2009年4月28日火曜日

総力戦体制

明日は、4月29日「昭和の日」を迎える。これが、本当に国民の祝日であっていいのか、日本人は考えなければならないと思う。

 1930年代の中国における戦争は、日本の一方的な侵略戦争あった。
その当時の憲法は大日本帝国憲法であった。日本は大日本帝国と呼ばれていた。時の天皇は昭和天皇であった。その憲法には次のように書いてある。
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
・・・・・・

天皇が軍の最高責任者である。日中戦争に限らず、アジア・太平洋戦争の戦争を始めたのも終わりにしたのも昭和天皇である。その天皇の誕生日を祝日として祝うということはあの戦争で犠牲になった大勢のアジアの人々や日本の国民にとっていかがなものだろうか?



『未来をひらく歴史』(日・中・韓=共同編集 第2版 高文研)より

 日本の侵略戦争

 4、総力戦体制

 第一次世界大戦以降、戦争は軍隊だけでなく、国家の総力をあげて戦う総力戦となりました。日本の場合、総力戦のための仕組みはどのようにつくられたのでしょうか。
 

 国民を戦争へ総動員する仕組み

1940年、ナチス・ドイツの「電撃的勝利」に目を奪われた日本では、ナチスばりの一国一党の実現をめざして次々と政党が解散、10月には「大政翼賛会(たいせいよくさんかい)」が発足します。これにより複数政党制を前提とする議会制度は消滅します。
 同年、政府は労働組合を解散させ、戦争協力のため「大日本産業報国会」を設立して、ストライキなどを全面的に禁止しました。
 また、この当時すでに食料、衣料、燃料その他の生活必需品は配給制となっていましたが、町内会、部落会、隣組がその配給ルートとなっていたため、国民は誰もそこから逃れることができなくなっていました。こうした生活統制組織は、国民を互いに監視させあう役割も果たすことになりました。
 雑誌や新聞、映画からラジオ、小説にいたるまで、すべての情報が検閲を受け、戦争を賛美・肯定するものだけが掲載や放送を許されました。政府は増加する戦死者を「英霊(えいれい)」としてたたえ、お国のために戦争で死ぬことは「名誉」なことだとして、新たな兵士を戦場へ送り出していきました。
 このように、天皇を頂点にした軍部の支配体制の下で、政治・経済・軍事・文化・メディア・教育・生命など、すべてが戦争のために統制・動員されていきました。こうして、日本のファシズム体制が確立したのです。


  「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
江辺、下関埠頭、挹江門、三汊河一帯での集団虐殺

 李桂芳(女、92歳)の証言 
 
 主人の杜金龍は1937年12月のある日、下関の和記洋行に避難していて、日本兵に捕まりました。そして中山埠頭まで引っ張られ、日本軍に機関銃で集団殺害されました。(陳平穏が口述により整理)
    

「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、


基地をなくして緑と海を


取りもどしていく世界を。


Imagine,



A world that gets rid



of military bases and 

reclaims



the forests and the 

oceans.



森に抱かれ、海にはぐくまれ、人とともに生きる北限のジュゴン。
乱獲があり、戦争があり、今わずかに生き残ったジュゴンのすむこの海に、
また、新しく米軍基地がつくられようとしています。

おばぁは言います。「この海があったから、子どもたちを養い、孫を大学までやる事ができた。
この海は命の海。
この海をこわして、沖縄の明日はないよ・・・・」
(沖縄/女性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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