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●日本の核開発(加藤哲郎さん)
●第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●帝銀事件と登戸研究所
●石垣島の自衛隊!!
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
辺野古どうなる? 沖縄県民投票、知事「不許可」の後ろ盾に
安倍首相、辺野古移設の必要性強調 沖縄県民投票「真摯に受け止め」も
鳩山元首相 辺野古移設反対多数で勝利宣言「県民の意思ははっきり示された」
【沖縄県民投票】反対が43万票超、デニー知事の得票上回る - 安倍政権、自公に民意が突きつけられる
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 見えてきた日本のバブル崩壊の兆し!
Monthly日刊ゲンダイ【2月号】ゲスト・神保哲生氏/米朝首脳会談/トランプ大統領/ノーベル平和賞推薦/安倍首相/記者クラブ/東京新聞/バイトテロ
賃金偽装 厚労省キーマン「官邸の圧力」否定は矛盾だらけ
勤労統計調査方法変更「自分が…」元首相秘書官の言い分 首相は“われ関せず”か
統計不正、厚労省がメール公開 官邸関係者に報告と明記
骨格標本、1970年代まで実物で製造 住宅から500人分人骨の理由
なぜ沖縄県は辺野古に反対なの?
大波乱の東京都議会 小池知事の委員会招致を決定
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自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
最初の犠牲者
馬の肝臓を加えたという茶色がかった液体培地を試験管にとり、それを6、7分間煮沸して、急速に冷却し、それにガス壊疽菌を接種して栓をするという説明を聞きながら、石塚雇員が赤い実験台の上で操作するのを、私達はのぞき込むように取り巻いて見ていた。
菌はシャーレに培養して嫌気性瓶に入れてあった。いよいよ新しい培地に接種する段になり、危険極まりない菌が生えているシャーレが取り出された。
その時、私の背後にいた1人の雇員が、何か言ったので私は命令かと思って振り向いたのである。大津も一緒に首を回していた。
すると、その瞬間、私の向うにいた阿部と佐々が、「痛い!“」「熱い!」と、飛び上がるような悲鳴を発した。
「そのままでいろ!動くなよ!」
1人の雇員が大声で、怒鳴りつけ、あわただしく廊下へ飛び出して行った。どうした弾みでか、シャーレを取り落として、それが煮沸している試験管をもこわしたものらしい。ガラスの破片、それも菌の繫殖附着しているものである。
私と大津は反対側にいたので無事だったけれども、阿部は顔半分に、実験者は下あごから胸に、身をかわした佐々は背中に、菌の附着したガラスの破片が、はねかかった模様であった。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
(京都大学から回答があったようです)
テーマ 京都大学の「学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)」に対する異議申し立て
京都大学は、満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会の要請「旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます」(2018年7月26日)について、2018年9月18日に予備調査を京都大学の規程・要項を準用して行うとのメール通知を当会に行いました。当該要項の所定予備調査期間を大幅に超えて、この度2019年2月8日付で表記の通知が当会に届けられました。
当会は2月18日に役員会を開催し、同通知の審議に基づき、異議申し立て期限の2月20日に提出した異議申し立て文書は京都大学により受け付けられました。
そこで、同通知を配布するとともに、異議申し立ての内容を報告し、質疑応答、意見交換を行います。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
防毒機材の研究と制式化
こうした物質は分子構造が密で、多くの気体、油脂、細菌などに対していずれも高い抗浸透力を有しており、防毒能力が強く、この材料を用いるようになって、防毒具はかなり軽便になった。防毒具の様式は1929年制式化されてから、基本的に変わっておらず、防毒上衣、防毒袴、防毒手袋、防毒靴の4つから構成されていた。うち「90式」は総重量5キログラムで、イペリットに耐えられる時間は、上衣が半時間、手袋とズボンが1時間、靴底が5時間であったが、「95式」「99式」防毒面具が相継いで開発されると、各種の性能がさらに良くなり、「軽防毒具の王」の異名をとった。戦争中は、防毒具が第1線の部隊に大量に供給され、敵方のの撒毒陣地突破時に使用される主な防護用具となった。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●排気筒群
排気筒を近くから撮影しました。 壁の階段を登りたかったのですが、流石にそれは出来ません。近くにビデオカメラを持った自衛官が同伴しているのです。右写真は一行をビデオカメラに納める自衛官です。そして彼を写真に納める私も、どこかのカメラに納められていることでしょう。
炎天下のなか、最後には見学会一行もバテバテで、同伴・監視の自衛官も汗だくでした。
●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。
弥心神社(生田神社)の登戸研究所の句碑について
登戸研究所碑の裏面には、
「すぎし日は この丘にたち めぐり逢う」
という句が刻まれています。「すぎし日」とは、かつて登戸研究所に勤めていた人たちが誰にも話してこなかった研究所での日々を意味します。そして、一度は「墓場まで持って行こう」と決意し胸の奥にしまい込んでいた記憶を、戦後数十年を経て再びこの丘に立ち、ようやく話し合うことが許された、という気持ちが詠われています。
この碑には「昭和63年建立」とありますが、この頃から、元所員たちによって登戸研究所での出来事が高校生や市民へも語られるようになりました。そこから研究所の記憶の継承を希求する市民運動などが発展し、登戸研究所資料館建設の道が開かれていったのです。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■立法府の動きにどう向き合うのか
―戦争放棄、軍事研究復活阻止が決定的に重要であるとしても、「命令には従わざるをえない」ということについてはどう考えればいいでしょうか。
「戦争と医の倫理」の検証を進める会などで一致協同して取り組んでいる根底には戦争医学犯罪を繰り返さない、繰り返させない、ということがあります。戦争は人を狂気にします。今日ではPTSDに分類される戦争神経症などは先の戦争でも日本の軍や医学界・医療界の課題でした。
被害者やその遺族の無念・怨念も癒えることはありません。戦後も狂気が癒えず入院したままで世を去った人々や今も入院中の人々がいます。だから医師・医学者は「戦争に反対だ。でも戦争になったらお仕舞」では済まないのです。戦争で医師が狂気に陥り、戦争に賛成し参加すれば、治療や予防という医師の役割に相矛盾します。その意味で「繰り返さない」ということは、医師・医学者自身が、人間の一尊厳、人権、命と健康の擁護を貫ける強靭な倫理観を持つことであり、検証の意義はそこにもあります。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
1、養衆の条件
昭和20年3月23日付、憲兵司令官から陸軍大臣へ報告した中に、はなはだしく給食量の少ない部隊として、中部第31部隊2400カロリー、決第6668部隊2368カロリー等があげてある。決部隊は機動力の優秀な決戦兵団として御殿場付近に駐留していたのであるが、前記の部隊すなわち山砲兵第93連隊は栄養失調の発生で一躍有名になったのであった。この報告には、市場で陸軍、海軍、軍需工場の三者が魚菜の買付競走を行う事や、統制の関係、牛豚の密殺等について書き、次いで「入隊兵の体位低下と、下級幹部の保育並びに内務指導の不適切に基因する過労、睡眠不足、食事分配の不公平、馬糧、残飯その他調理品の盗食は、近来まれなる寒気の来襲と相まってますます患者の発生を助成せしめたり。」といい、「食糧不足による犯罪非行多発し、一部においては軍の威信をしてあり。本事象にかんがみ、軍は軍隊内部の緊粛、特に下級幹部の保育に関する識能の向上を図ると共に、自給態勢をいよいよ強化し、反面地方側を啓もうして『軍隊のみは飽食しあり』との誤れる通念を一掃せしめ・・・・」意見を述べている。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
V
軍隊とは「国徳」を具現したものであり、対外膨張により昭和天皇の「神聖なる 御精神」を顕現するものと断言する荒木は、その議論の主眼、つまり、日本は精神総動の準備をしなければならないという一点へ観衆を導いた。「九千万の国民が一つに皇献を扶翼し奉つて即ち天皇の御徳を盛んにする事を考へて最後迄最後の五分間迄最後の最後の時まで結束致しまして進んだならば即ちそこに洋々たる最後の勝利の栄光を認める事が出来ます」。映画は、陸軍に軍用機を献納する愛国的な実業家、軍事教練を受ける女性、路上を走るオートバイ、国を挙げての産業化、もくもくと煙突から煙を吐き出す工場、活発に歩く人々といったシーンをモンタージュのように次々に映し出す。2コマ後のシーンでは、カメラは敵陣を爆破すべく上海の前線へ向かう「爆弾三勇士」のカットを映し出した。映画は三勇士の勇敢さを生み出した要素を映し、ついにはその墓地を映し出した。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
731を問う!!
2019年2月24日日曜日
細菌戦の系譜!!
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●カネミ油症問題
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1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
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「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
最初の犠牲者
ガス壊疽菌や破傷風菌、ボツリヌス菌(秋田県八郎潟附近にも時々発生する腸中毒菌)などの嫌気性細菌について、所属の違う私はほとんど知識を持たなかった。しかし、緊急作業としてそれから間もなく、その培養に動員された。部隊には、それぞれの班に作業目標があり、私達は必要に応じて雑務に転用されがちであった。そしてそれが私達の入隊以来初めての不祥事を生む結果となったのである。
「君たち、嫌気性病原菌の講義を受けているか?」
その日の朝、佐川技手が尋ねた。
皆、きょとんとしているので、いつの間にか新入りの代表者みたいになってしまった私が答えた。
「はい、あまり良く覚えてはおりませんが、教わった事はあります」
「そうか。・・・・まあいい、勝手は違うがすぐ覚えるだろう」
私達は自班の8号室に連れて行かれた。他班からも阿部と大津が手伝いに来て、珍しく私達5人が1室で仕事をすることになった。佐川技手は私達を預けたきり出て行き、3人の見知らぬ雇員が作業の指図をした。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
(京都大学から回答があったようです)
テーマ 京都大学の「学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)」に対する異議申し立て
京都大学は、満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会の要請「旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます」(2018年7月26日)について、2018年9月18日に予備調査を京都大学の規程・要項を準用して行うとのメール通知を当会に行いました。当該要項の所定予備調査期間を大幅に超えて、この度2019年2月8日付で表記の通知が当会に届けられました。
当会は2月18日に役員会を開催し、同通知の審議に基づき、異議申し立て期限の2月20日に提出した異議申し立て文書は京都大学により受け付けられました。
そこで、同通知を配布するとともに、異議申し立ての内容を報告し、質疑応答、意見交換を行います。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
防毒機材の研究と制式化
陸軍科学研究所第三部防護班は毒ガスを防御するための機材の研究開発を主な任務としていた。それまでは、日本の防護機材はほとんどが外国から導入したもので、国内では製造できなかった。
1927年、アメリカで制式化された原形に基づき、日本では最初の防毒マスクと防毒服を製造した。即ち「87式」防毒服及び防毒マスクである。こうした防毒具はゴムを塗った層で人を毒剤から隔てるが、密閉性が低く、効果はあまり芳しくない。また毒ガス濾過缶の質も高くなかった。
隔絶層物質研究の面では、1931年、日本は独自に「91式」防毒服を開発した。すべてゴムを用いており、毒剤を隔絶する能力が大幅に向上した。間もなく、当時世に出したばかりの新材料であるセロファンも用いた。これらの材料を用いて作った薄片を二層の薄いゴムの間に挟む。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●排気筒群
左側手前に見えているのは冷却室です。それに隣接して二つ一組の排気筒があります。また、かなり離れてもう一組あります。
冷却室向こう側にB2棟、中央遠くにA2棟、右側には手前からB1棟、A1棟の一部が見えています。
左側奥には、そろそろ見学会もゴールに近い見学一行が見えています。
●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。
資料館
当資料館の展示施設は、登戸研究所第二科が、研究施設として実際に使用していた建物で、航空写真から1937年~1941年に建設されたことが分かります。
この建物は戦後に「36号棟」と命名され、長らく明治大学農学部の教育施設として利用されました。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■立法府の動きにどう向き合うのか
―立法府での議論についても、無関心でいてはいけないと思いますが、いかがですか。
1999年以降の有事法制により、有事の際に全国の医療機関や医師が担うべき役割が規定されました。政府が「有事」とみなせば、病院などを管理下に置き、医師・看護師などには公用令書(かつての召集令状、赤紙)が届けられ、医薬品等も調達物資の対象となり、命令に反すると罰則の対象にもなります。
私たちが同法に従うことになれば、「いつか来た道」をたどることになりかねません。それでも「命令には従わざるを得ない」 という声が多数であったという結果を示す調査もあります。良心的兵役拒否権は国際連合やヨーロッパ評議会のような国際機関では基本的人権「良心の自由」として認知され、推奨されており、法制化が図られている国もあります。日本国憲法では許されていない国の武力による威嚇または武力の行使のもとでの医療従事者への命令を拒否する権利の保障についても議論されねばならないのではないでしょうか。日本の医学界・医療界が国の内外で、軍縮、戦争放棄に取り組むことも医学者・医師の戦争医学犯罪の防止につながると改めて思います。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
1、養衆の条件
昭和20年2月までに、栄養失調症の発生を報告した内地部隊の大部分は野戦師団であった。その中でも馬を扱う部隊に多く、かつ主として初年兵であった。栄養失調の最もはなはだしい部隊では、月例身体検査の平均体重が次表のような推移を示したものがあり、背筋力86㎏(一般の約60%)、握力右18、左15㎏(一般の約40%)で、40㎏のものを持ち上げる事すら不可能であったと報告された。
1944年9月 10月 11月 12月 1945年1月
50.57 50.34 49.70 46.64 44.89
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
V
映画を通じて荒本は、当時、終結して間もない満州事変の意義を純粋なものへと高めた。それは日本人のすばらしいエネルギーを解き放つ「天の啓示」であった。しかし、それはまた、建国以来、日本を支配してきた偉大なる「皇道」の原理へ戻るべきであるとの「天の警鐘」でもあった。荒木の言葉を強調し、映画は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨した地とされる高千穂の峰、神武天皇即位の場面、伊勢神宮、橿原神宮、熱田神宮、明治神宮、二重橋から見る皇居、1928年の昭和天皇の即位といった映像によって、神代と現代を結びつけていた。
映画の最後の方で、荒木は国防を定義し、日本を取り巻く「鉄の環」に象徴された「国際連盟を中心とする全世界の包囲的攻勢」を「精神動員」によって突破するのは、どうすれば可能なのかを説明した。荒木の話とともに、映画では「君が代」が流れ、昭和天皇が兵士や機械化部隊の行進を閲兵し、航行する軍艦が祝砲を放った。荒木は次のように語る。
・・・・軍の存在は道徳的存在と申すもこの意味であります。
我が国と致しましては殊に空間的の発展即ち弥栄(いやさかえ)の精神と天壌無窮の国家悠久性とを守つて行く所以でありまするからこれを以て直ちに小乗的の地理的及び対応的のものとして国防を云ふことが同意しがたきところであります。・・・・・
即ち我国の軍隊は皇軍であつて同時に国軍なのであります。
故に私は軍は国徳の大本であると考へております三種神器に依つて顕彰せられて居りまする日本の天皇道を行ふ之が建軍の精神なのであります。
即ち日本の軍隊の精神はこれを統率し給ふところの神聖なる陛下の御精神を体し国徳即ち天皇の御心を発揚するにありと考へております。
陛下以外の何者の命令でも動くことのないのはそのためであります。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●帝銀事件と登戸研究所
●石垣島の自衛隊!!
●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 見えてきた日本のバブル崩壊の兆し!
Monthly日刊ゲンダイ【2月号】ゲスト・神保哲生氏/米朝首脳会談/トランプ大統領/ノーベル平和賞推薦/安倍首相/記者クラブ/東京新聞/バイトテロ
賃金偽装 厚労省キーマン「官邸の圧力」否定は矛盾だらけ
勤労統計調査方法変更「自分が…」元首相秘書官の言い分 首相は“われ関せず”か
統計不正、厚労省がメール公開 官邸関係者に報告と明記
骨格標本、1970年代まで実物で製造 住宅から500人分人骨の理由
なぜ沖縄県は辺野古に反対なの?
大波乱の東京都議会 小池知事の委員会招致を決定
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
最初の犠牲者
ガス壊疽菌や破傷風菌、ボツリヌス菌(秋田県八郎潟附近にも時々発生する腸中毒菌)などの嫌気性細菌について、所属の違う私はほとんど知識を持たなかった。しかし、緊急作業としてそれから間もなく、その培養に動員された。部隊には、それぞれの班に作業目標があり、私達は必要に応じて雑務に転用されがちであった。そしてそれが私達の入隊以来初めての不祥事を生む結果となったのである。
「君たち、嫌気性病原菌の講義を受けているか?」
その日の朝、佐川技手が尋ねた。
皆、きょとんとしているので、いつの間にか新入りの代表者みたいになってしまった私が答えた。
「はい、あまり良く覚えてはおりませんが、教わった事はあります」
「そうか。・・・・まあいい、勝手は違うがすぐ覚えるだろう」
私達は自班の8号室に連れて行かれた。他班からも阿部と大津が手伝いに来て、珍しく私達5人が1室で仕事をすることになった。佐川技手は私達を預けたきり出て行き、3人の見知らぬ雇員が作業の指図をした。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
(京都大学から回答があったようです)
テーマ 京都大学の「学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)」に対する異議申し立て
京都大学は、満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会の要請「旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます」(2018年7月26日)について、2018年9月18日に予備調査を京都大学の規程・要項を準用して行うとのメール通知を当会に行いました。当該要項の所定予備調査期間を大幅に超えて、この度2019年2月8日付で表記の通知が当会に届けられました。
当会は2月18日に役員会を開催し、同通知の審議に基づき、異議申し立て期限の2月20日に提出した異議申し立て文書は京都大学により受け付けられました。
そこで、同通知を配布するとともに、異議申し立ての内容を報告し、質疑応答、意見交換を行います。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
防毒機材の研究と制式化
陸軍科学研究所第三部防護班は毒ガスを防御するための機材の研究開発を主な任務としていた。それまでは、日本の防護機材はほとんどが外国から導入したもので、国内では製造できなかった。
1927年、アメリカで制式化された原形に基づき、日本では最初の防毒マスクと防毒服を製造した。即ち「87式」防毒服及び防毒マスクである。こうした防毒具はゴムを塗った層で人を毒剤から隔てるが、密閉性が低く、効果はあまり芳しくない。また毒ガス濾過缶の質も高くなかった。
隔絶層物質研究の面では、1931年、日本は独自に「91式」防毒服を開発した。すべてゴムを用いており、毒剤を隔絶する能力が大幅に向上した。間もなく、当時世に出したばかりの新材料であるセロファンも用いた。これらの材料を用いて作った薄片を二層の薄いゴムの間に挟む。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●排気筒群
左側手前に見えているのは冷却室です。それに隣接して二つ一組の排気筒があります。また、かなり離れてもう一組あります。
冷却室向こう側にB2棟、中央遠くにA2棟、右側には手前からB1棟、A1棟の一部が見えています。
左側奥には、そろそろ見学会もゴールに近い見学一行が見えています。
●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。
資料館
当資料館の展示施設は、登戸研究所第二科が、研究施設として実際に使用していた建物で、航空写真から1937年~1941年に建設されたことが分かります。
この建物は戦後に「36号棟」と命名され、長らく明治大学農学部の教育施設として利用されました。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■立法府の動きにどう向き合うのか
―立法府での議論についても、無関心でいてはいけないと思いますが、いかがですか。
1999年以降の有事法制により、有事の際に全国の医療機関や医師が担うべき役割が規定されました。政府が「有事」とみなせば、病院などを管理下に置き、医師・看護師などには公用令書(かつての召集令状、赤紙)が届けられ、医薬品等も調達物資の対象となり、命令に反すると罰則の対象にもなります。
私たちが同法に従うことになれば、「いつか来た道」をたどることになりかねません。それでも「命令には従わざるを得ない」 という声が多数であったという結果を示す調査もあります。良心的兵役拒否権は国際連合やヨーロッパ評議会のような国際機関では基本的人権「良心の自由」として認知され、推奨されており、法制化が図られている国もあります。日本国憲法では許されていない国の武力による威嚇または武力の行使のもとでの医療従事者への命令を拒否する権利の保障についても議論されねばならないのではないでしょうか。日本の医学界・医療界が国の内外で、軍縮、戦争放棄に取り組むことも医学者・医師の戦争医学犯罪の防止につながると改めて思います。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
1、養衆の条件
昭和20年2月までに、栄養失調症の発生を報告した内地部隊の大部分は野戦師団であった。その中でも馬を扱う部隊に多く、かつ主として初年兵であった。栄養失調の最もはなはだしい部隊では、月例身体検査の平均体重が次表のような推移を示したものがあり、背筋力86㎏(一般の約60%)、握力右18、左15㎏(一般の約40%)で、40㎏のものを持ち上げる事すら不可能であったと報告された。
1944年9月 10月 11月 12月 1945年1月
50.57 50.34 49.70 46.64 44.89
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
V
映画を通じて荒本は、当時、終結して間もない満州事変の意義を純粋なものへと高めた。それは日本人のすばらしいエネルギーを解き放つ「天の啓示」であった。しかし、それはまた、建国以来、日本を支配してきた偉大なる「皇道」の原理へ戻るべきであるとの「天の警鐘」でもあった。荒木の言葉を強調し、映画は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨した地とされる高千穂の峰、神武天皇即位の場面、伊勢神宮、橿原神宮、熱田神宮、明治神宮、二重橋から見る皇居、1928年の昭和天皇の即位といった映像によって、神代と現代を結びつけていた。
映画の最後の方で、荒木は国防を定義し、日本を取り巻く「鉄の環」に象徴された「国際連盟を中心とする全世界の包囲的攻勢」を「精神動員」によって突破するのは、どうすれば可能なのかを説明した。荒木の話とともに、映画では「君が代」が流れ、昭和天皇が兵士や機械化部隊の行進を閲兵し、航行する軍艦が祝砲を放った。荒木は次のように語る。
・・・・軍の存在は道徳的存在と申すもこの意味であります。
我が国と致しましては殊に空間的の発展即ち弥栄(いやさかえ)の精神と天壌無窮の国家悠久性とを守つて行く所以でありまするからこれを以て直ちに小乗的の地理的及び対応的のものとして国防を云ふことが同意しがたきところであります。・・・・・
即ち我国の軍隊は皇軍であつて同時に国軍なのであります。
故に私は軍は国徳の大本であると考へております三種神器に依つて顕彰せられて居りまする日本の天皇道を行ふ之が建軍の精神なのであります。
即ち日本の軍隊の精神はこれを統率し給ふところの神聖なる陛下の御精神を体し国徳即ち天皇の御心を発揚するにありと考へております。
陛下以外の何者の命令でも動くことのないのはそのためであります。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年2月23日土曜日
細菌戦の系譜!!
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●第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●帝銀事件と登戸研究所
●石垣島の自衛隊!!
●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
金子勝氏(立教大学特任教授)スピーチ『嘘つきが国を滅ぼす 公文書と政府統計の改ざん問題の本質』「安倍政治を終わらせよう!2.19院内集会」2019.2.19 @参議院議員会館講
NHK組織再編で波紋 「政権への忖度ない」異例の反論
統計不正、厚労省がメール公開 官邸関係者に報告と明記
骨格標本、1970年代まで実物で製造 住宅から500人分人骨の理由
なぜ沖縄県は辺野古に反対なの?
大波乱の東京都議会 小池知事の委員会招致を決定
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
野外実験所の記録
佐川技手の説明によると、「マルタ」は目隠しして、パンツ1つで縛りつけ、尻だけを露出したり、普通の服装にちかく顔と手足だけを出したりして各様の実験を繰り返したのだそうである。
健康な意識を持つ人間が、柱に縛り付けられて、爆弾を積んだ飛行機の迫りくる爆音を聞いている気持は、どんなであったろう。そして、破片や土埃とともに肉体に食い込んでくる病原菌に侵され、助かる見込みのない治療実験をされるのだ。よしんば病気が治ったとしても、無論生かしておかれるはずはない。
だが、普通の爆弾による実験は、爆発の際の高熱のため、大部分の菌が死滅し、わずかに生き残った菌も著しく菌力を鈍化するので、ほとんど実効はなかったらしい。比較的、熱に対する抵抗力の強いガス壊疽菌や脾脱疽菌 でも、70%ぐらいは死滅し、ペスト菌のように特に乾燥を嫌う細菌では、20%から10%ぐらいしか生き残らなかったということである。
「しかし、それは、もう昔の話だといってもいい、現在では、乾燥に耐える菌を作る研究も進んでいるし、爆薬を用いないで飛散させる方法も考えられている。嫌気性細菌の濃縮体は、すでに発見されつつあるんだ。まあ、今にわかるさ」
と、佐川技手は、自分たちの研究は決して無意味なものではないぞ、というふうに力むのだった。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
(京都大学から回答があったようです)
テーマ 京都大学の「学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)」に対する異議申し立て
京都大学は、満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会の要請「旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます」(2018年7月26日)について、2018年9月18日に予備調査を京都大学の規程・要項を準用して行うとのメール通知を当会に行いました。当該要項の所定予備調査期間を大幅に超えて、この度2019年2月8日付で表記の通知が当会に届けられました。
当会は2月18日に役員会を開催し、同通知の審議に基づき、異議申し立て期限の2月20日に提出した異議申し立て文書は京都大学により受け付けられました。
そこで、同通知を配布するとともに、異議申し立ての内容を報告し、質疑応答、意見交換を行います。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
防毒機材の研究と制式化
陸軍科学研究所第三部防護班は毒ガスを防御するための機材の研究開発を主な任務としていた。それまでは、日本の防護機材はほとんどが外国から導入したもので、国内では製造できなかった。
1927年、アメリカで制式化された原形に基づき、日本では最初の防毒マスクと防毒服を製造した。即ち「87式」防毒服及び防毒マスクである。こうした防毒具はゴムを塗った層で人を毒剤から隔てるが、密閉性が低く、効果はあまり芳しくない。また毒ガス濾過缶の質も高くなかった。
隔絶層物質研究の面では、1931年、日本は独自に「91式」防毒服を開発した。すべてゴムを用いており、毒剤を隔絶する能力が大幅に向上した。間もなく、当時世に出したばかりの新材料であるセロファンも用いた。これらの材料を用いて作った薄片を二層の薄いゴムの間に挟む。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●A1棟(イペリットの充填作業場・ルイサイトとの混合物もここで充填された)
別の面を撮影しています。
●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。
暗室
現在の資料館である36号棟の中でも最も特徴的な場所が暗室です。この暗室では、現像や第2科の実験などが行なわれたと言われています。現在の目から見ても非常に立派なもので、廊下の入口や窓には、外の光を遮るための様々工夫がなされています。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■立法府の動きにどう向き合うのか
―立法府での議論についても、無関心でいてはいけないと思いますが、いかがですか。
立法府では、「戦争及び人道に対する罪に対する時効不適用条約」の批准も議論されなければならないと思います。この条約は、1968年11月26日の国連第23回総会で決議(日本政府は棄権)され、1970年11月11日に発効しました。戦争犯罪と人道に反する犯罪について時効は「その犯罪の行われた時期にかかわりなく、適用されない」と規定しています。私たちの検証によって、731部隊や日本医学会等の組織的な加担とともに、それらを構成していた個々の医学者・医師の犯罪性も少なからず明らかにされてきました。その中には、感染実験でぺストを発症させ、治療もせずに死亡に至るまで経過を観察した人体実験を行い、その結果を、学位論文として提出する際、実験対象を「サル」と偽る明白な不正を行い、学位授与を申請した者、そのような学位授与の申請を受理し、学位授与を認めた者もいますが、全て裁かれずに世を去りました。そのようなことを繰り返させない・繰り返さないことにつながると考えられるからです。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
1、養衆の条件
兵が酒保で使う金額は制限され、小夜食、加給品、酒保食品も戦争の始まった頃の半量以下となっていた。しかも兵士の訓練や作業は激しく、エネルギーの補給は消費に追いつけなかった。兵士の中には空腹に耐えかねて、下水に流れる調理場のクズや馬量にまで手を伸ばして口に運ぶ者もあった。従来軍は訓練第1で全ての施策はこの主旨に沿って行われたのであったが、20年1月に出された陸軍次官通達は、給与の現況に応じ、訓練の度を調整することが統率の主要な着眼であり、自活態勢の強化が軍の最も必要な業務であるという主旨で、アイマイに訓練を減らすのも致し方無いという意味にとれた。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
V
荒木にとって、日本が直面している国内の脅威は、対外的なものと同様に深刻なものだった。「一にも二にもただ欧米の心酔となってその文物は長短共に無条件にそれを取り入れる」と断言し、「遂に日本民族の自主的理想は忽ち地を払はんとするに到ったのであります」と彼は主張した。荒木は、銀座のダンスホールで踊るモダン・カップル、繁華街の暗い街路を腕を組んで歩いているカップルといった1930年代の初期の日本人に徐々に浸透していた西洋文化の影響を示す光景を説明した。そして、その光景を満州の凍えるような寒さや、うだるような暑さのなかで戦う皇軍部隊、教員の指導のもと兵士に慰問文を書く女子学生、神社に詣でる人々といった光景と対比させた。荒本はダンス、ゴルフ、アメリカ映画、女性の化粧や人前での喫煙、共産主義者、そして退廃した西洋や個人駐義、快楽主義、物質主義といった西洋の価値に屈服したものすべてを非難した。そうした穢れたものに代わるものは、伝統意識、農村生活の実践、神道の信仰、軍隊であった。喫緊に必要なことは快楽の追求をやめ、偉大なる民族の使命を果たすべくみずからが犠牲と痛みを甘受することだったのである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●帝銀事件と登戸研究所
●石垣島の自衛隊!!
●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
金子勝氏(立教大学特任教授)スピーチ『嘘つきが国を滅ぼす 公文書と政府統計の改ざん問題の本質』「安倍政治を終わらせよう!2.19院内集会」2019.2.19 @参議院議員会館講
NHK組織再編で波紋 「政権への忖度ない」異例の反論
統計不正、厚労省がメール公開 官邸関係者に報告と明記
骨格標本、1970年代まで実物で製造 住宅から500人分人骨の理由
なぜ沖縄県は辺野古に反対なの?
大波乱の東京都議会 小池知事の委員会招致を決定
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
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【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
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“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
野外実験所の記録
佐川技手の説明によると、「マルタ」は目隠しして、パンツ1つで縛りつけ、尻だけを露出したり、普通の服装にちかく顔と手足だけを出したりして各様の実験を繰り返したのだそうである。
健康な意識を持つ人間が、柱に縛り付けられて、爆弾を積んだ飛行機の迫りくる爆音を聞いている気持は、どんなであったろう。そして、破片や土埃とともに肉体に食い込んでくる病原菌に侵され、助かる見込みのない治療実験をされるのだ。よしんば病気が治ったとしても、無論生かしておかれるはずはない。
だが、普通の爆弾による実験は、爆発の際の高熱のため、大部分の菌が死滅し、わずかに生き残った菌も著しく菌力を鈍化するので、ほとんど実効はなかったらしい。比較的、熱に対する抵抗力の強いガス壊疽菌や脾脱疽菌 でも、70%ぐらいは死滅し、ペスト菌のように特に乾燥を嫌う細菌では、20%から10%ぐらいしか生き残らなかったということである。
「しかし、それは、もう昔の話だといってもいい、現在では、乾燥に耐える菌を作る研究も進んでいるし、爆薬を用いないで飛散させる方法も考えられている。嫌気性細菌の濃縮体は、すでに発見されつつあるんだ。まあ、今にわかるさ」
と、佐川技手は、自分たちの研究は決して無意味なものではないぞ、というふうに力むのだった。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
(京都大学から回答があったようです)
テーマ 京都大学の「学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)」に対する異議申し立て
京都大学は、満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会の要請「旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます」(2018年7月26日)について、2018年9月18日に予備調査を京都大学の規程・要項を準用して行うとのメール通知を当会に行いました。当該要項の所定予備調査期間を大幅に超えて、この度2019年2月8日付で表記の通知が当会に届けられました。
当会は2月18日に役員会を開催し、同通知の審議に基づき、異議申し立て期限の2月20日に提出した異議申し立て文書は京都大学により受け付けられました。
そこで、同通知を配布するとともに、異議申し立ての内容を報告し、質疑応答、意見交換を行います。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
防毒機材の研究と制式化
陸軍科学研究所第三部防護班は毒ガスを防御するための機材の研究開発を主な任務としていた。それまでは、日本の防護機材はほとんどが外国から導入したもので、国内では製造できなかった。
1927年、アメリカで制式化された原形に基づき、日本では最初の防毒マスクと防毒服を製造した。即ち「87式」防毒服及び防毒マスクである。こうした防毒具はゴムを塗った層で人を毒剤から隔てるが、密閉性が低く、効果はあまり芳しくない。また毒ガス濾過缶の質も高くなかった。
隔絶層物質研究の面では、1931年、日本は独自に「91式」防毒服を開発した。すべてゴムを用いており、毒剤を隔絶する能力が大幅に向上した。間もなく、当時世に出したばかりの新材料であるセロファンも用いた。これらの材料を用いて作った薄片を二層の薄いゴムの間に挟む。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●A1棟(イペリットの充填作業場・ルイサイトとの混合物もここで充填された)
別の面を撮影しています。
●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。
暗室
現在の資料館である36号棟の中でも最も特徴的な場所が暗室です。この暗室では、現像や第2科の実験などが行なわれたと言われています。現在の目から見ても非常に立派なもので、廊下の入口や窓には、外の光を遮るための様々工夫がなされています。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■立法府の動きにどう向き合うのか
―立法府での議論についても、無関心でいてはいけないと思いますが、いかがですか。
立法府では、「戦争及び人道に対する罪に対する時効不適用条約」の批准も議論されなければならないと思います。この条約は、1968年11月26日の国連第23回総会で決議(日本政府は棄権)され、1970年11月11日に発効しました。戦争犯罪と人道に反する犯罪について時効は「その犯罪の行われた時期にかかわりなく、適用されない」と規定しています。私たちの検証によって、731部隊や日本医学会等の組織的な加担とともに、それらを構成していた個々の医学者・医師の犯罪性も少なからず明らかにされてきました。その中には、感染実験でぺストを発症させ、治療もせずに死亡に至るまで経過を観察した人体実験を行い、その結果を、学位論文として提出する際、実験対象を「サル」と偽る明白な不正を行い、学位授与を申請した者、そのような学位授与の申請を受理し、学位授与を認めた者もいますが、全て裁かれずに世を去りました。そのようなことを繰り返させない・繰り返さないことにつながると考えられるからです。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
1、養衆の条件
兵が酒保で使う金額は制限され、小夜食、加給品、酒保食品も戦争の始まった頃の半量以下となっていた。しかも兵士の訓練や作業は激しく、エネルギーの補給は消費に追いつけなかった。兵士の中には空腹に耐えかねて、下水に流れる調理場のクズや馬量にまで手を伸ばして口に運ぶ者もあった。従来軍は訓練第1で全ての施策はこの主旨に沿って行われたのであったが、20年1月に出された陸軍次官通達は、給与の現況に応じ、訓練の度を調整することが統率の主要な着眼であり、自活態勢の強化が軍の最も必要な業務であるという主旨で、アイマイに訓練を減らすのも致し方無いという意味にとれた。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
V
荒木にとって、日本が直面している国内の脅威は、対外的なものと同様に深刻なものだった。「一にも二にもただ欧米の心酔となってその文物は長短共に無条件にそれを取り入れる」と断言し、「遂に日本民族の自主的理想は忽ち地を払はんとするに到ったのであります」と彼は主張した。荒木は、銀座のダンスホールで踊るモダン・カップル、繁華街の暗い街路を腕を組んで歩いているカップルといった1930年代の初期の日本人に徐々に浸透していた西洋文化の影響を示す光景を説明した。そして、その光景を満州の凍えるような寒さや、うだるような暑さのなかで戦う皇軍部隊、教員の指導のもと兵士に慰問文を書く女子学生、神社に詣でる人々といった光景と対比させた。荒本はダンス、ゴルフ、アメリカ映画、女性の化粧や人前での喫煙、共産主義者、そして退廃した西洋や個人駐義、快楽主義、物質主義といった西洋の価値に屈服したものすべてを非難した。そうした穢れたものに代わるものは、伝統意識、農村生活の実践、神道の信仰、軍隊であった。喫緊に必要なことは快楽の追求をやめ、偉大なる民族の使命を果たすべくみずからが犠牲と痛みを甘受することだったのである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年2月22日金曜日
細菌戦の系譜!!
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●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●帝銀事件と登戸研究所
●石垣島の自衛隊!!
●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●731部隊の問題
横浜の「戦争の加害展(2月10日~16日)」が無事終了しました。
今回で4回目になりますが、今までで一番多い2500人以上の方が来場されました。
ご来場ありがとうございました。
『この世界の片隅に』に描かれた軍都・植民地主義・女性抑圧 植松青児さん
「この世界の片隅に」
1940年農安細菌戦と新京ペスト 奈須重雄さん
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
震度6弱の北海道胆振地方
今朝は冷え込み強まる 昼間は雪崩にも注意
なぜ沖縄県は辺野古に反対なの?
大波乱の東京都議会 小池知事の委員会招致を決定
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
野外実験所の記録
当初、高木少佐の嘲笑を浴びたにもかかわらず、私達は、使いようでは結構役に立つことが証明されているのだった。
「ただし、この部屋から持出してはいかんぞ」
私達は、その日から新しい楽しみができたようなものだった。
資料は、果たせるかな、生々しい人体実験の写真が大部分だった。
肺ペスト、腺ペスト、眼ペスト、皮膚ペストなどの病変経過を、菌力の強弱、摂取量の多少に応じていろいろな場合の実例を比較対照したものや、顕著な症状の部分拡大写真などが次々に私達の眼を奪った。単なる臨床写真でないということが、一層写真に凄惨な感じを与え、私達は何度か、固唾を呑んで見入ったものである。
そうしたある日、私達は、安達(アンダー)の野外実験所における実験例と言うのを見つけ出した。細菌を培養基と一緒に爆弾につめ、飛行機から投下する実験である。それは、ガス壊疽菌、破傷風菌爆弾を用いた場合のものだったが、爆弾の落下地点からの距離による感染の度合いを調べたものである。10mか20mぐらいの間隔をおいて、「マルタ」(どういうわけか、囚人をこう呼び習わしていた)を柱に縛りつけ、投下地点からどのくらいの範囲まで有効かを、菌量の増減による差異、または、気温や、被服の厚さ、感染部位による違いなどが示されてあった。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
(京都大学から回答があったようです)
テーマ 京都大学の「学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)」に対する異議申し立て
京都大学は、満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会の要請「旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます」(2018年7月26日)について、2018年9月18日に予備調査を京都大学の規程・要項を準用して行うとのメール通知を当会に行いました。当該要項の所定予備調査期間を大幅に超えて、この度2019年2月8日付で表記の通知が当会に届けられました。
当会は2月18日に役員会を開催し、同通知の審議に基づき、異議申し立て期限の2月20日に提出した異議申し立て文書は京都大学により受け付けられました。
そこで、同通知を配布するとともに、異議申し立ての内容を報告し、質疑応答、意見交換を行います。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
(三)発煙筒及び火炎弾
発煙筒と発煙弾は戦争で煙幕を張るための兵器で、理論的に言えば、化学兵器であるが、毒ガス兵器には属さない。しかし、日本軍の発煙兵器は、発煙剤自体が砒素塩化物のような有毒物資で、その他の毒剤を加えたものであるから、やはり毒ガス兵器となり、有毒な発煙筒である。
火炎弾は砲弾や爆弾の中に可燃物質を装入して敵方に火炎を引き起こす兵器で、早くから戦争に用いられていた。日本の陸軍科学研究所では1926年から研究をはじめ、10年程の時間を経て、1937年に新しい焼夷弾を開発した。その成分は、黄燐30%、二硫化炭素65%、重油5%である。混合後、特殊なゴムで吸収し、砲弾や爆弾、手榴弾の中に装入すると、極めて効果のよい焼夷弾ができる。爆発後は、ゴムの切れ端が四方に飛び散って大火を引き起こす。この年、日本軍が南京に進攻した際、この種の焼夷弾を使用した。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●A1棟(イペリットの充填作業場・ルイサイトとの混合物もここで充填された)
窓のない、通路も数カ所しか開けられていない壁によって、細長い部屋と大きな部屋に区切られています。大きな部屋の天井には天窓のように開いた場所が有ります。
●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。
弾薬庫
生田キャンパス内には、第一校舎第1号館の裏手と資料館の裏手に、通称「弾薬庫」と呼ばれる建物が現存しています。「弾薬庫」は実際には「薬品庫」だったとも言われていますが、詳細は不明です。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■立法府の動きにどう向き合うのか
―立法府での議論についても、無関心でいてはいけないと思いますが、いかがですか。
日本政府は、国会で「日本国みずからが自分の戦争犯罪について判断することも処置することもできない」などと無責任な答弁を繰り返してきました。しかし、裁判では、被害の存在を認定したのみならず、「国際慣習法による国家責任が生じていた」ことを認め、「何らかの対処をするかどうか、仮に何らかの対処をする場合にどのような内容の対処をするのかは、国会において」「高次の裁量により決すべき」とされました。立法府での議論が求められていると思います。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
1、養衆の条件
これよりさき、陸軍の主食は昭和19年9月に、定量を1割減らしたのであったが、20年4月中旬の大本営部長会議では、米の配給は近く更に1割減にしなければなるまいと話されていた。給与熱量で見ると、開戦当初内地の159コ部隊の平均は3262カロリーであったが、昭和19年12月調査の88コ部隊の平均は
2933カロリーで、大体1割減を示しているが、実質的には、精米を玄米に換え、雑穀の混入率を増加したので、消化吸収が悪くなったし、物価が騰貴したので、まかない料を3銭値上げしたけれども効き目なく、実際に身体に利用されるカロリーは20%以上の減少と同様だと見られていた。中部軍管区軍医部の報告に「当軍においては部隊の給与熱量の標準を1日3200カロリー以上と定めてあるが、給与し得るのは2800カロリー前後である」と述べている。定量1割減について、戦後すぐ来た米国戦略爆撃調査団の報告に、皇軍の主脳者は兵の最低必要量は3200カロリーであると信じながら、内地部隊の定量3400カロリーを2900カロリーに減じたが、実質は平均2800カロリーに過ぎなかったと書いている。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
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●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
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●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
V
「非常時日本」は何よりも、1931年から33年初頭にかけての時代から選び抜かれた愛国主義を紡彿とさせる写真とシーンで天皇制イデオロギーに光を当てた点で、今日においても重要な映画である。この映画で軍部は、天皇の精神的な権威を利用して、膨張主義を帝国と軍の道徳的な使命とした。また、民族の一体性についてきわめてさまざまな視覚映像を映し出すことで、1930年代初頭における日本の超国家主義の論理を改めて説明していた。
荒木陸軍大臣は12のパートからなる映画のほぼ半分でナレーションを担当し、いくたびかアジア・太平洋の大きな地図や、ジュネーブの写真を示して説明を行った。荒木は軍事力と道義を同一視し、神話を事変の意義を理解するための視座として利用した。荒木にはふたつの重要な表現があった。ひとつは、神により「神国」に授けられた「大なる使命」であり、もうひとつは中国と西洋列強の日本に対する敵対的な試みであり、それは日本を孤立させ、「大和民族」が神聖な目的を認識し「東洋の平和を確保」することを妨害しようとするものだった。映画の後半で、荒木は戦略と文化、双方の観点から日本の役割をより具体的に規定している。その使命とは、「東洋らしき平和の理想郷を作る」ことであり、それは満州国の建設を意味し、満州では人種の調和が実現するというのである。結局、荒木は、満州国において人種差別主義に反対するユートピアを実現する理想的な努力のひとつとして大日本帝国の膨張を主張したのだった。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
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憲法9条を生かそう!!
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●石垣島の自衛隊!!
●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●731部隊の問題
横浜の「戦争の加害展(2月10日~16日)」が無事終了しました。
今回で4回目になりますが、今までで一番多い2500人以上の方が来場されました。
ご来場ありがとうございました。
『この世界の片隅に』に描かれた軍都・植民地主義・女性抑圧 植松青児さん
「この世界の片隅に」
1940年農安細菌戦と新京ペスト 奈須重雄さん
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
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2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
震度6弱の北海道胆振地方
今朝は冷え込み強まる 昼間は雪崩にも注意
なぜ沖縄県は辺野古に反対なの?
大波乱の東京都議会 小池知事の委員会招致を決定
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「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
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真相を解明していないからこうなるのだろう!!
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京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
野外実験所の記録
当初、高木少佐の嘲笑を浴びたにもかかわらず、私達は、使いようでは結構役に立つことが証明されているのだった。
「ただし、この部屋から持出してはいかんぞ」
私達は、その日から新しい楽しみができたようなものだった。
資料は、果たせるかな、生々しい人体実験の写真が大部分だった。
肺ペスト、腺ペスト、眼ペスト、皮膚ペストなどの病変経過を、菌力の強弱、摂取量の多少に応じていろいろな場合の実例を比較対照したものや、顕著な症状の部分拡大写真などが次々に私達の眼を奪った。単なる臨床写真でないということが、一層写真に凄惨な感じを与え、私達は何度か、固唾を呑んで見入ったものである。
そうしたある日、私達は、安達(アンダー)の野外実験所における実験例と言うのを見つけ出した。細菌を培養基と一緒に爆弾につめ、飛行機から投下する実験である。それは、ガス壊疽菌、破傷風菌爆弾を用いた場合のものだったが、爆弾の落下地点からの距離による感染の度合いを調べたものである。10mか20mぐらいの間隔をおいて、「マルタ」(どういうわけか、囚人をこう呼び習わしていた)を柱に縛りつけ、投下地点からどのくらいの範囲まで有効かを、菌量の増減による差異、または、気温や、被服の厚さ、感染部位による違いなどが示されてあった。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
(京都大学から回答があったようです)
テーマ 京都大学の「学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)」に対する異議申し立て
京都大学は、満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会の要請「旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます」(2018年7月26日)について、2018年9月18日に予備調査を京都大学の規程・要項を準用して行うとのメール通知を当会に行いました。当該要項の所定予備調査期間を大幅に超えて、この度2019年2月8日付で表記の通知が当会に届けられました。
当会は2月18日に役員会を開催し、同通知の審議に基づき、異議申し立て期限の2月20日に提出した異議申し立て文書は京都大学により受け付けられました。
そこで、同通知を配布するとともに、異議申し立ての内容を報告し、質疑応答、意見交換を行います。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
(三)発煙筒及び火炎弾
発煙筒と発煙弾は戦争で煙幕を張るための兵器で、理論的に言えば、化学兵器であるが、毒ガス兵器には属さない。しかし、日本軍の発煙兵器は、発煙剤自体が砒素塩化物のような有毒物資で、その他の毒剤を加えたものであるから、やはり毒ガス兵器となり、有毒な発煙筒である。
火炎弾は砲弾や爆弾の中に可燃物質を装入して敵方に火炎を引き起こす兵器で、早くから戦争に用いられていた。日本の陸軍科学研究所では1926年から研究をはじめ、10年程の時間を経て、1937年に新しい焼夷弾を開発した。その成分は、黄燐30%、二硫化炭素65%、重油5%である。混合後、特殊なゴムで吸収し、砲弾や爆弾、手榴弾の中に装入すると、極めて効果のよい焼夷弾ができる。爆発後は、ゴムの切れ端が四方に飛び散って大火を引き起こす。この年、日本軍が南京に進攻した際、この種の焼夷弾を使用した。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●A1棟(イペリットの充填作業場・ルイサイトとの混合物もここで充填された)
窓のない、通路も数カ所しか開けられていない壁によって、細長い部屋と大きな部屋に区切られています。大きな部屋の天井には天窓のように開いた場所が有ります。
●登戸研究所資料館
学内史跡
明治大学生田キャンパスは登戸研究所跡地に建てられたため、キャンパス内には動物慰霊碑・消火栓など、登戸研究所の面影を残す史跡がいくつか残っています。ここでは、キャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパス内に残る史跡を紹介し、現在のキャンパスから登戸研究所が所在していた過去を振り返ります。
弾薬庫
生田キャンパス内には、第一校舎第1号館の裏手と資料館の裏手に、通称「弾薬庫」と呼ばれる建物が現存しています。「弾薬庫」は実際には「薬品庫」だったとも言われていますが、詳細は不明です。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■立法府の動きにどう向き合うのか
―立法府での議論についても、無関心でいてはいけないと思いますが、いかがですか。
日本政府は、国会で「日本国みずからが自分の戦争犯罪について判断することも処置することもできない」などと無責任な答弁を繰り返してきました。しかし、裁判では、被害の存在を認定したのみならず、「国際慣習法による国家責任が生じていた」ことを認め、「何らかの対処をするかどうか、仮に何らかの対処をする場合にどのような内容の対処をするのかは、国会において」「高次の裁量により決すべき」とされました。立法府での議論が求められていると思います。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
1、養衆の条件
これよりさき、陸軍の主食は昭和19年9月に、定量を1割減らしたのであったが、20年4月中旬の大本営部長会議では、米の配給は近く更に1割減にしなければなるまいと話されていた。給与熱量で見ると、開戦当初内地の159コ部隊の平均は3262カロリーであったが、昭和19年12月調査の88コ部隊の平均は
2933カロリーで、大体1割減を示しているが、実質的には、精米を玄米に換え、雑穀の混入率を増加したので、消化吸収が悪くなったし、物価が騰貴したので、まかない料を3銭値上げしたけれども効き目なく、実際に身体に利用されるカロリーは20%以上の減少と同様だと見られていた。中部軍管区軍医部の報告に「当軍においては部隊の給与熱量の標準を1日3200カロリー以上と定めてあるが、給与し得るのは2800カロリー前後である」と述べている。定量1割減について、戦後すぐ来た米国戦略爆撃調査団の報告に、皇軍の主脳者は兵の最低必要量は3200カロリーであると信じながら、内地部隊の定量3400カロリーを2900カロリーに減じたが、実質は平均2800カロリーに過ぎなかったと書いている。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
V
「非常時日本」は何よりも、1931年から33年初頭にかけての時代から選び抜かれた愛国主義を紡彿とさせる写真とシーンで天皇制イデオロギーに光を当てた点で、今日においても重要な映画である。この映画で軍部は、天皇の精神的な権威を利用して、膨張主義を帝国と軍の道徳的な使命とした。また、民族の一体性についてきわめてさまざまな視覚映像を映し出すことで、1930年代初頭における日本の超国家主義の論理を改めて説明していた。
荒木陸軍大臣は12のパートからなる映画のほぼ半分でナレーションを担当し、いくたびかアジア・太平洋の大きな地図や、ジュネーブの写真を示して説明を行った。荒木は軍事力と道義を同一視し、神話を事変の意義を理解するための視座として利用した。荒木にはふたつの重要な表現があった。ひとつは、神により「神国」に授けられた「大なる使命」であり、もうひとつは中国と西洋列強の日本に対する敵対的な試みであり、それは日本を孤立させ、「大和民族」が神聖な目的を認識し「東洋の平和を確保」することを妨害しようとするものだった。映画の後半で、荒木は戦略と文化、双方の観点から日本の役割をより具体的に規定している。その使命とは、「東洋らしき平和の理想郷を作る」ことであり、それは満州国の建設を意味し、満州では人種の調和が実現するというのである。結局、荒木は、満州国において人種差別主義に反対するユートピアを実現する理想的な努力のひとつとして大日本帝国の膨張を主張したのだった。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年2月21日木曜日
第4回「戦争の加害」パネル展 2019 in横浜
ブログ王ランキングに参加中!
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●帝銀事件と登戸研究所
●石垣島の自衛隊!!
●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●731部隊の問題
横浜の「戦争の加害展(2月10日~16日)」が無事終了しました。
今回で4回目になりますが、今までで一番多い2500人以上の方が来場されました。
ご来場ありがとうございました。
第4回 「戦争の加害」パネル展 in 横浜
『この世界の片隅に』に描かれた軍都・植民地主義・女性抑圧(1) 植松青児さん
1940年農安細菌戦と新京ペスト 奈須重雄さん
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横浜の「戦争の加害展(2月10日~16日)」が無事終了しました。
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ご来場ありがとうございました。
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