2009年3月13日金曜日

南京大虐殺

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
南京事件の終焉
松井司令官の解任
 1月上旬を過ぎると、日本軍の南京虐殺の事実は、南京にいた外国人記者の報道によって世界に知られるようになっていただけでなく、南京のアメリカ大使館が作成した日本軍の残虐・不法行為に関する膨大な記録と報告が本国の国務省や東京のアメリカ大使館に送信されたり、同じくドイツ大使館のローゼン書記官らの詳細な日本軍暴行記録が本国に報告されたりして、外交ルートを通じても、南京事件の事実が世界に知られるようになっていた。石井射太郎の日記(38年1月6日)は「上海から来信、南京におけるわが軍の暴状を詳報し来る。略奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。ああこれが皇軍か。日本国民民心の廃頽の発露であろう。大きな社会問題だ」と記している。
 南京の日本軍の軍機頽廃問題は、陸軍中央でもひそかに問題にするようになった。その頃予備役になっていた元教育総監真崎甚三郎大将は、上海派遣軍を視察してきた衆議院議員の江藤源九郎予備役少将の報告を聞いて、「軍紀風紀頽廃し、これを立て直さざれば真面目の戦闘に耐えずということに帰着せり。強盗、強姦、略奪、聞くに忍びざるものありたり」と日記(1月28日)に記している。(『南京戦史資料集Ⅱ』)。
 こうした状況の中で、畑俊六教育総監は松井石根司令官の更迭を杉山元陸相に進言したことを日記(1月29日)に記している。
 

 支那派遣軍も作戦一段落とともに、軍紀風紀ようやく頽廃、略奪、強姦類のまことに忌まわしき行為も少なからざる様なれば、この際召集予后備役者を内地に帰らしめ、また上海方面にある松井大将も現役者をもって代らしめ、また軍司令官、師団長などの召集者も逐次現役者をもって交代せしむるの必要あり。この意見を大臣に進言いたしおきたる・・・・。(「畑俊六日記」)

 こうした経緯があって参謀本部は松井中支那方面軍司令官の帰還を命令した。(続く)

 
「この事実を・・・・」(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編
            加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
漢中門外、江東門、上新河一帯での集団虐殺(1994年収録)

 陳永富(男、69歳)の証言
 1937年の末に、日本軍が南京を占領した時に、私の家は江北へ避難しようと準備したのですが、長江が水面封鎖されて、渡る船が無かったので、行かないことになりました。戻ってくる途中で、鳳凰街を通り、ある屋敷の内庭に泊まりました。他にも知らない人たちが2、30人いてここで一緒に難をさけていました。ある日、私たちの内庭の隣の門を日本軍が打ち壊して入り込んで来たようで、門番の1人が打たれ続けているのが聞こえ、銃声も聞こえました。そして日本兵が5,6人私たちの内庭の門から突っ込んできて、私たち若い男子を5人門の外に追い出し、無理やりにひざまずかせたのですが、その5人の中に私の兄弟が3人いました。お隣のあの門番さんが、日本軍に殺され、血からまだ湯気が立っているのに続いて、日本軍が5人を殺そうとしたその時に、将校の1人が、日本軍に集まれと命令したので、私たち5人は一死を免れました。一緒にいた30何歳かの女性が1人強姦されました。
 それに一度、日本軍に野菜を担がされ、鳳凰西街から江東門まで4,5里くらい行ったことがあって、その道でいっぱいやられた同胞の屍を見たのですが、その中には国民党の兵隊も少しいました。日本軍に殺された者あり、焼き殺された者あり、あっちの道端にゴロゴロこっちのため池に折り重なったりで、見るも悲惨なありさまでした。日本軍の駐屯している所まで野菜を運んでいったら、紙切れ一枚に何か書いて判を押したのをくれて、帰っていいと言われました。
 日本軍が南京を占領してから一ヶ月余りして、鳳凰西街から芦席巷まで行ったら、私の家が3軒とも日本軍に焼かれてしまっていました。しかも芦席巷43号の地下の穴に日本軍に殺された7,8人の屍がありましたが、そのうち3人が近所の人や隣の人でした。20歳余りで革靴をつくっていた周家保に、30歳余りで家で商売していた龍花子に、30歳余りでロバを殺すのが仕事の沈延寿でした。(肖仲煌と左紀文が記録)



 「Imagine9」【合同出版】より



考えてみよう、


日本の憲法9条のこれから。



日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。誰が何のためにそう言っているのか、考えてみましょう。
 2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「一緒に戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこで邪魔になるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。

 また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとって邪魔になるのは、「武器を売ってはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメリカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
 そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人々はどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そして皆さんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。





第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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