2008年12月30日火曜日

1937年 南京 12月30日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
新しく設立された自治委員会は、五色旗(北京政府時代の中国国旗)をたくさん作った。
1月1日に大がかりな公示がある。その時、この旗が振られることになっている。この「自治委員会」は我々に取って代わろうとしている。仕事を引き継いでくれると言うのなら文句はない。だが、どうも金目当てのような気がしてしかたがないのだ。
 こちらから何一つ引き渡さない。あくまでも、ごり押しされた場合にかぎる。ただし、その時も粘れるだけ粘るつもりだ。思うに、日本の外交官たちは日本軍のやり方を恥ずかしく思っているいるらしい。だからドイツの旗がついた家が40軒も略奪にあい、しかもそのうち何軒も焼き払われたなどということはうやむやにしておきたいのだ。

 ぬかるみとゴミにまみれた通称ジーメンス・キャンプの我が庭のわら小屋の中で二晩続けて子どもが生まれた。男の子と女の子。こんな宿しか産婦に与えられない世の中なのだ。
 医者も、助産婦も、看護婦もいない。おむつもない。親たちの手には汚れたぼろきれ数枚だけ。私はそれぞれの親に10ドル贈った。「お礼に」と、女の子は「ドーラ」、男の子は「ジョニー」と名づけられた。いやあ、うれしいね!(ラーベの奥さんの名は「ドーラ」です。)


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月30日 木曜日
 男性の登録は今も続いている。5時前、寧海路に整列する人たちの声が聞こえた。私は6時30分に起床して、そして、すでに6時にはキャンパスの外で並んでいた男性教職員や使用人たちの列に加わった。・・・・・・・登録するための第一段階である行列は、四列縦隊の形ではるか漢口路まで続いていた。最前列の男性は、午前5時からずっと並んでいると言った。
 午後、ニューヨークと呉博士に電報を送ることができるかどうかを確かめるため、再び大使館に出向いた。依然として電報は打てなかったが、大使館員たちは、数日中にはアチソンが南京に戻ってくると期待している。・・・・・・・・
 校門を入ると、一人の母親がやってきて私の前にひざまずき、今日キャンパスで服務していた兵士が24歳の娘を連れ去った、と訴えた。私は、すぐに母親を連れて詹(せん)氏の家を訪ね、そのことを報告した。詹氏も日本大使館も、今夜のうちに娘を見つけるのは無理だが、明日の朝その兵士が特定されたら、厳しく処分されるだろう、と言った。大使館員によれば、6人の兵士がすでに厳しく懲罰されたそうだ。「処刑された」という意味で彼はそう言ったと思うが、定かではない。
 明日は17歳から30歳までの女性の登録が行われる。その目的が何なのか正確なところはわからないが、聞くところによると、一番活発に反日宣伝を行っている年齢層を把握するためだそうだ。女性たちはみな、このことでおびえているが、私にはどうもよくわからない。
 午後、王さんと刁(ちょう)さんは、日本大使館で開かれた会合に出席した。元日に大がかりな宴会、つまり歓迎会が行われるらしく、熱狂的な歓迎ぶりが中国人民に期待されているようだ。各地区からかなりの数の代表を出してもらいたいそうだ。目下、「自治政府」樹立に向けて準備が進んでいる。旧来の五色旗(中華民国旗)が使用されるらしい。明日古い旗を探してみよう。



「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん
世界から戦争のなくなった
平和な世界を。

Imagine,
A peaceful world without war.

でも、どうやったら
そんな世界がやってくるのかな
一つひとつ考えてみよう。

But,how can such a world be made?
let's think about it
.



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