「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月21日
日本軍が街を焼き払っているのはもはや疑う余地はない。たぶん略奪や強奪の跡を消すためだろう。昨夜は、市内の6ヵ所で火が出た。
夜中の2時半、塀の倒れる音、屋根が崩れ落ちる音で目が覚めた。わが家と中山路の間にはもう1ブロックしか家が残っていない。そこに燃え拡がるおそれがあったが、運良く難をのがれた。・・・・
・・・・・・・
アメリカ人の絶望的な気分は次の電報を見るとよくわかる。
ほかに方法がないので、日本大使館に頼んでこの電報を送ろうというのだろう。だがこれでは何もかも筒抜けだ。日本は承知するだろうか?
南京、1937年12月20日、在上海アメリカ総領事館 御中。
重要な相談あり。アメリカの外交官、南京にすぐ来られたし。状況は日々深刻に。大使および国務省に報告乞う。マギー、ミルズ、マッカラム、スマイス、ソーン、トリマー、ヴォートリン、ウィルソン。
1937年12月20日南京日本大使館 御中。海軍基地無線を通じて転送を要請します。
M.S.ベイツ
それにしても、アメリカ人は非常に苦労している。私の場合は、ハーケンクロイツの腕章やナチ党バッジ、家と車のドイツ国旗をこれ見よがしに突きつければ、一応の効き目はあったが、アメリカ国旗となると日本兵は歯牙にもかけない。今朝早く、日本兵に車を止められたので怒鳴りつけて国旗を示したところ、相手はすぐに道を空けた。それにひきかえ、トリマーやマッカラムはなんと鼓楼病院で狙撃されたのだ。運良く弾はそれた。だが、我々外国人に銃口が向けられたという事が、そもそも言語道断だ。・・・・・・・
我々の収容所にいる中国人の誰かが、妻か娘を強姦されたといって日本兵を殴り殺しでもしたら、一巻の終わりだ。安全区は血の海になるだろう。つい今しがた、アメリカ総領事館あての電報が日本大使館から打電を拒否されたという知らせが入った。そんなことだろうと思っていた。
午前中にガソリンを残らず本部へ移させた。中山路でこれからまだ相当数の家が焼け落ちるのではないかと心配だからだ。そういう火事の前兆はもうわかっている。突然トラックが何台もやってくる。それから略奪、放火の順だ。
午後2時、ドイツ人やアメリカ人など全員ーつまり外国人が全員鼓楼病院前に集結して、日本大使館へデモ行進を行った。アメリカ人14人、ドイツ人5人、白系ロシア人2人、オーストリア人1人。日本大使館あての手紙1通を手渡し、その中で人道的立場から以下の3点を要求した。
1、街をこれ以上焼かないこと。
2、統制を失った日本軍の行動を直ちに中止させること。
3、食糧や石炭補給のため、再び平穏と秩序が戻るよう、必要な措置をとること。
デモに参加した者は全員が署名した。
我々は日本軍の松井石根司令官と会談し、全員が彼と握手した。大使館では私が代表して意見を言い、田中正一副領事に、日本軍は町を焼き払うつもりではないかと思っていると伝えた。領事は微笑みながら否定したが、書簡のはじめの2点については軍当局と話し合うと約束してくれた。だが、第3点に関しては、耳を貸さなかった。日本人も食糧不足に苦しんでいるので、我々のことなど知ったことではないというのだろう。
そのあと、まだ日本大使館にいるときに、海軍将校からローゼンの手紙を受け取った。彼は南京に非常に近いところに停泊しているイギリス砲艦ビー号に乗っているのだが、まだ上陸を許されていない。これ以上多くの人間に事情を知られたくないのだろう。・・・・・・・・・
ローゼン書記官よりジョン・ラーベあての手紙
南京を目前にして、1937年12月19日
イギリス砲艦ビー号船上より
ラーベさん、
昨日から南京市を目の前にしながら上陸する事ができません。
皆さんのご様子、それからドイツ人の家が無事かどうかお知らせください。
なお、ここからは大使宛の無線で連絡が取れます。
当方にもいろいろな事がありました。このことはいずれお目にかかった折にお話します。
この手紙が日本軍を介して貴君に届くかどうかわかりませんが、とにかくやってみます。(無事返事をいただけるといいのですが)。
よろしく。 ハイル・ヒトラー! 敬具
ローゼン
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月21日 火曜日
毎日がうんざりするほど長く感じられる。毎朝、どのようにすれば日中の12時間を過ごせるだろうかと思案する。
朝食のあと、例の25人の警備兵が昨夜及ぼした(女性2人が強姦された)件について事情を聴取した。しかし、こうしたことには慎重に、しかも臨機応変に対処する必要がある。・・・・・・
1時30分、アチソン氏の料理人と一緒に車でキャンパスの西の方角に向かった。料理人は、75歳の父親が殺されたと聞いていたので、是非確認したかったのだ。私たちは、道路の中央に老人が倒れているのを見つけた。老人の死骸を竹やぶに引き入れ、上にむしろをかけた。老人は、危害をこうむることは絶対にないと言い張って、大使館で保護をしてもらうことを拒んでいた。
2時に大使館に着いたが、・・・・・・・・私たちは領事に、大変申し訳ないが、あんなに大勢の兵士に石炭や茶やお菓子を出すこともできないし、それに、夜間に派遣してもらう憲兵は2名だけで、昼間は1名のはずではなかったか、と言った。領事はとても察しのよい人で、昨夜は25人もの警備兵がキャンパスにいたにもかかわらず、万事うまくいったわけではないことを理解した。
午後、城内にいる外国人全員で、日本軍のためだけでなく南京の中国人20万人のためにも、南京に平和を回復するよう求める請願書を提出した。私は、ついさっき日本大使館から帰ってきたばかりだったので、みなに同行しなかった。
日本大使館を出てから、今度はアメリカ大使館の使用人と一緒に三牌樓にあるジェンキン氏宅へ行った。彼の家は、アメリカ国旗を掲揚し、日本文の布告や東京宛の特電の文を掲示することによって護られていたにもかかわらず、徹底的な略奪をこうむった。ジェンキン氏が信頼していた使用人は車庫で射殺されていた。彼は雇い主の家を出て大使館に避難することを拒んでいた。
かつて南京に住んだことのある人なら、今の街路がどんなありさまになっているのか想像もつかないだろう。これまでに見たこともないほどひどい惨状だ。路上にはバスや乗用車が引っくり返り、すでに顔の黒ずんだ死体があちこちに転がり、捨てられた軍服がいたるところに散乱し、住宅や商店はすべて焼け落ちているか、そうでなければ、略奪されたり打ち壊されたりしている。安全区内の街路は混雑しているが、安全区外では日本兵以外はほとんどだれも見かけない。・・・・・・・
・・・・歩いてキャンパスに戻る途中、悲嘆に暮れた男性が近づいてきて、助けてもらえないか、と言った。27歳の妻が女子学院から帰宅したばかりのところに、3人の日本兵に押し入られた。彼は家から追い出され、妻は日本兵に捕らえられてしまった、という。
今夜はきっと6000人ないし7000人(いや9000人ないし1万人?)の避難民がキャンパスにいるに違いない。私たちはわずかな人数で対処しており、疲れ果ててしまった。こんな激務の後どのくらい耐えられるかわからない。
現在、大きな火災が北東から東へ、さらに南東の空を照らし出している。毎日、夜はこうした火災が空を照らし、昼間はもうもうとあがる煙によって、いまなお略奪と破壊の行為が続いている事がわかる。戦争の生み出すものは死と荒廃である。
私たちは外界との接触を完全に断たれている。何が起こっているのか全くわからないし、こちらから外界にメッセージを送ることもできない。校門から外を眺めていると、門衛が、1日1日が1年のように思え、人生から一切の意味が失われてしまった、と言ったが、全くその通りだ。先が見えないのが悲しい。かつては活力にあふれ、希望に満ちていた首都も、いまや空っぽの貝殻のようだ。哀れを誘う悲痛な貝殻だ。
何日も前に作成した無線電報がいまだに送られないでいる。
「Imagine9」解説【合同出版】より
ひとりひとりの安全を
大事にする世界
また、地球上の人々の生命と権利を守る責任は国際社会全体にあるのだ、という考え方も広がりつつあります。たとえば、国の中で紛争状態や人権侵害があるときに、その国の政府が「これは国の内部の問題だから外国は口出しするな」などということは、もはや許されないのです。国と国が戦争をしていないからといって、それは平和を意味しません。人々の生命や権利が脅かされているかぎり、それは平和ではないのです。
日本国憲法には、9条と並んで、もう一つ重要な部分があります。
それは前文の次の言葉です。
「我らは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏からまぬかれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
世界には、戦争に行くことを正しいことではないと考えて、兵隊に行くのを拒む人々もいます。これを「良心的兵役拒否」の権利と呼びますが、この権利を国際的に保障しようという動きも活発化しています。
平和は、国から市民へ降りてくるものではなく、市民が国を動かし、国際社会を動かしてつくり上げていくものなのです。
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