまで変革する、ということ、即ち「我らの内なる天皇制打破」である。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
ベルリン医師会理事会を代表して
ヘルムート・ベッカー博士
エリス・フーバー博士
序言
「人間の価値」をだれがきめることができるだろうか。人種を本来不平等なものとみなし、人間としての価値を高い者と低い者に分ける学説は、フランス革命の人権宣言を訂正しようとした学説であった。この学説は、社会問題の生物学的解決のためにイデオロギー的武器を提供した。工業化の時代になって、貧困、性病、結核、アルコール中毒などが大都市に蔓延したが、その社会的原因はあっさり無視され、原因は個人的責任に帰せられた。貧困は「堕落」と「遺伝的劣等性」の表現とされた。指導的な心理学者や人間学者がこのイデオロギー的闘争スローガンを彼らの学説に取り入れ、一見客観的な診断医学をつくった。「劣性」「優性」というのは、当時ほとんどすべての政治的陣営でよく使われた「価値判断抜きの」概念であった。それは、今日の「障害者」「社会的弱者」、「五体健全」「丈夫」「能力あり」という言葉と同じように使われた、自明の言葉であった。経済優位性の下にある保健政策は、この新旧の概念を相互に結びつけ、労働過程の中での人間の労働能力・生産能力の復元をねらう。ナチズムにおいては建康強化の訓練と完全な管理によって「死の直前まで」能力の限界が減少するのを抑えるようにされた。もしそれでもダメな場合は、死を人工的に先延ばしするという方法さえとられた。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「衛生学校30年のあゆみ」
「衛生学校30年の歩み」によせて
第6代校長 中黒秀外之
まず教育関係においては、教範、訓練資料等の作成のほかに、各教育課程の教育の準拠となるべき教程類(一例をあげれば、幹部予防衛生教程、生物剤衛生教程、放射能衛生教程、特殊武器衛生教程、健康管理衛生教程等々)を逐次作成し、教育内容の向上と一斉化に努めた。
研究関係においては、37年以降、研究期報(後に年報となる)を刊行し、教官、研究員の研究成果のうち衛生科幹部に対して参考となるべきものを集録、印刷し、防衛庁部内の各機関、各部隊に広く配布することとした。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第9章 聖戦
Ⅱ
松井石根大将が12月17日に乗馬姿で南京の中心街を行進する戦勝パレードの演出にこだわると、当初、朝香宮は入城の日程に異を唱えたが、結局、同意した。朝香宮の参課長飯沼守は、皇族の朝香宮に危害が加えられることのないようにと、第16師団、第9師団に占拠した市内ならびに周辺の村での掃討作戦の強化を命じた。12月16日から17日の朝にかけて、戦闘はすでに勝利を収めていたが、日本兵は、そのほとんどが武装を放棄し、軍服を脱ぎ、絶望的な逃亡を試みていた敗残中国兵を狩り集め、無差別に1万7000名以上を処刑した。その間、第9師団は南京城の外側に広がる行政区での殲滅作戦を進めた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
日中戦争中の一九三九年に日本陸軍の毒ガス戦部隊が、中国北部の戦闘で皮膚や粘膜をただれさせる「びらん剤」や、呼吸器に激しい苦痛を与える「くしゃみ剤」が入った毒ガス弾を使った詳細な記録が残されていることが七日、分かった。部隊の公式報告書に当たる「戦闘詳報」を歴史研究者の松野誠也さんが入手した。松野さんによると、毒ガス戦部隊が自ら使用状況を詳細に記した報告書の確認は今回が初めて。
旧日本軍は敗戦時に記録類を組織的に廃棄したため、毒ガス使用の全容は判明していない。今回の戦闘詳報には、よく分かっていない初期のびらん剤使用の様子などが示されている。松野さんは「日中戦争期の戦場の実態で明らかになっているのは氷山の一角だ。事実を解明してそこから教訓を学び、悲惨な歴史を繰り返さないようにする必要がある」と話した。
戦闘詳報は中国北部に展開した北支那方面軍所属の毒ガス戦部隊、迫撃第五大隊のもの。日中戦争の開始から二年後の三九年七月に、山西省の山岳地帯で実施した晋東(しんとう)作戦の様子を詳述している。約百枚のつづりで戦闘の状況、砲弾の使用実績、毒ガス弾使用命令の写しなどが含まれる。
それによると、大隊は上級部隊の命令を受け、びらん剤が入った砲弾「きい弾」と、くしゃみ剤入りの「あか弾」を使う方針を決定。七月六日の戦闘で、前進する日本軍の歩兵に機関銃で応戦する中国軍陣地に向け、あか弾三十一発を撃ち込んだ。同十七日にも歩兵支援のためあか弾六十発、きい弾二十八発を使用した。翌十八日はあか弾百四十発、きい弾二十発を使って砲撃した。
威力も分析し、山岳地帯に強固な陣地を築く敵にはあか弾による攻撃が欠かせないと指摘。きい弾は初めて使用したと記し「効果甚大」と評価した。松野さんによると、これまで確認されている中で、地上部隊が中国できい弾を使った最初の事例だという。陸軍は戦争犯罪の証拠を残さないために記録類を廃棄したが、今回の資料は部隊関係者が個人的に保管していて廃棄を免れた可能性がある。
松野さんは日本現代史研究者で、二〇一〇年に明治大で博士号(史学)を取得。日本軍の生物化学兵器などに関する本や資料集、論文などを数多く出している。戦闘詳報の詳しい内容と分析をまとめた松野さんの論文が月刊誌「世界」八月号に掲載される。
<旧日本軍の毒ガス兵器> 敵を殺したり戦闘能力をそいだりするために使われた。陸軍は秘匿のためにびらん剤は「きい」、くしゃみ剤は「あか」と呼び、青酸ガスの「ちゃ」、催涙ガスの「みどり」などもあった。広島県・大久野島に毒ガスの製造拠点を設け、福岡県の施設で砲弾などに充填(じゅうてん)。旧満州(中国東北部)では人体実験をしている。海軍も神奈川県内の施設で研究開発や製造を行った。びらん剤は皮膚をただれさせ、呼吸器が損傷して死ぬこともある。くしゃみ剤は目や呼吸器に作用し、濃度によって胸をかきむしられるような刺激を受ける。中国軍は毒ガス戦の能力が低く、報復の恐れが小さかったことや、ガスマスクの性能や数が不十分だったことが使用を後押しした一因とされる。
迫撃第5大隊の戦闘詳報に記された砲弾の使用量。あか弾は計231発、きい弾は計48発使ったとの記載がある=松野誠也さん提供
2019年7月7日日曜日
細菌戦の系譜!!
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●記憶の継承を進める神奈川の会
●沖縄
●戦争とは何だろうか??
●軍事研究に関する学長声明 龍谷大学 学長 入 澤 崇
●第24回 スタディツアー 事前学習会
●文学者の戦争協力
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
●長崎731部隊・100部隊パネル展
●京大 学位授与問題!!
●長野平和の旅
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)
●731と米国の核戦略
●防衛省731部隊情報公開裁判の途中経過から見えてきたこと
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
「旧海軍の毒ガス」に新資料 1987年4月7日(朝日新聞)
本土決戦へ相当量備 米軍報告書
第2次大戦中の日本海軍の毒ガス兵器研究、生産などについて全容をまとめた米軍報告書が、6日までにワシントンの米国立公文書館で見つかった。致死性のびらん性ガスであるイペリットの年間生産量は終戦前の時点で、陸軍より海軍の方が多く、国内には本土決戦に備えて相当量の毒ガス爆弾を貯蔵していたほか、占領直前に海軍司令部の指示で、保管していた大量のガス爆弾を廃棄したことなども明らかになった。資料は占領期間中に米国側が当時の日本軍関係者らの尋問をもとに作成したもので、海軍の毒ガス開発、製造について詳細な資料が見つかったのは初めて。
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本も人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
●徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判
韓国で広がる「日本製品不買」 輸出規制に反発
籠池夫妻を自民党が徹底マーク
エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声
辺野古の埋め立て加速 玉城デニー知事「暴挙以外の何ものでもない」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~
医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ
福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上
彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚
なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
【撮て出し!】田岡俊次の緊急解説 緊迫の中東とイージスアショア
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月13日
・進学塾で英語、社会科を教えています。日本の過去の異常な行為を後々まで若い人々にも伝えていくのが、とても大切です。頑張ってください。(男性、60代)
●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
斬り込み決意のとき
* * * * *
8月15日。午後4時頃になって、どうやら日本は敗けたらしいという噂が、どこからともなく伝わってきた。しかし、司令部との連絡は絶えたままなので、それを確認することができない。
夕方、2名の軍医が、司令部との連絡のために新京に乗込むこととなった。10人ぐらいの雇員、傭員が護衛として各車輌から選び出された。敗戦が事実だとすれば、司令部の解散命令を貰って逃げ切らなければならないし、流言だとしても、戦斗能力のまるでないこの部隊は、逃げて秘密を守り通さねばならないのである。
だが、もし、最悪の予想通り、ソ連軍が新京を占領しているのだとしたら・・・・。
「“731”と分ったら、どっち道無事ではすまないぞ。そのときは、最後の一兵まで戦うのだ」
徴発してきたらしい車に乗って、連絡隊が出発した。あるいは、これが最後の別れになるかもしれない、決死の伝令なのである。
無事で、良き情報と命令をもたらしてくれるよう祈りながら、一千名にあまる部隊員は、粛然として一行を見送った。私はそのとき、丁度歩哨に立っていた。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
共同の人体実験
当の「マルタ」は台上の柱に縛り付けられる段階で、すでに起こるべき結果を察知して皆懸命猛烈に反抗した。警備主任を担当していた特別班の軍人は、棍棒で彼らを力任せに殴打し、台車に縛り付けた。反抗した人には朝鮮人が多かった。1回のガス実験で1人、1日平均4,5人の「マルタ」を「消費」したという。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み
私は、広島の活動仲間の久野成章氏と私自身の2人の名前で、「退位する明仁天皇への公開書簡」を1月1日に自分の「ブログ吹禅」に載せた(私たちは実際にその手紙を宮内庁気付けで明仁に送った)。反応は驚くほど大きなもので、中には熱烈な賛同を送ってくる人もおられた。天皇制に違和感を感じながらも、現在の「天皇万々歳」という日本の雰囲気に圧倒されて、その気持ちを率直に表明できない人が大勢いるのだという事に私は気が付いた。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
ベルリン医師会理事会を代表して
ヘルムート・ベッカー博士
エリス・フーバー博士
序言
大学の象牙の塔を出て医師免許をとったばかりの医者が社会の底辺の日常生活における臨床へ入っていくと、かれは医療の限界と自身の無力をいやというほど思い知らされる。かれは、人間を変えることもできないし、社会を変えることもできない。医者を救済者とみようとする理想主義は、速やかに患者に対する攻撃的な感情にかわってしまい、ついにはラディカルな「最終的」処方を求めるようになる。病気が再発し治療不可能になった慢性の患者は、病気と死に対するかれら自身の不安を社会に広める。このような感情が失業や節減政策による生存不安、将来への不安の結びつくと、医師の倫理的規範はたちまち侵食されてしまう。公共保健衛生機構への費用が爆発的に増大したという非難の声が大きくなるにつれ、それと並行して老人や集中治療室の患者が死亡させられるという傾向が今日では目立っている。慢性患者は医療産業のもっとも弱い環であり、将来特に保護されなければならない人々であると警告したのは、ニュルンベルグの医師裁判にアメリカ軍事裁判の学識専門家として出席したレオ・アレクサンダーであるが、かれがそういったのも当然であった。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「衛生学校30年のあゆみ」
「衛生学校30年の歩み」によせて
第6代校長 中黒秀外之
昭和35年8月から自衛隊を退職するまでの8年半にわたる長期間、衛生学校長の職を奉ずることができたのは、私にとって無上の光栄であるとともに、この間、苦楽を共にした学校職員各位の絶大な補佐の賜であると、肝に銘じている次第。ここに深く感謝の意を表するものです。
この時期は学校創設から約9年余りを閲して、漸く基礎固めを終り、内部充実に向かおうとする重要な時期であったと思う。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第9章 聖戦
Ⅱ
南京を「荒しまわれ」という命令はどこにもなかった。大本営が南京包囲作戦の最終日標として敵をすべて殲滅せよと命じたわけでもなかった。しかしながら、捕虜をつくるなという命令はたしかにあった。ひとたび、南京が陥落すると日本兵は、捕虜や武器を捨てて降伏した敵兵の集団処刑を始めた。日本兵はまた、放火、略奪、殺人、強姦といった前例のない、そして作戦計画にない暴虐行為に走った。結果として生じた大虐殺は、南京および隣接する6ヵ村で3ヵ月続き、それは上海の戦闘や中国軍の南京への退路に沿って起きた蛮行をはるかに超えるものだった。中島中将指揮下の第16師団は、南京陥落の初日だけで、約3万名の捕虜や逃亡兵を殺した。他の日本人の試算では総計2万4000名と少なめに見積もられている。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年7月6日土曜日
細菌戦の系譜!!
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●記憶の継承を進める神奈川の会
●沖縄
●戦争とは何だろうか??
●軍事研究に関する学長声明 龍谷大学 学長 入 澤 崇
●第24回 スタディツアー 事前学習会
●文学者の戦争協力
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
●長崎731部隊・100部隊パネル展
●京大 学位授与問題!!
●長野平和の旅
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)
●731と米国の核戦略
●防衛省731部隊情報公開裁判の途中経過から見えてきたこと
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
―毒ガス、化学戦、悪魔のネットワーク―
一本土決戦に備える毒ガス部隊一
平塚の海軍技術研究所・相模海軍工廠(寒川)で研究開発され実戦配備された各種毒ガス兵器は上記の技官を通じ、南方ラバウル、 トラック、サイパン、フィリピン、インドネシア、南洋諸島に配備された。
環境省は平和学園 (現アレセイア湘南)の毒ガス発見現場周辺の再調査をすみやかに行うと同時に、本土決戦用に構築された各種の特殊地下壕(寒川・岡田の全長3kmの地下壕、藤沢大場城趾公園地下壕、大磯海軍陣地等)の再調査、毒ガス部隊となった各地海兵団の実態を明らかにするべきである。
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本も人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
●徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
対韓輸出規制は、なぜ愚策なのか
籠池・森友学園理事長が「安倍晋三記念小学校」設置に向け動いたのは事実!
安倍首相 安保条約「全く変える考えはない」
エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声
辺野古の埋め立て加速 玉城デニー知事「暴挙以外の何ものでもない」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~
医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ
福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上
彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚
なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
【撮て出し!】田岡俊次の緊急解説 緊迫の中東とイージスアショア
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月13日
・多くの貴重な資料の展示に知らないところが多く、びっくり。資料を集められ、展示するまでの作業、大変だったのではないでしょうか。日本と韓国・北朝鮮、中国の関係が難しくなっています。戦争の歴史的事実から向き合い、反省し、国際的(特にアジア)友好関係をつくっていくことが求められます。国民の多くが、特に若者がこうした歴史を正しく認識していく取り組みは、大変大切な取り組みです。引き続き、頑張ってください。私たちも村でピースアクション南牧という団体をつくって満蒙開拓体験者の話を聞く集いなどを開催してきました。信越放送の手塚ディレクター作成の満蒙開拓シリーズ・ドキュメント、大変良いですよ。(男性、60代)
●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
斬り込み決意のとき
“いずれにしても恢復の難しいペストに罹った来住野は、殺されたか、自殺を強いられたか、とにかく、もうこの世の人ではあるまい”
その確信は動かなかった。このハガキだけでも残しておきたい、と思う。しかし、来住野に対する友情よりも、部隊命令に従い、自分の生命を守ることに悔いを残したくない私だった。
そちこちで所持品を焼き惜しむ人々の顔は、神妙だった。土手に沿って立ち上る無数の焦げ臭い煙が、あたかもそのあたりを暗くしてゆくかのように、遅い夏の夕闇が迫ってきた。私は、最後に燃やした貯金帳と来住野のハガキの黒い焼き殻に残って見える白い文字のあとをしばらくの間眺め惜しんでいた。
尾藤属が、私達のほうにやってきて、遺漏はないかとたずねた。
「部隊の秘密は、我々の生命よりも大事なのだからね」
と、この人は言った。細菌戦を準備していたということが、もしあからさまになったとしたら、それこそ、聖戦の名に傷がつくのである。口では東洋平和のための戦いと言ってはいるが、それが果して東洋民族の望むところであるか、どうか。満人に対してはわがままをほしいままにし、果ては満人部落を焼き払った経験のある私達には、やはり腹の底にくすぶる疑問があったのである。
夜の訪れにつれて、新京上空の煙は、赤々と燃える火にかわった。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
共同の人体実験
元731部隊と516部隊の隊員がともに証言しているが、そのガラス小屋で実験されたのは小鳥、ねずみ、犬、ニワトリなどの動物とさらに「マルタ」と呼ばれた人間だった。この装置の中で人間を使って多種の実験、異なった条件での実験をした。実験された人は、あるいはマスクを着け、あるいは普通の衣服を着て、あるいは裸であった。森村の本の起債では、実験の時、ガラス張りの外にはいつも6,7人いたが、普通は731部隊吉村班と写真班の構成員で、時には516部隊から来た技術将校、あるいは長春孟家屯から来た関東軍第100部隊の将校だった。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
3)憲法前文、9条と第1章の根本的矛盾
ところが、既に説明したように、GHQは政治的意図から、天皇裕仁の戦争責任をうやむやにしてしまい、憲法1章を設置した。つまり、憲法前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意し」と主張したにもかかわらず、その「決意」が実は、戦争最高責任者の天皇の責任をうやむやにしたままでの「決意」だったのである。しかも、天皇制という制度は極めて日本独自のものであって、憲法前文で謳われている「人間普遍原理」とは根本的に矛盾するものである。そのような幾つもの矛盾を抱えた「天皇制」の規定である憲法第1条の原理を、前文で「人類普遍原理」と並べて書くなどという事は、あまりにも不条理で不可能だったのだ。
したがって。憲法1章とその実際の運用が「民主憲法」の精神に根本的にそぐわず、憲法の他の部分とそぐわないのも当然であって、本当は全く不思議なことではない。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
ベルリン医師会理事会を代表して
ヘルムート・ベッカー博士
エリス・フーバー博士
序言
あの歴史的不幸のもうひとつの原因は、医師の全能という幻想をかれらの無力という現実との間にあった緊張関係であった。日常な悲惨、貧困と見通しのなさ、人間の謎に対する医師たちのシシポスのような労働を、医学はどうすることもできなかった。現代医学は、昏睡状態になって骨折し何度も病院に運び込まれるアルコール中毒患者をどうすることもできない。かれを立ち直らせようとする試みは、いつも困難きわまりない。そこで、何のためにこのような消耗的な仕事をするのか、という疑問が出てくる。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「衛生学校30年のあゆみ」
校長在職時代の憶い出
久里浜の衛生学校
第5代校長 井上義弘
(昭和44年逝去、衛生学校史第1巻掲載文から転載)。
学校には一般の講堂ばかりで、実習室の設備が十分でないことを見て、どんな教育をするのだろうかと思ったりしたが。修了式の後に、今度建つ衛生学校はこのようになると青写真を見せられた。熱のこもった説明から、皆が衛生科らしい学校を造りたいと望んでいたことを知った。これによれば実習室も相当にあるし、独立した立派な衛生学校になるようであった。翌年、世田谷の三宿の停留場から南に入った草っ原で、衛生学校建設の地鎮祭が行われて僕も参列した。そして実現したのは、予算の関係というのだろう随分端折ったものだった。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第9章 聖戦
Ⅱ
南京に向かう幹線道路や鉄道の本線沿いに内陸へと進軍する際、日本兵は町や村に火を放ち、略奪を行った。さまざまな陸軍部隊が中国軍部隊と民間の避難民の大移動を追撃した。
12月1日、設置されたばかりの大本営は第10軍ならに上海派遣軍に異なる方向から南京市に接近するよう命令を発した。翌日、朝香宮は上海派遣軍司令官に任命され、当時健康を害していた松井石根大将は新たに設置された中支那方面軍の司令官に昇進した。中支那方面軍は上海派遣軍と第10軍からなっていた。12月8日、朝香宮指揮下の部隊は、南京の防御線に攻撃を開始した。城壁をめぐらした南京には、当時、推計で40万から50万の人口があり、わずか5日の攻防戦で、12月13日に陥落した。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
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