2009年4月25日土曜日

「大東亜共栄圏」のまぼろし

まもなく4月29日の「昭和の日」を迎える。これが、本当に国民の祝日であっていいのか、日本人は考えなければならないと思う。

 1930年代の中国における戦争は、日本の一方的な侵略戦争あった。
その当時の憲法は大日本帝国憲法であった。日本は大日本帝国と呼ばれていた。時の天皇は昭和天皇であった。その憲法には次のように書いてある。
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
・・・・・・

天皇が軍の最高責任者である。日中戦争に限らず、アジア・太平洋戦争の戦争を始めたのも終わりにしたのも昭和天皇である。その天皇の誕生日を祝日として祝うということはあの戦争で犠牲になった大勢のアジアの人々や日本の国民にとっていかがなものだろうか?



『未来をひらく歴史』(日・中・韓=共同編集 第2版 高文研)より

 日本の侵略戦争

 3、「大東亜共栄圏」のまぼろし

 アジア太平洋戦争を始めた日本政府は、戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことに決定しました。その目的は何だったのでしょうか。
 
 「大東亜共栄圏」の実態

しかし、日本が「大東亜戦争」を開始した本当の目的は、政府が決定した「南方占領地行政実施要領」(1941年11月20日)に述べられているように、「占領地に対しては差し当たり軍政を実施して、治安を回復し、重要国防資源を急いで獲得し、作戦軍が自活できるようにする」ところにありました。重要国防資源とは石油、錫(すず)、タングステン、ゴムなどであると書かれています。「自活する」とは、日本軍が占領した現地で、食糧をはじめ軍の維持・活動に必要な物資を手に入れるということです。
 大東亜会議の開催を決めた1943年5月の御前会議(天皇の出席した重要会議)で決定した「大東亜政略指導大綱」では、「マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスは帝国領土と決定、重要資源の供給地として開発し、民心を把握するように務める」と定められました。
 以上に見たように、欧米列強に取って代わった日本の占領地支配は、「大東亜共栄圏」とは名ばかりで、戦争遂行のための資源、資材、労働力の調達を目的にしたものでした。東南アジアの占領地では、鉄道建設や軍用道路建設、飛行場建設などの土木工事や鉱山労働に多くの現地住民が強制動員されました。シンガポールやマレーシアでは、多数の華僑(中国系住民)が反日活動の疑いをかけられて虐殺されました。やがてインドネシアやフィリピン等日本軍の占領地で組織的な抗日運動が展開されるようになります。

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
江辺、下関埠頭、挹江門、三汊河一帯での集団虐殺

 孫歩方(男、64歳)の証言 

 (昨日の続き)12月20日頃のある日、朝早く邁皋橋を出て、通りに沿って城内に向かい、和平門を入り鼓楼を通って新街口まで来て、中山東路の方へ曲がり大安宮や太平路に来ました。道沿いの家屋は焼かれたのが多く、特に太平路は、大小の商店がみんな焼き尽くされていて、私の居た太平路54号も、焼け落ちて一面の瓦礫となっていました。楊公井まで来たら、中華書局とその向かいの中正書局はまだ焼かれていませんでしたが、ガラスの棚は打ち壊され、いろんな書籍が街いっぱいに放り出されていました。白下路を通り、内橋から中華路まで来たら、中華路にあった大小の商店は、みんな焼き尽くされ、一番大きな三履靴屋と何軒かの大きい呉服屋とは、どこもただ骨組みが何本か残っているだけか灰塵の堆になっているかで、正に一面の焦土、満身創痍(そうい)でした。
 中華門を出ると、又もや一面のむごたらしい場景で、道路にはいろんな風に惨殺された死体がいっぱいごろごろしていて、2日前に降った雪も、まだこれらの屍に覆いをかけられずにいました。道路の真ん中は、軍の車やタンクに轢(ひ)かれてぺしゃんこになった胴体や、圧しつぶされた頭が、雪で紅に染まり、泥水と脳味噌とが、見分けられないほどぐしゃぐしゃになっていました。南門(中華門)のすぐ外の大橋のそばに、4,50歳くらいの婦人が、ズボンをはぎ取られ、股の内側に木の棒が1本差し込まれている、何とも見るに忍びないものでした。それなのに道を行く日本軍の一隊は、これを見てかか大笑したのです。
 更に前へ行って、掃帚巷に入ると、又も一面の焦土で、塀は壊れ壁は崩れていて、雪が降った後なのに、まだ煙が出ているところもあるのです。掃帚巷から洋炮局を抜け養虎巷を通って、まっすぐ通済門の方向へ向かいました。まもなく通済門だという所に、ある平民の住宅があり、煉瓦も紅く瓦も紅いために、住民が紅い家と呼んでいたのですが、部隊はそこで休憩しました。ここの住民はほとんどみんな難を逃れて行ってしまっていましたが、ある理髪師1軒だけがまだ行っていなくて、この理髪師の若い奥さんが日本軍に発見されてから、輪姦されてしまいました。この日本軍の一隊が出て行く時に理髪師をぶち殺したばかりか、この若い婦人の陰部に強力な花火の「天地響」を差し込んで、その場で爆死させてしまいました。(続く)


   

「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、


武器をつくったり


売ったりしない世界を。


Imagine,


A world that doesn't


make or sell weapons.



紛争が続くアフリカでは、子どもたちまで武器を持ち、命を落としています。
その武器はヨーロッパやアメリカから売りつけられています。
アフリカの私たちは、殺しあう必要もないのに買わされているのです。
 だから、9条はアフリカにこそ必要だと思います。
9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ち込ませないようにできるのです。(ケニア/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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