2009年4月21日火曜日

アジア太平洋戦争

まもなく4月29日の「昭和の日」を迎える。これが、本当に国民の祝日であっていいのか、日本人は考えなければならないと思う。

 1930年代の中国における戦争は、日本の一方的な侵略戦争あった。
その当時の憲法は大日本帝国憲法であった。日本は大日本帝国と呼ばれていた。時の天皇は昭和天皇であった。その憲法には次のように書いてある。
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
・・・・・・

天皇が軍の最高責任者である。日中戦争に限らず、アジア・太平洋戦争の戦争を始めたのも終わりにしたのも昭和天皇である。その天皇の誕生日を祝日として祝うということはあの戦争で犠牲になった大勢のアジアの人々や日本の国民にとっていかがなものだろうか?



『未来をひらく歴史』(日・中・韓=共同編集 第2版 高文研)より

 日本の侵略戦争

2、アジア太平洋戦争

 日中戦争に行き詰った日本が、どのようにアジア太平洋戦争に突入していったのか、その原因を考えてみましょう。

 マレー半島上陸と真珠湾攻撃

日本が東南アジア侵略へ動き始めると、アメリカは日本への鉄鋼、くず鉄の輸出をストップし、ついで石油の輸出も止めました。イギリス、オランダもこれに同調して日本に対する経済封鎖を強めると、日本の軍部は危機感をつのらせ、「ABCD(America,Britain,China,Dutch)包囲陣」の圧迫をはね返すには戦争以外に道はないと、日本国民に宣伝するようになりました。
 1941年12月8日未明、日本の陸軍はイギリスの植民地であるマレー半島上陸作戦を行ない、イギリス軍に奇襲攻撃をかけました。続いて、海軍航空隊がハワイ真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊に奇襲攻撃をかけた後、日本はアメリカ・イギリスに宣戦布告を行ない、アジア太平洋戦争が始まりました。



「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
江辺、下関埠頭、挹江門、三汊河一帯での集団虐殺

 孫歩方(男、64歳)の証言 

 (昨日の続き)私たち9人も、かき集めて筏を1つ組み終わり、午後4時過ぎに、筏に乗って正に岸辺を離れようとしていた時に、軍人が1人やってきて、自分を連れて行かせようとし、筏に乗った途端に、筏が沈みそうになりました。これを見てこの軍人は、銃に弾をカチャッと詰めて、強引に私たち何人かを降ろし、自分を先に行かせようとしました。私ともう2人とが降りるしかなく、そいつが後の6人と一緒に長江が流れるままに漂って行きました。それが何と私が今日まで生きてこれることにつながったのですが、と言うのは、その日既に敵の海軍が燕子磯の川面を封鎖していて、凡そ長江を漂って行った船なり筏なりは、大きな船や小さな船やで長江を渡った軍人や民衆を含め、ほとんど日本軍に掃射されて死に、沈没した筏もありで、1つとして生きて帰ったのは無かったからです。
 午後5時以後は、敵軍はもう小河を過ぎ、江辺にひしめいている軍人や民衆へと迫っていました。6時頃に、煤炭埠頭を過ぎ、もうじき和記洋行に来ようという時、人が益々いっぱいで堪らなくなりました。その時、和記洋行のイギリス人が出てきて、軍人に武器を差し出し、洋行の区域内に避難するようにと、大声で怒鳴ったので、銃を持っていた軍人たちが次々に銃や弾薬を放り出し、私たちもひしめいている軍人や民衆にくっついて和記洋行の大きな内庭に避難しました。
 12月14日は、どんより曇り寒かったです。午前中に、私たちは江辺へ行って鉄兜を1つ拾い、薪と米とを少し見つけて来て、何か食べるものを作り、一日も何も食べずにいたすきっ腹に詰め込もうとしたのですが、お粥がまで煮えないうちに、日本軍が何人かやってきて、1人1人身体検査をされました。その数人が行ってしまうと、何人かがまたやってくる、といった調子で引きもきらず、若い婦女子は連れて行かれ、みんなが持っていたお金や物を取られる、といった具合に避難していた軍人や民衆がやられ、みんないっそのこと外套のボタンをはずしっぱなしにするほどでした。午後5時頃に、私たちが丁度お粥を食べようとしていたら、又もや日本軍が3人、馬を一匹ひいてやってきて、身体中を探してから、日本軍の1人が私に「その子ども、来いや」と言うので、おとなしく言いなりになりましたら、馬をひかされ、醤油の小さな桶とかますに入れたなつめの蜜漬けとを持たされて、付いて行かされました。ああ何と、私は2日も食べてなくて、今度のお粥もまた食べられなかったのです。(続く)


   

  
「Imagine9」【合同出版】より



はじめに


戦争のない世界なんて、夢ものがたりでしょうか。
いいえ。戦争は、人がつくり出すものです。だから、人は、戦争のない世界をつくり出すこともできるのです。
 世界の人たちは、長い歴史の中で、戦争のない世界をつくるために、がんがえ、行動してきました。
戦争で傷つき、苦しんできたからこそ、もうこんなことはくりかえしてはならないとかんがえたのです。
 日本は憲法9条で「戦争はもうしない。だから軍隊はもたない」と決めました。世界の多くの人たちは今、「自分たちも」と9条をえらび始めています。
 それなのに、私たち日本に生きる者が見失ってはいけません。9条を失うことは、日本だけでなく、世界にとっての損失だからです。
 世界中の国が憲法9条をもったらどんな世界になるでしょう。この本ではそのことを想像してみてください。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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