7日・・・蒋介石、南京脱出。中シナ方面軍、「南京城の攻略および入城に関する注意事項」などを下達。中国軍、「清野作戦」を展開(~9日)【「南京事件」(笠原著:岩波新書)より】
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月7日
昨夜はさかんに車の音がしていた。そして今朝早く、だいたい5時ごろ、飛行機が何機もわが家の屋根すれすれに飛んでいった。それが蒋介石委員長の別れの挨拶だった。昨日の午後会った黄もいなくなった。しかも、委員長の命令で!
後に残されたのは、貧しい人たちだけ。それから、その人と共に安全区に残ろうと心に決めた我々わずかなヨーロッパ人とアメリカ人だ。
そこらじゅうから、人々が家財道具や夜具を抱えて逃げ込んでくる。と言ってもこの人たちですら、最下層の貧民ではない。いわば先発隊で、いくらか金があり、それと引き換えにここの友人知人にかくまってもらえるような人たちなのだ。
これから文字通りの無一文の連中がやってくる。そういう人たちのために、学校や大学を開放しなければならない。みな共同宿舎で寝泊りし、大きな公営給食所で食べ物をもらうことになるだろう。受け取るはずの食糧のうち、ここに運び入れる事ができたのはたった4分の1だ。なにしろ車がなかったので、いいように軍隊に徴発されてしまった。
今日の午前中に、軍にトラックを2台取り上げられた。これまでに一台しか取り返していない。もう一台、塩が2トン積んであったほうはいまだ返ってこない。いまゆくえを探しているところだ。最高司令部から、たった今、さらに2万ドル、私のところに払い込まれた。約束の10万ドルの代わりに、全部で4万ドル受け取ったことになる。これで満足しなければならないのだろう。寄金が分割払いされていることなど、おそらく蒋介石は知らないだろうから文句も言えまい。
明日、城門が閉められ、今まで残っていたアメリカ人も船に乗る。・・・・・・・
・・・・・・
18時記者会見。馬市長は欠席、外国人も半数くらいしか出席していなかった。残りはもう発ったのだろう。
門の近くにある家は城壁の内側であっても焼き払われるという噂がひろまり、中華門の近くに住む人たちはパニックに陥っている。何百と言う家族が安全区に押しよせているが、こんなに暗くてはもう泊まるところが見つからない。凍え(こごえ)、泣きながら、女の人や子どもたちがシーツの包みに腰かけて、寝場所を探しに行った夫や父親の帰りを待っている。今日、2117袋、米を買ってきた。明日もまた門を通れるかどうかは分からない。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月7日
今朝7時、下関の方角から砲声が聞こえてきた。真っ先に頭に浮かんだのは、日本の艦船が到着し、いよいよ砲撃が開始されたのでは、ということだった。さいわい、その推測ははずれたが、本当のところは何なのか、さっぱりわからなかった。
キャンパスでは引き続き備品を特別室(3階)に移している。今朝も男性たちが、中央棟と理科棟、それに実験学校の作業をしている。それ以外の男性は寄宿舎の掃除をしている。事務助手はポスターや案内標識を書き、一方、事務室では戴師傳〔師傳は技能者への敬称〕が案内係用の腕章を作製している。避難民用に割り当てられた八つの建物に収容できる推計人数をまとめるところだ。2750人(一人当たり16平方フィートを基準とした計算)になるが、それは、私たちが対処しなければならない、ほぼ精一杯の人数だ。(後日、実際には六つの建物に一万人以上を収容した。)・・・・
・・・・・
城内にはいろいろな噂が飛び交っている。何千人という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、5時までに立ち退くよう警察から命令されており、それに従わなければ家は焼き払われ、スパイとみなされる、というのであった。
記者会見には中国人3人だけが出席した。彼ら以外の者は多忙を極めているか、そうでなければ南京を離れてしまったのだ。〔蒋介石〕総統は、今日午前4時に南京をあとにしたそうだ。2,3日のうちに南京が陥落すると予想する者もいれば、長期にわたって包囲攻撃が加えられると考える者いる。孝陵衛が燃えているそうだ。軍の作戦により放火されたのである。国営公園でたくさんの樹木が伐採されたー同じ作戦によりーとの報告もいくつかあった。淳化鎮に300発の爆弾が落とされたそうだ。
おそい夕食のあと隣保館に出向いた。今夜は近隣の何世帯かの人たちがきていた。その中には家が取り壊されることになっている胡大媽(大媽は年長の女性への尊称)や、彼女の息子たちとその連れ合いもいた。綴れ織商の呉さん一家やその他の世帯の人たちもいた。ある高齢の教師(78歳)が校門の前で立ち止まった。彼が言うには、家から追い出されたとのこと。年老いた妻は、家から離れたくないと言うので、彼だけがやってきたのだ。今夜は南京でたくさんの悲惨な事件が起こり、大勢の人々が空腹を抱え、寒さに震えている。
(Imagine 9解説)【合同出版】より
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。
軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」
裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」
ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。
こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。
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