「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
南京事件の全貌
【財産権の侵害】
日本軍は南京において戦闘行為とは直接関係のない略奪・放火を長期にわたって行った。南京国際救済委員会の調査によれば、南京城内の建物の73パーセントが略奪の被害を受けた。中心的なビジネス街では、多数の兵隊による何度かの略奪を受けたのち、ついで軍用トラックを使用した本格的な略奪を受け、最後には放火されて焼失したところが多かった。
放火は日本軍の南京入城後に始まって2月はじめまで行われ、市全体で建物の24パーセントが焼失した。そして、焼け残った家の家具や衣料、現金などがはぎ取られ、日本軍に略奪された。
南京近郊の農村では広い地域にわたって、40パーセントの農家が焼かれ、家畜や農具、貯蔵穀物、作物が甚大な被害を受けた。畑の小麦は軍馬の飼料にされ、野菜は兵隊が好んでかっぱらっていった。とくに、江寧県と句容県では野菜畑の作物のほぼ半分が損害を受けている。
徴発・調達の名目で食糧・穀物・家畜が大量に略奪された(「南京地区における戦争被害」。なお笠原『アジアの中の日本軍』も参照のこと)。
「この事実を・・・・」(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編
加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
漢中門外、江東門、上新河一帯での集団虐殺
陳徳星(男、72歳)の証言
日本兵が南京に来たのは1937年の冬月で、私が用事で江東門を通ったら、日本兵が模範監獄の前で、テーブルやベッドの板や大きな戸板などいろんな木材をあるくぼ地に積み上げ、それにガソリンをかけて火をつけ、それから日本兵2人が中国人1人の両腕を抱え、後ろから日本兵1人が銃剣で中国人の背中を突っつき突っつきして、その中国人を炎の中へと追い込んでいるのを、見かけたのですが、次々に上がるけたたましい叫び声が耳に響くばかりで、全く見るに耐えないむごたらしさでした。文字通りその人たちの頭がこげ額がただれ、血なまぐささが天に突き上がるのでした。
李桂英(女、59歳)の証言
1937年には、私の家は江東門でした。1937年12月13日に日本の侵略軍が南京を占領して、大虐殺をやった時、私は12歳でした。日本軍はいつも三々五々群をなして外出していて、馬に乗っての時もあり、歩いての時もありました。一度、男の人が1人難民区から出てきたのを、日本兵がぐっととっつかまえて、まずその頭を見、次いでその手と肩とを見、それから気ままに一発撃ちました。その人はそのときは死なずに、倒れて何度かけいれんしていましたが、やがて日本兵がまた一発撃って、やっと撃ち殺しました。
江東門の橋が爆破されていて、日本軍が橋を渡れなかったことから、つかまえてきた何百人もの庶民を銃で撃ち殺し、その死体を河に敷き詰め積み上げ、庶民の家の戸板などはずしてきたのを屍の上に張り渡しました日本兵がその上を歩き、屍から血が流れ出して、河全体が真っ赤に染まったのでした。(賀家宝が記録)
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん、
軍隊のお金をみんなの
暮らしのために使う世界を。
Imagine,
A world that spends money
not on armies,
but on people's lives.
アメリカでは、イラク戦争に年間およそ1兆円も税金をつぎ込んでいます。それなのに、ハリケーンから自国民を守ることさえできませんでした。
日本が9条をなくして大きな軍隊を持てば、きっと税金は戦争の用意に回され、日本の人々の生活は苦しくなるでしょう。
そして、貧困に苦しむアフリカの人々への支援も減らされてしまうのではないでしょうか
(ケニア/男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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