2009年8月2日日曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

1,白地に紅く

(昨日の続き)戦わずして野戦病院へ
9月初めのある日、私はいすず97式という高射砲牽引車を運転していた。夏服のまま出撃したが、9月初旬というのに氷はバリバリ張り、冷雨には叩かれるので、服は雨と油にまみれ、私たち兵士は寒さに震え上がっていた。
 我が軍の高射砲は7.5サンチの口径で25メートル四方に弾丸が散る、相当威力のあるものであった。ところが、敵影もつかめず、自慢の高射砲弾を一発も射たぬうちに、50メートルの至近距離で敵の砲弾が炸裂し、私の運転台のドアを撃ち抜いて、弾片が飛び込んできた。
 足に熱いものを感じ、腰の下がしびれてしまい、気を失ってしまった。革の長靴を突き破って、ふくらはぎをやられたのであった。私はやむなく戦列を離れねばならなかった。また戦いらしい戦いもせずにである。運び込まれたのはチチハルの野戦病院で、廊下まで負傷者や病院であふれ、ごったがえしていた。 
 9月7日には総攻撃をするということで、中国各地にいた部隊が集められて、準備中であったが、結局昭和14年9月20日に停戦となった。 (明日に続く)


※ソ連との軍備の差は明らかだったのかな?(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

張連才(男、64歳)の証言
 1938年の1月13日に、私が燕子磯から中山門まで行った時、道々何千体もの屍が見え、みんな日本軍に殺された中国人でしたが、その内の苗木畠に屍がたくさんありました。
 1月16日の日に、私と師匠と小麦粉を買いに珠江路に行ったら、日本兵が1人そこで小麦粉を買おうと並んでいる女の人の腹を刀で一突きし、その女の人が地に倒れるのが見えました。明くる日、私は南捕庁の師匠の家から府西街まで水を担いだのですが、道で日本の将校1人と出くわし、「小さいの!」と呼ぶので、私が水の桶を下ろしたら、突然、腰の刀を抜いて私の頭に一太刀、私が頭を下げた方が速かったので、帽子が飛ばされ、私は恐くて振り向けざま駆け出し、桶もうっちゃらかして、一気に師匠の家まで走って行って、情況を訴えました。しばらくして私は師匠を離れて難を逃れて行ったのです。(金登林と楊雲と夏龍生が記録)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

戦争にそなえるより


戦争をふせぐ世界


「反応ではなく予防を」。これは、2005年にニューヨークの国連本部で開かれた国連NGO会議(GPPAC世界会議)で掲げられた合言葉です。紛争が起きてから反応してそれに対処するよりも、紛争が起こらないようにあらかじめ防ぐこと(紛争予防)に力を注いだ方が、人々の被害は少なくてすみ、経済的な費用も安くおさえられるのです。
 紛争予防のためには、日頃から対話をして信頼を築き、問題が持ち上がってきたときにはすぐに話し合いで対処する事が必要です。こうした分野では、政府よりも民間レベルが果たせる役割の方が大きいと言えます。どこの国でも、政府は、問題が大きくなってからようやく重い腰を上げるものです。ましてや軍隊は、問題が手におえなくなってから出動するものです。市民レベルの交流や対話が、紛争予防の基本です。市民団体が、政府や国連と協力して活動する仕組みをつくり上げることも必要です。

 2005年、国連に「平和構築委員会」という新しい組織が生まれました。これは、アフリカなどで紛争を終わらせた国々が、復興や国づくりをしていくことを支援する国際組織です。このような過程で、再び武力紛争が起きないような仕組みをつくる事が大事です。貧困や資源をめぐる争いが武力紛争の大きな原因になっている場合も多く、こうした原因を取り除いていく必要があります。つまり、紛争を予防するためには、経済や環境に対する取り組みが重要なのです。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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