2009年8月9日日曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

1,白地に紅く

(昨日の続き)私の仕事は、ペスト米づくり
私は小さい頃から機械いじりが好きだった。昭和10年、長野工業高校機械科を卒業し、「小妻清」という自動車の販売修理会社へ入社した。
 私は県庁の知事専用車を修理することになった。当時の県庁車は、パッカードセダンで黒塗りの堂々たるものであったが、バッテリーが6ボルトという小さなもので、長野県のような寒冷地での冬など、しばしばエンジンがかからず、大変困ったものである。私はあれこれ考えて保温器を取り付けることを考案した。ラジエターとシリンダーをつなぐ管の中間にニクロム線を通し、エンジンが冷めないように工夫したのである。これだと零下8~10度の寒い朝も、一発で始動できる。私はこの考案で知事賞を受け、いささか得意になっていたが、この機械好きが731部隊に入るきっかけになったのだ。
 つまり、私はそんなことを話したことから自動車関係の仕事をするということで、731部隊に入ったつもりだった。(明日に続く)

※人生思うようになかなか運ばないですね!!(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

張孝山(男、76歳)の証言
 私は張孝山といい、男で、今年76歳、安徽省の合肥県東北郷草廟集田戸山張武村の者です。17歳の年に南京に来て布を織る技能を学びましたが、先生は周仁樹といい、堂子街の織布師匠です。修行が終っても自分では織機がないので、生活が維持できず、ゴム輪の人力車を牽くのに業種変更しました。1937年には、もう結婚し家庭を持っていて、家は堂子街で、妻は家庭婦人、その時既に3歳の娘が1人いました。
 日本軍が南京に攻め込んで来た時、家の3人は難民区に引き移り、五台山小学校に住まいました。冬月21日の日だったと覚えていますが、私は前に買った国民党の古い軍服(その頃生活に困っていて、20銭はたいて古い軍服を買った)を持っていたので、安全でないと思い、手で娘を抱きながら、古い軍服を持って出て捨てました。捨てたと思ったら、銃声が大きく聞こえ、弾がいっぱい飛んで来たので、私は吃驚して子供を抱え、道の脇の防空壕に跳び込んだら、壕には既に2,30人いました。ほんのちょっとして、日本軍の革靴の音がしました。日本軍が壕の入口に現れ、手をあげて私たちに出て来いと命じました。私は真っ先に壕を出て、日本軍にお辞儀を1つしたら、日本軍は私が長い一重を着ていたのと、小さい子供を抱いているののとを見て、私には手を下しませんでした。ところが後から出てきた2人がついてなく、その2人は棉を打つ師匠だったと覚えていますが、短い一重を着てきて、陥落前に国民党の民兵訓練に参加していました。その2人が壕を出て思わず日本軍に軍隊式の敬礼をしてしまいました。それで日本軍は2人を兵隊だったと決め込み、すぐさま銃に付いた剣を振り上げて2人の下腹をもろに刺し、2人を殺したのです。それからはそのほかの人は殺さずに行ってしまいました。(明日に続く)

  
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

世界は、


9条をえらび始めた。


・平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願ってます。(オーストラリア、20代・女性)

・このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアとの関係に誠意を持って向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!(韓国、30代・男性)

・憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりのの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。(ベルギー、50代・男性)

・日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って。私たちに必要なことは平和への挑戦です。
(コスタリカ、20代・女性)

・日本国憲法第9条の改定に反対です。(ロシア、20代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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