2009年4月18日土曜日

アジア太平洋戦争へ

まもなく4月29日の「昭和の日」を迎える。これが、本当に国民の祝日であっていいのか、日本人は考えなければならないと思う。

 1930年代の中国における戦争は、日本の一方的な侵略戦争あった。
その当時の憲法は大日本帝国憲法であった。日本は大日本帝国と呼ばれていた。時の天皇は昭和天皇であった。その憲法には次のように書いてある。
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
・・・・・・

天皇が軍の最高責任者である。日中戦争に限らず、アジア・太平洋戦争の戦争を始めたのも終わりにしたのも昭和天皇である。その天皇の誕生日を祝日として祝うということはあの戦争で犠牲になった大勢のアジアの人々や日本の国民にとっていかがなものだろうか?


1931年(昭和6年)9月18日・・・柳条湖事件、満州事変に発展
1932年(昭和7年)3月・・・満州国の建国宣言発表
1933年(昭和8年)3月・・・日本は国際連盟を脱退する。

『未来をひらく歴史』(日・中・韓=共同編集 第2版 高文研)より

 日本の侵略戦争

1、日中全面戦争

満州(中国東北地方)を侵略した日本は、1937年から中国全土へ侵略戦争を開始しました。全面侵略戦争は、どのようにしてアジア太平洋戦争にまで発展したのでしょうか。

 日中全面戦争からアジア太平洋戦争へ

重慶に移転した国民政府は、ビルマ(現ミャンマー)方面などからのいわゆる「援蒋(えんしょう)ルート」(蒋介石政府を援助するルート)により、アメリカやイギリスなどから軍需物資の供給を受けながら抗日戦争を続けました。アメリカやイギリスが中国支援を強め、日本への経済制裁を強めるようになると、日本は軍需物資を確保するために東南アジアへの進出を目指すようになります。
   
     
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
江辺、下関埠頭、挹江門、三汊河一帯での集団虐殺

 ○玉昆(男、67歳)の証言   ○・・・辞典に見当たらない字

 中国侵略日本軍が南京大虐殺をした時、私は17歳で、三汊河の揚子小麦粉工廠(今は有恒麺粉廠)で門番をしていました。私は日本兵が同胞を虐殺した虐殺ぶりをこの目で見ました。
 三汊河から水西門まで、ずうっと死体が地にあまねく横たわっていました。この1つながりだけで、万人坑が5つもあるのです。老虎門の付近に1つ、水西門の近くに1つ、漢中門外の黄土山の下に1つ、三汊河の高鼓村の向かいに1つ、大同小麦粉工廠(今の鶏鴨加工廠)の裏門の倉庫の外に1つです。この5つのくぼみが、後にみんな屍でいっぱいに詰まったのです。
 日本兵が入ってきて3日目に、とっくに武装解除していた百人余りの中国兵が日本軍に三汊河で捕まり、真一文字に並ばせられ、1人又1人と日本兵に突っつき殺されるのを、私はこの目で見ましたが、何とも見るに忍びない残忍さでした。
 農暦11月27日に、私は日本兵に有恒小麦粉工廠の階上へ駆り立てられました。その階上から見えたのですが、日本兵が三汊河で中国兵を7名捕まえ、それぞれに1つずつ穴を掘らせ、日本兵が銃で6人ぶち殺して、穴に叩き込み、7番目の中国兵に、先の6人の穴を平らに埋めさせてから、日本兵はこの男に「カイルー(開路=引導する、帰る)」させました。この人は7人の中での唯一人の生き残りです。この人は私たちと一緒に何日か過ごしましたが、名前は王有道と言い、河南省の開封の人で、まもなく故郷に帰って行きました。
 1938年の3月に、私はたった一人で出てきて、三汊河一帯で薪をちょっと拾って焼酎を造ったところを、風呂屋をしている杜文甫と徐三の主人に見つかり、私をこそ泥だと日本兵に誣告(ぶこく)されました。日本兵が大同小麦粉工廠の門の柱に私を縛りつけ、軍用犬を放って私に向かわせたので、衣服が全身噛み裂かれ、腿(もも)に噛みつかれ、右の耳をやられました。しかも残酷な日本兵は更に日本刀の峰を私の頭上に二太刀振り下ろし、その場で私は昏倒してしまいました。気が付いてから、通訳官に事情を話し説明してもらって、やっと放してもらいました。今も私は太股(ふともも)と頭に傷痕があります。(李文奎と劉雯と馮中美が記録)

 
「Imagine9」【合同出版】より



世界は、


9条をえらび始めた。



・平和を探ることが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。
(アメリカ、40代・女性)

・日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私はとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。(ベルギー、40代・男性)

・日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
(インド、50代・女性)

・私の地域では、たえまない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。(レバノン、20代・女性)

・武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。私の国、コスタリカは武器をもたない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常に素晴らしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
(コスタリカ、60代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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