2009年9月2日水曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
それでも春はくる
長い冬の間は、家族は息をひそめるようにして、家の中にいることが多く、窓を開けることができない。空気を入れ替えようとして、窓を開けようものなら、風が吹き込み、たちまち風は霧と化し部屋中部屋中白い竜巻の嵐となってしまうからだ。呼吸器の弱い者は耐え難く、結核に冒される者が多かった。
 だから、それだけに一斉に花咲く春の訪れは、待ち遠しかった。春が近づくと官舎に住む者は、待ちかねたように庭へ出て、官舎の中庭に花畑をつくり、あるいはきゅうりやナスを育て、鶏を飼った。野菜類は肥料なしでよいものが取れた。
 私のところでも、30羽ほど鶏を飼育して、新鮮な卵を手に入れていた。百日草、ほうせん花、なでしこ、ダリヤなどが官舎を埋めて華やかな雰囲気が生まれる。
 長い陰鬱な冬の間でも、ハルピンの町の中は活気があった。
 2月、ロシア人の洗礼祭がある。この日は若者が、スンガリ(松花江・・・中国の川の名)に張り詰めた氷を、十字架上に切り取り、この氷の十字架を立て、若者が切り取られた水の中へ飛び込むのである。そして、肌に豚の油を塗りたくって裸でハルピンの町を歩き回って祝うのであった。一般にロシア人は寒さに強く、特に女は薄着で歩き回っていた。(明日に続く)

※ハルピンの冬の寒さは相当なものだろう!!野菜類は肥料なしでよいものが取れた?731部隊がそこに施設をつくる前、そこは中国人の大切な農地であった!!そこを日本軍が勝手に強制退去させ施設を建設したのであった。全くの侵略者だった。追い出された農民は、それから住むところも農地も無くなり大変な生活に追い込まれたのだ!!満蒙開拓団の農地もこのようにしてつくられた。ほとんどの農地は、日本人が開拓したのではなく、中国人が開墾していた農地を日本人が勝手に奪ったのだ!!(ノブ)

満州移民にみる侵略(「アジアから見た大東亜共栄圏」内海愛子・田辺寿夫編著:梨の木舎より)
■土地収奪
 農業移民の条件として先ず入植用地の確保がある。1936年(昭和11)年に成立した国策「20ヵ年百万戸送出計画」に備え、41年(昭和16)年4月までに約2000万ヘクタール(日本国内の耕地面積の3倍以上)、満州国土総面積の実に14.3%に及ぶ膨大な用地が確保された。うち既耕地は約350万ヘクタール(昭和17年末)、日本国内耕地面積の過半数に相当する熟地が用意された。買収価格も二束三文であった。この結果、現地住民が居住地を追われる事態が全満各地に発生した。(用地買収を担当したのは日本の出先機関「満拓」と満州国政府である)
 元キリスト教開拓団長堀井順次氏はこう述べている。「満蒙開拓は最も具体的な侵略行為」(私信)。現地住民の土地と家屋を奪い時には命までも奪った満州農業移民は、移民とは程遠く侵略そのものであった。
 中国東北地区の歴史家によって1980(昭和55)年に刊行された『偽満州国史』は、偽満州国の住民の85%は農民であり、日本帝国主義は最大限の植民による略奪を行なうとともに、人民大衆の土地を横領して侵略勢力を拡大した、と日本が実施した移民政策を「侵略政策」と論述している。また、「開拓政策は侵略と覇権的なアジア経営の1つの手段であることを暴露している」と、大東亜共栄圏の重要な一翼をになった満州移民の本質を鋭くえぐり批判している。

 ●日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

孫瑞興(男、65歳)の証言
 1937年には私は15歳で、私の家は水西門下浮橋、今の第二機床廠 の近くでした。日本軍が南京に攻めてきた時、私の家はすぐに螺○拐湾の難民区に移り住みました。引き移って間もなく、南京が陥落しました。
 冬月29日の日に、私の父が自分は年取っているから私を連れてちょっと見に家に帰っても構わないと思い、螺○拐湾巷の角(今の五金公司巷の角)まで来たら、日本軍7,8人が見えたので、私たち急いで曲がり出て行かないようにしましたが、日本軍に呼び止められました。父はあの時もう老いていたので、日本軍は父を放ちましたが、私は留め置いて、それから又住民を10人余り捕まえて来ました。日本軍は私たちの手を検査して、太いかどうかを見、又後頭部をさすり、それに私たちに体操をさせ、右左を向かせて、私たちが兵隊だったかどうかを見、日本軍は手に銃を持ち、私たちにも弾の入っていない銃を持たせて射撃の姿勢を取らせ、兵隊ではなかったとみなした者は、莫愁路に集め、2人ずつ歩かせ、やがて確かに私たちは兵隊ではなかったとみなして放ち行かせました。(明日に続く)

※15歳の子どもまで兵士ではないかと疑われた!!(ノブ)
 

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

おたがいに戦争しないと


約束した世界


地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
 グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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