2019年2月19日火曜日

細菌戦の系譜!!


第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後
731部隊の問題

横浜の「戦争の加害展(2月10日~16日)」が無事終了しました。
今回で4回目になりますが、今までで一番多い2500人以上の方が来場されました。
ご来場ありがとうございました。

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
ノーベル賞「推薦」が波紋=安倍首相に批判、疑問の声-与野党

トランプ氏ノーベル平和賞推薦 米から依頼 野党「恥ずかしい」と首相批判

辺野古移設、沖縄県の審査申し出却下…提訴検討


強制不妊手術、裁判の行方は 救済に高い壁も

自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開



核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは

3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン


「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

意外な来訪者


「明石さんを知っているのか?」
「はい。すぐ隣部落の人ですから」
私は、わざと、隣部落だと言った。その方が親しみの度合が増して聞こえる。
「そうか。・・・あの人は大した人だよ。部隊の諜報関係を背負ってたっているんだからね」
 私がいつか、明石氏に告げるであろうことを想定して、こんな世辞を、あからさまに言う者もあった。
 同輩たち、特に、浜中や林田などは、何かにつけて雇員たちに殴られたりしているのに、私は、それ以来、ビンタを怖れなくてもよかった。したがって明石氏に対する傾倒の念はますます深くなり、また、行先の様子がひとしお案じられるのだった。
 私は、明石氏が惨殺されている夢を見た。それは、明石氏の身辺を気遣うというよりも、自分の体内にいつの間にか病毒がしみ込んでいて、いつ死の転機が訪れるか分からないという脅迫観念のせいであったかも知れないのだが・・・・。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」









日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

多種多様な化学兵器
1933年、小型「あか筒」制式化。長さ183ミリ、直径50~60ミリ。
1937年、中型「あか筒」制式化。長さ230ミリ、直径110ミリ。
1938年、98式小「あか筒」試作。筒の中には、加熱剤として細く小さな顆粒状を呈するセルロイドを毒剤と混ぜる。同年、この筒の発射を制式化。
1940年、1000式発射「あか筒」試作。
1941年、大「あか筒」一式を試作。長さ467ミリ。直径200ミリ。サイズが大きいため、三角発射架が付いている。
車両については、1933年に「94式」牽引式撒毒車の開発に成功した。この車は重量1.5トンで、400キログラムの毒剤を積載することができる。



東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B1棟(仕上げ場)

内部は、柱が多いのが目立ちます。中央に天窓のようなものがあります。

●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。

弥心神社(やごころじんしゃ)
弥心神社(現 生田神社)は、キャンパスの北西の登校路を上り切ったところにあります。研究所の前身である新宿区戸山ケ原(とやまがはら)にあった陸軍科学研究所の【八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)】という研究(知恵)の神が祭神として分祀され、研究中の事故による殉職者も合祀されていたと言われています。
 1988(昭和63)年に元所員によって境内に登戸研究所跡碑が建てられ、研究所が存在していた事実を忘れまいとする元所員の心情を後世に伝えていきます。


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■世界と日本での議論の進展

―それに対し、日本の科学者の世界では、全体の問題としてどう議論されていますか。

明らかになったのは、国会のような議事録がないため、議事詳細は議事速記録を通じてしか知ることができないこと、学術会議総会議事速記録は図書館に収蔵されているが図書館所蔵でないため、日本学術会議事務局に閲覧許可申請をしなければならないこと、他方、学術会議の運営審議会資料などは図書館所蔵のため日本学術会議図書館利用規程に基づき、閲覧許可申請をしなければならないこと、日本学術会議図書館は国立国会図書館の支部であるにもかかわらず、「一般公衆」などについては「館長が特に承認した者」でないと利用できないとされるなど著しく利用が制限されていること、複写サービスは、原則として行わない。 ただし、館長の許可を得たときは、利用者において複写又は撮影を行うことは妨げないことなどです。これらの制度は国立国会図書館制度の趣旨や国立公文書館の制度に合うように見直されないままでは、検証は困難です。

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

5、原爆調査のまとめ
原爆の医学調査は陸軍軍医学校の最後の仕事になった。調査をまとめた報告は昭和28年日本学術会議の報告そして学術振興会刊行の原爆報告集の医学編の冒頭に掲載されている。
 原爆を受けてから1ヶ月余、被爆者の治療にどんな方法がよいか医師も分からず不安も増している9月17日、学術研究会議の原爆災害調査研究特別委員会第1回打合せ会が東大で開かれた。この席上陸軍軍医学校井深中将の名をもって、原爆患者の治療方針を発表した。




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



休戦できわめて流動的な政治・軍事情勢は安定化したものの、対立する両勢力の距離は逆に広がった。中国の抗日ゲリラは満州国内での戦闘を続行した。その後の4年間、満州国と華北の間にある「緩衝地帯」は、関内の華北の全5省に関東軍が政治、軍事、経済的に絶え間ない圧力を行使するための基地にすぎず、平和地帯というには程遠かった。しかし、非武装地帯が単に存在するだけでも、ソビエトが東清鉄道を日本に売却しようとしており、またイギリスが対日関係の改善を試みていることと相まって、天皇に国際的な緊張の緩和を期待させた。
一方、蒋介石は、軍隊を立て直し、経済力をつけるまでの時間稼ぎのためにしばらくの間、日本に譲歩することを決めていたので、いまや総司令として中国共産党との戦いに専念することができるようになった。しかし、日本軍が満州を支配し、華北から国民党の影響力を一掃する構えでいるかぎり、日中関係はけっして正常化しうるものではなかった。蒋も、中国の民衆も、少なくとも侵略を見逃す気はなかった。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!





2019年2月8日金曜日

細菌戦の系譜!!

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第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後
731部隊の問題
※2月9日~18日 ブログをお休みします。

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
何で殺処分なんだろうか???
「優秀な農家」から豚コレラ 最新の防疫対策実らず衝撃

発言したら嫌がらせに下着が届く 女性7人「屈しない」

逮捕の母「見える所にあざ 1カ月休ませた」 千葉女児虐待、発覚恐れ

柳瀬氏、NTT系の社外取締役に 加計問題で追及の元首相秘書官

室井佑月「安倍首相の感染力」

調査統計不正問題での政府統計への信頼回復は容易ではない

強制不妊手術、裁判の行方は 救済に高い壁も

自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開



核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは

3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン


「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ





京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

意外な来訪者

 細菌学において動物実験の占める位置は言うまでも無く重要なものであるし、研究室で余暇をみては頁を繰っている細菌学の本にも、「同じ病原体の感染でも、動物の病理は人間の病理とは著しく趣を異にすることが非常に多いことを忘れてはならない」と書いてあったのを思い出した。ねずみで実験するよりは直接人間を材料にした方が手っ取り早く確実な結果を得ることができるのは当然である。しかも、極秘裏に葬った方が好都合なスパイを殺すには、人道的な問題を除けば、まさに一石二鳥の方策ではないか!
 だが、それこそ、「731」が最も露見を怖れ、警戒している秘密に違いないのであろう。
「私が、もしスパイだったらどうなる!」先刻言われた言葉を、私はそのまま明石氏にかえしてやりたいような、勝ち誇った気持になっていた。
「今度は、いつ会えるか、わからんなぁ。捕まったら最後、おれも彼らと同じようにして殺されるんだろう・・・・。あいこなんだから、しようのないことだよ」
 明石氏は、苦笑いをした。
 実際、その後1ヶ月以上も姿を見せなかった。
 しかし、それ以来、雇員たちの私に対する態度がにわかに柔らかくなった。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」








日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

多種多様な化学兵器
当時、日本は対ソ作戦を画策していたが、ソ連のB型戦車や辺境地区の大量かつ堅固な地下構築物に大変手を焼いていた。この「ちゃ瓶」が当時の対ソ作戦の必要に基づいて設計されたことは明かである。戦争の後期には、日本軍はこれらの兵器を東南アジアの戦場に運び、戦局の不利を挽回しようともくろんだ。これ等の兵器を防ぐために、オーストラリア軍では宣伝パンフレットを印刷して兵士たちに配った。



東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B1棟(仕上げ場)

窓から、階段の大部分が見えているのがなんとなく面白いです。
 左写真で、その階段部分を撮影しているのは林えいだい氏です。中国大陸の731部隊遺構をルポされた氏は、「中国の遺構と比べても、よく残っている」と言われ、盛んに撮影されていました。


●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■世界と日本での議論の進展

―それに対し、日本の科学者の世界では、全体の問題としてどう議論されていますか。

 その場合、今問題になっている日本学術会議がどうであったかの議論が必要だと思われます。
 今、学術会議では「国民は個別的自衛権の観点から、自衛隊を容認している。大学などの研究者がその目的にかなう基礎的な研究開発することは許容されるべきではないか」に関して議論がなされています。このような問題提起が学術会議で出てくる背景には、日本学術会議の創立の頃だけでなく、その後も先の戦争中における日本の科学者の戦争加担の検証がなされていないことがあるのではないかと考え、学術会議総会の記録の調査に着手しました。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

4、救護班の派遣
9月中旬となれば帰郷も急ぐ人もあって、編成に加わる予定地であっても結局到着しなかった将校もあったが、この194名は10月9日業務を終えて帰途につくまで欠乏と困難に耐えて救護の務め果たした。その間9月17日夕刻から18日朝にかけての暴風雨には電燈水道が故障し、野菜が全く手に入らないなどの難儀もあった。救護と調査の両方を行なうためには編成が窮屈で、かつ人員資材の掌握が不都合となるから将来は診療か調査か一方に定める方が良いという意見や、交通機関が破壊されていて、調査や巡回診療に不便であるから自動車を確保してほしいなどの希望があった。閉鎖するまで25日間の入院患者194名、外来患者約600名あった。




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



熱河に進攻し、日本が連盟から脱退した後、関東軍は占領地を拡大した。1933年4月初頭には、万里の長城の南側にある北京近郊の河北省に進入した。昭和天皇が介入することで、攻撃は停止され、軍は山海関まで撤退した。しかし、5月7日、関東軍はふたたび華北に侵入した。このとき、昭和天皇はこれも事後承認したが、本庄侍従武官長にはみずからの怒りを伝えた。本庄は5月10日の日記に、「陛下は敢て作戦を差控へしめんとせられる抔(など)の御意図にあらず。只統帥の精神に悖るが如きを許さず、とせらるゝにあり」と記している。もちろん、天皇は他に選択肢がなかったために承認したのだった。
同月、関東軍司令部のスポークスマンは、熱河が満州国に併合されたと声明した。公式声明にはなかったが、併合は中国本土河北省、察哈爾(チヤハル)省の一部も含んでいた。併合の決定は内閣の事前承認を経たものでもなければ、「条約の権利」に基づくものでもなかった。5月末、中国軍の指揮官が屈辱的な塘沽(タンクー)停戦協定に署名し、大満州国を事実上、承認することとなり、河北省東部、万里の長城の南側に非武装地帯が設けられた。満州事変はこの時点で、西洋の関心事としては少なくとも一時的に終結した。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!





2019年2月7日木曜日

憲法9条

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●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

● Article 9 of the Constitution of Japan
1, Japanese citizens honestly desire international peace, based on justice and order, the war as the national force's invocation and the threat or the use of force by force, as a means to solve international disputes, Abandon.
2. In order to achieve the purpose of the preceding paragraph, the Army, Air Force and other forces do not hold this. The belligerence authority of the country does not admit this.

● Статья 9 Конституции Японии
1, японские граждане искренне желают международного мира, основанного на справедливости и порядке, войны как вызова национальных сил и угрозы силой или ее применения силой как средства разрешения международных споров Отказаться
2. Для достижения цели предыдущего пункта армия, военно-воздушные силы и другие силы не удерживают это. Воинственный орган страны не признает этого.


●日本宪法第9条
1,日本公民诚实地希望国际和平,以正义和秩序为基础,战争作为国家力量的援引,以武力威胁或使用武力,作为解决国际争端的手段, 放弃。
2.为了达到前一段的目的,陆军,空军和其他部队不持有这一点。 该国的好战权威不承认这一点。

● 일본 국 헌법 제 9 조
1 일본 국민은 정의와 질서를 기조로하는 국제 평화를 성실히 희구하고, 국권의 발동 인 전쟁과 무력에 의한 위협 또는 무력의 행사는 국제 분쟁을 해결하는 수단 으로서는 영구히이를 포기한다.
2 전항의 목적을 달성하기 위해, 육해공군 기타 전력은이를 보유하지 않는다. 국가의 교전권은이를 인정하지 않는다.

● Article 9 de la Constitution du Japon
1, les citoyens japonais souhaitent sincèrement la paix internationale, fondée sur la justice et l'ordre, la guerre en tant qu'invocation de la force nationale et la menace ou le recours à la force par la force, en tant que moyen de résoudre les conflits internationaux D'abandonner.
2. Afin d'atteindre le but du paragraphe précédent, l'armée, la force aérienne et les autres forces ne le tiennent pas. L’autorité belligérante du pays n’admet pas cela.

● Artikel 9 der japanischen Verfassung
1, japanische Bürger wünschen ehrlich den internationalen Frieden auf der Grundlage von Gerechtigkeit und Ordnung, den Krieg als Aufruf der nationalen Truppe und die Androhung oder Anwendung von Gewalt durch Gewalt als Mittel zur Lösung internationaler Streitigkeiten. Aufzugeben
2. Um den Zweck des vorstehenden Absatzes zu erreichen, halten Armee, Luftwaffe und andere Streitkräfte dies nicht. Die Kriegsbehörde des Landes gibt das nicht zu.

● Articolo 9 della Costituzione del Giappone
1, i cittadini giapponesi desiderano sinceramente la pace internazionale, basata sulla giustizia e l'ordine, la guerra come invocazione della forza nazionale e la minaccia o l'uso della forza con la forza, come mezzo per risolvere le controversie internazionali, Abbandonare
2. Al fine di raggiungere lo scopo del paragrafo precedente, l'esercito, l'aeronautica e le altre forze non lo tengono. L'autorità belligerante del paese non lo ammette.

● Japonya Anayasasının 9. maddesi
1, Japon vatandaşları dürüst bir şekilde adalet ve düzene, ulusal gücün savunucusu olarak savaşa ve uluslararası anlaşmazlıkları çözmenin bir aracı olarak zorla veya gücün kullanılmasına dayanan uluslararası barışı arzu ederler. Terk etmek.
2. Önceki paragrafın amacına ulaşmak için, Ordu, Hava Kuvvetleri ve diğer kuvvetler bunu tutmaz. Ülkenin savaşçı otoritesi bunu kabul etmiyor.

● Стаття 9 Конституції Японії
1, японські громадяни чесно бажають міжнародного миру, заснованого на справедливості і порядку, війну як виклик національних сил і загрози чи застосування сили силою, як засобу для вирішення міжнародних суперечок, Відмовитися.
2. Для досягнення мети попереднього пункту армія, військово-повітряні сили та інші сили не виконують цього. Влада воюючої сторони країни не визнає цього.

●มาตรา 9 ของรัฐธรรมนูญแห่งประเทศญี่ปุ่น
1 ประชาชนชาวญี่ปุ่นต้องการสันติภาพระหว่างประเทศโดยสุจริตบนพื้นฐานของความยุติธรรมและความสงบเรียบร้อยสงครามในฐานะการขอร้องจากกองกำลังของชาติและการคุกคามหรือการใช้กำลังโดยใช้กำลังเป็นวิธีการแก้ไขข้อพิพาทระหว่างประเทศ ที่จะละทิ้ง
2. เพื่อให้บรรลุวัตถุประสงค์ของวรรคก่อนกองทัพบกกองทัพอากาศและกองกำลังอื่น ๆ อำนาจการแย่งชิงของประเทศไม่ยอมรับสิ่งนี้

● articuli IX de Iaponica Constitutionem
I, Iaponia Aspiring sincere et ordo impellitur ut prospectui internationali paci secundum justitiam, et jus summarum potestatum in bello felis, vis ad usum comminatio et opes gentium regum componere lites loquuntur, ipsi autem in perpetuum effusione.
II, ut in praecedente articulo volumus pervenire, terra, mare et aer copiae aliud bellum potential, non potest. Ne cognoscaris belligerency ius civitatis.

細菌戦の系譜!!

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第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後
731部隊の問題


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
何で殺処分なんだろうか???
豚コレラ感染拡大 業界衝撃 対策早急に 「胸つぶれる」殺処分に悲痛 防止策徹底も「終わりない」 「風評が怖い」正確な情報を

政府与党、実質賃金の参考値は公表しない方向で調整

調査統計不正問題での政府統計への信頼回復は容易ではない

強制不妊手術、裁判の行方は 救済に高い壁も

自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開



核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは

3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン


「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ





京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

意外な来訪者
そういってその人は、この部隊の秘密を探り出そうとしてハルビンに集まっている各国のスパイは、およそ3、4千人もいるだろうなどと話してくれた。
 日本の細菌戦医学は、世界で最も優れているというので、各国の注目は、「731」と呼ばれるこの部隊に集まっていた。関東軍と陸軍省の一部首脳以外、日本の国民も兵隊も知らない舞台裏の戦いが、ハルビンを中心に繰り広げられていたのである。
「“731”と言えば、日本国内よりも外国の方で有名なんだからね」
と、その人は言う。
 この人は、明石義隆といって、重慶に3度も潜入し、蒋介石が彼の首に10万ドルの賞金をかけたという、関東軍特務機関の腕利きであった。
 そして、現在は「731」を狙う敵国のスパイを摘発して、保護院に送り込む仕事をしていたのである。逆スパイとして使える見込みのない者は、処刑の代わりに人体実験によって命を奪われるのだ、という。
 毎週土曜日に送られて来て、獄舎につながれている囚人たちは敵のスパイで、これまですでに2千人ぐらいの者が実験材料となって死亡し、監獄には常時5百人ぐらいの囚人が幽閉されているのだそうである。
“人体実験!”―私は、はっと襟首をつかまれたように、明石氏の顔を見つめた。明石氏は、私が、とうにその事実を知っているものと思っていたのだろうが、私が直接耳にしたのは、この時が初めてなのである。しかし、私はもはや、その事実を疑わなかった。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」








日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

多種多様な化学兵器
1937年以降は、日本軍の化学迫撃砲部隊では、基本的に上記の「九四式」軽迫撃砲を装備し、その後「九七式」迫撃砲も装備した。「九七式」砲は口径81.3ミリ、射程3000メートルで、「九四式」に比べてより軽便で、発射速度も更に早く、1分間20発に達した。1942年には、この他120ミリ口径の大型迫撃砲も制式化された。
 攻撃的な化学兵器としては、さらに手で投げることができる数種類の爆弾があり、接近戦の際に相手の人馬を殺傷したり、相手の戦闘力を制したりするのに用いられた。毒剤の種類によって、やはり「あか弾」「みどり弾」「ちゃ瓶」等と呼ばれた。手投げの「ちゃ瓶」も当時の機密兵器で、普通の球形のガラス容器の中に青酸ガスを装入して作る。球形容器の直径は110ミリ、容積は410㏄である。当時の化学戦のテキストの中に、相手の戦車ないし火力点7メートル以内に接近し、ちゃ瓶を砲塔ないし銃眼に投擲すれば、敵方戦車ないし火力点内の戦闘人員を死亡させることができる、と述べられている。



東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B1棟(仕上げ場)

 この面から見ると、高い壁が目立って、先の写真とのイメージがかなり異なります。
 見学会に連れて来られた子供が、枯れ草の茎でチャンバラ遊びをしていました。カメラを向けたら固まってしまったのが残念です。

●登戸研究所資料館
はじめに
設立趣旨―開館にあたっての明治大学からのメッセージ
私達は、登戸研究所の研究施設であったこの建物を保存・活用して「明治大学平和教育登戸研究所資料館」を設立し、登戸研究所という機関の行なった事柄を記憶にとどめ、大学として歴史教育・平和教育・科学教育の発信地とするとともに、多年にわたり、登戸研究所を戦争遺跡として保存・活用することを目指して地道な活動を続けてきた、地域住民・教育者の方々との連帯の場としていきたいと考えています。
2010年3月29日  明治大学



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■世界と日本での議論の進展

―今も戦争が絶えないもとで、国際的には医学界・医療界ではどんな議論が行われているでしょうか。

 人体実験に関する国際規範であるヘルシンキ宣言やその源流となったニュルンべルク綱領も、医学者・医師が軍事研究に従事すること自体については踏み込んではいませんし、世界医師会や世界の医学界・医療界において国際紛争の解決に際しての「戦争と武力による威嚇又は武力の行使」 の禁止や武器生産の禁止についてはほとんど議論されていませんでした。2005年になって、世界で最もよく知られ、評価の高い医学雑誌Lan cet(ランセット) では出版社のエルゼビアの傘下に軍需産業の会社があることが明らかにされ、「兵器と健康を売る医学雑誌の偽善」の論争が起こり、国際的な運動の結果、軍需産業から一切経済的支援を受けないことになり、「生物医学研究者に対する軍需産業との関係についての提案」もなされました。この時には、最大の人為的災害は戦争であり、最も被害を受けるのは女性と子どもであり、国際的な公衆衛生上の課題であるという趣旨のWHO(世界保健機構)の報告についても議論されました。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

4、救護班の派遣
班長は近山大佐、庶務主任は大橋少佐で病理主任を兼務、調査研究は御園生、本郷、成田の3少佐、病室は2つに分け、第1に本橋、神林少佐、第2に高田少佐が勤務した。別に巡回診療をするため中山少佐を主任とし中富大尉がこれを補佐した。外来は宮崎、大地少佐が当たった。衛生材料主任は大竹大尉で経理には木下少尉以下の経理官が加わった。南雲、野本の両准尉以下下士官7名、兵20名、看護婦は日赤本部第180班高野婦長以下23名、兵庫第203班竹原婦長以下19名、福島第153班遠藤婦長以下19名、茨城第206班高部婦長以下17名、高知第314班栗岡婦長以下12名、陸軍看護婦佐藤婦長補他2名、計93名、雇用人57名、合計班長以下194名が実際の業務をとった。



イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

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自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



1932年の夏から秋にかけて、それはふたりの人生でも、とりわけストレスが強い時期となった。天皇は満州の危機への対応に追われ、皇后は男子の世継ぎをもうけることができないことに心を悩ましていた〔皇位の継承権は男系男子にだけ認められていた〕。厳しく管理された公人としての生活を送ってきた天皇と皇后は、内大臣牧野、その秘書官長河井、侍従長鈴木の意見に従い、第1子である6歳の照宮を皇居内の別の建物で生活させるために宮殿の外へ出すことにした。夫妻はともに照宮を手放すのが残念だったが、それを要求する宮中の伝統を否定しようとはしなかった。
 こうした雰囲気のもとで皇后は1932年末のある日、流産をしてしまった。その後、昭和天皇は君主としての責務を果たすために側室を置くことを求められた。かつて学習院院長や宮内大臣をつとめ、明治天皇、大正天皇に仕えた長老の伯爵田中光顕は、東京および京都でふさわしい側室を求めた。10人の姫君が選れ、さらに3人ヘと絞られ、そのうちの(おそらく、もっとも美しい)ひとりが宮中に招かれ(皇后陪席の下で)昭和天皇とトランプをしたという話である。 一夫一婦主義の昭和天皇は、おそらく、彼女にそれ以上の関心を持たなかったと思われる。1933年初頭、皇后は再び懐妊し、同年12月23日、皇太子明仁を出産した。彼らの私的な危機は去ったのである。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

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福沢諭吉

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2019年2月6日水曜日

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カネミ油症問題
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後
731部隊の問題


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
豚コレラ「重大な局面」と農相

統計問題「ミスで生じた200億の諸経費は国民負担」に潜む“騙しのテクニック” 舛添氏が厚労省を糾弾

強制不妊手術、裁判の行方は 救済に高い壁も

自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開



核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは

3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン


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【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


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竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ





京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

意外な来訪者
私達は満州桜や松の木のある小公園のベンチに並んで坐った。樹木の少ない満州では、松は非常に珍しいのである。この松も、浜江省内に3本しかないという中の1本だった。
「若いのに、よく来たね。・・・・どうだ、辛(つら)いだろう?」
と、その人は言った。
「いいえ、辛いとは思いません」
 これは自然に飛び出す嘘である。いつの間にか、このように決まった答えが出るように習慣づいているのだ。だが私は、この人に対して、少し甘える気持があった。
「・・・・ですけど、毎日毎日、ペスト菌の培養ばかりやっているのですから、つい憂鬱(ゆううつ)になることがあります」
「きみ!」
その人は、鋭く私をたしなめた。低い声だが、私は水を浴びたようにひやりとした。
「気をつけなければいけないよ。俺がもし、敵のスパイだったら、どうなると思う」
そういえば、私はまだ、この人の身分も名前も聞いていなかったのだ。
「まあ、いいさ。これから注意するんだね。職業柄ゆうんだが、スパイという者は、何でも無いようなことから手がかりを見つけて重大な秘密を探り出すものなんだ」


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」









日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

多種多様な化学兵器
毒ガス砲弾を発射する火砲の中では、迫撃砲が最も軽便で融通性がある。集中的に使用して専門の迫撃砲部隊を設けることができるだけでなく、歩兵部隊に配備して単独に使用してもよいため、戦争中に最も幅広く使用され、日本軍の化学戦の戦術にも非常に合致するものであった。このため、日本軍では迫撃砲及び砲弾に関する制式化が重要な課題であった。化学部隊で、最も幅広く使用されたのは「九四式」軽迫撃砲で、これは日本軍の第1級秘密兵器であった。このタイプの砲は口径90・5ミリ、射程4000メートルである。砲弾に普通榴弾と重型榴弾の2種類があり、前者には嘔吐性の毒ガスであるジフェニールシアンアルシン(あか弾)もしくは糜爛性の毒ガスであるイペリット、ルイサイト(きい弾)を装填し、後者にはホスゲン(あお弾)もそくは有毒物質である砒素を含む発煙剤(しろ弾)を装填した。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B1棟(仕上げ場)

B1棟は、このような形状をしています。


●登戸研究所資料館
はじめに
設立趣旨―開館にあたっての明治大学からのメッセージ
 登戸研究所は、戦前日本の戦争・軍隊を知る上で、極めて貴重な戦争遺跡のひとつです。
登戸研究所は、戦争には必ず付随する「秘密戦」(防諜・諜報・謀略・宣伝)という側面を担っていた研究所であり、その為、その活動は、戦争の隠された裏面を示していると言えます。
 登戸研究所の研究内容やそこで開発された兵器・資材などは、時には人道上あるいは国際法規上、大きな問題を有するものも含まれています。しかし、私達はこうした戦争の暗部ともいえる部分を直視し、戦争の本質や戦前の日本軍がおこなってきた諸活動の一端を、冷静に後世に語り継いでいく必要があると思っています。
 それは、私達大学と同じ科学研究にあたる場が、戦争という目的のためには、場合によっては尋常な理性と人間性を喪失してしまいかねない機能をもってしまうことを強く自戒するためでもあります。



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪

―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。


第27回日本医学会総会出展「戦争と医学」展実行委員会が、2007年4月に国際シンポジウムを主催した際に、招いた米国の生命倫理学者は「過去の世代の不正は、それがとりわけ隠蔽された場合には、現在の世代の重荷としてそのまま残されると言えます。731部隊の場合、米国が一度日本の科学者たちとこのような取引をしたために、日本が抱えていた秘密が、我々の抱える秘密にもなってしまいました」「調査を行い、過去に何が起こったのかを誠実に、率直に、正確に報告することによって、そして過去と対峙することによって、我々は常々持ちたいと望んできた価値観を肯定するのです。最も重要なのは、そうすることによって、過去との共犯関係から若い世代を解放し、過去の不正に対する責任を負う必要をなくすことです。隠蔽や共犯の伝統を保持するよう若い世代に求めるのではなく、代わりに彼らをこの責任から完全に解放することです」と述べました。
 戦争医学犯罪の検証について国際的な連携・協力をするための議論が必要だと思います。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

4、救護班の派遣
 明治19年6月陸軍軍医学校と唱えてから60年、その草創時代を通算すれば77年、幾多の英才を生み、有益な研究業績数10000編に達し、軍陣医学に、また広く社会に貢献しかつ誘益してきた陸軍に医学校も、9月2日復員して消滅し、残ろ職員は東京第1陸軍病院の所属に移った。復員が進むと共に各地の陸軍病院から広島に派遣されていた救護班も原隊に引き揚げていった。
 9月10日陸軍省は東京第1陸軍病院長井深中将に、旧陸軍軍医学校教官を主体とする長以下約140名の救護班を編成して広島に派遣することを指令した。その目的は原爆による傷病者の収療並びにその晩期(後遺)障害の調査であった。装備として患者延人員2万人を収療調査するだけの衛生材料と患者300人を収容するに足る数量の病衣、寝具、給養器具、糧食及び輸送具を整えた。別に派遣班用の糧食10日分を携行した。病院開設のために引継ぎを受けた広島第1陸軍病院の宇品分院は屋根は破壊し、窓ガラスは1枚もない有様であったが、9月15日から業務を開始した。




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



満州事変期、昭和天皇の私生活を伝える公刊文献は、河井弥八日記のなかの2頁にわたる記述と、非公式に天皇と会い、宮中の文書を見たと称する小説家小山いと子による秘話以外はほとんどない。  
1932年、昭和天皇と良子皇后は結婚して8年になっていた。皇后は4人の内親王をもうけたが、無事に育ったのは3名だった。そして、当時5番めの子どもを懐妊していた。この夏、彼らは満州情勢の緊迫化のため葉山御用邸への避暑旅行を取りやめ、東京に留まることを余儀なくされた。天皇夫妻は日々長時間、それぞれの側近と念入りに整えられた日々の仕事をこなしていた。天皇は、規則正しく7時半に、皇后はそれよりも少し早く起きていた。天皇夫妻は召使の手を借りずに着替えをし、通常、ふたりの女官により用意された食事をミルクとともにとった。食事が終わると、侍女のひとりがベルを鳴らし、当直の侍従に、部屋に入り挨拶をしてもよいことを知らせた。天皇夫妻の1日は入浴から始まり、次いで、
別々になって屋外で運動をすることにしていた。妊娠中の良子皇后の運動は、花壇の手入れをするか、看護婦と1ラウンド、ゴルフをすることだった。正午になると、皇后と昼食をとるため天皇は執務室〔御学問所の2階〕から戻り、そして4時ごろまで公務をこなし、ふたたび皇后とお茶をともにした。6時半ごろに夕食を済ませ、就寝前の9時ごろ、軽食をとってから通常10時には寝室に退いた。皇后は庭いじりをしないときには、満州に駐留する部隊のために下賜品の包帯を巻くことで時間を過ごした。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!





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