「南京事件」(笠原著:岩波書店)より
12日、戦勝報道にわいた日本国内では、官庁と教育界、マスコミ、ジャーナリズムの肝いりで、南京陥落祝賀行事が繰り広げられた。同日の新聞は「きょう帝都は歓喜のどよめき/そらッ!南京陥落だ!/宮城前に奉祝の群れ/讃えよ世界最大の誇り」(『東京日日新聞』)と報じた。宮城前には、朝から東京外国語学校の生徒700名が校長に引率されて日の丸を手に祝賀に訪れたのをはじめ、東京都下の学生の奉祝パレードがおこなわれ、さらに一般の群衆にまじって、校長・教師の先導で東京府内の各学校の生徒たちが終日宮城を訪れ、戦勝祝賀の行進をしていった。
東京府の府庁舎の空には「祝南京陥落」のアドバルーンが上げられ、銀座などの大通り商店街に日の丸、旭日旗、そして「南京陥落」と書いた幟(のぼり)が飾られた。・・・・・・・
12日、南京では夜明けとともにかつてなく激烈な日本軍の攻撃が開始された。完全に南京の制空権を掌握していた日本軍機は、中国軍陣地に容赦ない爆撃をくわえ、南京城壁を包囲するかたちで陣地を据えた日本軍の砲列は、城壁と城内に向けて猛烈な砲火を浴びせた。
南京城の南の中華門外の重要拠点である雨花台陣地には、第六師団(熊本)と第114師団(宇都宮)が猛攻をくわえ、正午までに同陣地を占領した。第六師団は雨花台の南京城内が一望できる地点に砲列を敷き、中華門に集中砲火をくわえ、さらに城内にも砲撃を撃ちこむ。このため、南京の中心街に砲弾が落ち、硝煙が街をおおい、各所に火の手があがった。雨花台の北端に進出した第11師団(善通寺)は、中華門から東の雨花門にかけての城壁に集中攻撃を開始した。・・・・・・・
12日、日本海軍機、アメリカ砲艦パナイ号を撃沈。南京防衛軍司令長官 唐 生智、撤退命令を出す。深夜、南京陥落。
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月12日
日本軍はすんなりと占領したのではないかという私の予想は見事に外れた。黄色い腕章をつけた中国人軍隊がまだがんばっている。ライフル銃。ピストル。手榴弾。完全装備だ。警官も規則を破ってライフル銃をもっている。軍も警察も、もはや唐将軍の命令に従わなくなってしまったらしい。これでは安全区から軍隊を追い出すなど、とうてい無理だ。朝の8時に、再び砲撃が始まった。
11時に唐将軍の委任により龍上校と周上校がやってきた。3日間の休戦協定を結びたい、ついてはその最後の試みをしてもらえないかという。
休戦協定の内容はーこの3日間で、中国軍は撤退し、日本軍に町を明け渡す。我々は、まずアメリカ大使宛の電報、次に調停を依頼する唐将軍の手紙を作成し、最後に軍使に関する取り決めをまとめあげた。軍使は、白旗に守られて、前線にいる日本軍の最高司令官にこの手紙を渡さなくてはならない。・・・・・夕方6時頃、ようやく龍が姿を見せる。龍は言った。「残念ながら、せっかくの努力が水の泡でした。すでに日本軍は城内の前まで攻めてきているため、時すでに遅し、とのことです」・・・・・
18時半・・・紫金山の大砲はひっきりなしにとどろいている。あたり一面、閃光と轟音。突然、山がすっぽり炎につつまれた。どこだか分からないが、家や火薬庫が火事になったのだ。紫金山の燃える日、それは南京最後の日。昔からそういうではないか。南部から逃げてくる人たちが、安全区を通って家へ急ぐのが見える。その後から中国軍部隊がぞろぞろ続いている。日本軍に追われていると言っているが、そんなはずはない。一番後ろの連中がぶらぶらのんびり歩いているのを見れば分かる。
この部隊は中華門、あるいは光華門で手ひどくやられ、パニック状態で逃げてきた事がわかった。次第に落ち着き、最初は気が狂ったように逃げていたのだが、いつしかのんびりとした行進にかわっていたというわけだ。それはともかくとして、日本軍がもう城門の前まで攻めてきていること、したがって最終戦が目前に迫っていることは、もはや疑いようがない。・・・・・
・・・・
20時・・・南の空が真っ赤だ。庭の防空壕は、避難してきた人たちでふたつともあふれそうになっている。ふたつある門の両方でノックの音がする。中に入れてもらおうと、女の人や子どもたちが必死で訴えている。ドイツ人学校の裏の塀を乗り越えてがむしゃらに逃げ込んできた男たちもいる。
これ以上聞いていられなくなって、私は門を二つとも開けた。防空壕はすでにいっぱいなので、建物の間や家の陰に分散させた。ほとんどの人はふとんを持ってきている。庭に広げてある大きなドイツ国旗の下で寝ようというちゃっかりした連中もいる。ここが一番安全だと思っているのだ。
榴弾がうなる。爆弾はますます密に間近に降ってくる。南の方角は一面火の海だ。轟音がやまない。私は鉄のヘルメットをかぶった。忠実な韓のちぢれ毛の頭にものせてやった。我々は防空壕に入らないからだ。入ろうとしてもどっちみち場所はないが。番犬のように庭を見回り、こちらで叱りつけ、あちらでなだめる。しまいにはみな言うことを聞くようになった。・・・・・
・・・・・
真夜中になってようやく静かになった。私はベッドに横たわった。北部では、交通部の立派な建物が燃えている。
ふしぶしが痛い。48時間というもの、寝る間もなかったのだ。うちの難民たちも床につく。事務所には30人、石炭庫に3人、使用人用の便所に女の人と子どもが8人、残りの100人以上が防空壕か外、つまり庭や敷石の上や中庭で寝ている!!・・・・
夜の9時に龍が内密に教えてくれたところによると、唐将軍の命により、中国軍は今夜9時から10時の間に撤退することになっているという。後から聞いたのだが、唐将軍は8時には自分の部隊を置いて船で浦口に逃げたという。
それから、龍は言った。「私と周の二人が負傷者の面倒をみるために残されました。是非力を貸していただきたいんです」本部の金庫に預けた3万ドルは、このための資金だという。私はこれをありがたく受け取り、協力を約束した。いまだ何の手当ても受けていない人たちの悲惨な状況といったら、とうてい言葉でいいあらわせるものではない。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月12日 日曜日
夜8時30分、このメモを書いているが、市の南西地域で激しい砲声がとどろいている。絶えず窓ガラスが震動するので、用心のため窓際から離れている。一日中激しい爆撃が続いた。・・・・
・・・・・・・
今や日本軍機は意のままに飛来して爆弾をごっそり投下しているが、高射砲や中国軍機による反撃は何もない。犠牲がほとんど効果をあげていないとすれば、城壁外側のすべての家屋、それに内側の多くの家屋をも焼き払ったことは、とんでもない誤算であったと確信する。・・・・
・・・・・・・・・
あいかわらず避難民がやってくる。現在、三つの建物はすでにふさがっており、文科棟への収容を開始している。あいにく、中国赤十字会が運営することになっている粥場いまだに開業していないので、食料を持ってこなかった避難民にとっては最悪の状態が続いている。・・・・・
・・・・・・・・・
午後5時、英語による礼拝に出かけた時、紫金山の上の部分三分の一のところを取り巻くように帯状に火の手があがっているのが見えた。どのようにして火災が発生したのかは聞いていないが、松の木がたくさん焼失したことは確かだ。
夜9時から10時にかけて陳さんと二人でキャンパスを巡回した。洗濯夫の胡さんと、彼の近所に住んでいる農民の朱さんは二人とも、まだ寝ていなかった。今夜彼らは、撤退して行く中国兵を怖がっている。というのも、家族の中に若い娘がいるからだ。今夜、城内では眠れる人はほとんどいないだろう。市の南部と、それに下関が依然として燃えているのが南山公寓から見えた。・・・・・・
「Imagine 9」解説【合同出版】より
武器を使わせない世界
世界中の兵器をいっぺんになくすことはできません。それでも人類は、二つの世界大戦を通じて国際法をつくり、残酷で非人道的な兵器の禁止を定めてきました。
たとえば、地雷は、踏むと反応する爆弾で、人を殺さず手や足だけ奪う兵器です。NGOが運動を起こし、カナダ政府と協力して、1997年に「対人地雷全面禁止条約」を実現しました(オタワ条約)。
また『クラスター爆弾」は、爆発すると周辺一帯に大量の「小さい爆弾」が飛び散るようにつくられた爆弾です。あたり一帯に不発弾が残り、地雷と同じ働きをします。クラスター爆弾も全面的に禁止するべきだと、ノルウェー政府とNGOが動き始めています。
広島と長崎に落とされた2発の原爆は、瞬時に20万人の命を奪いました。被爆者たちは、60年以上たった今も、放射能によって健康をむしばまれています。
このような核兵器が、世界に26,000発もあります。その大部分はアメリカとロシアのものです。核保有国は「自分たちの核兵器は許されるが、ほかの国が核兵器をもつのは許さない」と言います。アメリカは自ら核兵器の強化を図っているのに、イランや北朝鮮の核開発には制裁を課し、イラクに対しては「核疑惑」を理由に戦争を始めました。
いわば「タバコをくわえながら『みんなタバコをやめろ』といっているようなもの」(エルバラダイ国際原子力機関事務局長、ノーベル平和賞受賞者)です。自分たちの核はいいのだと大国が言い続けている限り、ほかの国々もそれに続こうとするでしょう。
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