2009年9月1日火曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
悪魔だって
ところが、平房へは1度たりとも慰問団は来なかった。いかに秘密のもれるのをおそれたかが解る。だから隊内で自らの手で工夫し、楽しみを作り出すしかなかったのである。
 この部隊の家族全員のために、「平房新聞」も発行されていた。人事課の細谷曹長という人が中心になって、家族の消息、子どもの誕生などこまごましたニュースに、俳句や短歌、生活雑記風なものをまじえ、さらに酒保商品のおすすめ品などものせていた。今で言えば、団地ニュースを出して、お互いの融和をはかったということであろう。
 また、時々懇談会を開き、酒を飲むこともあった。軍歌を歌って景気をつけたりしたが、考えてみれば、心の底から笑い、叫び、歌ったことはなかった。とにかく、われを忘れて騒ぎまわることはなかった。泥酔して道端にでも倒れてしまえば、たちまち凍死してしまう危険があったが、やはり、秘密の壁の中で、むごたらしい実験をしている日常の重苦しさを、ぬぐい切れなかったからだと思う。(明日に続く)
※いくら慰安的なことをたくさんやっても、心は癒されなかったろう!!どんな人間でも良心はあるのだから、いくら最新兵器を作るためといっても、人道的に反することをやれば、多少なりとも良心の呵責があったのではないだろうか?酒をいくら飲んでも、心は晴れなかったろう!!
 

 ●日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

金喜栄(男、70歳)の証言
 18日目の朝になって、日本軍が又も私を引っ張り出し、どうしても私に「土民の八路」だと認めるように、さもないとスーラスーラティ(首をはねる)だぞ、ということでしたが、私はほんとに適当に言える事は何もないので、何も言わずにいたら、午後になって、外で誰かが私に物を片付けて出て行くようにと叫んでいるのが聞こえたので、私はてっきり引き出されて銃殺されるんだと思いました。そしたら日本軍(旦那様)のところまで連れて行かれ、又も私に「土民の八路」だと認めさせようとし、私が同じように何も言わないでいると、日本軍は私にはほんとに言うべき事が何も無いのだと見て、通訳に命じて言わせるには、今後旦那様がお前の所にいらっしゃったら、ようく刈って差し上げるように、出て行ってからはむやみに話してはなたない、ということで、言い終わって私を放ったのでした。そんな風に私は丸まる18日間拷問されて、身体中が痛くてたまらず、歩けなくて、晩の8時頃までかかってやっとゆっくり家まで戻ったのです。今でも少しばかり寒かったりすると全身が痛んで、綿入れの上着や綿のズボンをみんな身に着けなければなりません。日本軍が私の身に残した障害で、私も永遠に忘れることができません。(井升安と丁亜慶が記録)   

 ※日本の侵略戦争のこれが実態だ!!殺されなくても一般市民は拷問を受けたりして、体に傷をおったりした。大東亜共栄圏とは他国を侵略して、日本が威張る構図だった。決して対等な関係ではなかった。(ノブ)
 

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

おたがいに戦争しないと


約束した世界


「相手が攻めてくるから、準備しなければならない」
 軍隊は、いつもそう言って大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしていきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどん増えていきます。
 このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めない」という約束を結ぶ事ができます。
とくに、地域の中でこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)」が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ聯合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。

 日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちの間では「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
 NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
 その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。
日本や韓国、北朝鮮は核を持たないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
 また、日本とロシアの間で争いになっている「北方領土」周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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