2009年8月21日金曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅱ 日の丸染めて

はなれない足錠
731部隊へ運ぶと、そこでロープを外し、初めて足錠をつける。この足かせは、鉄板5ミリぐらいの厚さで、巾が3センチぐらい。直接足につけると皮がむけるので、布切れを巻いた上につけた。半円形の輪をピンでとめるのであるが、必ず特別班がリベットする。すなわちピンの頭をつぶすのである。これで絶対に外せない足錠になる。この瞬間から、「囚われ」の質が変わるのである。
 マルタは死ぬまで、いや死んだ後も、この足錠を切り離すことができない。だから死んで焼却炉で焼かれると時も、足錠はついたままだし、敗戦で私が骨をカマスにつめてスンガリ(松花江・・・中国の河の名前)に捨てた時は、ガチガチ鳴って、重たかったのも、足錠はそのまま骨にくっついていたからである。
 おそらくマルタは、足錠をはめられ、ピンをつぶされた後は、生きる見込みは全くない絶望の壁と向かい合ったことであろうと思う。
 このくるぶしの上につけられた鉄の足錠に、普通自動車のチェーンのような鎖が、ややたるみをもってつけられる。マルタが歩くときは、その鎖を引き上げ、背をかがめ、小股で歩かねばならない。カチカチ鎖を引きずり、背をまるめて歩く姿は、考えてみれば、全く屈辱の姿である。マルタは、普通房の中では手錠だけは外されていた。 (明日に続く)
※酷寒の地でいくら足に布を巻いたとはいえ、足錠はこたえるだろうと思う。足に錠が食い込みさぞかし痛かったろう!!無実な人間にこのようなことをした!!戦後64年、非業の死を遂げたこのような被害者に対して果たして日本人として何が出来るのだろうか?(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

高陳氏(女、62歳)の証言
  1937年には私は13歳で、家は下浮橋でした。日本軍が南京を占領した時、私たちは避難して、難民区に入りました。難民収容所では、大人はみんな出られなく、子供に救済粥をもらいに卍字会に行かせていて、私は年が小さく、背が低かったので、しょっちゅうお粥をもらいに行きました。 
 日本兵はしょっちゅう難民所に人を捕まえに来ていて、叔父が日本兵に捕まり、コンロの鈎で額の真ん中を突っつかれ、1度突かれただけで、血が水道の水のように噴き出し、ちょっとして倒れ込み、そういう風にしてこの野獣の群に活きたまま殺されたのです。これは私が自ら目撃したことで、その時は驚いて失神してしまいましたが、今でもはっきりとその時の場景を覚えています。 
 2番目の姉は、あの時17、8歳でしたが、日本軍に捕まって何度も強姦されたのです。
 日本軍が入って間もなく、1度、飛行機が来て、低く飛んでいました。私たち飛行機が来るのを見て、軒下に隠れましたが、飛行機に乗っている日本兵に見られて、機関銃で掃射され、左手首を弾が貫通して、今でも銃創が残っています。(唐青雲が記録)
 ※日本軍がいろいろな仕方で、南京市民を苦しめた様子がよく分かる。731部隊で行なわれた生体実験も大変な残虐なことだが、南京で行なわれたことも大変ひどいことである!!日本人として心に刻みたい!!(ノブ)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

基地をなくして緑と海を

取りもどしていく世界を。


Imagine,

A world that gets 

rid of military bases 

and reclaims 

the forests and the oceans.


森に抱かれ、海にはぐくまれ、
人とともに生きる北限のジュゴン。
乱獲があり、戦争があり、今わずかに
生き残ったジュゴンのすむこの海に、
また、新しく米軍基地がつくられようとしています。

おばぁは言います。「この海があったから、子どもたちを養い、孫を大学までやる事ができた。
この海は命の海。
この海をこわして、沖縄の明日はないよ・・・・」
(沖縄/女性)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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