2009年4月15日水曜日

侵略戦争

まもなく4月29日の「昭和の日」を迎える。これが、本当に国民の祝日であっていいのか、日本人は考えなければならないと思う。

 1930年代の中国における戦争は、日本の一方的な侵略戦争あった。
その当時の憲法は大日本帝国憲法であった。日本は大日本帝国と呼ばれていた。時の天皇は昭和天皇であった。その憲法には次のように書いてある。
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
・・・・・・

天皇が軍の最高責任者である。日中戦争に限らず、アジア・太平洋戦争の戦争を始めたのも終わりにしたのも昭和天皇である。その天皇の誕生日を祝日として祝うということはあの戦争で犠牲になった大勢のアジアの人々や日本の国民にとっていかがなものだろうか?


1931年(昭和6年)9月18日・・・柳条湖事件、満州事変に発展
1932年(昭和7年)3月・・・満州国の建国宣言発表
1933年(昭和8年)3月・・・日本は国際連盟を脱退する。

『未来をひらく歴史』(日・中・韓=共同編集 第2版 高文研)より

 日本の侵略戦争

1、日中全面戦争

満州(中国東北地方)を侵略した日本は、1937年から中国全土へ侵略戦争を開始しました。全面侵略戦争は、どのようにしてアジア太平洋戦争にまで発展したのでしょうか。

 中国への全面侵略の開始

 1937年7月7日夜、日本軍は北京郊外で盧溝橋(ろこうきょう)事件を起こしました。日本はこれを中国軍が不法に射撃したからだという口実をつけて、一挙に華北一帯を占領しようと軍隊を送り込みました。上海では、海軍が中心となって、8月13日に戦争を起こし(第二次上海事変、淞滬(しょうこ)抗戦)、翌14日には、海軍航空隊が上海、杭州(こうしゅう)などを爆撃、続いて15日には中国の首都南京を空爆しました。
 日本の近衛(このえ)内閣は上海にも大軍を送り込み、3ヶ月にわたる激戦ののちに上海を占領しました。日本の軍部と政府は、首都南京を占領すれば中国軍は日本に屈服し、日本の支配を認めるようになると考えて、総勢約20万の日本軍を南京占領のために送り込み、1937年12月13日には南京を占領しました。この時、世界から非難された南京大虐殺事件を引き起こしました。
 

     
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
江辺、下関埠頭、挹江門、三汊河一帯での集団虐殺



 駱中洋(男、67歳)の証言

(昨日の続き)それと又、日本軍は何度もいろんな難民区へ行き男の青壮年を、無理やり広場の空き地に集めて、1人1人別々に高い机の上に立たせ、下にいる群集の中の家族に引き取らせるのでした。もし台の下に「私の息子です。私の夫です」と言う人がいれば、家につれて帰らせますが、もしも台の上に立った人に、引き取れる親族が台の下にいなかったら、日本軍が別のところに追い立てて集団虐殺するのです。私はよその省の広東人で、初めて江蘇にやってきて標準語ですらよく話せないのに、どうして親戚や家族が南京にいるでしょうか?私が台に立つ番になり調べられた時、それはちょうど陰陽の境界線に到ったかのような、正に生死の関頭に立った一刻でした。幸いなことに台の下にお年寄りが2人いて、その1人がこの男は自分の息子だと言い、もう1人がこの男は自分の甥だと言ってくれたので、私は平安にも下に降りられたのでした。この2人の私の命を救ってくれた優しい人が、1人は鄭宝さんと言い、もう1人は華正清さんと言うのが、後に分かったのですが、私はこのお2人の恩に報いるため、それ以後お2人を義父と思い、その晩年の生活の面倒を見させてもらっています。
 日本軍はそれに婦女を強姦しました。日本兵が毎日十数回も難民キャンプにやってきて、中年や壮年の婦女を刀や銃で威嚇して外へ引き出し強姦したり、輪姦したりしました。ある若い婦女が、顔に灰を塗りたくり、醜女みたいな身なりをしましたが、それでも日本兵に犯されるのは免れがたく、日本兵が来るのが多すぎたりすると、年取った婦女も害を受けるのでした。輪姦されるのが余りにも多くて、人里はなれたくぼ地に死んで難民キャンプに戻ってこなかった婦女もいたのです。
 後に私は死体の片づけに参加しましたが、女の屍数十を発見し、下半身に何も着けていなかったり、下の部分は腫れ上がったりしていて、日本軍が輪姦してから死に至らしめた証となっていました。 日本軍が南京を陥落させた後、むやみに建物を焼き、城内も城外も焔(ほのお)がめらめらと天を突き、城内の以前の外交部や、三汊河の大同小麦粉工場など、いずれも赤々と燃えていました。そのほか、下関の龍江橋の長江沿いの大通りは全部焼けただれて廃墟となったのです。(続く)
  

  
 
「Imagine9」【合同出版】より



世界は、


9条をえらび始めた。



・憲法9条はまるで、神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです。(中国、40代・男性)



・9条は、明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因です。(モンゴル、60代・男性)



・9条は、日本が多くの残虐行為をおこし、侵略戦争を行った反省から制定されたものです。その9条をなくすことに賛成できません。(韓国、60代・女性)



・9条の平和主義は、私たちの世代だけでなく、次の、その次の世代の平和にも重要です。(中国、40代・男性)



・すべての国が憲法9条を持つようになり、平和が最後の手段としてではなく、唯一の手段となる日が来ることを願っています。(イギリス、20代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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