2009年9月5日土曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
石井隊長は軍神か
ハルピン南方20キロの、この平房タウンのすべてを統括していた石井四郎軍医中将とは、いったいどんな人だったのだろうか。私は、私自身が接した隊長の印象を書いてみたいと思う井。
 石井隊長は、180センチもの巨漢で、立派なひげをたくわえた偉丈夫であり、車に乗る時はしばしば天井に頭がつかえた。当時隊長車は、米国シボレー、フォードの2台あった。
 石井隊長は、いわゆるワンマンであった。たとえば仕度に手間取り、時間に遅れた時などは、電話1本で満鉄の特急を、30分も1時間も待たせることもあった。
 また、気が向かないと、監査に来た上層部とも、半日も待たせて会わない。むしろ、上層部の者を小馬鹿にしている風があった。「あの馬鹿ども」と吐き出すように言った言葉も聞いたことがある。一方下級隊員を叱るようなことはなかった。
 隊長には男の子と女の子が2人おり、車の中でよく子どものこと、家庭のことなど、当たり障りの無いことを話し合うこともあった。当時将官級の「閣下」というものは雲の上の神様で、近づき難い存在であったため、他の幹部は隊長車の運転を担当する者に遠慮するところがあった。個人的に言いつけられはしないかと思ったのであろう。(明日に続く)

※石井四郎のワンマンさがよく分かる!!石井四郎は、この前に書いたように、お金と女にもルーズだった。(ノブ)

 ・研究者としての石井四郎(『消えた細菌戦部隊』の「2人の部隊長」常石敬一著:ちくま文庫より)
 【・・・こうした研究者としての資質という点に関して言えば、石井にはあまり高い評価を与えることはできない。石井について梶塚隆二は「一流の専門家」だったと述べている。そこで筆者は、石井が具体的にどのような研究をしていたのか知りたくていろいろ探してみたが、石井の論文は非常に少ない。しかもその数少ない論文も共同執筆によるものが多く、石井単独のものはほとんどない。石井が単独で発表しているほんのわずかしかない論文の1つに、「陸軍防疫機関運用の効果と将来戦に対する方針・予防接種の効果に就いて」というのがある。これは1940年に発表されたものである。
 その内容はタイトルからも分かるように、学術的研究というより防疫の重要性を説いた自己宣伝臭いものである。・・・】

 ●日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

劉宝善(男、61歳)の証言
 1937年に家は珠江路111号で、日本軍が南京を侵犯した時、家の人について難民区の女子大学に隠れました。確か冬月の20日ごろに日本軍が難民区に闖入して来て、人々を運動場に集め、良民証を発行しました。男の人を1人1人検査したのですが、私はその頃いつも帽子をかぶるのが好きで、額には帽子のたががあり、しかも手にはたこも出来ていて、日本軍は私を引きずり出して、悪い人だと言い、一方の側に立たせました。その時その場に引き取れる家族のいる者は、放たれました。私はふっとひらめいて、その場にいた魚市街の中華楼菜館を通り越したシャオピン屋さんの後ろに住んでいた隣人の王おばあさん(今はもう世を去られた)に、マー(=お母さん)と一声叫んで、親族の振りをし、やがてその人が私を引き取って家に帰してくれ、それでやっと幸いに難を免れることができました。
 叔母の張劉氏は、その時50歳余りで、今の進香河口の一家春ホテルの所に住んでいました。日本軍が入ってきて間もなく捕まって行って強姦され踏みつけにされ、自分として腹立たしくてならず、自殺しました。
 2番目の叔父の劉家根は、その頃50歳でした。3番目の叔父の劉家華は、47歳でした。日本軍が来た3日目に捕まって行き、今に至るも音沙汰は全くありません。(井升安と丁亜慶が記録) 

※ずっと安否の分からない人はかなりいると思われる。(ノブ)
 

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

基地をなくして

緑と海を取りもどしてい世界


戦争は最大の環境破壊です。油田が燃やされ、爆破された工場は有毒物質を垂れ流し、ときには「劣化ウラン弾」(放射性物質の兵器)が使用され、周辺の環境を何世代にもわたり破壊します。しかし、環境に深刻な影響をもたらすのは、実際の戦争だけではありません。 世界中に、戦争に備えるための軍事基地がつくられています。アメリカは、40カ国700ヵ所以上に軍事基地をもち、世界規模で戦争の準備をしています。日本にもたくさんの基地があります。 基地の周りでは、兵士による犯罪が大きな問題になっています。基地周辺の女性が暴力にあう事件が頻繁に起きています。ひどい騒音もあります。 基地による環境汚染は深刻です。ジェット機の燃料が垂れ流されたり、危険な毒物、金属、化学物質が土地を汚染しています。こうした問題を、国はいつも隠そうとします。国は汚染した土地の後始末にさえまじめに取り組もうとはしません。それでいて、「基地は平和と安全を守る」と繰り返しています。基地の周りの人々の暮らしは「平和や安全」とはとても言えたものではありません。 軍事基地はつねに、植民地に設置されるなど、立場の弱い人たちに押し付ける形でつくられてきました。先住民族は押さえつけられ、その権利や文化は奪われ、人々の精神や心理さえもむしばまれてきました。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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