2009年8月30日日曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ !!」


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
悪魔だって
私の俸給は雇員の待遇で、雇員になるには軍で兵長以上の資格が必要であり、月給が大体、50円から60円の間であった。それに、残業手当ともいうべき居残り手当てがついて、60円になったと思う。また、マルタを扱う特別班、私たちの運輸班、細菌班などには、化兵手当(化学兵器取扱い手当)よいう危険手当がついた。手当の額は、将校月60円、技手・下士官・雇員30円、傭人20円ぐらいであった。それら諸手当を含めて私は月に約100円ほどにもなった。
 戦時中の、内地や中国、南方などにおける前線のすべてが欠乏していた状況に比べると、731部隊の衣食住がいかに豊かであったか不思議にさえ思える。血の嘔吐もよおすほどの酸鼻をきわめたマルタへの相次ぐ生体実験と、暮らしにおける豊かな生活の落差は、一体何であったろう。不平、反乱の根を取り除こうとする意図はあきらかである。ここに、731部隊の秘密が隠されているように思う。  北満の荒野の中の、秘密の一区画は、軍の戦略戦術上、特別に重視された地点で、集中的に膨大な資金がつぎ込まれたのであろう。
 火力戦で勝利する見込みもなく、現実の戦いで日々追い詰められてきた。日本軍は、国際法違反の細菌戦にかけていたのかもしれない。(明日に続く)
※給料といい諸手当といい731部隊はその当時の軍人に比べて、とにかく破格だった!!いかに天皇が、軍首脳がこの施設に期待をかけていたかがわかる。莫大な国家予算を投入したのだから!! 最新兵器を早く開発し、対戦国に大きな打撃を与えたかったのだろう!!
 隊員たちは破格の待遇の下で、悪魔の所業に良心を殺して励んだのだ!!
 大日本帝国が世界に拡大していくことを夢見て!!八紘一宇完遂を目指して!!(現人神天皇を中心の世界を目指す。)(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

金喜栄(男、70歳)の証言
  1938年2月29日の夜8時か9時頃に、私が頭を刈りに外出し家に帰ったばかりで横になっていると、耳元で日本軍のツァッツァッという革靴の音が響いて来、私はこれは大変だと思い始め、その時私は1階の入口で眠っていたのを、急いで起き上がり、外に出た途端にビンビンと門をたたく音が響くので、急いで門を開けると、日本軍5,6人くらいが剣を着けた銃を水平に構えて突っ込んで来て、まっすぐ3階へ駆け上がりました。彼らは上から40歳近くの婦人を1人引きずりおろして連れて行ってしまい、明くる日の朝になってやっと送り返されて来ましたが、もう蹂躙されきって人の様はしていませんでした。日本軍が行ってしまってから、その婦人が「私はここには住めません。住んでいたら命すら無くしてしまいそうです」と、私に言いました。私はその人を見てかわいそうで、背負って、金稜女子大学の難民区まで避難させに送るしかありませんでした。
 その年の3月に、私は散髪用具を持って三牌楼まで行きましたが、同行したのが14人いました。その時日本軍の一隊がやって来て、私たち14人を一緒に縛り、1人1人を一遍検査してから7人放ち、私たち7人は「土民の八路」だと言いました。(明日に続く)   

 ※中国戦線でも女性はよく強姦された!!特に南京戦では規律が乱れていたため頻発したと言う。(ノブ)
 

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

武器をつくったり


売ったりしない世界


「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」

 これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
 世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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