2008年12月29日月曜日

1937年 南京 12月29日

南京事件」(笠原著:岩波新書)より
【溧水県】12月、柘搪(しゃとう)鎮に日本軍は拠点を設置して駐屯、以後付近の農民が殺害され、婦女が強姦される(被害は日中戦争期間で村民29名が殺害、婦女28名が強姦された)。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月29日
(本には29日の記述がありません。ここには28日の日記の後半部分を掲載します。)

フィッチにあてたフォスターのこの手紙を見れば、南京の状態が一発でわかる。この50体のほか、委員会本部からそう遠くない沼の中にまだいくつもの死体がある。これまでにも我々はたびたび埋葬の許可を申請したが、だめだの一点張りだ。いったいどうなるのだろう。このところ雨や雪が多いのでいっそう腐敗が進んでいる。

 スマイスと私は、日本大使館に行き、福井氏や岡という少佐と2時間話し合った。岡少佐は、トラウトマン大使から私たちのことを頼まれているそうで、次のように言った。今南京にいるドイツ人は全部で5人だが、一緒に暮らしてもらえないか。そうすればこちらとしても保護しやすい。もしそれに賛成できない場合は、日本軍による保護をあきらめる旨一筆書いてもらいたい、と。私はきっぱり言った。「身の安全ということなら、中国人と同じでけっこうですよ。日本軍は中国人を保護すると約束しているんですからね。もしも中国人を見殺しにするつもりだったら、トラウトマン大使や他のドイツ人と一緒にさっさとクトゥー号で逃げていましたよ」
 岡少佐はいった。「私はあなた方の命を守るように頼まれているんです。それはともかく、日本兵に持ち物を奪われたり壊されたりしたことが証明できれば、政府が弁償するか、かわりのものを支給するかします。」それについては、ただ次のように答えるしかなかった。「南京陥落後の12月14日に委員会のメンバー全員で街を見まわりましたが、ドイツ人の家も持ち物も無事でした。略奪や放火、強姦、殺人、撲殺、こういうことが始まったのは日本軍が進駐してきてからです。誓ってもいいですがね。同じことはアメリカ人の財産にもいえるんですよ。舞い戻ってきた中国軍によって略奪された家はわずかで、みんな太平路にありました。その中には外国人の家は一軒もありませんでした。」・・・
・・・・・・・・・


 南京のことはどうか上海には黙っていてください、と福井氏から頼み込まれた。つまり、日本大使館にとって具合の悪いことは知らせないでくれということなのだ。私は請け合った。そうするほかないじゃないか?日本大使館を通さなければ手紙が出せないのだから。だが、いつの日かきっと、真実が白日のもとにさらされる日が来る。
 この時とばかり私は福井氏に、12月13日に銃殺された我が家の近くの中国兵の死体をいいかげんに埋葬するよう、軍部にかけあってくれないかと頼んでみた。福井氏は約束してくれた。

 それから、今後安全区に衛兵を派遣することになったと聞かされた。日本兵が入り込まないようするためだというのだ。あるとき私は、その衛兵とやらをじっくり観察してみた。日本兵は誰一人呼び止められるのでもなく尋問されるでもない。それどころか、奪ったものを抱えて日本兵が出てくるのを見てみぬふりしていることもある。これで「保護します」とは聞いて呆れる!



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月29日  水曜日
この地区及び、城内全域の多数の男性の登録が続いている。9時になるずっと前から校門のはるか向こうまで長蛇の列がつながっている。日本兵の態度は、今日は昨日にもまして厳しかった。昨日は、兵士であったことを自ら申告するよう求め、その場合には労働をさせて賃金を支払うことを約束した。今日は男性の手を調べて、疑わしいと思う者を選び出していた。もちろん、選び出された多くの者は兵士ではなかった。よろしくとりなしてほしいと頼みに来た母親や妻は数え切れない。
彼女たちの息子は仕立て職人であったり、製パン職人であったり、商人であった。残念ながら、私には何もしてやることができなかった。・・・・・・

・・・・・・・登録票は一般の日本兵士にたいしてはさほど効果がなく、彼らに破り捨てられた事例が何件かあるそうだ。
 午後、アメリカ大使館へ出かけた。今のところ外国人はまだ誰も南京に戻っていなかったし、彼らがいつ帰任できるのか、大使館は正確な情報を得ていない。今日に至るまで、私たちは依然として外界から遮断されているし、大使館員であれ商社員であれ、外部からいかなる外国人も入ってくることができない。南京が陥落してから2週間以上が経っている。軍用物資の輸送のため、上海への列車運行が開始されるそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・・一人の女性が話しかけてきた。彼女は、郊外の国立競技場に近い孝陵衛からやってきた、と言った。彼女の話では、町は中国軍によって最初は一部が焼失し、そのあと日本兵によって完全に焼き払われたそうだ。10人家族のうち、あとに残されたのは彼女と彼女の夫、それに孫1人の3人だけである。息子2人、娘3人、嫁1人と孫1人は散りぢりになってしまい、どこにいるのか見当もつかないという。これは、毎日私たちが耳にする数多くの悲惨な話の一つに過ぎない。
 城内にいる兵士は少なくなっているので、略奪も減ってきている。もっとも、多少の略奪と焼き払いはあいかわらず続いている。ここの避難民もわずかながら減少している。登録のため、今日は粥の提供は一回しかできなかった。キャンパスは泥の海になっている。
 今夜も大使館の警官1名と女子学院の警備兵3名が任務についている。



「Imagine9」【合同出版】より

考えてみよう、

日本の憲法9条のこれから。


 日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。誰が何のためにそう言っているのか、考えてみましょう。
 2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「一緒に戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこで邪魔になるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。

 また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとって邪魔になるのは、「武器を売ってはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメリカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
 そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人々はどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そして皆さんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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