2009年3月12日木曜日

南京大虐殺

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
南京事件の終焉
戦略的に誤りだった南京攻略戦
 陸軍中央における拡大派の急先鋒であった武藤章参謀本部作戦課長は、中国一撃論を主張し、「南京をやったら敵は参る」と言いきった。そして武藤ら参謀本部の拡大派が出向して中支那方面軍司令部の中枢を占めた。上海派遣軍司令官に予備役から抜擢された松井石根大将は、南京を落とせば国民政府は屈服すると考え、東京を発つ時から、「南京を攻略せば(蒋介石は)下野すべし」と、南京占領の意図を公言してはばからなかった。
 南京攻略戦はもともと参謀本部の作戦計画になかったものを、中支那方面軍司令部と参謀本部の下村定第一部長らの拡大派とが策応して強行し、それを昭和天皇が追認、近衛内閣の追随し、さらにマスメディアが、南京を攻略すれば中国は容易に屈服して戦争は勝利するかのような安易な期待感を流布した。日本国民は、「南京に日章旗が翻る時」が戦争終結であるかのように報道する新聞記事に熱狂し、南京占領を「勝った!勝った!」と国を挙げて祝賀行事を展開した。
 しかし、南京陥落後も蒋介石は下野せず、国民政府は屈服しなかった。中国は武漢(漢口と武昌よりなる)に事実上の首都機能を移転させ、中国軍民の抗戦継続の意志に支えられて、国民党と共産党の合作はかつてなく強化され、第三勢力と言われた民主諸党派も結集し、武漢は南京に代わって抗戦中国の強力な「首都」の役割を果たした。
 ここに、武藤章や松井石根らの中国一撃論は完全に失敗したのだった。38年1月15日の大本営政府連絡会議(大本営と内閣が連席して重要な戦争政策を決定する会議)において、国民政府との和平交渉(トラウトマン工作)の最終打ち切りを決定し、翌16日に近衛首相が「帝国政府は爾後(じご)国民政府を対手(あいて)とせず」という蒋介石国民政府を否定する政府声明を発表したことは、南京攻略戦の政略的な失敗を日本の政府と軍中央が自ら認めたかたちになった。首都南京を落としても中国は屈服しなかったから、中国が屈服するまで戦争を拡大・継続していくという決定をしたのである。この政府と軍中央の決定は、日本国民を長期日中全面戦争の泥沼に引きずり込んでいく決定的な契機となった。
 この決定に際しては、参謀本部とりわけ不拡大派の多田駿参謀本部次長らが強く反対した。蒋介石政府否認後にくる長期泥沼戦争への突入を回避しようとした彼らは、最後は昭和天皇の「御裁断」を仰いで和平交渉打ち切りの阻止を図ったが、天皇はそれに応ぜず、交渉打ち切りに加担したのである。


「この事実を・・・・」(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編
            加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
漢中門外、江東門、上新河一帯での集団虐殺(1994年収録)

劉修栄(男、63歳)の証言
 1937年には、私は16歳で、一家4人(父と兄と弟と私)が、江東門の街から一里ほど離れた所に住んでいました。その頃私たちは情勢が緊張しているは知っていましたが、こんなに早く日本軍がやってくるとは思いませんでしたし、家で飼っていた豚何頭かを無くしてしまうのももったいなくて、難民区には行きませんでした。冬月の9日に、雨花台が緊迫してきたので、私たちは長江の岸辺に駆けつけましたが、渡れなかったので、引き返して来て水関橋に隠れ、そこに住まうことにしました。
 冬月11日に、まだ夜が明けないうちに、突然日本兵が数人私と兄が住まっている家に跳び込んできて、布団の中を銃剣でやたらに突き刺しました。私の小さなお腹に2度当たりましたが、布団越しだったので、傷は割りに浅くすみましたが、傷痕は今でもまだあります。私がその時突き刺されて泣き出したために、兄が助けに来ようとして、直ちに日本兵に捕まってしまい、門まで引きずられて、銃剣で何度も突き刺され、こめかみにも一発撃ち込まれて、その場で撃ち殺されました。何日かしてから、父が兄の死体を埋めてくれました。
 日本兵は江東門でいっぱい殺しました。2日後に、日本兵が国民党軍の捕虜を陸軍監獄(私の家のすぐ近く)から大茶亭までの間2キロぐらいの所に集めて、銃剣で刺すやら、機関銃で掃射するやらして、一日中殺しまくり、死体がうずたかくなったのを、私は見ましたが、ほんのわずかな人しか九死に一生を得られませんでした。それに又、前に日本の飛行機に爆撃されて壊れた江東門の古い橋が、日本軍によって中国人平民の死体を積み重ね、上に木の板を敷き、それを橋にして歩くようにされたのを見ました。
 暖かくなって雪が溶けた頃、江東門一帯は真っ赤な血の池となり、ぞうっと背筋が寒くなったのでした。(呉伝銘、劉興林、何煉生らが記録)


 
 「Imagine9」【合同出版】より



考えてみよう、


日本の憲法9条のこれから。



「日本の憲法9条をあたりまえのものだとどうか思わないでください。それは、ある日突然なくなってしまうかも知れません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし、憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人々が救われています。9条がなければ、皆さんはアメリカが第二次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです。 これは、アメリカの元海兵隊員で、今では世界的に平和活動を行っているアレン・ネルソンさんの言葉です。




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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