2009年8月24日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅱ 日の丸染めて

私は死への強制連行人
昭和18年の夏頃のことであった。平房から安達(アンダー)試験場へ、軍用トラックに警備の兵隊10人ほどをのせて走っている途中、四屯(スートン)部落付近で、ロシア人の車が侵入してくるのを見た。何人といえども、関東軍司令官の許可なくして立ち入ることを禁じた区域内の出来事である。
 兵隊たちは無関心であったが、私は直ちに拳銃で威嚇し、彼らの車を止め、すばやくディストリビューターのキャップを外し、車のナンバープレートを折り曲げ、兵隊の協力を得て、軍用トラックに乗せてしまった。運転していたのは老人で、あとの3人は30歳ぐらいの若者たちで、黒っぽいルパシカを着ていた。
 私たちはハルピンの憲兵隊分署に4人を引き渡して、安達へ向かった。
 この事件の後、私は63棟の大講堂で第731部隊全員が集合の折、石井隊長から直々の表彰状を受けた。スパイをとらえたことへの表彰であった。
 その後、1ヵ月程たって領事館へマルタの受領へいくと、40本のマルタの中に、丸坊主にされて、私がとらえた4人の中の2人が入っているのを見た。(明日に続く)
※ロシア人も生体実験に使われた。九州大学医学部では墜落した戦闘機のアメリカ人のパイロットの生体解剖が行なわれた。もちろん、中国では、なりたての軍医が罪のない農民や庶民を実験台にして生体解剖を行なっている!!日本軍はいろいろな人種の生体実験を行なったのだ!!どこの軍隊でも必ずひどいことがあるものだ!!その中でも日本軍のした生体解剖は最も残虐な部類に入るのではないだろうか?(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

高培良(男、73歳)の証言
 1937年の冬月には、家は塩倉橋の石炭屋さんの近くでした。
日本軍は南京を占領してから、至る所で人を捕まえたのですが、私は海軍部に住まっていた日本兵に捕まって行き、飯を作らされ、雑用をさせられました。そこでいつも日本兵にむごく殴られ、今でも頭にまだ日本兵に銃剣で突っつかれた傷の痕が残っています。そこで1年余り飯を作りましたが、全くいじめに堪えられず、逃げ出して来ました。(李幗義が記録)
 ※日本軍に捕まって殺されなくても、いろいろな雑用を強制され、手当ては出ず、いじめもあったのだ!!(ノブ)
 

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

ひとりひとりの安全を

大事にする世界を。



Imagine,

A world that values

the safety of each and every human.


政府と政府とのあいだにではなく、人と人とのあいだに平和をつくる事が
大切だと思います。人と人とのあいだには、文化があり文明があります。
政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。
私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に
平和をつくりたい。それが私の理想です。
(イラク/男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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