「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
12月26日、そうした「査問工作」が難民区内で安全区国際委員のベイツらの立会いのもとで行われ、日本の将校が元兵士であることを「自首」すれば米と仕事を与えると説得したため、仕事と米がもらえると誤解した男子2・300人(ほとんどが市民)が「自首」したところ、夕方になって難民区の西にある五台山と漢中門外の運河の堤防に連行され、そこで刺殺または銃殺されてしまった。国際法に違反した日本軍の背信行為を目の当たりにしたベイツは義憤をこめてこう書いている。
元兵隊であろうがなかろうが、とにかく元兵隊と認定されたものの集団虐殺となったということだ。ここは、捕虜の生命はさしせまった軍事上の必要以外においては保障されるという国際法の条文を語る場所ではないし、日本軍もまた、国際法などは眼中になく、いま南京を占領している部隊の戦友を戦闘で殺したと告白した人間に対しては復讐すると公然と言明したのである。(「英文資料編」)
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)
12月26日 17時
素晴らしいクリスマスプレゼントをもらったぞ。夢のようだ!なんたって600人を超す人々の命なのだから。新しくできた日本軍の委員会がやってきて、登録のために難民を調べ始めた。男は一人一人呼び出された。全員がきちんと整列しなければならない。女と子どもは左、男は右。ものすごい数の人だった。しかし、すべてうまくいった。だれひとり連れて行かれずにすんだ。隣の金陵中学校では20人以上引き渡さなければならなかったというのだ。元中国兵という疑いで処刑されるのだという。わが家の難民はだれもがほっとした。私は心から神に感謝した。いま、日本兵が4人、庭で良民証を作っている。今日中には終わらないだろうが、そんなことはどうでもいい。将校が決定した以上、もう引っ張られる心配はないのだから。・・・・・・
昨日は日本兵が押し入ってこなかった。この2週間で初めてのことだ。やっといくらか落ち着いてきたのではないだろうか。ここの登録は昼に終わった。しかも後ろからこっそりもぐりこませた20人の新入りにも気前よく良民証が与えられた。
使用人の劉と劉の子どもが、病気になったので、鼓楼病院のウィルソン先生のところに連れて行った。トリマー先生が病気で、いまはこのウィルソン先生一人で病院を切り盛りしている。先生から、日本兵の恐るべき残忍さを示す例をまた一つ見せられた。若い娘を世話できなかったという理由で撃たれた中年婦人だ。下腹部を銃弾がかすめており、手のひら3つ分くらいの肉がもぎ取られている。助かるかどうかわからないという話だ。
安全区本部でも登録が行われた。担当は菊地氏だ。この人は寛容なので我々一同とても好意を持っている。安全区の他の区域から、何百人かずつ、追い立てられるようにして登録所へ連れてこられた。今までにすでに2万人が連行されたという。一部は強制労働にまわされたが、残りは処刑されるという。なんというむごいことを・・・・・・。我々はただ黙って肩をすくめるしかない。くやしいが、しょせん無理なのだ。・・・・・・・・
そこいらじゅうに転がっている死体、どうかこれを片付けてくれ!担架にしばりつけられ、銃殺された兵士の死体を10日前に家のごく近くで見た。だが、いまだにそのままだ。だれも死体に近寄ろうとしない。紅卍字会さえ手を出さない。中国兵の死体だからだ。・・・・
安全区の20万もの人々の食糧事情はだんだん厳しくなってきた。米はあと一週間しかもたないだろうとスマイスはいっているが、私はそれほど悲観的には見ていない。
米を探して安全区にまわしてくれるよう、何度も軍当局に申請しているのだが、なしのつぶてだ。日本軍は、中国人を安全区から出して、家に帰らせようとしている。そのくせいつ汽車や船で上海に行けるようになるのか聞いても、肩をすくめるだけだ。「それは当方にもわかりません。川には水雷がばらまかれているので、定期的に船を出すのはとうてい無理でしょうな」・・・・
ミス・ミニ・ヴォートリン。実はこの人について個人的にはあまりよく知らないのだが、アメリカ人で、金陵女子文理学院の教授らしい。・・・・・・・・・
さて、日本当局は、兵隊用の売春宿を作ろうというとんでもないことを思いついた。何百人もの娘でいっぱいのホールになだれこんでくる男たちを、恐怖のあまり、ミニは両手を組み合わせて見ていた。一人だって引き渡すもんですか。それくらいならこの場で死んだ方がましだわ。ところが、そこへ唖然とするようなことが起きた。我々がよく知っている、上品な紅卍字会のメンバーが(彼がそんな社会の暗部に通じているとは思いも寄らなかったが)、なみいる娘たちに二言三言やさしく話しかけた。すると、驚いたことに、かなりの数の娘たちが進み出たのだ。売春婦だったらしく、新しい売春宿で働かされるのをちっとも苦にしていないようだった。ミニは言葉を失った。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)
12月26日 日曜日
昨夜も平穏な一夜だった。正門に大使館の警官が一人いただけだが、彼の存在は、安心感を与えてくれるという点で役立った。アメリカ大使館が憲兵隊司令部になっているそうだ。・・・・・・
午前7時30分からスタッフの礼拝集会を行った。午後2時から、キャンパスにいる中国人のために日曜礼拝を行う予定だ。鼓楼病院に行かれないのは残念だ。昨日と今日は礼拝を行っただろうか。牧師が避難してしまい、残念でならない。
けさ魏が戻ってきたが、自分の体験したことを語れないほど疲れ果てていた。
午後、またもや体力が尽きてしまい、休息をとった。
金陵大学のキャンパスにいる避難民全員がきょう登録をした。たぶん、一両日中には女子学院でも同じ手続きが行われるだろうから、今夜、陳さんに名簿の作成を始めてもらった。
昼間はいままでも晴れいて暖かい。依然として外界の情報は入ってこないし、私たちが知るかぎりでは、こちらの情報も、同盟(通信社)が提供するもの以外は伝わっていない。
今年は、クリスマスなしの年になるだろう。友人たちのことを考える時間さえなかった。
「Imagine9」【合同出版】より
世界は、
9条をえらび始めた。
・ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。(イギリス、30代・男性)
・第二次世界大戦の悪夢を経験した一人として、私は、力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるべきだと思います。(フィリピン、60代・男性)
・僕の国はベトナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは根本的に反省しなかったんです。こういう国に従って日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。(アメリカ、50代・男性)
・武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、特に軍事力を増強していくことは、私にとって全く無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用した方がよっぽど有効だと思います。(フィリピン、60代・男性)
・私は第二次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきでないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。(ロシア、60代・男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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