2008年12月11日木曜日

1937年 12月11日 南京

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
 誤報におどる国民
 12月11日午後、南京城の水西門・漢中門の西側の湿地帯で、一中隊から小隊長二人の戦死を出すほど苦戦をしいられていた第六師団(熊本・師団長 谷 寿夫中将)の歩兵第45連隊の前田吉彦少尉は、歩兵大36旅団無線から伝えられたラジオ・ニュースを知って驚いた。日本の内地のいたるところで、南京陥落の捷報に祝賀の万歳がわきおこり、提灯行列がくり出されたというのである。
 「このニュースを聞いたこの現時点で南京の守備軍は以前頑強に抵抗を続けあり、上空には高射砲弾幕が絶え間なく、城壁付近また砲煙におおわれ銃砲声の間断なきを聞くというのはいったいどうしたわけなのか?いったい陥落なんて誰が言い出したデマなんだろう」と陣中日記(12月11日)に書いている。(「前田吉彦少尉日記」『南京戦史資料集』)。
 日本国内ではこの日、「皇軍勇躍南京へ入城/敵首都城頭に歴史的日章旗・・・・・・」と各新聞がいっせいに大々的な南京陥落報道を行った。この日の夜、東京では祝賀提灯行列がくりだし、国会議事堂にイルミネーションが点じられた。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月11日
8時・・・水道と電気が止まった。だが銃声は止まらない。ときおり、いくらか静まる。次の攻撃に備えているのだ。・・・・・
 爆音をものともせず、道には人があふれている。この私より「安全区」を信頼しているのだ。ここはとっくに「セーフ」でもなんでもないのだが。いまだに武装した兵士たちが居座っているのだから。いくら追い出そうとしてもむだだった。これでは、安全区からはすでに軍隊を撤退していると日本軍にいえないじゃないか。

9時・・・ついに安全区に榴弾が落ちた。福昌飯店(ヘンペル・ホテル)の前と後ろだ。12人の死者とおよそ12人の負傷者。・・・・・ホテルにとまっていた車が二台炎上。さらにもう一発、榴弾(今度は中学校)。死者13人。軍隊が出て行かないという苦情があとをたたない。・・・・・
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 けが人が大ぜい中山路に運ばれていく。砂袋・引き倒した木、有刺鉄線の柵ででバリケードを作っているが、こんなもの、戦車がくればひとたまりもないだろう。鼓楼病院の前で例の将校に砦を築くように頼んだが、相手は穏やかな物腰ながら断固拒否した。病院から龍に電話で報告すると、早速唐将軍に問い合わせるとの返事。

18時・・・記者会見。出席者は、報道陣のほかは委員会のメンバーのみ。ほかの人はジャーディン社の船かアメリカの砲艦パナイで発ったのだ。・・・・・・
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 午後8時、韓を呼び、家族を連れて寧海路五号の委員会本部に引っ越すようにすすめた。
あそこの防空壕のほうが安全だ。しかもわが家は、今日本軍から猛攻撃されている五台山のすぐそばなのだ。私もいずれ引っ越そうかと考えている。夜は猛攻撃をうけるだろう。それなのに韓はまだ家を出て行こうとはしない。
   

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月11日
 何日間も終日終夜、城外ーとくに南西方向ーだけでなく城内にも激しい砲撃が加えられた。この小さなくぼ地では、砲声はそれほど大きくなかったし、恐怖を覚えるほどではなかったが、市街は悲惨だった。ジョン・マギーの情報では、福昌ホテルや首都劇場の前、さらにまた、新街口広場にはたくさんの死骸が横たわっているとのこと。市の南東部でしていた激しい砲撃も、夜になるとやんだようだった。マギーは、破壊をまぬがれた、下関の一部地域もきっと今夜焼き払われるだろう、とも言った。こうした破壊や加害に対し、我慢できないほどの激しい憤りがこみ上げてくる。・・・・
 相変わらず避難民がキャンパスに入ってくる。正午には850人ほどになった。その上、三家族が東の中庭に、そして、隣保館には約120人の避難民が生活している。北側の二つの寄宿舎の間にむしろの小屋を造り、知り合いの人にそこで食料品を売ってもらうつもりだ。強く要求しているのにもかかわらず、正門の外に設置された粥(かゆ)場はいまだに開業していない。避難民たちは、安全区について無邪気な考えを持っており、空襲の最中に道路の真ん中に突っ立っていても何の不都合もないのだと考えているようだ。今夜の記者会見で私たちは、そういう場合は家の中に入っているか、そうでなければ塀の陰に隠れているよう避難民に促すことを求められた。・・・・・
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 今夜の記者会見には20人ーすべて外国人ーが出席した。4人の新聞記者のほかは、ドイツ人二人とロシア人青年一人を除けば、あとはすべて宣教師だった。サール・ベイツから、中国軍の指揮系統が崩壊し始めているといういささか憂鬱な報告があった。下級将校が防衛司令長官の命令に従わず、いまだに兵士や大砲が安全区内に残されている。実際、今朝私は、キャンパスの敷地内で塹壕が掘られているのを発見した。
 これを書いている間にも、市の南東と南西の方角で激しい爆撃音と機関銃の音が聞こえる。人々の予想では、敵は三日のうちには城内に入るだろうが、その間にはすさまじい破棄をおこなうだろう、というのだ。
 たしか、明日は日曜日だ。今では毎日が同じ調子で明け暮れる。・・・・・・・
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「Imagine 9」【合同出版】の解説より
 

おたがいに戦争しないと

約束した世界


 地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
 グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。

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