2009年8月31日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ !!」


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
悪魔だって
平房の1年のおよそ9ヶ月が冬期で、春、夏、秋は、6月から8月の3ヶ月に凝縮され、、その間に夏の花も、秋の花も、花という花は一斉に咲き誇る。
 また、長い冬を含む1年間をどのように過ごすか、様々に工夫されていた。運動会は春と秋の2回。武道大会、演芸大会、演劇大会等々。その会場は63講堂で、照明効果設備は立派なものであって、2000人ぐらい入れる広いホールだった。撮影室もあり、映画会もしばしば行なわれた。こんなに地域が一体となって、仲良く暮らしている所は私は今までも見たことがない。
 しかし、慰問団が1回も来なかったのは不思議でもあった。
 かつて私が入隊したことのある、黒龍江周辺の神武屯の部隊は、文字通り国境の部隊であって、かすかに見えるアムール川(黒龍江)の対岸で、ロシアの女兵士が時々水深を測っている姿が見え、川を越せばプラエチェンスクというソ連領土が見え隠れする所であった。
 そんな国境の町へも、時々慰問団がやって来て笠置シズ子や渡辺はま子たちが、私たちに「暁に祈る」という歌なども教えてくれたものである。(明日に続く)
※戦時中の本土の苦しい生活、南方戦線の苦しいすさまじい戦いをしている時の話とは思えない!!731部隊では普段は悪魔の所業をし、余暇の時間にみんなで運動会や演芸大会をやっていたとは?何か戦争の緊迫感があまり感じられない!!部隊長の石井四郎もいい加減な男だった。
 その例を示そう。

 ・腐蝕の培地(『悪魔の飽食』森村誠一著:角川文庫より)
 「・・・・・・1942年(昭和17年)7月、石井四郎は第731部隊長の地位を北野政次に交代されている。・・・・だが、この時突然の部隊長解任の理由は、細菌戦の実地指導ではなかった。解任の原因は、部隊の予算流用を含む、膨大な使途不明金が発覚したことにあった。石井四郎とハルピン憲兵隊本部の関与した汚職と公金横領の露見である。・・・・第一は石井四郎が、莫大な公金を遊興費に充てていた疑いである。昼間に熟睡した石井四郎は、夕刻になると副官にも無断で平房を抜け出、新京(長春)から遠く奉天(瀋陽)にまで足をのばし、遊蕩にふけり、何日も帰隊しないことが多かった。・・・疑惑の第二は、出入りの軍需商人と石井四郎との贈収賄である。・・・疑惑の第三は。「丸太(マルタ)」の移送をめぐるハルピン憲兵隊本部、同特務機関との不正な金品の受け渡しである。731にとって貴重な実験材料である「丸太」は、同時に憲兵や特務機関員の絶好の金づるであった。731から「丸太」一体あたりどれほどの“裏手数料”が支払われていたのか、正確なことはわからない。
 だが、731に関係していた憲兵や特務機関員の豪遊は当時知る人ぞ知る、公然の秘密であった。  63棟大講堂の建設費をめぐる疑惑に端を発した不正経理の発覚は、陸軍参謀本部の特別査察に発展し、数ヶ月にわたる調査が行なわれた。余罪続出し、連座する者多く、石井四郎に「厳重戒告、部隊長解任」が言い渡された。これが真相の輪郭である。-
 口に愛国を唱える憂国の士が、裏へ回れば好色遊蕩、不正腐敗の士であることは、珍しくない。731は不正の格好の培養基であった。もっとも軍上層部における腐敗は第731部隊だけの現象ではなかった。陸士、陸大出身の将官にとって他国は侵略すべき対象であり、軍は自己の栄達を図る手段であり、愛国、祖国防衛の表看板の裏で軍を食い物にしていたのである。・・・」

 いつの世でも、甘い汁を吸うものがいる者だ!!

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

金喜栄(男、70歳)の証言
  やがて、日本軍は私たちを宿営地まで連れて行き、審問して、私たちに「土民の八路」だと承認させようとしました。私は自分は理髪師であって、「八路」ではないと言いました。彼らは私にむごい刑罰にかけて拷問し、後ろ手にこん棒を担がせ、死なんばかりにいじめ抜きました。審問しても何も出ないと分かって、又私を新たな所に閉じ込めました。3日目に日本軍が又私を審問し、私に「土民の八路」だと認めさせようとしました。私はやはり自分は頭を刈る人間で、「土民の八路」ではないと言いました。日本軍は私がそう言うのを見て、すごいビンタを2つ食らわせました。それからは、毎日1回引っ張り出し、そのたびに後ろ手にこん棒を担がせ、水道の水をぶっかけて目を覚まさせ、厳しく私を拷問し、「土民の八路」だと認めさせようとしました。
 母は私が日本軍に捕まったとわかってから、あちこち人にたずねて回り、事情が解って救済を願ってもらえる通訳を探そうと、前後して6人見つけましたが、どの通訳も銀貨10元は出さないと駄目で、その後7人目の通訳さんを見つけ、人に頼んで100元余り払ってもらい、やっと私のために話してみようとと承諾してくれ、母を帰らせて2、3日返事を待つようにとのことでした。(明日に続く)   

 ※何でこんなに査問(取調べ)が厳しいのであろうか?拷問までするとは?査問もされずに虐殺された人もいると思うが?部隊によってやり方に多少の違いがあったのか?(ノブ)
 

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

武器をつくったり

売ったりしない世界


世界では今、武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
 しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
 
 日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
 しかし、一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。
ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まっています。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
 私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!


0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中