2009年9月3日木曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ !!」


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
それでも春はくる
 私も妻を連れてハルピンの町に出て、ロシア料理を食べるのが唯一の楽しみであった。植民地下のハルピンのロシア人は、白系ロシア人で、その多くは革命政権を逃れてきた人々であり、タクシーの運転士が元大尉であったり、満系の百貨店のドアマンが、いかにも直立の姿勢が立派で、聞いてみると元連隊長であったりした。
 貧富の差が激しく、一般にロシア人の生活は大変貧しかったと思うが、彼らは楽天的に生活を送っているように見えた。働く時は一生懸命汗水たらして働くが、仕事が終ると着換えて、陽気に騒ぎまわる。並木路を歌って歩く姿や、広場で男女腕を組んで、歌ったり踊ったりする風景がよく見られた。植民地でのこと、まだ若く美しいロシアの女が「日本人大好きよ」と片言交じりの日本語で、近づいてくる売春婦にもぶつかったことがある。何かこわくて私は黙ったまま立ち去ってしまったが。(明日に続く)

※ロシア人も革命が起こってから、ロシアの地を追われた人々がいた。異郷の地で貧しいながら汗水たらして働いていた。でも、そこで歌を歌ったり、踊ったりすることで少しでも苦しいことを忘れて、たくましく生きる知恵がロシア人にはあった?
 それにしても酷寒の地でロシア人は寒さに強いと思う!!
 最近のニュースではロシアでは寒いので度数の高いウォッカを飲む習慣があるが、それを飲みすぎて、アルコール依存症になる人が多く、酔って飲酒運転・殺人事件等の犯罪も増えていると言う。
 参考:ロシアの飲酒運転(ノブ)

 ●日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

孫瑞興(男、65歳)の証言
 父が恐ろしがって、もう私には出て行かせず、私を屋根裏に住まわせました。明くる日、金陵大学でラオパーイシン(一般庶民)がたくさん日本軍に捕まって行ったというのを聞きました。3日目に、どこも死体だが、長江の水面が死体でいっぱいで、みんな漂い浮かんでいると、隣の人が言っていました。中華門外や雨花台一帯でたくさんの人が日本軍に殺されました。城南の住宅区域の家屋が焼かれました。昇州路も焼かれたのが少なくなく、三山街は天をも焦がす大火事で、朝から晩まで燃えていました。日本軍は至る所で婦女をかすめるので、ある家では娘の顔に灰を塗り、災難に遭うのを免れました。ある人はちょっと見に出かけ、日本軍に立ち止まらせられたのを、立ち止まらずに一発で撃ち殺されました。私の従兄(いとこ)も明瓦廊に住んでいて、出かけた時に日本軍に撃ち殺されました。紅卍字会の人達が旗を手に路上で屍を片付け、中華門外へ運んで埋葬しました。(李娜と鄭彬彦が記録)

※南京を日本が陥落させてから、掃蕩を行なった様子である。立ち止まらないと銃で撃ち殺す場面はよく出てくる。(ノブ)
 

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

武器を使わせない世界


世界中の兵器をいっぺんになくすことはできません。それでも人類は、二つの世界大戦を通じて国際法をつくり、残酷で非人道的な兵器の禁止を定めてきました。
 たとえば、地雷は、踏むと反応する爆弾で、人を殺さず手や足だけ奪う兵器です。NGOが運動を起こし、カナダ政府と協力して、1997年に「対人地雷全面禁止条約」を実現しました(オタワ条約)。
 また『クラスター爆弾」は、爆発すると周辺一帯に大量の「小さい爆弾」が飛び散るようにつくられた爆弾です。あたり一帯に不発弾が残り、地雷と同じ働きをします。クラスター爆弾も全面的に禁止するべきだと、ノルウェー政府とNGOが動き始めています。

 広島と長崎に落とされた2発の原爆は、瞬時に20万人の命を奪いました。被爆者たちは、60年以上たった今も、放射能によって健康をむしばまれています。
 このような核兵器が、世界に26,000発もあります。その大部分はアメリカとロシアのものです。核保有国は「自分たちの核兵器は許されるが、ほかの国が核兵器をもつのは許さない」と言います。アメリカは自ら核兵器の強化を図っているのに、イランや北朝鮮の核開発には制裁を課し、イラクに対しては「核疑惑」を理由に戦争を始めました。
 いわば「タバコをくわえながら『みんなタバコをやめろ』といっているようなもの」(エルバラダイ国際原子力機関事務局長、ノーベル平和賞受賞者)です。自分たちの核はいいのだと大国が言い続けている限り、ほかの国々もそれに続こうとするでしょう。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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